紫式部日記「女郎花」の原文・語釈
渡殿の戸口の局に見出だせば
渡殿の戸口の局に見出だせば、ほのうち霧りたる朝の露もまだ落ちぬに、殿歩かせたまひて、御随身召して、遣水払はせたまふ。
- 渡殿の戸口の局:紫式部が土御門殿(藤原道長の邸宅)内に与えられた控室。
- 見出だす:中から外を見る。
- 殿:藤原道長。当時43歳。紫式部より5歳ほど年上か。
- 歩く:あちこちに移動する。歩き回る。
- 随身:道長の従者。
- 遣水:庭に造られたせせらぎ。
- 払ふ:掃除する。
橋の南なる女郎花のいみじう盛りなるを

橋の南なる女郎花のいみじう盛りなるを、一枝折らせたまひて、几帳の上よりさし覗かせたまへる御さまの、いと恥づかしげなるに、我が朝顔の思ひ知らるれば、
「これ、遅くては悪からむ」
とのたまはするにことつけて、硯のもとに寄りぬ。
女郎花盛りの色を見るからに露の分きける身こそ知らるれ
「あな、疾」
と微笑みて、硯召し出づ。
白露は分きても置かじ女郎花心からにや色の染むらむ
- 女郎花:秋の七草の一つ。その美しさが女性を圧倒する「女郎圧し」が原義。
- 恥づかしげ:(こちらが恥ずかしくなるほど)立派だ。
- 朝顔:朝起きたばかりの顔。
- 悪し:よくない。感心しない。技術がへただ。
- 分く:区別する。はっきりと分ける。
- 置く:露や霜などがおりる。
しめやかなる夕暮れに
しめやかなる夕暮れに、宰相の君と二人、物語してゐたるに、殿の三位の君、簾のつま引き上げてゐたまふ。年のほどよりは、いとおとなしく、心憎きさまして、
「人はなほ、心ばへこそ難きものなめれ」
など、世の物語しめじめとしておはするけはひ、幼しと人の侮り聞こゆるこそ悪しけれと、恥づかしげに見ゆ。うちとけぬほどにて、
「多かる野辺に」
とうち誦じて、立ちたまひにしさまこそ、物語にほめたる男の心地しはべりしか。
かばかりなることの、うち思ひ出でらるるもあり、その折はをかしきことの、過ぎぬれば忘るるもあるはいかなるぞ。
- 宰相の君:藤原豊子。道長の異母兄、道綱の娘。中宮彰子の子の乳母となる。
- 三位の君:道長の長男、頼道。中宮彰子の弟。当時17歳。
- 心憎し:(人柄・態度に深みがあり)心ひかれる。奥ゆかしい。
- 心ばへ:気だて。性質。心づかい。
- 侮る:あなどる。ばかにする。
- 悪し:適当でない。
- うち誦ず:(漢詩や和歌を)口ずさむ。
紫式部日記「女郎花」の補足解説
女郎花の万葉歌

女郎花は古くから親しまれてきた草花で、万葉歌人の山上憶良が詠んだ「秋の七草」の一つです。
名前の由来は二つの説があり、一つは黄色い小花が粟粒に似ており、咲き乱れると粟飯にように見えることから。女性が食べるものであった粟飯の別名「女飯(おみなめし)」が転じて、「おみなへし」と呼ばれるようになったといわれています。
もう一つの説は、「女圧し(おみなへし)」という言葉から。女性を圧倒するほど美しい、という意味です。いずれの説も女性に由来しており、小さくてなよなよしている可憐さが、女性を感じさせたのではないでしょうか。
女郎花は『万葉集』で14首に登場し、『紫式部日記』で藤原道長が詠んだ歌にある「白露」というキーワードが使われている万葉歌もあります。
手に取れば袖さへにほふ女郎花この白露に散らまく惜しも(巻10-2115番歌)
手に取ると袖まで色づくような女郎花が、この白露で散ってしまうのが惜しいなあ
女郎花の黄色い花と白露というのは、風流の定番セットだったのかもしれませんね。
多かる野辺に
殿の三位の君こと藤原頼通が、「多かる野辺に」と口ずさんで立ち上がる場面がありますが、これは『古今和歌集』収録されている、これまた女郎花の歌のことです。
女郎花多かる野辺に宿りせばあやなくあだの名をやたちなん(巻4-229番歌)
女郎花が多い野辺にずっといたら、わけもなく浮気者だと噂されてしまいそうだ
要するに頼道は、「(紫式部さんのような)美人が大勢いる場所に長居してたら、それだけで好色者と思われてしまいそうなんで、そろそろ行きますわ」と、その場にいる女性を立てつつ、自分の真面目さをも出しながらた。弱冠17歳での大人びた振舞いに、紫式部は感心したのでした。
紫式部日記「女郎花」の現代語訳
渡殿の戸口の女房部屋から外を見ていたら、ほんのりと霧がかかっていて、朝の露もまだ落ちない時間だというのに、道長殿が庭を歩き回って、従者にせせらぎを掃除させていらっしゃいます。橋の南側に生えている女郎花が見事に咲き乱れているのを、殿は一枝折り取られて、几帳の上からちらっとお顔をお見せになります。そのお姿のなんと凛々しいことでしょう。それに比べて私の寝起きのすっぴん顔ときたら、と思い知らされましたので、
「はい、お題はこの花。詠むのが遅いのはよくありませんよ」
とおっしゃるのにかこつけて、硯のそばに寄りました。
女郎花盛りの色を見るからに露の分きける身こそ知らるれ
女郎花が盛る朝露の景色を見ますと、露がはっきり分けた私の身の程を自覚できます。
「あら、早いじゃん」
と道長殿は微笑んで、硯を召し出させました。
白露は分きても置かじ女郎花心からにや色の染むらむ
白露は差別なくどこへでも降りるもの。女郎花は自分の美意識から色に染まるのだよ。
穏やかな夕暮れ時に、宰相の君こと藤原豊子様と二人で世間話をしていたら、道長殿の長男頼道殿がいらっしゃって、簾の端を持ち上げてお座りになります。お年の割には随分と大人びていて、深みのあるお人柄で、
「女性はやはり気だてが大切なのでしょうけれど、それこそが一番難しいものですね」
など、男女のあるある話をしっぽりとお話しされている雰囲気は、まだ子供だと中傷する人もいるけど完全に間違ってるわと、感心して見ておりました。あまり話し込み過ぎない程度のところで、
「多かる野辺に」
と口ずさんで立ち上がったお姿はもう、物語でほめられている男のような心地がしたものです。
こんなちょっとしたことが、ふと思い出されることもあるけれど、その時は印象的なことであったことが、時が過ぎれば忘れてしまうこともあるのは、どうしたことでしょうか。