発心集第4-4「叡実、路頭の病者を憐れむ事」現代語訳

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発心集第4-4「叡実、路頭の病者を憐れむ事」

山に、叡実阿闍梨といひて

原文・語釈

 山に、叡実えいじつじやといひて、たつとき人ありけり。みかどの御悩み重くおはしましけるころ、召しければ、たびたび辞し申しけれど、重ねたるおほいなびがたくて、

語釈
  • 山:比叡山。
  • 叡実えいじつ:延暦寺の僧。生没年・伝記等未詳。
  • じや:天台宗・真言宗の密教僧の僧職の一つ。
  • みかど:『続本朝往生伝』などによれば、第64代円融天皇(959年 – 991年)。
  • 御悩み:『元亨釈書』によると狂病。神経系の病気か。
  • いなぶ:断る。

現代語訳

 比叡山に叡実阿闍梨という尊い人がいた。帝の御病気が重くなられていた頃、内裏に召されてはその度に辞退を申し入れていたが、度重なる仰せ言に断りづらくなり、

生強ひに罷りける道に

原文・語釈

なまひにまかりける道に、あやしげなる病人の足手もかなはずして、ある所のついのつらにひらがりせるありけり。

語釈
  • なまひ:(したくないのに)しぶしぶしてしまうさま。
  • まかる:参る。参上する。
  • かなはず:思い通りにならない。動かせない。
  • つら:そば。
  • ひらがる:平らになる。腹這いになる。

現代語訳

しぶしぶ参っていた道の途中に、みすぼらしい病人が手足も思うように動かせず、ある所の築地のそばに腹這いで横たわっていた。

阿闍梨、これを見て

原文・語釈

 じやこれを見て、悲しみの涙を流しつつ車よりおりて、あわれみとぶらふ。畳求めて敷かせ、上にかりさしおほひ、食ひ物求めあつかふほどに、ややひさしくなりにけり。勅使ちよくし

語釈
  • とぶらふ:見舞う。
  • 畳:平安時代では、主としてござに縁をつけた敷物。
  • 求む:探す。探し求める。
  • かり:簡単な覆い。
  • あつかふ:看病する。世話をする。
  • ひさし:長い時間が経つ。

現代語訳

 阿闍梨はこれを見て、悲しみの涙を流しながら車を降りて、憐れんで見舞う。敷物を探して敷かせ、上に仮の屋根をさっと覆い、食べ物を探し求めて看病しているうちに、やや長い時間が経ってしまった。勅使が、

日暮れぬべし

原文・語釈

「日暮れぬべし。いといと便びんなきことなり」

 とひければ、

まゐるまじき。かく、そのよしを申せ」

 とふ。勅使ちよくし驚きて、ゆゑを問ふ。じやふやう、

語釈
  • 便びんなし:不都合である。
  • よし:趣旨。事情。

現代語訳

「これでは日が暮れてしまう。まったくもって不都合なことだ」

 と言ったが、

「参られそうにない。このありさま、その事情を申し上げてくれ」

 と言う。勅使は驚いて、その理由を問う。阿闍梨が言うには、

世を厭ひて、心を仏道に任せしより

原文・語釈

「世をいとひて、心を仏道に任せしより、みかどの御事とても、あながちにたつとからず。かかるにんとてもまたおろかならず。ただ、同じやうにおぼゆるなり。それにとりて、君の御祈りのためしるしあらん僧を召さんには、山々寺々におほかる人、たれかはまゐらざらん。さらにこと欠くまじ。

語釈
  • 世をいとふ:世俗を嫌って隠遁する。出家する。
  • あながち:必ずしも。決して。
  • にん:非常に貧しい人。乞食。
  • しるし:効験。ききめ。霊験。御利益。

現代語訳

「出家して、心を仏道に任せて以来、帝の御事であっても必ずしも尊いわけではない。このような乞食であっても、また疎かにはできない。ただ、どちらも同じように感じるのだ。それにつけて、帝の御祈りのために効験ある僧を召そうものなら、山々寺々に大勢いる人の誰が参上しないというだろうか。まったく事欠かないでしょう。

この病者に至りては

原文・語釈

このびやうじやに至りては、いときたなむ人のみありて、近づきあつかふ人はあるべからず。もし、我捨てて去りなば、ほとほと寿いのちも尽きぬべし」

 とて、彼をのみあわれみ助くるあひだに、つひにまゐらずなりにければ、時の人、ありがたき事になんひける。

 このじやをはりにわうじやうをとげたり。くはしくでんにあり。

語釈
  • ほとほと:危うく。もう少しで。
  • わうじやう:⦅仏教語⦆死んでから、阿弥陀仏のいる極楽浄土へ生まれ変わること。
  • でん:『続本朝往生伝』をさす。

現代語訳

この病者に至っては、避けて汚がる人ばかりで、近づいて看病する人はいるはずもない。もし、私が捨てて去ってしまっていたら、危うく命も尽きてしまったことだろう」

 と言って、この病人をのみ憐れんで助けているうちに、とうとう内裏へ参ることはなかったので、当時の人々はありがたい事だと言っていた。

 この阿闍梨、最期は往生を遂げた。詳しくは『続本朝往生伝』にあり。

『続本朝往生伝』とは

 『続本朝往生伝』とは、平安時代後期の歌人、大江匡房おおえのまさふさ(1041年 – 1111年)がまとめた42人の往生者の伝記です。康和3(1101)年から天永2(1111)年の間に成立したとされています。慶滋保胤よししげのやすたね(933年以後 – 1002年)の『日本往生極楽記(本朝往生伝)』を継ぐものとして書かれたため、「続」となっています。

 慶滋保胤は鴨家の一族で、長明の約200年前のご先祖様。慶滋よししげという姓は、賀茂を「よししげ」と読んで改姓したものと思われます。『日本往生極楽記』のほかに『てい』という著書を残し、こちらは『方丈記』にも大きな影響を与えています。

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この記事を書いた人

『方丈記』に感銘を受けて古典文学にのめり込み、辞書を片手に原文を読みながら、自分の言葉で現代語に訳すことを趣味としています。2024年9月から10年計画で『源氏物語』の全訳に挑戦中です。

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