方丈記「長明の過去と住まい」大原に隠れ住み出家するまで

わかがみ、父方の祖母の家を伝へて

原文

 わかがみ、ちちかたおほの家を伝へて、久しくかの所に住む。その後、縁けて、身おとろへ、しのぶかたがたしげかりしかど、つひに屋とどむる事を得ず。三十みそぢ余りにして、さらにわが心と、ひとつのいほりを結ぶ。

現代語訳

 私は若いころ、父方の祖母の家を受け継いで、長らくその場所に住んでいた。その後、縁が切れ、身は落ちぶれて、思いを寄せる方々も多かったけれど、とうとう家を持ち続けることができなかった。30歳過ぎにして、新たに自分の考えで、一軒の小さな家を建てた。


語釈
  • おとろふ【衰ふ】:落ちぶれる。
  • しのぶ【偲ぶ】:思い慕う。懐かしく思う。
  • かたがた【方方】:人々の敬称。
  • しげし【繁し】:たくさんある。多い。
  • さらに【更に】:新しく。改めて。
  • こころと【心と】:自分の心から。自分からすすんで。
  • いほり【庵】:僧や世捨て人などが住む、草木などでつくった粗末な家。草庵。
  • むすぶ【結ぶ】:造る。

これを、ありし住まひにならぶるに

原文

 これを、ありし住まひにならぶるに、十分が一なり。ばかりをかまへて、はかばかしくをつくるに及ばず。わづかについひぢけりといへども、かどをたつるたづきなし。竹を柱として、車を宿やどせり。雪降り、風吹くごとに、あやふからずしもあらず。所、河原近ければ、水難も深く、はくの恐れもさわがし。

現代語訳

 この家を、以前の住まいと比べると、10分の1である。自分が住む建物だけを構えて、ちゃんとした家を造る必要はない。やっとのことで土塀を築いたとは言うものの、門を立てる手立てがない。竹を柱として、車を入れておく。雪が降ったり、風が吹いたりするたびに、決して危なくないわけではない。その場所は、賀茂川の河原に近いので、水難の程度も大きく、盗賊の恐れも多い。


語釈
  • ありし【有りし・在りし】:過去の。以前の。
  • ならぶ【並ぶ】:比べる。比較する。
  • ゐや【居屋】:住む家。住居。
  • はかばかし【果果し・捗捗し】:しっかりしている。本格的である。きちんとしている。
  • たづき【方便】:手だて。手段。方法。すべ。
  • はくは【白波】:盗賊。『後漢書』の「白波賊(はくはぞく)」の故事から。

すべて、あられぬ世を念じすぐしつつ

原文

 すべて、あられぬ世を念じすぐしつつ、心を悩ませる事、三十余年なり。そのあひだをりをりのたがひめ、おのづから短き運をさとりぬ。すなはち、五十いそぢの春を迎へて、家をで、世をそむけり。もとより妻子なければ、捨てがたきよすがもなし。身に官禄くわんろくあらず、何につけてかしふをとどめん。むなしく大原山の雲にして、またいつかへりのしゆんしうをなんにける。

現代語訳

 総じて、生きづらい世の中をじっと耐え忍んで過ごし続けて、心を悩ませたこと、30年あまりである。その間、事あるごとに思い通りにならない人生、自然とつたない運命を悟ってしまった。そういうわけで、50歳の春を迎えて、家を出て、世を捨てた。ずっと前から妻も子もいなかったので、捨てがたいと思う身寄りもない。身に肩書きも給与もなく、何に対して執着心を残そうか。何も持たずに大原山の雲がかかる山中に隠れ住んで、さらに5年の年月を過ごしたのであった。


語釈
  • あられぬよ【有られぬ世】:住みにくい世の中。
  • ねんじすぐす【念じ過ぐす】:じっと堪え忍んで月日を過ごす。
  • をりをり【折折】:そういう時々。その場合場合。
  • たがひめ【違ひ目】:意に反する事態。
  • おのづから【自ら】:しぜんに。ひとりでに。
  • よをそむく【世を背く】:出家する。
  • よすが【縁・因・便】:たよりとする縁者。
  • くわん【官】:官位。官職。
  • ろく【禄】:某禄。官に任じられている人に与えられる給与。
  • むなし【空し・虚し】:空っぽである。中に何もない。むだである。
  • ふす【伏す・臥す】:ひっそりと住む。かくれ住む。
  • かへり:回数を表す。回。たび。