【訪問記】木の丸殿(きのまろどの)とは?百人一首の聖地?

百人一首の聖地?木の丸公園の見どころ

百人一首 第1番の歌碑

 木の丸公園の駐車場から入るとすぐに、大きな歌碑が目に入ります。


 この歌碑に刻まれているのは、百人一首の第1番。このような案内板があります。

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 あきのかりほのいおとまをあらみ衣手ころもでつゆにぬれつつ

 この歌は、斉明天皇が朝倉橘広庭宮あさくらのたちばなのひろにわのみやに遷られた頃(661)、皇太子であった中大兄皇子(天智天皇)が、宮中に奉納する米を作っている「秋の田」の番人を哀れんで詠まれた歌であり、現在でも小倉百人一首の第1番の歌として、多くの人々に親しまれている。

 (内容) 
 秋の田に設けられた仮の小屋(刈った稲穂を集める小屋)は、粗末な苫葺で、網目が粗いので、わたしの衣の袖は夜露に濡れ続けている。そのために私の心はまんじりとも出来ない。

 このことから恵蘇八幡宮は、滋賀県大津市の近江神宮と共に百人一首の聖地とされており、競技かるたの大会も開催されています。

御陵山

 木の丸殿跡への散歩道を進んでいくと今度は、埴輪が置いてあるちょっとした広場があります。

 特に案内板もないので、何か意味のある場所というわけではなさそうですが、見ての通り気持ちの良いスペースです。


 さらに進むと、「御陵山」という古墳があります。

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 日本書紀によれば、「西暦661年5月、斉明天皇は百済救援のため朝倉橘広庭宮あさくらのたちばなのひろにわのみやに遷られたが、病のため7月24日に崩御された。皇太子中大兄皇子は母斉明天皇崩御7日後の8月1日御遺骸を橘広庭宮からこの地に移し、一時的に葬り⋯⋯」と記されており、地元では御陵山と呼んでいる。

 陵上には方二間(1.8メートル)の石柵が巡り、中央の塔石には「斉明帝藁葬地」と刻されている。

 形態は前方後円墳ではないかという説もあるが、町では円墳二基とみて指定している。

漏刻(水時計)

 上から見渡せるのが恵蘇八幡宮です。


 階段を下りて恵蘇八幡宮の境内に入ると、「漏刻(水時計)」が留まります。

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 天智10年(671年)6月10日、天智天皇は漏刻(水時計)をつくって人々に時を知らせられたと伝えられています。

 実物は分かっていませんが、中国で用いられていた漏刻の形式を模倣したものと考えられています。この漏刻は、4個の桶を段違いにならべたもので、第1番目を夜天地、第2を日天地、第3を平壺、第4を万水壺といい、万水壺の中には矢が立てられています。

 第1のつぼに水を注ぐと、水は管を通って順番に一番下のつぼである万水壺へと流れ込み、万水壺に水が溜まるにつれて、矢が浮き上がるようになり、矢に記された目盛りを読み取ることで時刻を知る仕組となっています。

 現在、恵蘇八幡宮では6月10日(時の記念日)を記念して、毎年同日に式典が催されています。

恵蘇八幡宮

 最後に恵蘇八幡宮にお参り。おみくじを引いたらなんと大吉でした!(リアルに20年ぶりぐらいの大吉)


 大きな鳥居をくぐって次の目的地、「賀茂神社」へと向かいます♪

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