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万葉集「巻5-822番歌」の原文・現代語訳・作者・万葉歌碑
我が苑に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも 『万葉集』の第5巻に収録されている822番歌は、元号「令和」の由来になった「梅花の宴」で大伴旅人が詠んだ歌です。天平2(730)年1月13日、大宰帥(大宰府の長官)を務めていた大伴旅人邸に九州... -
万葉集「巻5-803番歌」の原文・現代語訳・作者・万葉歌碑
銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも 『万葉集』の第5巻に収録されている803番歌は、山上憶良のが詠んだ「子らを思ふ歌」の1首です。「どんな宝よりも子どもが大切」という少子化の現代にこそ響かせたい名歌。なのですが万葉歌碑は草に埋もれ... -
万葉集「巻6-978番歌」の原文・現代語訳・作者・万葉歌碑
士くべき名は立てずして 『万葉集』の第6巻に収録されている978番歌は、重い病気にかかり、命が短いことを悟った山上憶良が詠んだ歌です。この歌を最後に和歌の作品が残っていないことから、天平5(733)年に74歳で亡くなる直前に詠まれたものと思われ... -
万葉集「巻3-338番歌」の原文・現代語訳・作者・万葉歌碑
験れる酒を飲むべくあるらし 『万葉集』の第3巻に収録されているこの歌は、大伴旅人が天平元(729)年頃に詠んだ「酒を讃むる歌13首」の一つです。旅人は60歳を超えて大宰府へ赴任することになり、赴任直後に奥さんと死別するなど不遇の晩年を送っていま... -
万葉集「巻5-梅花の歌序」の原文・現代語訳・作者・万葉歌碑
初春の令月にして、気淑らす 元号「令和」の由来となったこちらの文言は、『万葉集』の第5巻に収録されている「梅花の歌序」の一部です。天平2(730)年1月13日、大宰府の長官を務めていた大伴旅人の邸宅で、「梅花の宴」が催されました。上司と部下と... -
万葉集「巻4-555番歌」の原文・現代語訳・作者・万葉歌碑
君がため醸の野に独りや飲まむ友無しにして 『万葉集』の第4巻に収録されているこの歌は、大伴旅人が天平元(729)年頃に丹比へ贈った餞別の歌です。当時の大伴旅人は大宰府の長官で、丹比県守は次官。部下であり、飲み友達でもあった県守は、異動により... -
源氏物語「玉鬘」のあらすじをわかりやすく紹介
『源氏物語』の第22帖「玉鬘」から第31帖「真木柱」までは玉鬘十帖と呼ばれ、玉鬘が結婚するまでの半生が描かれています。玉鬘は光源氏が17歳の頃に逢瀬を交わしていた美女、夕顔の娘。光源氏は夕顔のことが忘れられず、娘である玉鬘の行方も気になってい... -
紫式部日記「日本紀の御局」原文と現代語訳
左衛門の内侍といふ人侍り 原文 左らむよ。 現代語訳 左衛門の内侍という人がいます。よくわからないけど、なぜか私のことをよく思ってなくて、身に覚えのないモヤモヤする陰口がたくさん聞こえてきました。帝(一条天皇)が源氏物語を女房に朗読させ... -
藤原広嗣|鎌足・不比等からの家系と生涯をわかりやすく解説
天平12(740)年に朝廷への反乱を起こした人物として歴史に名を残している藤原広嗣。藤原姓の始祖、中臣鎌足のひ孫で、祖父は大政治家の藤原不比等。不比等の4人の息子たちは藤原四兄弟と呼ばれ、政権の中枢を担っていましたが、天然痘パンデミックによ... -
藤原広嗣の乱|若きエリートはなぜ大宰府で兵を挙げたのか?
天平12(740)年の夏、大宰府に左遷されたことに不満を抱いていた若者が、朝廷に向けて兵を挙げました。若者の名は藤原広嗣。藤原氏の始祖である中臣鎌足のひ孫であり、祖父は大政治家として名を残した藤原不比等。父の宇合もまた政権の中心で活躍してい...