
5月4日、今日は何の日?
2026年5月4日(月曜日)の歴史、企業・団体の記念日、世界の祝日、著名人の誕生日と命日をまとめます。
まず注目したいのは、1886年のヘイマーケット事件、1919年の五四運動、1970年のケント州立大学銃撃事件。日付の由来、歴史上の出来事、公休日か啓発日かという違いまで、根拠を分けて詳しく見ていきましょう。
| 早わかり | 内容 |
|---|---|
| 歴史の注目項目 | 1886年のヘイマーケット事件/1919年の五四運動/1970年のケント州立大学銃撃事件 |
| 代表的な記念日 | みどりの日/ラトビア独立回復宣言の日/ナミビア・カシンガの日 |
| 2026年の暦 | 月曜日・旧暦2026年3月18日・みどりの日 |
5月4日に起きた主な事件
- 1471年|薔薇戦争でヨーク派がランカスター派を破り、エドワード4世の王位を決定的にしました。
- 1776年|植民地議会が国王への忠誠を破棄し、北米13植民地で最初に独立を法的に表明しました。
- 1814年|退位したフランス皇帝が地中海のエルバ島へ上陸し、小領域の君主として亡命生活を始めました。
- 1886年|シカゴの労働集会で爆弾が投げられ、警察の発砲と合わせて警官・市民に死傷者が出ました。
- 1904年|フランス事業の資産を引き継いだ米国が、運河地帯で正式に工事を開始しました。
- 1919年|北京の学生が、パリ講和会議による山東権益の日本継承へ抗議しました。
- 1924年|第8回オリンピック競技大会で、7月の公式開会式に先立って競技日程が始まりました。
- 1942年|日本軍のポートモレスビー攻略をめぐり、空母機動部隊同士の海戦が始まりました。
- 1945年|リューネブルク・ハイデで、ドイツ軍が英軍モントゴメリー元帥へ地域降伏しました。
- 1949年|トリノFCの選手・関係者を乗せた旅客機がスペルガ大聖堂裏手へ墜落しました。
- 1961年|人種隔離撤廃判決の実施を確かめるため、黒人と白人の活動家が長距離バスで南部へ向かいました。
- 1970年|カンボジア侵攻へ抗議する学生に州兵が発砲し、4人が死亡、9人が負傷しました。
- 1979年|総選挙で保守党が勝利し、英国初の女性首相が誕生しました。
- 1994年|イスラエルとPLOが、ガザ地区とヨルダン川西岸エリコでの限定自治を定めました。
- 2000年|「LOVE-LETTER-FOR-YOU」の添付ファイルを装うコンピューターワームが電子メール網を麻痺させました。
1471年|テュークスベリーの戦い
1471年5月4日、イングランド南西部テュークスベリーで、エドワード4世のヨーク派軍がマーガレット・オブ・アンジュー側のランカスター派軍を破りました。
皇太子エドワードは戦死し、有力貴族も処刑されました。王位争いは一時収束しましたが、王朝対立は1485年まで続きます。戦場の勝利と捕虜処刑を区別して見る必要があります。
戦後、修道院へ逃れたランカスター派貴族も引き出され処刑されました。中世の戦争では戦場の死と政治的粛清が連続し、勝者が王位継承の選択肢を物理的に狭めました。
1776年|ロードアイランドが英国への忠誠を放棄
1776年5月4日、ロードアイランド植民地議会は英国王の名で法律を発する従来の方式を廃し、忠誠関係を終える決議を採択しました。決議は植民地法の文言を国王名義から州名義へ改めました。
大陸会議の独立宣言より2か月早い決定です。同植民地は自治伝統が強い一方、奴隷貿易で利益を得ており、自由の主張と奴隷制の矛盾を抱えていました。
決議は現代の完全な独立宣言と同じ文体ではなく、国王名義を州名義へ置き換える法改正でした。後世の「最初」という称号と、当時の文書機能を分けて説明します。
1814年|ナポレオンがエルバ島へ到着
1814年5月4日、ナポレオンはエルバ島のポルトフェッライオへ上陸しました。フォンテーヌブロー条約により皇帝号と島の統治を認められていました。
道路、鉱山、行政の改革を進めましたが、翌1815年2月に脱出して「百日天下」を始めました。単なる囚人ではなく、限定的主権を持つ亡命君主だった点が特徴です。
ナポレオンには近衛兵を伴うことが認められ、フランス政府から年金を受ける約束でした。しかし支払いは滞り、将来への不安も島脱出を促したと考えられます。
1886年|ヘイマーケット事件
1886年5月4日、8時間労働制を求める平和的集会の終盤、警察隊へ爆弾が投げられました。警察が群衆へ発砲し、複数の警官と市民が死亡しました。
爆弾犯は特定されないまま無政府主義者8人が偏見に満ちた裁判を受け、4人が処刑されました。事件は弾圧の象徴となり、国際メーデーの記憶へ結び付きました。
労働運動家の有罪は投げられた爆弾との物証より、思想と演説を根拠にしました。1893年、イリノイ州知事は残る受刑者を恩赦し、裁判を不公正と批判しました。
1904年|米国によるパナマ運河建設が始まる
1904年5月4日、米国はパナマ運河の建設事業を正式に引き継ぎました。前年のパナマ独立を支援し、条約で運河地帯の強い統治権を得ていました。フランス企業の失敗した事業資産も米国が買収しました。
黄熱病対策、閘門式への転換、巨大土木によって1914年に開通しました。世界海運を変えた一方、米国の軍事介入、人種別労務管理、主権制限の歴史を伴います。
蚊が媒介する黄熱病とマラリアの対策は工事成功に不可欠でしたが、労働者の賃金・居住は人種別に分けられました。公衆衛生の進歩と差別的管理が同居しました。
1919年|中国で五四運動が始まる
1919年5月4日、北京の学生約3000人が天安門前に集まり、山東省の旧ドイツ権益を日本へ認める講和方針と中国政府の対応へ抗議しました。運動の名称はこの抗議の日付から取られています。
運動は商人・労働者へ広がり、政府はヴェルサイユ条約署名を拒否しました。反帝国主義とともに、白話文、科学、民主を唱える新文化運動を全国政治へ接続しました。
五四運動は愛国運動であると同時に、儒教的家族、文語、女性抑圧を批判する文化変革でした。後の共産党と国民党の双方が自らの正統性へ取り込みました。
1924年|パリ五輪の競技日程が始まる
1924年5月4日、パリ五輪の競技日程が始まりました。サッカーやラグビーなどは7月5日の公式開会式より前に実施され、大会期間は数か月に及びました。大会は7月まで続き、44か国・地域が参加しました。
後の大会では競技日程をより集中させますが、当時は長期開催でした。選手村や標語でも知られる大会を、式典日と最初の競技日を分けて理解する必要があります。
1924年大会は映画『炎のランナー』の舞台としても知られますが、映画は人物と時間を再構成しています。競技記録と後世の物語化を分けると、スポーツ史が明確になります。
1942年|珊瑚海海戦が始まる
1942年5月4日、米空母ヨークタウンの艦載機がツラギの日本軍を攻撃し、珊瑚海海戦が始まりました。主力艦が互いを視認せず、航空機だけで交戦した初の大規模海戦です。
戦術的損害の評価は分かれますが、日本の海上攻略は阻止されました。空母中心の海戦への転換を示し、双方の損耗は翌月のミッドウェー海戦にも影響しました。
米側は空母レキシントンを失い、日本側も祥鳳沈没と翔鶴損傷、搭乗員損耗を受けました。艦の損失数だけで勝敗を判定せず、作戦目的と次戦への影響を比較します。
1945年|北西ドイツなどの降伏文書が署名される
1945年5月4日、北西ドイツ、オランダ、デンマークのドイツ軍代表が降伏文書へ署名しました。発効は翌5月5日午前8時でした。署名場所はモントゴメリー司令部のテントでした。
欧州全域の無条件降伏は5月7日に署名、8日に発効します。地域降伏、署名日、発効日を区別することで、戦争終結が段階的だったことが分かります。この地域降伏は段階的な戦争終結の一部です。
デンマークでは発効日の5月5日が解放記念日です。署名と発効の一日の差が各国の公的記憶の日付を分けるため、5月4日と5日を同じ出来事として混同しません。
1949年|スペルガの悲劇
1949年5月4日、リスボンから帰国中のトリノFC一行を乗せたフィアットG.212が、濃霧の中でトリノ郊外スペルガへ衝突し、乗員乗客31人全員が死亡しました。
「グランデ・トリノ」はイタリア代表の中核でもあり、国内サッカーは大きな損失を受けました。チームの神話だけでなく、計器航法と悪天候下運航の危険を伝える航空事故です。
国内リーグは残り試合で対戦相手もユース選手を起用し、トリノが優勝しました。追悼の連帯は美談であると同時に、都市と代表を支えた一世代を失った深刻さを示します。
1961年|フリーダム・ライドが出発
1961年5月4日、COREが組織した13人の活動家がワシントンD.C.を出発しました。州間バス施設の人種隔離を違憲とした判決が守られているかを非暴力で試しました。
アラバマ州などで暴徒の襲撃と放火を受けましたが、参加者は交代しながら継続しました。連邦政府は最終的に交通委員会規則を強化し、施設分離を禁じました。
最高裁判決が存在しても、州・事業者・警察が実施しなければ権利は現実になりません。活動家は法律違反を求めたのではなく、すでに確立した権利の履行を可視化しました。
1970年|ケント州立大学で州兵が学生を銃撃
1970年5月4日、オハイオ州ケント州立大学で州兵が約13秒間に67発を発砲しました。死亡した4人のうち2人は抗議に参加せず移動中でした。州兵がなぜ実弾を発射したかは長く検証されました。
事件は全米の大学ストライキを拡大し、政府と若者の断絶を象徴しました。命令の有無は長く争われ、国家が集会へ武力を用いる際の説明責任が問われ続けています。
写真家ジョン・ファイロが撮影した、倒れた学生と叫ぶ少女の写真は反戦運動の象徴になりました。映像の記憶と、個々の犠牲者の人生を混同しないことも大切です。
1979年|マーガレット・サッチャーが英国首相に就任
1979年5月4日、マーガレット・サッチャーはバッキンガム宮殿で首相に任命されました。高インフレ、労使対立、公共サービス停滞への不満を背景に政権交代が起きました。
民営化、金融自由化、労組規制を進め、経済構造を変えました。成長と企業活力を評価する見方がある一方、失業、地域格差、産業衰退を深めたとの批判があります。
サッチャー改革の影響は産業や地域で異なります。住宅所有や金融拡大の恩恵を得た層と、炭鉱閉鎖・製造業縮小に直面した地域を同じ平均値で語れません。
1994年|ガザ・ジェリコ合意が署名される
1994年5月4日、カイロでイツハク・ラビン首相とヤセル・アラファトPLO議長が合意へ署名しました。イスラエル軍の部分撤退とパレスチナ自治政府設置を具体化しました。
オスロ合意を現地統治へ移す一歩でしたが、入植地、エルサレム、難民、国境など核心問題は先送りされました。暫定制度が長期化し、和平は実現していません。
自治政府は国家主権を得たわけではなく、領域・権限とも限定されました。暫定期間が終わっても最終地位交渉がまとまらず、占領と自治の重層構造が固定化しました。
2000年|ILOVEYOUワームが世界へ拡散
2000年5月4日、フィリピンから送られたとされるILOVEYOUワームが、アドレス帳を使って自己複製し、数時間で世界の企業・官庁へ広がりました。
拡張子の隠蔽、好奇心、メールソフトの自動処理を突いた社会工学的攻撃でした。被害は添付制限、ウイルス対策、利用者教育、サイバー犯罪法整備を加速させました。
当時のフィリピン法では作成者を直接処罰できる規定が不十分でした。国境を越えるサイバー被害に、国内刑法と捜査協力が追いついていないことを示しました。
5月4日の記念日・世界の祝日
みどりの日
自然に親しみ、その恩恵に感謝し豊かな心を育む日本の国民の祝日です。2007年から5月4日となり、2026年は月曜日です。
4月29日だった「みどりの日」は、2007年に5月4日へ移りました。4月29日は昭和の日です。名称変更と日付移動を混同せず、2026年は月曜日の国民の祝日として扱います。
ラトビア独立回復宣言の日
1990年5月4日に最高会議がソ連からの独立回復を宣言したことを記念するラトビアの国民の祝日です。 首都リガを中心に式典が行われます。
ナミビア・カシンガの日
1978年5月4日にアンゴラのカシンガで南アフリカ軍の攻撃により死亡した人々を追悼するナミビアの公休日です。 独立闘争の記憶を継承する日でもあります。
タイ国王戴冠記念日
ワチラロンコン国王の戴冠式が2019年5月4日に行われたことを記念するタイの祝日です。2026年も政府休日表で確認が必要な公休日です。
中国青年節
1919年の五四運動を記念する中国の青年の日です。若年層向け行事が行われますが、全国民一律の終日公休日ではありません。 年齢等により半日休暇とする規定があります。
オランダ戦没者追悼記念日
第二次世界大戦以降の戦争・平和維持活動で亡くなった人々を、5月4日20時の2分間黙祷で追悼します。翌5日は解放記念日です。
国際消防士の日
任務中に亡くなった消防士を追悼し、消防・救助に携わる人々へ敬意を示す国際的な記念日です。聖フロリアヌスの祝日と同日です。
スター・ウォーズの日
劇中の台詞「May the Force be with you」と「May the Fourth」の語呂を重ねたファン文化の日で、ルーカスフィルムも公式展開しています。
植物園の日
日本植物園協会が、みどりの日に合わせて植物園の役割を伝える日としています。保全、研究、教育、憩いの場という機能を紹介します。
ラムネの日
1872年5月4日に東京でラムネ製造の営業許可が出たことにちなむ記念日です。名称は英語のレモネードが変化したものとされます。
競艇の日
競艇の生みの親とされる笹川良一の誕生日5月4日にちなむ業界記念日です。公営競技の収益は自治体財政や公益事業にも用いられます。
ファミリーの日
中華料理チェーン東天紅が創業日の1961年5月4日にちなみ、家族で食卓を囲む機会として提唱した企業記念日です。 国民の祝日や公的な家族の日ではありません。
今日(2026年5月4日)が祝日の国
2026年5月4日は月曜日で、日本ではみどりの日です。ラトビアは独立回復宣言の日、ナミビアはカシンガの日、タイは国王戴冠記念日の公休日です。キルギスも5月1日から8日までの連続休日中です。オランダの追悼記念日は通常の公休日とは区別します。
- 日本|みどりの日(国民の祝日)
- ラトビア|独立回復宣言の日(国民の祝日)
- ナミビア|カシンガの日(公休日)
- タイ|国王戴冠記念日(公休日)
- キルギス|メーデー連休(2026年は5月1~8日が休日)
- オランダ|戦没者追悼記念日
- 中国|青年節
5月4日が誕生日の有名人
康熙帝(1654年生)
長期統治で三藩の乱を鎮圧し版図と行政を安定させました。学術保護と文字獄という文化政策の両面があります。
ジャン=シャルル・ド・ボルダ(1733年生)
測量機器と投票方式を研究し、候補順位を点数化するボルダ方式に名を残しました。
ホーレス・マン(1796年生)
税で支える非宗派の公立学校、教員養成、共通教育を推進し、米国公教育の制度化へ影響しました。
トマス・ヘンリー・ハクスリー(1825年生)
ダーウィン進化論を擁護し比較解剖学を発展させました。「不可知論」の語を提唱し科学教育を推進しました。
ミクローシュ・ラドノーティ(1909年生)
反ユダヤ法下で労働奉仕へ送られ、死の行進中にも詩を書き続けました。遺体の手帳から作品が発見されました。
ジェイン・ジェイコブズ(1916年生)
街路の多様な用途と「目」が都市の安全と活力を生むと論じ、大規模再開発中心の計画へ異議を唱えました。
小規模な街区を無条件に保存したのではなく、用途、建物年齢、人の流れが混在する都市の自己調整力を見ました。理論は都市ごとの住宅格差にも応用と限界があります。
田中角栄(1918年生)
日本列島改造論と日中国交正常化を進めました。金権政治とロッキード事件は戦後政治の構造的問題を示します。
地方への公共投資と交通網整備は地域格差是正への期待を生みましたが、地価上昇、利益誘導、派閥資金を伴いました。政策構想と政治手法を切り離さずに評価します。
オードリー・ヘプバーン(1929年生)
『ローマの休日』『ティファニーで朝食を』で映画とファッションの象徴となり、晩年はユニセフ親善大使を務めました。
幼少期に占領下オランダで飢餓を経験しました。ユニセフ活動は有名人の付随的慈善ではなく、自身の経験を背景に各地を訪問し支援を訴えた晩年の主要活動でした。
アンソニー・ギデンズ(1938年生)
構造化理論で社会構造と個人行為の相互作用を論じ、「第三の道」の政策論にも影響しました。
構造化理論では、制度が人を一方的に拘束するのでも、個人が自由に制度を作るのでもなく、日々の行為が構造を再生産すると考えます。現代社会分析の重要な橋渡しです。
キース・ヘリング(1958年生)
地下鉄の簡潔な線画を起点に、エイズ、反核、人種差別へ応答する公共的なポップアートを展開しました。
地下鉄の未使用広告板へ描いた作品は、美術館外の通行人へ直接届きました。ポップショップの商品化も、芸術を広く入手可能にする試みと商業化の緊張を抱えました。
5月4日生まれの有名人一覧
| 生年 | 名前 | 職業・分野 |
|---|---|---|
| 1008 | アンリ1世 | フランス王 |
| 1654 | 康熙帝 | 清の皇帝 |
| 1733 | ジャン=シャルル・ド・ボルダ | 数学者・海軍軍人 |
| 1796 | ホーレス・マン | 教育改革者 |
| 1825 | トマス・ヘンリー・ハクスリー | 生物学者 |
| 1852 | アリス・リデル | 「不思議の国のアリス」の着想源 |
| 1881 | アレクサンドル・ケレンスキー | ロシア臨時政府首相 |
| 1885 | レオ・シロタ | ピアニスト |
| 1909 | ミクローシュ・ラドノーティ | 詩人 |
| 1916 | ジェイン・ジェイコブズ | 都市思想家 |
| 1918 | 田中角栄 | 内閣総理大臣 |
| 1923 | エリック・サイクス | 俳優・脚本家 |
| 1923 | アーロン・スペリング | テレビプロデューサー |
| 1929 | オードリー・ヘプバーン | 俳優・人道活動家 |
| 1938 | アンソニー・ギデンズ | 社会学者 |
| 1941 | ジョージ・ウィル | 評論家 |
| 1947 | リチャード・ジェンキンス | 俳優 |
| 1951 | ジャッキー・ジャクソン | 歌手 |
| 1953 | オリータ・アダムス | 歌手 |
| 1958 | キース・ヘリング | 美術家 |
| 1959 | ランディ・トラヴィス | 歌手 |
| 1961 | メアリー・マクドノー | 俳優 |
| 1967 | アナ・ガステヤー | 俳優・コメディアン |
| 1968 | 菊池桃子 | 歌手・俳優 |
| 1970 | ウィル・アーネット | 俳優 |
| 1972 | マイク・ダーント | ベーシスト |
| 1973 | たむらけんじ | お笑い芸人 |
| 1979 | ランス・バス | 歌手 |
| 1987 | セスク・ファブレガス | サッカー選手 |
| 1989 | ローリー・マキロイ | プロゴルファー |
| 1994 | アレクサンダー・グールド | 俳優・声優 |
5月4日が命日の有名人
アイザック・バロー(1677年没)
微積分の基本関係を先駆的に研究し、ケンブリッジでニュートンの師となりました。
ティプー・スルターン(1799年没)
ロケット兵器と行政改革で東インド会社へ抵抗しましたが、シュリーランガパトナ攻囲戦で戦死しました。
カール・フォン・オシエツキー(1938年没)
ドイツの秘密再軍備を告発し投獄され、収容所で健康を破壊されました。ノーベル平和賞受賞者です。
ノーベル賞受賞が決まってもナチス政権は出国を許さず、授賞式へ出席できませんでした。国際的顕彰が迫害を止められない現実と、記録を残す意義を示します。
ヴァレンティーノ・マッツォーラ(1949年没)
グランデ・トリノの主将として攻守を牽引し、スペルガの航空事故でチームメートとともに亡くなりました。
ジョルジェ・エネスク(1955年没)
ルーマニア民謡を交響的語法へ昇華し、「ルーマニア狂詩曲」と教育活動で音楽文化を支えました。
演奏家・作曲家・教師の役割を同時に担い、ユーディ・メニューインらを育てました。有名な狂詩曲だけでなく、オペラと室内楽にも精緻な作品を残しています。
エドワード・カルビン・ケンダル(1972年没)
副腎皮質ホルモンの分離とコルチゾン治療に貢献し、炎症性疾患の治療を変えました。
ヨシップ・ブロズ・チトー(1980年没)
対独パルチザンを率い、戦後は非同盟外交と連邦制で多民族国家を統治しました。死後、統合の矛盾が顕在化しました。
民族間均衡を保った指導力は評価される一方、一党支配、政治犯収容、個人崇拝を伴いました。「死後に崩壊した平和」のみで統治を理想化しない視点が必要です。
アダム・ヤウク(2012年没)
ビースティ・ボーイズのMCAとしてヒップホップの表現を広げ、チベット支援と映像制作にも取り組みました。
初期の攻撃的な歌詞を後に自ら省み、女性差別への謝罪も表明しました。表現者が過去作品の影響へ責任を取り、活動の方向を変え得る例としても読めます。
フランク・ステラ(2024年没)
「見えるものが見えるものだ」として平面性を徹底した縞模様絵画から、立体的で色彩豊かな作品へ展開しました。
初期の黒い絵画は表現的筆触を退けましたが、後期作品は壁から飛び出す複雑な曲面へ変わりました。一つの標語に固定できない60年以上の変化があります。
5月4日が命日の有名人一覧
| 没年 | 名前 | 職業・分野 |
|---|---|---|
| 1471 | エドワード・オブ・ウェストミンスター | イングランド王太子 |
| 1471 | 第4代サマセット公エドムンド・ボーフォート | 貴族・軍人 |
| 1519 | ロレンツォ2世・デ・メディチ | ウルビーノ公 |
| 1677 | アイザック・バロー | 数学者・神学者 |
| 1799 | ティプー・スルターン | マイソール王国君主 |
| 1938 | カール・フォン・オシエツキー | ジャーナリスト・平和運動家 |
| 1945 | フェードア・フォン・ボック | ドイツ陸軍元帥 |
| 1949 | ヴァレンティーノ・マッツォーラ | サッカー選手 |
| 1955 | ジョルジェ・エネスク | 作曲家・ヴァイオリニスト |
| 1966 | アメデエ・オザンファン | 画家・理論家 |
| 1972 | エドワード・カルビン・ケンダル | 生化学者 |
| 1973 | ジェイン・ボウルズ | 作家 |
| 1980 | ヨシップ・ブロズ・チトー | ユーゴスラビア大統領 |
| 1984 | ダイアナ・ドース | 俳優 |
| 1987 | ポール・バターフィールド | ブルース音楽家 |
| 1995 | ルイス・プレストン | 銀行家・世界銀行総裁 |
| 2009 | ドム・デルイーズ | 俳優・コメディアン |
| 2012 | アダム・ヤウク | 音楽家 |
| 2014 | エレーナ・バルタチャ | テニス選手 |
| 2021 | ニック・ケイメン | 歌手・モデル |
| 2024 | フランク・ステラ | 美術家 |
5月4日の星座・誕生花・誕生石
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 星座 | 牡牛座 |
| 誕生花 | 日付ごとの花は資料によって異なります |
| 5月の誕生石 | エメラルド、翡翠 |
2026年5月4日の暦
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 曜日 | 月曜日 |
| 和暦 | 令和8年5月4日 |
| 旧暦 | 2026年3月18日 |
| 六曜 | 友引 |
| 干支 | 戊寅(つちのえとら) |
| 二十四節気 | 穀雨の期間(2026年の穀雨は4月20日10時39分、立夏は5月5日20時49分) |
| 七十二候 | 牡丹華(ぼたんはなさく) |
| 月齢 | 16.6(東京・正午) |
| 十二直 | 開(ひらく) |
| 日本の祝日 | みどりの日 |
2026年5月4日の暦を読む
2026年5月4日は月曜日、みどりの日、旧暦3月18日です。二十四節気は穀雨、七十二候は「牡丹華」。東京の正午月齢は16.6、六曜は友引、干支は戊寅、十二直は開です。
主な確認資料
- 内閣府・国民の祝日について
- ラトビア外務省・Restoration of Independence Day
- ナミビア政府・Public Holidays 2026
- タイ政府広報局・Coronation Day
- 米国国立公園局・Haymarket
- 米国国立公文書館・Chinese Student Protests 1919
- 米国議会図書館・Freedom Riders
- Kent State University・May 4 Collection
- Lucasfilm・Star Wars Day
- 日本植物園協会・植物園の日
- キルギス労働省発表・2026年の休日
- 国立天文台・2026年暦要項(二十四節気)
- 国立天文台・2026年月の満ち欠け
- 国立天文台・2026年5月の月齢(東京)
