
5月12日、今日は何の日?
2026年5月12日(火曜日)の歴史、企業・団体の記念日、世界の祝日、著名人の誕生日と命日をまとめます。
まず注目したいのは、1949年のベルリン封鎖解除、2008年の四川大地震、2017年のWannaCry攻撃。日付の由来、歴史上の出来事、公休日か啓発日かという違いまで、根拠を分けて詳しく見ていきましょう。
| 早わかり | 内容 |
|---|---|
| 歴史の注目項目 | 1949年のベルリン封鎖解除/2008年の四川大地震/2017年のWannaCry攻撃 |
| 代表的な記念日 | 国際看護師の日/看護の日/植物の健康の国際デー |
| 2026年の暦 | 火曜日・旧暦2026年3月26日・国民の祝日ではありません |
5月12日に起きた主な事件
- 1551年|スペイン国王の勅許によりリマに大学が設けられ、南北アメリカで最古級の継続大学となりました。
- 1780年|アメリカ独立戦争で大陸軍がサウスカロライナ州チャールストンを明け渡しました。
- 1797年|ナポレオン軍の圧力下で大評議会が共和国の解体と暫定政府への権力移譲を決議しました。
- 1846年|米国西部を目指す開拓移民団がミズーリ州を離れ、後にシエラネバダで遭難しました。
- 1870年|カナダ議会の法律が王室裁可を受け、マニトバ州成立とメティの権利を定めました。
- 1926年|労働組合会議が9日間の全国ストライキを打ち切りました。
- 1932年|誘拐された飛行家チャールズ・リンドバーグの幼い息子が、自宅近くで遺体となって見つかりました。
- 1937年|兄エドワード8世の退位を受けて即位したジョージ6世が、ウェストミンスター寺院で戴冠しました。
- 1941年|コンラート・ツーゼがベルリンで、プログラム制御式の電気機械計算機Z3を技術者へ実演しました。
- 1942年|ソ連軍がウクライナ東部で攻勢を開始しましたが、ドイツ軍の反撃で包囲されました。
- 1949年|ソ連が西ベルリンへの陸路封鎖を解き、西側諸国による空輸危機が転機を迎えました。
- 1965年|ソ連の無人探査機が軟着陸を試みましたが、制御を失って月へ落下しました。
- 1975年|クメール・ルージュ部隊が米商船マヤグエース号を拿捕し、米国が軍事救出作戦へ動きました。
- 2008年|中国四川省汶川県付近を巨大地震が襲い、学校や住宅が広範囲で倒壊しました。
- 2017年|ランサムウェアがWindowsの脆弱性を利用し、病院・企業・行政機関の端末を大量感染させました。
1551年|サン・マルコス大学が設立される
1551年5月12日、カルロス1世の勅許でリマに「王立・教皇庁立大学」が設立されました。後の国立サン・マルコス大学で、1574年に現在の守護聖人名を採用しました。
植民地官僚と聖職者の養成機関として始まり、独立後は国立大学へ変化しました。「アメリカ最古」の称号は設立・開講・継続性の基準で異なるため、条件を示します。
開学当初は修道院内で授業を行い、長い歴史の中で所在地と組織を変えました。先住民言語・知識が植民地大学でどのように周縁化され、後に研究対象として扱われたかも重要です。
1780年|チャールストンが英軍へ降伏
1780年5月12日、約6週間の包囲の末、ベンジャミン・リンカーン将軍率いる大陸軍が英国軍へ降伏しました。米軍にとって戦争中最大級の集団降伏でした。
英国は南部の王党派支持を利用しようとしましたが、内戦的暴力と抵抗を激化させました。奴隷に自由を約束して兵力を得る政策も、戦争と奴隷制の結び付きを示します。
降伏した兵士の多くは長期捕虜となり、都市は1782年まで英国支配下に置かれました。王党派と独立派が隣人同士で争う南部戦線は、単純な英国対米国の国際戦争ではありませんでした。
1797年|ヴェネツィア共和国が終焉
1797年5月12日、ヴェネツィア大評議会はドージェの退位と貴族共和政の廃止を決めました。約千年続いた海洋共和国はフランス軍の進入を前に崩壊しました。
ナポレオンは自由をもたらすと称しましたが、同年のカンポ・フォルミオ条約でヴェネツィア領をオーストリアへ譲りました。革命理念と大国取引の矛盾が表れます。
大評議会の採決は定足数や威圧のもとで行われ、共和国が自由意思で円満解散したわけではありません。サン・マルコの有翼獅子など象徴物も破壊され、政治体制の記憶が作り替えられました。
1846年|ドナー隊がインディペンデンスを出発
1846年5月12日、ドナー家とリード家を中心とする一行が幌馬車で出発しました。途中で近道と宣伝されたヘイスティングズ・カットオフを選び、重大な遅れを生じました。
雪で山中に閉じ込められ、飢餓と死亡、食人に至ったことで知られます。個人の判断だけでなく、不正確な移住案内と西方拡大を促す言説の責任も問われます。
遭難者の食人だけを刺激的に取り上げると、家族が子どもを守り、救援隊が冬山を往復した行動が消えます。生存者の証言にも時間による変化があり、人数と行為を慎重に照合します。
1870年|マニトバ法が裁可される
1870年5月12日、レッドリバー抵抗後の交渉を受けたマニトバ法が成立しました。土地権、英仏両語、宗派別学校の保障を盛り込み、7月に州が発足しました。
しかし土地付与は遅延・不正で骨抜きとなり、多くのメティが西へ追われました。法文上の承認と実施の失敗を分けて理解する必要があります。その不履行は現代まで法的・政治的争点となりました。
カナダ最高裁は2013年、メティへの土地付与を履行する際に連邦政府が名誉に沿って実施しなかったと判断しました。19世紀の約束が現代の権利訴訟へ続く「生きた」憲法問題です。
1926年|英国ゼネストが終了
1926年5月12日、炭鉱労働者の賃下げと労働時間延長に反対して始まったゼネストを、労働組合会議が終結させました。鉄道、運輸、印刷などが停止しました。
炭鉱労働者はその後も抵抗しましたが敗北し、政府は労組活動を制限しました。国家の非常輸送と宣伝、労働者の連帯、指導部の妥協が交錯した転換点です。
保守系新聞はストを革命の脅威として描き、労働側は独自の印刷物で対抗しました。通信と印刷の支配が世論を左右した点は、現代のプラットフォームと労働争議にも通じます。
1932年|リンドバーグ愛児の遺体が発見される
1932年5月12日、ニュージャージー州の道路脇で約2か月前に誘拐されたチャールズ・ジュニアの遺体が発見されました。身代金支払い後も子どもは戻りませんでした。
事件は全国的な報道熱を生み、州境を越える誘拐を連邦犯罪とする法律につながりました。後の裁判には捜査・証拠評価への論争も残ります。遺体発見により事件は誘拐から殺人捜査へ変わりました。
報道機関と見物人が現場・裁判へ殺到し、「世紀の裁判」が商業化されました。被害児童の尊厳より著名人家庭と被告の人物像が消費される危険は、現代の事件報道にも残ります。
1937年|ジョージ6世の戴冠式
1937年5月12日、ジョージ6世とエリザベス王妃の戴冠式が行われました。この日は本来エドワード8世の戴冠日として決められていた日程を引き継ぎました。
ラジオ放送とニュース映画で帝国全体へ伝えられましたが、植民地の人々にとって王冠は支配の象徴でもありました。儀礼の華やかさと帝国秩序を併せて見ます。
王は吃音を抱え、ラジオ時代の君主に求められる演説へ苦労しました。映画で知られる個人的克服の物語だけでなく、植民地臣民へ忠誠を求める帝国放送としての機能も確認します。
1941年|Z3コンピューターが公開される
1941年5月12日、約2600個のリレーを用いるZ3が航空研究所関係者へ示されました。二進浮動小数点演算を行い、穴あきフィルムで命令を読み込みました。
完全自動でプログラム可能なデジタル計算機の先駆です。ただし条件分岐を欠き、現代的コンピューターの要件をどこまで満たすかは定義によります。実機は空襲で失われました。
ツーゼは戦時下ドイツで活動しましたが、Z3は暗号解読装置ではなく航空計算を想定していました。後世の計算機史は国ごとの「最初」競争になりやすく、動作方式と用途を比較する必要があります。
1942年|第二次ハリコフ攻防戦が始まる
1942年5月12日、ソ連南西方面軍はハリコフ奪回を狙い突出部から攻撃しました。初期に前進したものの、17日以降のドイツ反撃で退路を断たれました。
数十万人規模の損失を出した敗北は、同年夏のドイツ軍南方攻勢を容易にしました。スターリンの命令だけでなく、情報評価、予備兵力、指揮系統の失敗が重なりました。
ソ連側はドイツ軍の南方攻勢を察知しながら、主攻勢をモスクワ方面と見誤りました。情報が存在することと、組織がそれを意思決定へ反映できることは別問題です。
1949年|ベルリン封鎖が解除される
1949年5月12日、鉄道・道路・水路の封鎖が解除されました。米英を中心とする空輸は食料と燃料を約11か月間運び、市民生活を支えました。空輸便は昼夜を問わず短い間隔で飛び続けました。
空輸は9月まで備蓄のため続きました。危機はドイツ分断と冷戦を固定し、西側占領地区のドイツ連邦共和国、東側のドイツ民主共和国成立へつながりました。
空輸は「空から街を救った」物語だけでなく、着陸事故や過酷な勤務による犠牲も伴いました。西ベルリン市民の配給・節電と地上要員の労働が物流を成立させました。
1965年|月探査機ルナ5号が月面へ衝突
1965年5月12日、ルナ5号は雲の海付近に衝突しました。減速エンジンの作動前に姿勢制御系の問題が起き、計画された軟着陸は成功しませんでした。
失敗データは後続計画に生かされ、1966年のルナ9号が世界初の月面軟着陸を達成しました。宇宙開発は成功だけでなく連続する試験と失敗から進みます。
冷戦期のソ連は失敗した探査計画の詳細をすぐ公表しないことがあり、任務史は後年の資料で補われました。宇宙記録を読む際は、公式発表時点と後に判明した技術情報を区別します。
1975年|マヤグエース号事件が始まる
1975年5月12日、カンボジア沖で貨物船が拿捕され、乗員39人が拘束されました。フォード政権はベトナム戦争終結直後に武力での奪還を決定しました。
乗員は別の場所から解放されつつありましたが、米軍はコー・タン島へ上陸し多数の死傷者を出しました。情報不足と強硬な威信回復が作戦判断へ与えた影響が検証されます。
作戦では本土側の出撃準備中にもヘリコプター事故で多数が死亡し、島に取り残された海兵隊員3人も後に死亡したとみられます。救出成功の演出から漏れた犠牲まで数えます。
2008年|四川大地震
2008年5月12日14時28分、マグニチュード7.9級の地震が発生し、死者・行方不明者は8万7千人を超えました。山崩れで河道が塞がれ「せき止め湖」も形成されました。
多数の校舎倒壊は建築品質と監督責任への怒りを招きました。大規模救援と復興の一方、犠牲児童数を調べる遺族や活動家への統制も記録されています。被災者の移住と文化遺産の再建にも長い時間を要しました。
地震予知の可否をめぐる流言より、耐震設計、施工監督、避難教育、情報公開を改善することが被害軽減につながります。災害後の復興は建物だけでなく遺族の権利も含みます。
2017年|WannaCry攻撃が世界へ拡大
2017年5月12日、WannaCryが自己増殖機能で150か国以上へ急拡大しました。英国NHSでは予約や診療が混乱し、製造業や通信も影響を受けました。
修正プログラムは事前に公開されていましたが、更新困難な旧システムが残っていました。国家機関が保有した攻撃技術の流出、資産管理、バックアップの重要性を示しました。
感染拡大を止めた「キルスイッチ」は偶然発見されましたが、恒久対策ではありませんでした。パッチ適用、ネットワーク分離、復旧訓練という地道な運用が重要です。
5月12日の歴史を読み解く
5月12日は、制度が約束した権利と、現実の履行の差が繰り返し現れる日です。マニトバ法はメティの土地と言語・教育権を認めましたが、行政の遅延と不正で多くが土地を失いました。ベルリン封鎖解除も移動の回復でしたが、都市と国家の分断を解消せず、冷戦秩序をむしろ固定しました。
計算機Z3、月探査機ルナ5号、WannaCryは、技術の進歩を成功例だけで語れないことを示します。Z3は後世に先駆性を認められ、ルナ5号の失敗は次の軟着陸へつながりました。WannaCryでは既知の修正が適用されない運用上の弱点が世界規模の被害へ拡大し、保守と更新も技術の一部だと分かります。
四川大地震では巨大な地殻変動だけでなく、建物の施工、山間部の交通、学校の安全、情報公開が犠牲の分布を変えました。自然現象は止められなくても、社会が作る脆弱性は減らせます。復興を道路と住宅の再建だけで測らず、遺族が名簿と原因説明を求める権利も含めます。
国際看護師の日はナイチンゲールの誕生日にちなみますが、看護を一人の「献身的女性」の物語へ狭めません。感染対策、統計、患者の意思決定支援、地域医療、災害対応を担う専門職であり、安全な人員配置と労働環境は患者の安全に直結します。
2026年5月12日は日本の祝日ではありません。フィンランドのスネルマンの日も国旗掲揚日で、通常の法定公休日とは異なります。国連の植物の健康の国際デー、日本の看護の日、海上保安の日は、それぞれ国際機関、政府、団体が定める啓発・職域記念日として区分します。
5月12日の人物では、ナイチンゲール、ホジキン、センドラーの活動を「献身的な女性」という一語へまとめません。統計を用いた行政改革、分子構造を決める基礎研究、占領下の地下救援は、必要な技能も政治条件も異なります。誰を助けたかだけでなく、どの制度を変え、どの協力網に支えられたかを説明します。
英国ゼネストとマヤグエース号事件は、政府が危機をどう広報するかという共通点も持ちます。新聞、放送、公式発表は迅速な統一行動を作る一方、不確かな情報や反対意見を押し流すことがあります。結果を知る後世の視点から当時の判断を嘲笑せず、利用可能だった情報と、見落とされた選択肢を比較します。
出来事の発生日、制度の施行日、追悼・啓発の日を混同せず、根拠の強さをそろえて読むことがこの日の全体像を支えます。
5月12日の記念日・世界の祝日
国際看護師の日
近代看護の発展へ影響したフローレンス・ナイチンゲールの誕生日にちなみ、国際看護師協会が看護職の役割と労働環境を伝える日です。
看護の日
厚生省(当時)が1990年に5月12日を「看護の日」と定めました。看護を病院内の技術だけでなく、地域・在宅・災害時の支援として考えます。
植物の健康の国際デー
国連が植物病害虫の予防を、食料安全保障、生物多様性、貿易と結び付けて定めました。病害侵入後の駆除より予防と検疫を重視します。
フィンランド・スネルマンの日
哲学者・政治家J・V・スネルマンの誕生日を記念する国旗掲揚日で、「フィンランド人性の日」とも呼ばれます。通常の法定公休日ではありません。
民生委員・児童委員の日
全国民生委員児童委員連合会が、1917年5月12日に岡山県で済世顧問制度の設置規程が公布されたことにちなみ定めました。地域住民の相談と行政・福祉機関への橋渡しを担います。
海上保安の日
1948年5月12日に海上保安庁が業務を開始したことを記念します。海難救助、航行安全、海上犯罪への対応などの役割を伝えます。
アセロラの日
沖縄県本部町がアセロラの初収穫時期にちなみ制定した地域記念日です。温暖な気候を生かした栽培と特産品づくりを発信します。本部町は国内有数のアセロラ産地として加工品も展開しています。
ザリガニの日
1927年5月12日に食用ウシガエルの餌としてアメリカザリガニが日本へ持ち込まれた記録にちなみます。外来種問題を考える日でもあります。
世界線維筋痛症啓発デー
全身の慢性痛、疲労、睡眠障害などを伴う線維筋痛症への理解と、見えにくい症状を抱える患者への支援を訴える日です。診断の遅れや周囲の理解不足を減らすことも目的です。
リメリックの日
五行のユーモラスな定型詩リメリックで知られる英国詩人エドワード・リアの誕生日にちなむ英語圏の文化記念日です。言葉遊びと韻律を楽しむ文化行事で、公休日ではありません。
今日(2026年5月12日)が祝日の国
2026年5月12日は火曜日です。フィンランドではスネルマンの日の国旗掲揚が行われますが、通常の法定公休日ではありません。国際看護師の日と植物の健康の国際デーは国際的な啓発日、日本の看護の日、海上保安の日なども記念日であり、日本では国民の祝日ではありません。
- 国際看護師協会|国際看護師の日
- 国連|植物の健康の国際デー
- フィンランド|スネルマンの日(国旗掲揚日)
- 日本|看護の日・海上保安の日
- 日本|国民の祝日ではない
5月12日が誕生日の有名人
フローレンス・ナイチンゲール(1820年生)
衛生改革と統計図表で兵士の死亡原因を可視化し、専門職としての看護教育と病院管理を発展させました。
「ランプを持つ貴婦人」という献身像だけでは、統計を用いて軍・行政を動かした改革者としての力が隠れます。同時に植民地医療観には時代的限界もありました。
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828年生)
ラファエル前派を共同創設し、中世文学、象徴的女性像、詩と絵の対応を追求しました。
ジュール・マスネ(1842年生)
『マノン』『ウェルテル』などのオペラで人物の感情を繊細な管弦楽と旋律に描きました。
ガブリエル・フォーレ(1845年生)
歌曲、室内楽、『レクイエム』で洗練された和声を発展させ、フランス近代音楽の世代を育てました。
キャサリン・ヘプバーン(1907年生)
自立的な女性像を演じ、アカデミー主演女優賞を史上最多の4度受賞しました。スタジオ制度へも強い自律性を保ちました。
ドロシー・ホジキン(1910年生)
X線結晶解析でペニシリン、ビタミンB12、インスリンの分子構造を解明し、1964年ノーベル化学賞を受賞しました。
ヨギ・ベラ(1925年生)
ニューヨーク・ヤンキースの捕手として10度のワールドシリーズ優勝を経験し、独特の警句でも親しまれました。
バート・バカラック(1928年生)
予想外の拍子と洗練された和声を親しみやすい旋律へまとめ、ハル・デヴィッドとの楽曲でポップスを変えました。
ジョージ・カーリン(1937年生)
言語、宗教、消費社会を鋭く批評し、放送禁止語をめぐる演目は米最高裁の放送規制判決にも関わりました。
トニー・ホーク(1968年生)
競技技術と映像・ゲームを通じてスケートボードを世界的なスポーツ文化へ広げました。
ラミ・マレック(1981年生)
『ボヘミアン・ラプソディ』でアカデミー主演男優賞を受賞し、エジプト系米国人俳優の可視性を高めました。
5月12日生まれの有名人一覧
| 生年 | 名前 | 職業・分野 |
|---|---|---|
| 1820 | フローレンス・ナイチンゲール | 看護師・統計家 |
| 1828 | ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ | 画家・詩人 |
| 1842 | ジュール・マスネ | 作曲家 |
| 1845 | ガブリエル・フォーレ | 作曲家 |
| 1907 | キャサリン・ヘプバーン | 俳優 |
| 1907 | レスリー・チャータリス | 推理作家 |
| 1910 | ドロシー・ホジキン | 化学者 |
| 1918 | メアリー・ケイ・アッシュ | 実業家 |
| 1925 | ヨギ・ベラ | 野球選手・監督 |
| 1928 | バート・バカラック | 作曲家 |
| 1936 | フランク・ステラ | 美術家 |
| 1937 | ジョージ・カーリン | コメディアン |
| 1948 | スティーヴ・ウィンウッド | 音楽家 |
| 1950 | ガブリエル・バーン | 俳優 |
| 1950 | ビリー・スクワイア | 音楽家 |
| 1959 | ヴィング・レイムス | 俳優 |
| 1962 | エミリオ・エステベス | 俳優・映画監督 |
| 1968 | トニー・ホーク | スケートボーダー |
| 1970 | サマンサ・マシス | 俳優 |
| 1978 | マリン・アッカーマン | 俳優 |
| 1978 | ジェイソン・ビッグス | 俳優 |
| 1981 | ラミ・マレック | 俳優 |
| 1983 | ドーナル・グリーソン | 俳優・脚本家 |
| 1988 | マルセロ | サッカー選手 |
5月12日が命日の有名人
アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲル(1845年没)
シェイクスピア翻訳と比較文学研究でドイツ・ロマン主義を支え、サンスクリット研究にも貢献しました。
ベドルジハ・スメタナ(1884年没)
連作交響詩『わが祖国』やオペラでチェコの風景、歴史、言語を音楽へ結び、国民楽派を代表しました。
ジェームズ・コノリー(1916年没)
イースター蜂起の指導者として処刑されました。アイルランド独立と社会主義を結び付けた思想で後世へ影響しました。
ユゼフ・ピウスツキ(1935年没)
独立回復を主導しましたが、1926年のクーデター以後は議会政治を制約する権威主義体制を築きました。
エリッヒ・フォン・シュトロハイム(1957年没)
無声映画で精密な長編を追求しましたが、スタジオとの衝突で作品を大幅に切られ、監督権をめぐる象徴的存在となりました。
ネリー・ザックス(1970年没)
ホロコーストの喪失と亡命を象徴的な詩に刻み、1966年にノーベル文学賞を受賞しました。
イレーナ・センドラー(2008年没)
ナチス占領下のワルシャワ・ゲットーから多数のユダヤ人児童を救出する地下活動に参加しました。救出は広い協力網の成果です。
救出人数は資料により表現が異なり、彼女一人で成し遂げたのではありません。ユダヤ人家庭、修道院、里親、地下組織の危険な協力を含めて記憶します。
H・R・ギーガー(2014年没)
生体と機械が融合する「バイオメカノイド」表現を発展させ、映画『エイリアン』の視覚世界へ決定的影響を与えました。
京マチ子(2019年没)
『羅生門』『雨月物語』などで戦後日本映画の国際的評価を支え、現代的な女性像を幅広く演じました。
5月12日が命日の有名人一覧
| 没年 | 名前 | 職業・分野 |
|---|---|---|
| 1003 | シルウェステル2世 | ローマ教皇・学者 |
| 1684 | エドム・マリオット | 物理学者 |
| 1845 | アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲル | 文学者 |
| 1884 | ベドルジハ・スメタナ | 作曲家 |
| 1916 | ジェームズ・コノリー | 労働運動家・革命家 |
| 1935 | ユゼフ・ピウスツキ | ポーランド国家元首 |
| 1957 | エリッヒ・フォン・シュトロハイム | 映画監督・俳優 |
| 1970 | ネリー・ザックス | 詩人 |
| 1992 | ロバート・リード | 俳優 |
| 1994 | ジョン・スミス | 英国労働党党首 |
| 2001 | ペリー・コモ | 歌手 |
| 2008 | イレーナ・センドラー | 社会福祉活動家 |
| 2014 | H・R・ギーガー | 美術家 |
| 2019 | 京マチ子 | 俳優 |
| 2020 | ミシェル・ピコリ | 俳優 |
| 2020 | アストリッド・キルヒャー | 写真家 |
| 2023 | オーウェン・デビッドソン | テニス選手 |
| 2024 | マーク・デイモン | 俳優・映画プロデューサー |
5月12日の星座・誕生花・誕生石
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 星座 | 牡牛座 |
| 誕生花 | 日付ごとの花は資料によって異なります |
| 5月の誕生石 | エメラルド、翡翠 |
2026年5月12日の暦
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 曜日 | 火曜日 |
| 和暦 | 令和8年5月12日 |
| 旧暦 | 2026年3月26日 |
| 六曜 | 仏滅 |
| 干支 | 丙戌(ひのえいぬ) |
| 二十四節気 | 立夏の期間(2026年の立夏は5月5日20時49分、小満は5月21日9時37分) |
| 七十二候 | 蚯蚓出(みみずいづる) |
| 月齢 | 24.6(東京・正午) |
| 十二直 | 執(とる) |
| 日本の祝日 | 国民の祝日ではありません |
2026年5月12日の暦を読む
2026年5月12日は火曜日、旧暦3月26日です。二十四節気は立夏、七十二候は「蚯蚓出」。東京の正午月齢は24.6、六曜は仏滅、干支は丙戌、十二直は執です。日本では国民の祝日ではありません。
主な確認資料
- 国際看護師協会・International Nurses Day
- 国連・International Day of Plant Health
- UNESCO・National University of San Marcos
- ドイツ博物館・Konrad Zuse Z3
- 米国国務省・Berlin Airlift
- NASA・Luna 5
- USGS・Sichuan earthquake
- CISA・WannaCry
- 海上保安庁・海上保安の日
- 厚生労働省・看護の日
- 国立天文台・2026年暦要項(二十四節気)
- 国立天文台・2026年月の満ち欠け
- 国立天文台・2026年5月の月齢(東京)
- 内閣府・国民の祝日
