
5月13日、今日は何の日?
2026年5月13日(水曜日)の歴史、企業・団体の記念日、世界の祝日、著名人の誕生日と命日をまとめます。
まず注目したいのは、1888年のブラジル奴隷制廃止、1950年のF1世界選手権開幕、1981年の教皇銃撃事件。日付の由来、歴史上の出来事、公休日か啓発日かという違いまで、根拠を分けて詳しく見ていきましょう。
| 早わかり | 内容 |
|---|---|
| 歴史の注目項目 | 1888年のブラジル奴隷制廃止/1950年のF1世界選手権開幕/1981年の教皇銃撃事件 |
| 代表的な記念日 | 世界カクテルの日/カクテルの日/ファティマの聖母の記念日 |
| 2026年の暦 | 水曜日・旧暦2026年3月27日・国民の祝日ではありません |
5月13日に起きた主な事件
- 1648年|ムガル皇帝シャー・ジャハーンが新都シャージャハーナーバードに築いた城塞宮殿が完成しました。
- 1787年|囚人と海兵隊員らを乗せた11隻の船団が、オーストラリアでの流刑植民地建設へ出発しました。
- 1830年|キトを中心とする地域が大コロンビアから離脱し、エクアドル共和国形成へ進みました。
- 1846年|米議会が国境衝突を受けて戦争状態を認定し、対メキシコ戦争を正式化しました。
- 1888年|摂政イザベル皇女が「黄金法」へ署名し、ブラジルの法的奴隷制が終わりました。
- 1909年|イタリアを巡る自転車ステージレースがミラノから始まりました。
- 1917年|ポルトガルの子ども3人がコヴァ・ダ・イリアで聖母を見たと証言しました。
- 1940年|首相就任直後のチャーチルが下院で新連立政府の方針を表明しました。
- 1943年|チュニジアに残ったドイツ・イタリア軍が連合軍へ降伏し、北アフリカ戦線が終結しました。
- 1950年|シルバーストンで、現在のFIAフォーミュラ1世界選手権最初の対象レースが開催されました。
- 1958年|フランス領アルジェリアで軍人と入植者がパリ政府へ反発し、公安委員会を組織しました。
- 1960年|スイス・オーストリア・ネパール合同隊の登山者が世界第7位の高峰へ初登頂しました。
- 1969年|総選挙後のクアラルンプールで民族間暴力が起き、多数が死亡しました。
- 1981年|サン・ピエトロ広場で一般謁見中の教皇がメフメト・アリ・アジャに撃たれ重傷を負いました。
- 2014年|トルコ西部マニサ県の炭鉱で火災と一酸化炭素中毒が発生し、301人が死亡しました。
1648年|デリーの赤い城が完成
1648年5月13日、赤砂岩の城壁と白大理石の宮殿を持つ赤い城の完成儀礼が行われたとされます。皇帝はアグラからデリーへ宮廷を移しました。完成後の都市は城壁都市として市場と街路を備えました。
ムガル帝国の権威と建築技術を象徴し、1857年後は英国軍が多くの建物を破壊・転用しました。現在の姿には帝国、植民地支配、独立国家の記憶が重なります。
赤い城は1947年の独立時に国旗が掲げられ、現在も首相演説の舞台です。一方、ムガル遺産を特定宗教の支配だけとして扱う政治的言説もあり、複合文化の歴史を守ることが課題です。
1787年|ファースト・フリートが英国を出航
1787年5月13日、船団はポーツマスを離れ、翌年1月にボタニー湾を経てシドニー・コーブへ到着しました。英国の刑務所過密と帝国戦略が背景でした。
入植は英国側には新社会の始まりでしたが、アボリジナル諸民族には土地侵奪、疫病、暴力の開始でした。「開拓」の成功物語だけでなく主権を失った側からも読みます。
船団には女性・子どもも含まれ、航海中の衛生と食料管理は後の流刑船より比較的良好でした。それでも囚人移送は自由意思による移民ではなく、帝国が労働力を強制配置する制度でした。
1830年|エクアドルが大コロンビアから分離
1830年5月13日、キトの有力者会議が分離を決議し、フアン・ホセ・フローレスを最高統治者に選びました。同年の憲法でエクアドル国家が組織されました。
ボリバルの統合構想は地域利害、財政、中央集権への反発で崩れました。独立後国家の国境は植民地行政区を基礎とし、先住民の政治参加は限定されました。
新国家名は赤道を意味し、キト、グアヤキル、クエンカの地域対立を中立化する狙いもありました。国家成立後も土地所有と人頭税は先住民多数を政治共同体の周縁へ置きました。
1846年|米国がメキシコへ宣戦
1846年5月13日、米国議会は「メキシコの行為によって戦争が存在する」とする法律を可決しました。大統領署名後、軍事行動と志願兵動員が拡大しました。
戦争の結果、米国は現在のカリフォルニアなど広大な領土を得ました。領土拡張は先住民族支配と奴隷制の拡大可否をめぐる対立を激化させました。戦争終結後の領土編入は国境社会を大きく変えました。
講和条約でメキシコ領の約半分が米国へ移りました。そこに住むメキシコ人の財産・市民権保障は不完全に実施され、国境が人々を横切ったという視点が重要です。
1888年|ブラジルで奴隷制が廃止
1888年5月13日、上下両院を通過した短い法律が、補償なしに奴隷制を廃止しました。ブラジルは西半球で最後まで大規模な奴隷制を維持した国家でした。
廃止は奴隷化された人々の逃亡・抵抗、廃奴運動、経済変化の成果で、皇女一人の恩恵ではありません。土地・教育・補償がないまま、人種格差は自由後も固定されました。
ブラジルはアフリカから最も多くの奴隷化された人々を受け入れた地域でした。廃止記念を国家の寛大さとして祝うだけでなく、黒人運動は11月20日も抵抗の記憶として重視します。
1909年|第1回ジロ・デ・イタリアが開幕
1909年5月13日未明、127人の選手がミラノを出発し、8区間・約2447キロを走りました。新聞『ガゼッタ・デロ・スポルト』が部数競争の中で主催しました。
競技は地域を結ぶ国民的メディア行事となり、山岳路と都市を物語化しました。スポーツイベントが新聞販売、道路、スポンサー、国家意識とともに発展した例です。
最初の総合成績は現在の合計時間でなく区間順位のポイントで決まりました。現在の大会と同じ名称でも規則、道路、補給、チーム戦術が異なるため、記録の単純比較には限界があります。
1917年|ファティマの聖母出現が始まるとされる
1917年5月13日、ルシア、フランシスコ、ジャシンタの3人が発光する女性像を見たと語り、毎月13日に会うよう求められたとしました。報告は多数の巡礼者を集めました。
カトリック教会は1930年に信仰に値すると認定しましたが、歴史記事では宗教的信仰と検証可能な出来事を区別します。聖地は20世紀カトリック政治とも結び付きました。
3人のうちフランシスコとジャシンタは1918~20年のインフルエンザ流行期に若くして亡くなり、後に列聖されました。ルシアの回想は数十年後に書かれた部分もあり、証言成立時期を確認します。
1940年|チャーチルが「血と労苦と涙と汗」演説
1940年5月13日、チャーチルはドイツ軍の西方侵攻が進む中、勝利以外に生存はないと演説しました。実際の語順は「blood, toil, tears and sweat」です。
後世の引用は言葉の力を強調しますが、英国は帝国資源と同盟国の支援にも依存しました。戦時指導者のレトリックと政策・物資の条件を併せて見ます。演説は新政府への下院の信任を求める役割も持ちました。
この演説は首相として下院の信任を得るためのもので、後のラジオ名演説とは聴衆が異なります。チャーチルの言葉が最初から全国民へ生中継されたと想像しない注意が必要です。
1943年|北アフリカの枢軸軍が降伏
1943年5月13日、チュニジアの枢軸軍の組織的抵抗が終わり、20万人を超える兵士が捕虜となりました。補給路を失い、東西から挟撃されていました。
連合軍は地中海南岸を確保し、同年7月のシチリア侵攻へ進みました。勝利には英国・米国だけでなく自由フランス軍と植民地兵も参加しました。北アフリカの港と飛行場も連合軍の管理下へ移りました。
捕虜数がスターリングラードを上回ったことから「チュニスグラード」とも呼ばれました。北アフリカでの勝利は欧州反攻の足場になりましたが、現地住民の徴発や戦災も残しました。
1950年|F1世界選手権が始まる
1950年5月13日、英国グランプリが旧飛行場コースで行われ、アルファロメオのジュゼッペ・ファリーナが優勝しました。欧州の既存グランプリを年間選手権へまとめた出発点です。
当時の選手権にはインディアナポリス500も形式上含まれました。F1レース自体がこの日に発明されたのではなく、ドライバー世界選手権が制度化された日です。
初年度はアルファロメオが全対象グランプリを支配しました。安全設備は現代より大幅に乏しく、その後の重大事故と選手運動が車体・サーキット・医療基準を変えました。
1958年|アルジェ危機が始まる
1958年5月13日、アルジェの群衆が総督府を占拠し、軍人らがド・ゴールの政権復帰を要求しました。第四共和政は内戦と軍の反乱を恐れました。植民地軍の一部はパリへの空挺作戦も準備しました。
危機はド・ゴールの首相就任と第五共和政憲法へつながりました。強い大統領制の成立は合法的手続を経た一方、軍事圧力の影を持ちます。危機の解決後もアルジェリア戦争自体は1962年まで続きました。
ド・ゴールは「あなた方を理解した」とアルジェで語り、入植者側はフランス領維持を期待しました。しかし後に民族自決を認めたため、軍内部の反乱とOASのテロを招きました。
1960年|ダウラギリ初登頂
1960年5月13日、クルト・ディームベルガー、ペーター・ディーナー、ナワン・ドルジェ、ニマ・ドルジェ、エルンスト・フォラー、アルビン・シェルベルトが頂上へ達しました。
遠征は航空機で装備を高所へ運ぶ試みも行いました。初登頂の記録では欧州隊員だけでなく、登頂したシェルパと荷運び・ルート工作の貢献を明示します。
遠征機「イエティ」は高所着陸で損傷しましたが、物資輸送の可能性を示しました。山岳地帯への航空輸送は遠征を変える一方、騒音、危険、地域経済への影響も生みます。
1969年|マレーシア5月13日事件
1969年5月13日、政党支持者の行進を契機にマレー系と華人系住民の衝突・襲撃が拡大しました。公式死者は196人ですが、実数が多いとの推計もあります。
非常事態宣言と議会停止の後、ブミプトラ優遇を柱とする新経済政策が導入されました。事件は人種についての言論統制にも利用され、原因の公開検証が難しくなりました。
政府は事件後に国民統合を掲げましたが、民族別統計と優遇政策が政治動員の枠組みを固定した面もあります。被害者の記憶を公開討論できること自体が和解の条件です。
1981年|教皇ヨハネ・パウロ2世が銃撃される
1981年5月13日、教皇は4発の銃弾を受け緊急手術を受けました。犯人はトルコの極右組織と関係し、現場で逮捕されました。事件当日はファティマの聖母の記念日でもありました。
背後関係にはブルガリア関与説などが唱えられましたが確定していません。教皇は後に獄中の犯人を訪ね赦しを表明し、事件は宗教的物語と冷戦情報戦の双方で語られました。
5月13日がファティマの初出現日だったため、教皇は生存を聖母の加護と解釈しました。宗教的解釈と、弾道・捜査で確かめられる事実はそれぞれの文脈で扱います。
2014年|ソマ炭鉱事故
2014年5月13日、坑内の電気設備付近から火災が広がり、多数の労働者が地下へ閉じ込められました。トルコ史上最悪の炭鉱災害となりました。坑内には交代時間帯の多数の労働者がいました。
民営化された採掘現場の安全投資、監督、長時間労働が問題となり、抗議も広がりました。事故原因を個人の過失へ縮小せず、企業と規制制度の責任を問う事例です。
首相補佐官が抗議者を蹴る映像など政府対応も怒りを拡大しました。災害後の説明、遺族への敬意、抗議の自由は、技術的事故原因と同じく危機統治の評価対象です。
5月13日の歴史を読み解く
5月13日は、国家の成立や近代化が誰の自由を広げ、誰を外側へ置いたかを考える日です。エクアドルの分離、米墨戦争、ブラジル奴隷制廃止はいずれも法的な転換でしたが、先住民、征服地の住民、解放された黒人へ土地と政治参加が自動的に保障されたわけではありません。
黄金法はわずか二条で奴隷制を無条件に廃止しました。これは奴隷所有者への補償を認めなかった強さを持つ一方、被害者への土地・賃金・教育・補償を定めませんでした。廃止を皇女の贈り物としてだけ記憶すると、逃亡、キロンボ、日常的抵抗、廃奴運動の主体が見えなくなります。
F1世界選手権とジロ・デ・イタリアは、スポーツがメディア産業と結び付いて成長した例です。新聞社は長距離レースで国土を物語化し、自動車メーカーは速度と信頼性を競いました。人気と技術革新の一方、選手・観客の安全基準は重大事故を経て段階的に整備されました。
ファティマの出現と教皇銃撃が同じ日付に重なったことで、ヨハネ・パウロ2世は自身の生存を宗教的物語の中へ位置づけました。信仰にとっての意味を尊重しつつ、歴史記事では目撃証言の成立、教会の認定、捜査で確認された事実、未証明の陰謀説を区別します。
2026年5月13日は日本の祝日ではありません。世界カクテルの日や企業の月例記念日は、文化・業界の話題として価値がありますが、公的な国際デーや法定休日と同列にはしません。「愛犬の日」など由来の一次資料が弱いものは、その不確かさ自体を明記し、もっともらしい説明を事実化しない方針です。
ソマ炭鉱事故と北アフリカ戦線終結は規模も時代も異なりますが、集団の数字の内側に個人がいる点は同じです。犠牲者・捕虜の大きな数を並べるだけでなく、誰が危険を決め、誰が情報を持ち、誰が退避できなかったのかを問います。統計は惨事を客観化する道具であり、人間を匿名化するためのものではありません。
この日の誕生日と命日には、レーマン、スティーヴィー・ワンダー、ナンセン、アリス・マンローらが並びます。業績を代表作一つへ縮めず、研究環境、制作の主導権、植民地・人権活動、死後に明らかになった倫理的問題も含めます。人物を称賛か否定の二択にせず、影響と責任を別々の根拠で評価します。
歴史上の「転換点」は、その日に社会全体が一斉に変わったことを意味しません。奴隷制廃止後の人種格差、政変後の制度設計、災害後の安全改革のように、法令や事件の後で初めて始まる課題があります。5月13日を完成の日ではなく、長い変化の節目として読むと、後世への影響がより明確になります。
5月13日の記念日・世界の祝日
世界カクテルの日
1806年5月13日の米紙にカクテルの定義が掲載されたことにちなむ国際的な業界記念日です。飲酒を勧めるだけでなく、ノンアルコール選択と適量を重視します。
カクテルの日
日本のバーテンダー団体も5月13日前後にカクテル文化と技術を紹介します。世界カクテルの日と由来を共有しますが、法定の記念日ではありません。
ファティマの聖母の記念日
1917年5月13日に始まったとされる聖母出現を記念するカトリックの祝日です。ポルトガルの聖地では大規模な巡礼が行われます。
トップガンの日
映画『トップガン』のファン文化から広がり、権利元も関連発信を行う作品記念日です。映画の米国公開日は1986年5月16日で、公開日記念とは別です。
メイストームデー
「バレンタインデーから88日後、別れ話を切り出す日」と紹介される日本の俗説的記念日です。制定主体や公的根拠は弱く、風俗的話題として区別します。
愛犬の日
5月13日を愛犬の日とする紹介が広くありますが、ジャパンケネルクラブ創立日などとする由来には一次資料上の疑問があります。由来未確定と明記します。
一汁三菜の日
和食文化国民会議などが「13」を「一汁三菜」と見立て、毎月13日に設けた食育の日です。主食・汁・菜を組み合わせる献立を伝えます。
石井スポーツグループ登山の日
登山用品企業が「と(10)ざん(3)」の語呂から毎月13日に設けました。装備、天候判断、登山届など安全な登山を啓発する企業記念日です。
お父さんの日
ヤクルト本社が「お父(10)さん(3)」の語呂から毎月13日に制定した企業記念日です。家族への感謝と健康を考えるきっかけとしています。
竹酔日
竹を植えるのに適した日とする中国由来の伝承で、旧暦5月13日とする説が本来です。新暦5月13日の固定記念日と同一視しない注意が必要です。
今日(2026年5月13日)が祝日の国
2026年5月13日は水曜日です。ポルトガルのファティマでは大規模な宗教行事が行われますが、同国全体の法定公休日ではありません。世界カクテルの日などは民間・業界記念日です。日本でも国民の祝日ではなく、固定日紹介と旧暦由来の行事を混同しないようにします。
- カトリック教会|ファティマの聖母の記念日
- ポルトガル・ファティマ|巡礼行事
- 国際的な業界記念日|世界カクテルの日
- 日本|一汁三菜の日など(祝日ではない)
- 日本|国民の祝日ではない
5月13日が誕生日の有名人
マリア・テレジア(1717年生)
行政、軍制、教育、課税を改革し、多民族君主国を再編しました。共同統治者は皇帝でも、彼女自身の権力は世襲領に基づきました。
ピウス9世(1792年生)
最長級の在位中に教皇領を失い、無原罪の御宿りの教義化と第1バチカン公会議を進めました。反近代主義も強めました。
アーサー・サリヴァン(1842年生)
ギルバートとのサヴォイ・オペラで社会風刺と親しみやすい音楽を結び、英語圏ミュージカルの源流を作りました。
ジョルジュ・ブラック(1882年生)
ピカソとともにキュビスムを発展させ、複数視点とコラージュで絵画空間を根本から組み替えました。
インゲ・レーマン(1888年生)
地震波の分析から地球中心に固体の内核があると提案し、地球内部構造の理解を大きく変えました。
ギル・エヴァンス(1912年生)
マイルス・デイヴィスとの作品で管弦楽的な響きとジャズ即興を結び、音色を作曲要素へ高めました。
ジョー・ルイス(1914年生)
世界ヘビー級王座を長期防衛し、人種隔離下の米国で黒人アスリートの国民的象徴となりました。
ハーヴェイ・カイテル(1939年生)
米国ニューシネマから独立系作品まで、暴力と罪悪感を抱える人物を演じ、若い監督の企画へ参加して作品成立を支えました。
スティーヴィー・ワンダー(1950年生)
歌唱、作曲、多重録音でソウルとポップを革新し、人種正義や障害者の可視性にも大きな影響を与えました。
幼少期からモータウンで活動しましたが、成人後に契約を再交渉し制作主導権を得たことで連作アルバムを生みました。才能だけでなく芸術家の権利確保も重要です。
ヤヤ・トゥーレ(1983年生)
バルセロナとマンチェスター・シティの中盤で攻守を担い、コートジボワール代表としてアフリカネイションズカップ優勝へ貢献しました。
5月13日生まれの有名人一覧
| 生年 | 名前 | 職業・分野 |
|---|---|---|
| 1717 | マリア・テレジア | ハプスブルク君主 |
| 1792 | ピウス9世 | ローマ教皇 |
| 1840 | アルフォンス・ドーデ | 小説家 |
| 1842 | アーサー・サリヴァン | 作曲家 |
| 1882 | ジョルジュ・ブラック | 画家 |
| 1884 | ウィリアム・シーブルック | 作家・旅行家 |
| 1888 | インゲ・レーマン | 地震学者 |
| 1912 | ギル・エヴァンス | 編曲家・ピアニスト |
| 1914 | ジョー・ルイス | ボクサー |
| 1922 | ビー・アーサー | 俳優 |
| 1939 | ハーヴェイ・カイテル | 俳優 |
| 1941 | リッチー・ヴァレンス | 歌手 |
| 1950 | スティーヴィー・ワンダー | 音楽家 |
| 1961 | デニス・ロッドマン | バスケットボール選手 |
| 1964 | スティーヴン・コルベア | コメディアン・司会者 |
| 1966 | ダリアス・ラッカー | 歌手 |
| 1969 | バケットヘッド | ギタリスト |
| 1977 | サマンサ・モートン | 俳優 |
| 1983 | ヤヤ・トゥーレ | サッカー選手 |
| 1986 | ロバート・パティンソン | 俳優 |
| 1987 | キャンディス・キング | 俳優 |
| 1993 | デビー・ライアン | 俳優・歌手 |
| 1993 | ロメル・ルカク | サッカー選手 |
5月13日が命日の有名人
ヨハン・ファン・オルデンバルネフェルト(1619年没)
独立戦争期の共和国運営を主導しましたが、宗教・権力対立で反逆罪に問われ処刑されました。
ジョルジュ・キュヴィエ(1832年没)
比較解剖学と化石研究を発展させ絶滅を実証しました。一方、人種分類には差別的な時代観が含まれます。
ジョセフ・ヘンリー(1878年没)
電磁誘導と電磁石を研究し、スミソニアン協会初代長官として米国の科学制度を整えました。
ショーレム・アレイヘム(1916年没)
イディッシュ語で東欧ユダヤ人の暮らしと変化をユーモラスに描き、『屋根の上のバイオリン弾き』の原作へつながりました。
フリチョフ・ナンセン(1930年没)
北極探検で海流を研究し、国際連盟の難民高等弁務官として無国籍者の「ナンセン旅券」を実現しました。
ゲイリー・クーパー(1961年没)
寡黙な人物の倫理的葛藤を演じ、『真昼の決闘』などで米国映画の英雄像を形づくりました。
チェット・ベイカー(1988年没)
抑制されたトランペットと歌唱で西海岸ジャズを象徴しました。薬物依存と不安定な人生も作品受容に影を落とします。
ジョージ・ダンツィク(2005年没)
線形計画法のシンプレックス法を考案し、輸送、生産、軍事、経営の最適化へ数学を広く応用しました。
ドリス・デイ(2019年没)
戦後米国の映画と歌で親しまれ、晩年は動物福祉活動に力を注ぎました。作品上の明るいイメージと本人の人生は区別されます。
アリス・マンロー(2024年没)
カナダの地方生活と女性の記憶を短編小説の複雑な時間構成で描き、2013年ノーベル文学賞を受賞しました。
死後、娘が家庭内で受けた性的虐待と、マンローが加害者である夫との生活を続けた事実を公表しました。作品評価と被害者の証言をどちらも消さずに読む必要があります。
5月13日が命日の有名人一覧
| 没年 | 名前 | 職業・分野 |
|---|---|---|
| 1619 | ヨハン・ファン・オルデンバルネフェルト | オランダ政治家 |
| 1832 | ジョルジュ・キュヴィエ | 博物学者 |
| 1878 | ジョセフ・ヘンリー | 物理学者 |
| 1916 | ショーレム・アレイヘム | 作家 |
| 1930 | フリチョフ・ナンセン | 探検家・外交官 |
| 1947 | スカンタ・バッタチャリヤ | 詩人 |
| 1961 | ゲイリー・クーパー | 俳優 |
| 1972 | ダン・ブロッカー | 俳優 |
| 1974 | ハイメ・トレス・ボデ | 外交官・作家 |
| 1988 | チェット・ベイカー | ジャズ音楽家 |
| 1999 | ジーン・サラゼン | プロゴルファー |
| 2002 | ヴァレリー・ロバノフスキー | サッカー監督 |
| 2005 | ジョージ・ダンツィク | 数学者 |
| 2012 | ドナルド・ダック・ダン | ベーシスト |
| 2014 | アンソニー・ビラヌエバ | ボクサー |
| 2016 | バスター・クーパー | ジャズ・トロンボーン奏者 |
| 2019 | ドリス・デイ | 俳優・歌手 |
| 2020 | ロルフ・ホーホフート | 劇作家 |
| 2022 | テレサ・ベルガンサ | オペラ歌手 |
| 2024 | アリス・マンロー | 作家 |
5月13日の星座・誕生花・誕生石
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 星座 | 牡牛座 |
| 誕生花 | 日付ごとの花は資料によって異なります |
| 5月の誕生石 | エメラルド、翡翠 |
2026年5月13日の暦
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 曜日 | 水曜日 |
| 和暦 | 令和8年5月13日 |
| 旧暦 | 2026年3月27日 |
| 六曜 | 大安 |
| 干支 | 丁亥(ひのとい) |
| 二十四節気 | 立夏の期間(2026年の立夏は5月5日20時49分、小満は5月21日9時37分) |
| 七十二候 | 蚯蚓出(みみずいづる) |
| 月齢 | 25.6(東京・正午) |
| 十二直 | 破(やぶる) |
| 日本の祝日 | 国民の祝日ではありません |
2026年5月13日の暦を読む
2026年5月13日は水曜日、旧暦3月27日です。二十四節気は立夏、七十二候は「蚯蚓出」。東京の正午月齢は25.6、六曜は大安、干支は丁亥、十二直は破です。日本では国民の祝日ではありません。
主な確認資料
- ブラジル政府・Abolition of slavery
- FIA・Formula 1 history
- Formula 1・First World Championship race
- バチカン・John Paul II
- UNESCO・Red Fort Complex
- オーストラリア国立博物館・First Fleet
- Giro d’Italia・History
- トルコ労働省
- World Cocktail Day
- Nobel Prize・Alice Munro
- 国立天文台・2026年暦要項(二十四節気)
- 国立天文台・2026年月の満ち欠け
- 国立天文台・2026年5月の月齢(東京)
- 内閣府・国民の祝日
