
6月23日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢36名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】6月23日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、グレゴリオ暦に換算した日付に基づいて掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1746年 | 塙保己一 | 国学者 |
| 1803年 | 松平斉韶 | 明石藩第7代藩主 |
| 1834年 | 内田正縄 | 小見川藩第9代藩主 |
| 1839年 | 松平乗秩 | 西尾藩第5代藩主 |
| 1870年 | 大口喜六 | 政治家・豊橋市長 |
| 1889年 | 三木露風 | 詩人・童謡作家 |
| 1890年 | 三代鈴木三郎助 | 実業家・味の素社長 |
| 1891年 | 岸田劉生 | 洋画家 |
| 1897年 | 末永雅雄 | 考古学者 |
| 1903年 | 入谷豊州 | 実業家・加藤海運商会設立者 |
| 1920年 | 国枝利通 | プロ野球選手 |
| 1922年 | 阿部文男 | 政治家・北海道開発庁長官 |
| 1926年 | 榎本和平 | 政治家 |
| 1928年 | 河合隼雄 | 心理学者・文化庁長官 |
| 1935年 | 浅井信雄 | 国際政治学者 |
| 1935年 | 筑紫哲也 | ジャーナリスト・ニュースキャスター |
| 1943年 | 三好美智子 | 俳優 |
| 1943年 | 佐伯チズ | 美容家 |
【海外】6月23日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1612年 | ユストゥス・ゲオルク・ショッテル | 言語学者・詩人 |
| 1763年 | ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ | フランス皇后 |
| 1810年 | ファニー・エルスラー | バレエダンサー |
| 1824年 | カール・ライネッケ | 作曲家・指揮者 |
| 1843年 | パウル・ハインリヒ・フォン・グロート | 鉱物学者 |
| 1852年 | ラウル・プーニョ | ピアニスト・作曲家 |
| 1864年 | ヘルマン・ホフマン | カトリック司祭・上智大学初代学長 |
| 1887年 | ラインハルト・ゲーリング | 劇作家 |
| 1892年 | ミェチスワフ・ホルショフスキ | ピアニスト |
| 1894年 | エドワード8世 | イギリス王・ウィンザー公 |
| 1894年 | アルフレッド・キンゼイ | 動物学者・性科学研究者 |
| 1912年 | アラン・チューリング | 数学者・暗号解読者 |
| 1925年 | サヒブ・シハブ | ジャズ奏者 |
| 1927年 | ボブ・フォッシー | 振付家・映画監督 |
| 1931年 | カール・スプーナー | 野球選手 |
| 1937年 | ニコラス・シャックルトン | 地質学者・古気候学者 |
| 1943年 | ジェームズ・レヴァイン | 指揮者 |
| 1943年 | デイヴィッド・ガイラー | 映画プロデューサー・脚本家 |
6月23日生まれの代表的な偉人
塙保己一
- 生没年:1746年6月23日(延享3年5月5日)~1821年10月7日(文政4年9月12日)
- 国:日本
- 肩書き:国学者
幼くして失明し、江戸へ出て盲人の職能組織で学びながら、国学者賀茂真淵らの教えを受けました。散逸しやすい古代・中世の文献を集め、校訂して木版で刊行する大叢書『群書類従』を編纂します。さらに研究教育機関の和学講談所を設けました。個人の記憶力と口述だけでなく、多くの協力者と出版技術を組織し、後世の歴史・文学研究が参照できる史料基盤を残した人物です。
ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ
- 生没年:1763年6月23日~1814年5月29日
- 国:フランス
- 肩書き:フランス皇后
カリブ海のマルティニークに生まれ、フランス革命期に夫を処刑され、自身も投獄されました。釈放後にナポレオン・ボナパルトと結婚し、皇后として社交と人脈形成を支えます。後継者を産めなかったため離婚しましたが、子どもたちの婚姻を通じてその血統は欧州王家へ広がりました。マルメゾン城では植物を収集し、バラ栽培と植物画を後援した一方、植民地奴隷制との関係も検討されています。
カール・ライネッケ
- 生没年:1824年6月23日~1910年3月10日
- 国:ドイツ
- 肩書き:作曲家・指揮者・ピアニスト
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長を35年にわたり務め、モーツァルトやメンデルスゾーンの伝統を保ちながら新作を演奏しました。音楽院ではグリーグ、ヤナーチェク、アルベニスら多くの学生を教えます。自身のフルート協奏曲や室内楽は現在も演奏され、晩年にはピアノ演奏を録音へ残しました。19世紀の演奏習慣を20世紀の録音時代へ橋渡しした教育者でもあります。
三木露風
- 生没年:1889年6月23日(明治22年6月23日)~1964年12月29日(昭和39年12月29日)
- 国:日本
- 肩書き:詩人・童謡作家
若くして象徴詩集を発表し、北原白秋と並んで「白露時代」と呼ばれる詩壇の中心となりました。童謡『赤とんぼ』では、幼い日の記憶と故郷への郷愁を平明な言葉に凝縮し、山田耕筰の旋律と結びついて歌い継がれます。北海道のトラピスト修道院で文学講師を務めた後にカトリックへ改宗し、宗教詩も書きました。近代詩の象徴性を子どもも歌える日本語へ開いた詩人です。
岸田劉生
- 生没年:1891年6月23日(明治24年6月23日)~1929年12月20日(昭和4年12月20日)
- 国:日本
- 肩書き:洋画家
白樺派との交流から西洋近代美術を学び、写実を徹底する草土社を結成しました。道路や切通しを重い質感で描いた風景画、娘を繰り返し描いた「麗子像」では、対象の表面を精密に追いながら内面的な存在感を引き出します。後には中国・日本の古美術へ関心を移し、西洋画法と東洋的な美意識を結びつけました。流行する前衛を追うのではなく、「見る」行為そのものを深めて日本近代洋画を変えました。
エドワード8世
- 生没年:1894年6月23日~1972年5月28日
- 国:イギリス
- 肩書き:イギリス王・ウィンザー公
父ジョージ5世の死後に即位しましたが、離婚歴のあるアメリカ人ウォリス・シンプソンとの結婚を政府と自治領に認められず、在位一年足らずで退位しました。「愛する女性の助けなしに国王の務めを果たせない」とする放送は、王個人の選択と立憲君主制の公的責任が衝突した瞬間でした。後のナチス指導部との接触は批判され、華やかな恋愛物語だけでは捉えられない政治的問題を残しました。
アルフレッド・キンゼイ
- 生没年:1894年6月23日~1956年8月25日
- 国:アメリカ
- 肩書き:動物学者・性科学研究者
昆虫分類の研究から人間の性行動調査へ転じ、数千人への面接をもとに『男性の性行動』『女性の性行動』を刊行しました。婚前交渉、同性愛、自慰など、公には語られにくかった行動が広く存在することを数量で示し、正常と逸脱の境界を揺さぶります。標本の偏り、面接法、倫理には批判があり、結果を人口全体へ単純に一般化できません。それでも性を道徳判断だけでなく実証研究の対象にした転換点です。
末永雅雄
- 生没年:1897年6月23日(明治30年6月23日)~1991年5月7日(平成3年5月7日)
- 国:日本
- 肩書き:考古学者
宮内省の陵墓調査を経て、橿原遺跡、石舞台古墳、高松塚古墳など奈良県を中心とする遺跡研究を進めました。遺物の型式比較だけでなく、古墳の構造、配置、被葬者を総合して古代国家形成を考えます。現場での実測と記録を重んじ、多くの考古学者を育てました。皇室陵墓の比定と学術調査の制約という難題にも向き合い、日本考古学が地域発掘から歴史像を組み立てる基礎を作りました。
アラン・チューリング
- 生没年:1912年6月23日~1954年6月7日
- 国:イギリス
- 肩書き:数学者・暗号解読者
計算手順を記号操作として定式化するチューリング機械を考え、何が機械で計算可能かを数学的に示しました。第二次世界大戦ではブレッチリー・パークでドイツの暗号エニグマ解読に貢献し、戦後は電子計算機の設計と人工知能の思考実験を進めます。同性愛行為を理由に有罪とされ、化学的去勢を受けた後に死去しました。情報社会の理論的基礎を作った人物が国家から迫害された歴史は、科学と人権の双方に重い教訓を残します。
ボブ・フォッシー
- 生没年:1927年6月23日~1987年9月23日
- 国:アメリカ
- 肩書き:振付家・映画監督
内向きの膝、曲げた肩、山高帽、手袋、指先の細かな動きを組み合わせ、身体の不完全さや性的緊張を生かす独自のダンス様式を作りました。舞台『シカゴ』『ピピン』、映画『キャバレー』『オール・ザット・ジャズ』で、華やかなショーの背後にある搾取、政治、死への恐れを描きます。振付、舞台演出、映画編集を一体化し、ミュージカルが物語を装飾するだけでなく批評する形式になりうることを示しました。
河合隼雄
- 生没年:1928年6月23日(昭和3年6月23日)~2007年7月19日(平成19年7月19日)
- 国:日本
- 肩書き:心理学者・文化庁長官
スイスのユング研究所で分析心理学を学び、日本で初めてユング派分析家の資格を得ました。箱庭療法を紹介し、言葉だけでなく砂とミニチュアによる表現から心の変化を支える臨床を広めます。昔話や神話を日本人の家族関係と自己形成の問題として読み直し、教育、文学、宗教を横断して対話しました。文化庁長官として文化政策にも関わり、専門的な心理療法を社会の言葉へ翻訳した人物です。
筑紫哲也
- 生没年:1935年6月23日(昭和10年6月23日)~2008年11月7日(平成20年11月7日)
- 国:日本
- 肩書き:ジャーナリスト・ニュースキャスター
新聞記者、雑誌編集長を経て、テレビ番組『筑紫哲也 NEWS23』のキャスターを長く務めました。政権や多数派の論理だけでなく、沖縄、少数者、戦争被害、若者文化を継続的に取り上げ、ニュースに解説と価値判断を持ち込みます。権力との距離や発言の偏りをめぐる批判も受けましたが、出来事を短く伝えるだけでなく、視聴者が考えるための論点を示すテレビ報道を定着させました。
ニコラス・シャックルトン
- 生没年:1937年6月23日~2006年1月24日
- 国:イギリス
- 肩書き:地質学者・古気候学者
深海底の堆積物に含まれる有孔虫の殻を分析し、酸素同位体比から過去の海水温と氷床量を復元しました。地球の公転軌道や自転軸の周期的変化が氷期・間氷期のリズムと対応することを高精度の年代測定で示します。海底コアを地球規模の気候記録として読み解く方法を確立し、現在の温暖化を自然変動の長い時間軸と比較する古気候学の基盤を築きました。
6月23日に起きた歴史的な出来事
- 1281年6月23日(弘安4年6月6日)|弘安の役で元軍が志賀島を占拠
東路軍が博多湾の志賀島を拠点とし、鎌倉幕府軍との戦闘が続きました。防塁と沿岸での抵抗、後の台風によって元軍は撤退し、二度目の日本遠征は失敗しました。 - 1314年6月23日|バノックバーンの戦いが始まる
スコットランド王ロバート1世の軍が、スターリング城救援に来たイングランド軍を迎え撃ちました。翌日の勝利はスコットランド独立維持を決定づけました。 - 1565年6月23日|聖エルモ砦陥落
マルタ包囲戦でオスマン帝国軍が聖エルモ砦を攻略しました。守備隊の長期抵抗で攻撃側も大損害を受け、島全体の攻略に必要な時間を失いました。 - 1757年6月23日|プラッシーの戦い
東インド会社軍がベンガル太守軍を、内通工作と軍事力で破りました。会社はベンガルの政治と徴税へ深く介入し、イギリスによるインド植民地支配の転機となりました。 - 1812年6月23日|ナポレオン軍がロシア侵攻を開始
大陸軍がネマン川を渡り、ロシア遠征を始めました。ロシア軍の後退と焦土戦術、補給難、冬の寒さにより壊滅的損失を受け、ナポレオン支配の衰退が始まりました。 - 1868年6月23日|ショールズがタイプライター特許を取得
クリストファー・ショールズらが実用的なタイプライターの特許を得ました。改良後に大量生産され、事務労働、文書作成、女性の職業進出に大きな変化をもたらしました。 - 1887年6月23日|バンフ国立公園成立
カナダ議会がロッキー山脈公園法を成立させ、温泉保護区を国立公園へ拡大しました。観光と自然保護を進める一方、先住民を土地から排除した歴史も伴いました。 - 1894年6月23日|国際オリンピック委員会設立
クーベルタンの提唱によるパリ国際競技会議でIOCが設立されました。古代競技を近代の国際大会として再構成し、1896年のアテネ大会開催へ進みました。 - 1907年6月23日(明治40年)|『虞美人草』連載開始
夏目漱石の小説『虞美人草』が朝日新聞で連載を始めました。大学教師から職業作家へ転じた後の第一作で、虚栄と道義を華麗な文体で描きました。 - 1925年6月23日|沙基事件
広州の反帝国主義デモに英仏軍が発砲し、多数の死傷者が出ました。上海の五・三〇事件に続く衝突で、中国の民族運動と香港・広州の大規模ストライキを激化させました。 - 1944年6月23日(昭和19年)|昭和新山の噴火活動が本格化
北海道の有珠山麓で地面が隆起し、火口から噴火が始まりました。郵便局長三松正夫が成長を定点記録した「ミマツダイヤグラム」は火山研究の貴重な資料となりました。 - 1945年6月23日(昭和20年)|沖縄戦の組織的戦闘が終結
日本軍第32軍の司令官らが自決し、組織的な抵抗が終わったとされる日です。住民を巻き込む戦闘と集団死で膨大な犠牲が生じ、沖縄県は「慰霊の日」としています。 - 1961年6月23日|南極条約発効
南極を平和目的と科学研究に限り、軍事利用や領有権争いを凍結する南極条約が発効しました。冷戦下でも国際共同観測を維持する統治の枠組みとなりました。 - 1982年6月23日(昭和57年)|東北新幹線が開業
大宮―盛岡間で東北新幹線が営業を始めました。首都圏と東北地方の移動時間を短縮し、在来線特急中心だった国土交通の構造を変えました。 - 2016年6月23日|イギリスのEU離脱国民投票
欧州連合に残るか離脱するかを問う投票で、離脱が約52%を占めました。地域、世代、学歴による分断が表れ、長期交渉を経て2020年の正式離脱へ至りました。