【訪問記】『平家物語』ゆかりの地を巡る関門海峡散歩コース

 元暦2(1185)年3月24日、長門国赤間関壇ノ浦で行われた「壇ノ浦の戦い」。序盤は平知盛を大将とする平氏軍が優勢でしたが、潮の流れが反転すると源義経が率いる源氏軍のターンとなり、平氏は滅亡へと追いやられました。まだ6歳(数え年8歳)だった安徳天皇は、おばあちゃんの平時子に抱かれて入水。平知盛は平氏一門の最期を見届けて、海峡に身を投じました。

 現在、安徳天皇は下関側の赤間神宮に祀られており、門司側の甲宗八幡宮には平知盛の墓があります。関門トンネルを歩いて渡れば、ウォーキングにちょうど良い距離。平知盛と源義経の像を拝める壇ノ浦古戦場跡、平氏一門が戦勝祈願の酒宴を開いたといわれる和布刈神社なども巡る、オススメの散歩コースです。下関と門司にまたがる『平家物語』ゆかりの地をまとめて回れますので、ぜひ歩いてみてくださいね♪

コース概要

ルート地図

訪問場所

  1. ノーフォーク広場(駐車場)
  2. 和布刈神社
  3. 関門トンネル人道(門司側)
  4. 壇ノ浦古戦場跡
  5. 立石稲荷神社
  6. 赤間神宮
  7. 関門トンネル人道(下関側)
  8. 平知盛の墓(甲宗八幡神社)
  9. ノーフォーク広場(駐車場)

距離

 約6.5km

所要時間

 約4時間

【訪問記】コース詳細

9:50 ノーフォーク広場を出発

 車はノーフォーク広場の駐車場に止めました。和布刈神社や関門トンネル人道入口にも駐車場はあるのですが、駐車場への入り方がよくわからなかったのと、ノーフォーク広場の駐車場の方が止めやすそうだったのでここにしました。

 公共の交通機関をご利用の方は、JR門司港駅から「潮風号」というトロッコ列車に乗って、ノーフォーク広場駅で下車します。せっかくの観光列車ですので、終点の関門海峡めかり駅まで乗るのもいいですよ。運賃は大人片道300円、小児150円(2024年3月4日時点)。基本的には土日祝日の運行となっており、運休の場合もありますので、公式サイトで最新情報をご確認ください。

 バスは毎日運行しています。関門トンネル人道口のバス停で降りれば、和布刈神社も目の前です。JR門司港駅からの運賃は270円(2024年3月4日時点)。バスもトロッコ列車も利用せずに、門司港レトロ地区を巡りながら歩くのもオススメです♪

10:00 和布刈神社

和布刈神社 / 2024年1月7日撮影

 ノーフォーク広場から関門海峡を眺めながら歩くこと10分、和布刈めかり神社に到着。吉川英治の歴史小説『新・平家物語』に、壇ノ浦の合戦前夜、平家一門が戦勝を祈願して酒宴を開いたと記されている神社です。このエピソードは大本の『平家物語』には記載がなく、和布刈神社の公式サイトでも言及されていないため、事実かどうかはわかりません。が、和布刈神社は仲哀天皇9年に創建され、約1,800年もの歴史があるそうです。平家と何かしらの関連があってもおかしくないと思います。

10:10 関門トンネル人道を歩いて下関へ

 和布刈神社の真ん前に関門トンネル人道の入口があります。トンネルの長さは780m、歩いて15分ほどです。本州と九州ってこんなに近いんだなと実感できますよ。

10:30 壇ノ浦古戦場跡

 下関側の関門トンネル人道入口を出て、道を渡ると「みもすそ川公園」があります。みもすそ川という地名は、長門本平家物語に伝えられている「今ぞ知るみもすそ川の御ながれ波の下にもみやこありとは」という歌が由来。二位の尼(平時子)が孫の安徳天皇と共に身を投げる際、「波の下にも都がありますよ」と怖がる安徳天皇を安心させるために詠んだ歌です。みもすそ川公園には「安徳帝御入水之処」と刻まれた石碑があり、何とも悲しい気持ちになります。まだ6歳、幼稚園年長さんぐらいだった安徳天皇には何の罪もないのに⋯⋯。

平知盛と源義経 / 2024年1月7日撮影

10:40 立石稲荷神社

 みもすそ川公園から赤間神宮へ向かう道の途中にあります。京都から西へ落ちていった平家が、伏見稲荷の分霊を祀ったといわれている神社です。駐車場がないため、徒歩でしか訪問できません。せっかく歩いて観光するなら、立石稲荷神社にもぜひ立ち寄ってみてください♪

10:50 赤間神宮

 赤間神宮の始まりは、貞観元(859)年に開かれた阿弥陀寺。建久2(1191)年に後鳥羽天皇の勅命により御影堂が建立され、江戸時代までは安徳天皇御影堂と呼ばれていました。明治時代の神仏分離政策によって神社となり、天皇社と改称。明治8(1875)年に赤間宮、昭和15(1940)年に現在の赤間神宮へと改称されました。第二次世界大戦で消失し、現在の社殿は昭和40(1965)年に再建されたものです。朱色の水天門は社殿の再建よりも早く、昭和32(1157)年に龍宮城をイメージして建立されました。

 水天門をくぐり、本殿の左手の道を進むと芳一堂があります。赤間神宮は、『平家物語』を語る琵琶法師が平家の怨霊によって〇〇されるグロ系ホラー、『耳なし芳一』の舞台なのです。芳一堂の向かいには宝物殿があり、長門本平家物語や平家琵琶など貴重な資料が展示されています。等身大の安徳天皇尊像は、自分の息子がこんな運命だったらと、涙が出そうになりました。拝観料は100円。写真撮影禁止なので、自分の目でしか見ることできません。ぜひ宝物殿も入ってほしいです。

 芳一堂のそばには、平家一門の墓もあります。この後、平知盛の墓に向かうのですが、ここにも平知盛の名が⋯⋯。また関門トンネル人道を渡って門司側に戻りますので、ここで満足された方は唐戸市場方面へ向かうといいと思います。唐戸か船で関門海峡を渡り、門司港に戻るのも楽しいですよ♪

12:10 関門トンネル人道を歩いて門司へ

 残る目的地は平知盛の墓のみです。再び関門トンネル人道を歩き、門司へと戻ります。

13:00 平知盛の墓(甲宗八幡神社)

 平知盛の墓は、甲宗八幡神社の境内にあります。創建は貞観2(860)年、赤間神宮の前身である阿弥陀寺の翌年です。赤間神宮の平家一門の墓にも平知盛の名が刻まれていましたが、甲宗八幡神社の公式サイトを見るとこのような根拠が記載されています。

壇ノ浦の合戦後、知盛卿の遺体は門司関へ漂着し、これを憐れんだ里人によって壇ノ浦を見渡せる筆立山に葬られたと伝わります。その後数百年の間、門司港の人々によって墓と供養塔は守られ続けていましたが、昭和28年(1953年)の水害の際に麓へ流出した為、現在は当社社殿横に遷座し、静かに現在の門司港の街を見守り続けています。

源平の合戦と平知盛 | 甲宗八幡宮のご紹介 | 甲宗八幡宮

 先ほど、「赤間神宮で満足したら唐戸市場方面に向かったら?」って言いましたが、撤回します(笑)。神社自体も立派なので、ぜひ訪問してみてください。唐戸市場や門司港レトロも合わせて観光したい方は、上述の通り赤間神宮から唐戸市場へ行き、船で門司港へ渡り、門司港レトロを巡り歩きながら最後に訪問すると効率良く回れます。

13:40 ノーフォーク広場へ戻る

 平知盛の墓の前で手を合わせ、出発地点のノーフォーク広場へと戻ります。所要時間は約4時間。何も食べずに歩いたので、ランチを取ったら5時間ほどでしょうか。Googleマップで距離を調べてみたところ、ざっと6.5kmの距離でした。かなり歩きましたね。歩数を計るべきだったと今も後悔しています。ここまで読んでいただいたあなたもぜひ、『平家物語』ゆかりの地を歩いて巡ってみてくださいね♪

日清講和記念館も訪問しました

 赤間神宮の隣には、日清講和記念館があります。無料で見学可能です。今回は『平家物語』ゆかりの地を巡るのが目的だったので、「無料ならちょっと見てみるか」ぐらいの気持ちで入りました。が、非常に見応えがあり、大変勉強になりました。下関は明治維新を語る上で重要な場所とされているようですので、今度はそのような視点で巡ってみたいと思います。