
6月22日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢37名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】6月22日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、グレゴリオ暦に換算した日付に基づいて掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1647年 | 小笠原忠雄 | 小倉藩第2代藩主 |
| 1669年 | 津軽信寿 | 弘前藩第5代藩主 |
| 1686年 | 小笠原貞通 | 小倉新田藩第2代藩主 |
| 1753年 | 植村家長 | 高取藩第9代藩主 |
| 1762年 | 松平直恒 | 母里藩第7代藩主 |
| 1768年 | 青山忠裕 | 江戸幕府老中・篠山藩主 |
| 1793年 | 徳川家慶 | 江戸幕府第12代将軍 |
| 1849年 | 毛利元敏 | 長府藩第14代藩主 |
| 1851年 | 滝脇信敏 | 桜井藩知事 |
| 1858年 | 南部信方 | 八戸藩第10代藩主 |
| 1859年 | 坪内逍遥 | 小説家・劇作家・翻訳家 |
| 1902年 | 市原豊太 | フランス文学者・獨協大学学長 |
| 1903年 | 山本周五郎 | 小説家 |
| 1911年 | 河本敏夫 | 政治家・通商産業大臣 |
| 1922年 | 新津義雄 | 政治家・衆議院議員 |
| 1923年 | 木村功 | 俳優 |
| 1928年 | 佐々木すみ江 | 俳優 |
| 1928年 | 中山茂 | 科学史家 |
| 1942年 | 高橋紀世子 | 政治家 |
| 1945年 | 白川勝彦 | 政治家・自治大臣 |
【海外】6月22日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1684年 | フランチェスコ・マンフレディーニ | 作曲家・ヴァイオリニスト |
| 1767年 | ヴィルヘルム・フォン・フンボルト | 言語学者・政治家 |
| 1805年 | ジュゼッペ・マッツィーニ | 革命家・思想家 |
| 1830年 | テオドール・レシェティツキ | ピアニスト・教育者 |
| 1864年 | ヘルマン・ミンコフスキー | 数学者 |
| 1887年 | ジュリアン・ハクスリー | 生物学者・初代ユネスコ事務局長 |
| 1897年 | ノルベルト・エリアス | 社会学者 |
| 1898年 | エーリヒ・マリア・レマルク | 小説家 |
| 1898年 | ハロルド・ティンパーリ | ジャーナリスト |
| 1899年 | ミハウ・カレツキ | 経済学者 |
| 1906年 | ビリー・ワイルダー | 映画監督・脚本家 |
| 1907年 | ジョコンダ・デ・ヴィート | ヴァイオリニスト |
| 1910年 | ピーター・ピアーズ | テノール歌手 |
| 1936年 | クリス・クリストファーソン | 歌手・俳優 |
| 1940年 | アッバス・キアロスタミ | 映画監督 |
| 1945年 | アレクサンダー・パインズ | 化学者 |
| 1947年 | ピート・マラビッチ | バスケットボール選手 |
6月22日生まれの代表的な偉人
ヴィルヘルム・フォン・フンボルト
- 生没年:1767年6月22日~1835年4月8日
- 国:プロイセン
- 肩書き:言語学者・政治家・教育改革者
プロイセンの教育行政を担い、研究と教育の自由を掲げるベルリン大学の創設を主導しました。大学を既存知識の伝達だけでなく、教員と学生が共同で新しい知を生む場と考えます。言語研究では世界各地の言語を比較し、言語は完成した道具ではなく、人間が世界を形づくる絶え間ない活動だと捉えました。国家による教育制度と個人の自己形成をどう両立させるかという理念は、近代大学の基準となりました。
徳川家慶
- 生没年:1793年6月22日(寛政5年5月14日)~1853年7月27日(嘉永6年6月22日)
- 国:日本
- 肩書き:江戸幕府第12代将軍
父家斉の長い大御所政治の後に実権を持ち、水野忠邦に天保の改革を行わせました。株仲間解散、人返し令、上知令などで物価、人口、幕府財政を統制しようとしましたが、諸大名と商人の反発を受けて失敗します。ペリー来航直後に死去し、幕府は開国判断を次代へ持ち越しました。飢饉と内外の危機に対して旧来の統制策が機能しにくくなった幕末前夜を象徴する将軍です。
ジュゼッペ・マッツィーニ
- 生没年:1805年6月22日~1872年3月10日
- 国:イタリア
- 肩書き:革命家・思想家
秘密結社「青年イタリア」を組織し、分裂した諸邦を共和制の統一国家へまとめることを訴えました。亡命先から蜂起を企て、1849年には短命なローマ共和国の指導に加わります。王政を軸に統一を進めるカヴールや武力を担うガリバルディとは方法が異なりましたが、国民を共通の使命で結ぶ思想はリソルジメントの精神的核となりました。同時に、その民族観は後世のナショナリズムの両義性も示します。
坪内逍遥
- 生没年:1859年6月22日(安政6年5月22日)~1935年2月28日(昭和10年2月28日)
- 国:日本
- 肩書き:小説家・劇作家・翻訳家
評論『小説神髄』で勧善懲悪の道具だった物語から離れ、人間の感情と性格を写す近代小説を提唱しました。『当世書生気質』でその実践を試み、早稲田大学で文学教育と演劇運動を進めます。シェイクスピア全戯曲を個人で翻訳し、日本語の舞台と読書へ古典を定着させました。新旧の文体が混じる限界も含め、文学と演劇の制度を一から設計した明治文化の開拓者です。
ヘルマン・ミンコフスキー
- 生没年:1864年6月22日~1909年1月12日
- 国:ドイツ
- 肩書き:数学者
数論と幾何学を結ぶ「数の幾何学」を築き、格子点と凸体の関係から難しい整数問題を解く方法を示しました。アインシュタインの特殊相対性理論を、時間一つと空間三つを合わせた四次元時空の幾何として表現します。この定式化により、観測者ごとに異なる時間と空間の背後に不変な構造があることが明確になりました。物理学者が重力や宇宙を幾何学で考えるための言語を与えた人物です。
ノルベルト・エリアス
- 生没年:1897年6月22日~1990年8月1日
- 国:ドイツ・イギリス
- 肩書き:社会学者
『文明化の過程』で、中世から近代にかけて食事、排泄、暴力、感情の作法が細かく統制される変化を、国家による暴力独占と人々の相互依存の拡大から説明しました。個人の性格と社会構造を別々に扱わず、長い時間の中で同時に形づくられるものと捉えます。ユダヤ人として亡命し、評価は晩年まで遅れましたが、日常の身体感覚を歴史社会学の中心に置く方法を確立しました。
エーリヒ・マリア・レマルク
- 生没年:1898年6月22日~1970年9月25日
- 国:ドイツ・アメリカ
- 肩書き:小説家
第一次世界大戦に出征した経験をもとに、『西部戦線異状なし』で若い兵士の恐怖、退屈、仲間の死、帰る場所の喪失を描きました。英雄的な戦争物語を崩す作品は世界的に読まれ、ナチスによって焚書の対象となります。国外へ逃れて市民権も剥奪され、亡命者を描く小説を発表しました。戦場の勝敗より、暴力が一世代の感情と人生を破壊する過程を文学に刻んだ作家です。
ミハウ・カレツキ
- 生没年:1899年6月22日~1970年4月18日
- 国:ポーランド
- 肩書き:経済学者
企業の投資が所得と雇用を生み、その利潤を自ら形成するという有効需要の理論を、ケインズとは独立に発展させました。価格設定、独占度、所得分配を分析し、資本主義の景気循環を企業と労働者の力関係から説明します。完全雇用政策が技術的には可能でも、経営者が労働者の交渉力上昇を嫌って政治的に反対しうると指摘しました。経済政策を階級と権力から切り離さない先駆的な理論家です。
山本周五郎
- 生没年:1903年6月22日(明治36年6月22日)~1967年2月14日(昭和42年2月14日)
- 国:日本
- 肩書き:小説家
武士、市井の職人、貧しい家族を題材に、名誉や制度よりも目の前の人を支える行為に価値を置く物語を書きました。『樅ノ木は残った』では悪臣とされた原田甲斐を再解釈し、『赤ひげ診療譚』では医療と貧困を結びつけます。直木賞など文学賞を辞退し、読者に届く大衆小説の現場を重んじました。歴史上の勝者ではなく、記録に残りにくい生活者から社会を見る視点を定着させました。
ビリー・ワイルダー
- 生没年:1906年6月22日~2002年3月27日
- 国:オーストリア=ハンガリー・アメリカ
- 肩書き:映画監督・脚本家
ナチス台頭を逃れてハリウッドへ渡り、『失われた週末』『サンセット大通り』『お熱いのがお好き』『アパートの鍵貸します』を監督しました。ジャンルを犯罪映画から喜劇まで横断し、緊密な脚本と辛辣な台詞で、成功、欲望、孤独の裏側を描きます。検閲規則の制約を暗示と構成でかわしながら、観客を笑わせた直後に社会の残酷さを見せる手法を磨き、映画脚本と演出の基準を作りました。
ピーター・ピアーズ
- 生没年:1910年6月22日~1986年4月3日
- 国:イギリス
- 肩書き:テノール歌手
作曲家ベンジャミン・ブリテンの生涯の伴侶、共同芸術家として、多くの歌曲とオペラの初演を担いました。『ピーター・グライムズ』の主人公など、社会から孤立した人物を、明瞭な言葉と繊細な音色で演じます。二人はオールドバラ音楽祭を創設し、地方に国際的な演奏の場を築きました。同性愛が処罰対象だった時代の私生活を公然とは語れない中でも、協働関係が20世紀イギリス音楽を形づくりました。
アッバス・キアロスタミ
- 生没年:1940年6月22日~2016年7月4日
- 国:イラン
- 肩書き:映画監督・写真家
子どもが友人のノートを返そうとする『友だちのうちはどこ?』など、単純な出来事から選択と責任を描きました。俳優と本人、記録と演技、映画と現実の境を揺らす『クローズ・アップ』『そして人生はつづく』で、観客が真実を判断する過程そのものを作品にします。検閲と限られた製作条件の中で、省略、車内会話、開かれた結末を生かし、イラン映画を世界映画の中心へ押し上げました。
6月22日に起きた歴史的な出来事
- 紀元前217年6月22日|ラフィアの戦い
プトレマイオス朝エジプト軍が、セレウコス朝のアンティオコス3世軍をガザ近郊で破りました。両王朝が東地中海とシリアを争ったヘレニズム時代最大級の会戦です。 - 紀元前168年6月22日|ピュドナの戦い
ローマ軍がマケドニア王ペルセウスの軍を破りました。柔軟なローマ軍団が密集方陣を崩し、アンティゴノス朝は滅亡してローマの東方支配が進みました。 - 1377年6月22日|リチャード2世がイングランド王に即位
祖父エドワード3世の死により、10歳のリチャード2世が王位を継承しました。治世は農民反乱、貴族との対立、王権強化を経て、最終的に廃位へ至ります。 - 1582年6月22日(天正10年6月3日)|魚津城の戦い終結
織田方に包囲された上杉方の魚津城が、本能寺の変を知らないまま陥落しました。守将らは自害し、中央の政変と地方戦線の情報時間差を象徴する戦いとなりました。 - 1593年6月22日|シサクの戦い
クロアチアのシサク近郊でハプスブルク側軍がオスマン帝国軍を破りました。この敗北を契機に両勢力の長期戦争が本格化し、中欧国境の軍事化が進みました。 - 1611年6月22日|ヘンリー・ハドソンが追放される
北西航路を探していた船で反乱が起き、探検家ハドソンは息子らと小舟に置き去りにされました。その後は不明ですが、彼の航海は北米北東部の地理認識を広げました。 - 1633年6月22日|ガリレオが有罪判決を受ける
ローマ異端審問所が地動説を支持したガリレオに有罪判決を下し、見解の撤回を命じました。科学と宗教の単純な対立ではなく、聖書解釈、証拠、教会権威が絡む事件です。 - 1940年6月22日|独仏休戦協定調印
フランスがドイツとの休戦協定に署名し、北部・西部は占領下、南部はヴィシー政権の統治下に置かれました。対独協力と抵抗をめぐる深い分断が始まりました。 - 1941年6月22日|独ソ戦開始
ナチス・ドイツが不可侵条約を破ってソ連へ侵攻しました。史上最大規模の地上戦となり、占領地での虐殺と膨大な軍民の犠牲を伴い、第二次世界大戦の帰趨を変えました。 - 1944年6月22日|バグラチオン作戦開始
ソ連軍がベラルーシ方面で大攻勢を開始し、ドイツ中央軍集団を壊滅させました。東部戦線の主導権を決定的にし、赤軍はポーランド国境へ進みました。 - 1969年6月22日|カヤホガ川火災
工業廃油で汚染されたアメリカ・オハイオ州の川で火災が起きました。規模は過去より小さかったものの、公害の象徴として報じられ、水質浄化法と環境行政を後押ししました。 - 1986年6月22日|マラドーナの『神の手』と5人抜き
サッカーW杯準々決勝でアルゼンチンがイングランドを破りました。マラドーナの手を使った得点と、続く長距離ドリブルの得点は、競技の欺きと天才性を同じ試合に刻みました。 - 1990年6月22日|チェックポイント・チャーリー撤去
東西ベルリンを隔てた代表的検問所の監視施設が撤去されました。壁崩壊後の往来自由化を可視化し、ドイツ再統一へ向かう冷戦終結の象徴となりました。 - 1998年6月22日(平成10年)|金融監督庁発足
大蔵省から金融機関の検査・監督機能を分離した金融監督庁が発足しました。バブル崩壊後の不良債権問題を受け、財政政策と銀行監督の距離を確保する改革でした。 - 2013年6月22日|富士山が世界文化遺産に登録
富士山が信仰の対象と芸術の源泉としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。自然景観だけでなく、巡礼、浮世絵、文学を通じた文化的価値が評価されました。