【全文】鴨長明『方丈記』原文(読みやすいルビ付き)

目次

方丈記(1)ゆく河の流れは絶えずして

 ゆくかはの流れはえずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつむすびて、ひさしくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

 たましきのみやこのうちに、むねを並べ、いらかを争へる、高き、いやしき人のまひは、て尽きせぬものなれど、これをまことかとたづぬれば、むかしありしいへまれなり。あるいは去年こぞ焼けて、今年ことしつくれり。あるいはおほいへほろびていへとなる。

 住む人もこれに同じ。ところも変はらず、人もおほかれど、いにしへ見し人は二、三十人が中に、わづかに一人ひとり二人ふたりなり。あしたに死に、ゆふべに生まるるならひ、ただ水のあわにぞたりける。

 不知しらず、生まれ死ぬる人、何方いづかたより来たりて、何方いづかたへか去る。また不知しらずかり宿やどり、ためにか心を悩まし、なにによりてか目を喜ばしむる。

 そのあるじすみかと、無常むじゃうを争ふさま、いはばあさがほの露にことならず。あるいは露落ちて、花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つ事なし。

方丈記(2)予、ものの心を知れりしより

 、ものの心を知れりしより、四十よそぢ余りのしゆんじうをおくれるあひだに、世のを見る事、ややたびたびになりぬ。

 いんじあんげん三年四月廿八日かとよ。風はげしく吹きて、しづかならざりしいぬの時ばかり、都の東南たつみより火で来て、西北いぬゐに至る。はてにはしゆじやくもんだいこく殿でんだいがくれう民部省みんぶしやうなどまで移りて、ひとのうちにぢんくわいとなりにき。

 もとぐちとみ小路こうぢとかや。まひびと宿やどせるかりよりで来たりけるとなん。吹きまよふ風に、とかく移りゆくほどに、あふぎをひろげたるがごとく、すゑひろになりぬ。とほいへけぶりにむせび、近きあたりはひたすらほのほに吹きつけたり。空にははひを吹き立てたれば、火の光にえいじてあまねくくれなゐなる中に、風に耐へず吹き切られたるほのほ、飛ぶがごとくして、一、二ちやうを越えつつ移りゆく。

 その中の人、うつし心あらむや。あるいはけぶりにむせびてたふし、あるいはほのほにまぐれてたちまちに死ぬ。あるいは身ひとつ、からうじてのがるるも、資財を取りづるに及ばず。しつちんまんぼうさながら灰燼くわいじんとなりにき。そのつひえ、いくそばくぞ。

 そのたび、公卿くぎやういへ十六焼けたり。まして、そのほか、数へ知るに及ばず。すべて、みやこのうち、三分が一に及べりとぞ。男女なんによ死ぬるもの、数十人、ぎうのたぐひ、へんさいを知らず。

 人のいとなみ、皆愚みなおろかなる中に、さしもあやふき京中きやうぢゆういへをつくるとて、たからつひやし、心を悩ます事は、すぐれてあぢきなくぞはべる。

方丈記(3)また、治承四年卯月のころ

 また、治承ぢしやう四年づきのころ、中御門なかのみかど京極きやうごくのほどより、おほきなるつじかぜ起こりて、六条わたりまで吹ける事はべりき。

 三、四ちやうを吹きまくるあひだにこもれるいへども、おほきなるもちひさきも、一つとして破れざるはなし。さながらひらたふれたるもあり、けたはしらばかり残れるもあり。かどを吹きはなちて四、五町がほかに置き、また、かきを吹きはらひて隣と一つになせり。

 いはむや、いへのうちの資財、数を尽くして空にあり、はだふきいたのたぐひ、冬の木の葉の風にみだるがごとし。ちりけぶりのごとく吹き立てたれば、すべて目も見えず、おびたたしく鳴りとよむほどに、もの言ふこゑも聞こえず。かの地獄のごふの風なりとも、かばかりにこそはとぞおぼゆる。

 いへそんまうせるのみにあらず、これを取りつくろあひだに身をそこなひ、かたづける人、数も知らず。この風、ひつじの方に移りゆきて、おほくの人のなげきなせり。

 辻風つじかぜは常に吹くものなれど、かかる事やある。ただ事にあらず。さるべきもののさとしか、などぞうたがはべりし。

方丈記(4)また、治承四年水無月のころ

 また、治承ぢしやう四年づきのころ、にはかにみやこうつはべりき。いと思ひのほかなりし事なり。

 おほかた、このきやうのはじめを聞ける事は、の天皇のおほんときみやこと定まりにけるよりのち、すでに四百余歳をたり。ことなるゆゑなくて、たやすく改まるべくもあらねば、これを、世の人安からず、うれへあへる、にことわりにも過ぎたり。

 されど、とかく言ふかひなくて、みかどより始めたてまつりて、大臣だいじん公卿くぎやう、みなことごとく移ろひたまひぬ。世につかふるほどの人、たれか一人、ふるさとに残りらむ。つかさくらゐに思ひをかけ、主君のかげを頼むほどの人は、一日なりともく移ろはむとはげみ、時を失ひ、世にあまされて、する所なきものは、うれへながらとまりり。

 のきを争ひし人のまひ、日をつつ荒れゆく。いへはこぼたれて、よどがはに浮かび、地は目の前にはたけとなる。人の心、みな改まりて、ただ馬、くらをのみ重くす。牛、車を用する人なし。西さいなんかい領所りやうしよを願ひて、とうぼく庄園しやうゑんを好まず。

方丈記(5)その時、おのづから事のたよりありて

 その時、おのづから事の便たよりありて、の国の今のきやうに至れり。所のありさまを見るに、その地、程狭ほどせばくて、条里でうりを割るにたらず。北は山に沿ひて高く、南は海近くてくだれり。波の音、常にかまびすしく、潮風、ことにはげし。だいは山の中なれば、かのまろ殿どのもかくやと、なかなかやう変はりて、いうなるかたもはべり。

 日々にこぼち、川もに運びくだいへ、いづくにつくれるにかあるらむ。なほむなしき地はおほく、つくれるは少なし。古京はすでに荒れて、新都はいまだならず。ありとしある人は、みなうんの思ひをなせり。

 もとよりこの所にるものは、地を失ひてうれふ。今移れる人は、土木のわづらひある事をなげく。道のほとりを見れば、車に乗るべきは馬に乗り、くわんなるべきはおほひたたれを着たり。みやこり、たちまちに改まりて、ただひなびたる武士もののふことならず。

 世の乱るるずいさうとか聞けるもしるく、日をつつ世の中浮き立ちて、人の心もをさまらず。民のうれへ、つひにむなしからざりければ、同じき年の冬、なほこのきやうかへたまひにき。されど、こぼちわたせりしいへどもは、いかになりにけるにか、ことごとくもとのやうにしもつくらず。

 伝へ聞く、いにしへのかしこには、あはれみをもつて国ををさたまふ。すなわち、殿とのかやきても、のきをだにととのへず。けぶりともしきを見たまふ時は、限りある貢物みつぎものをさへゆるされき。これ、民を恵み、世を助けたまふによりてなり。今の世のありさま、昔になぞらへて知りぬべし。

方丈記(6)また、養和のころとか

 また、やうのころとか、ひさしくなりておぼえず。ふたとせあひだ、世の中かつして、あさましき事はべりき。あるいは春、夏日照り、あるいは秋、大風、洪水などよからぬ事どもうち続きて、五穀ことごとくならず。夏うるいとなみありて、秋刈り、冬をさむるぞめきはなし。

 これによりて、国々の民、あるいは地を捨ててさかひで、あるいいへを忘れて山に住む。さまざまの御祈りはじまりて、なべてならぬ法どもおこなはるれど、さらにそのしるしなし。

 きやうのならひ、何わざにつけても、みなもとは田舍ゐなかをこそ頼めるに、絶えてのぼるものなければ、さのみやはみさをもつくりあへん。念じわびつつ、さまざまのたからもの、かたはしより捨つるがごとくすれども、さらつる人なし。たまたまふるものは、こがねかろくし、あはを重くす。こつじきみちのほとりにおほく、うれへ悲しむ声、耳に満てり。

 まへの年、かくのごとく、からうじて暮れぬ。明くる年は、立ち直るべきかと思ふほどに、あまりさへえきれいうちそひて、まさざまにあとかたなし。ひと、みなけいしぬれば、日をつつきはまりゆくさま、せうすいいをのたとへにかなへり。

 果てには、かさうち、足ひき包み、よろしき姿したるもの、ひたすらにいへごとにありく。かくわびしれたるものどもの、ありくかと見れば、すなはちたふしぬ。ついひぢのつら、道のほとりに、飢ゑ死ぬるもののたぐひ、数も知らず。取り捨つるわざも知らねば、くさき世界に満ち満ちて、変はりゆくかたちありさま、目もあてられぬ事おほかり。いはむや、河原かはらなどには、馬、車のふ道だになし。

方丈記(7)あやしき賊、山賊も力尽きて

 あやしきしづやまがつも力尽きて、たきぎさへともしくなりゆけば、頼むかたなき人は、みづからがいへをこぼちて、いちでて売る。一人が持ちてでたるあたひひとが命にだに及ばずとぞ。

 あやしき事は、たきぎの中に赤き着き、はくなど所々に見ゆる木、相ひまじはりけるをたづぬれば、すべきかたなきもの、ふるでらに至りて、仏を盗み、堂の物の具を破り取りて、割りくだけるなりけり。濁悪世ぢよくあくせにしも生まれあひて、かかる心きわざをなん見はべりし。

 いとあはれなる事もはべりき。さりがたきをとこ持ちたるものは、その思ひまさりて深きもの、必ず先ちて死ぬ。そのゆゑは、わが身はつぎにして、人をいたはしく思ふあひだに、まれまれ得たる食ひ物をも、かれにゆづるによりてなり。されば、親子あるものは定まれる事にて、親ぞ先立ちける。また、母の命尽きたるを知らずして、いとけなき子の、なおを吸ひつつせるなどもありけり。

 にん隆暁法印りうげうほふいんといふ人、かくしつつ数も知らず死ぬる事を悲しみて、そのかうべの見ゆるごとに、ひたひを書きて、縁を結ばしむるわざをなんせられける。ひとかずを知らむとて、四、五両月を数へたりければ、きやうのうち、一条よりは南、九条より北、京極きやうごくよりは西、しゆじやくよりは東の、みちのほとりなるかしら、すべて四万二千三百余りなんありける。いはむや、その前後に死ぬるものおほく、また、河原かはら、白河、西のきやう、もろもろのへんなどをくはへて言はば、際限もあるべからず。いかにいはむや、しちだうしよこくをや。

 とくゐん御位みくらゐの時、長承ちやうじようのころとか、かかるためしありけりと聞けど、その世のありさまは知らず。まのあたり、めづらかなりし事なり。

方丈記(8)また、同じころかとよ

 また、同じころかとよ。おびたたしくおほる事はべりき。

 そのさま、世の常ならず。山は崩れてかはうづみ、海はかたぶきてくがをひたせり。土けて水で、いはほ割れて谷にまろる。なぎさぐ船は波にただよひ、道く馬は足の立ちどをまどはす。

 みやこのほとりには、ざいざいしよしよだうしやたふめう、ひとつとしてまたからず。あるいは崩れ、あるいたふれぬ。ちりはひ立ちのぼりて、さかりなるけぶりのごとし。地の動き、いへの破るる音、いかづちにことならず。いへのうちにれば、たちまちにひしげなんとす。走りづれば、地割れく。羽なければ、空をも飛ぶべからず。龍ならばや、雲にも乗らむ。恐れの中に恐るべかりけるは、ただ地震なゐなりけりとこそ覚えはべりしか。

 かくおびたたしくる事は、しばしにてみにしかども、そのなごり、しばしは絶えず。世の常、驚くほどの地震なゐ、二、三十度ふらぬ日はなし。十日、二十日すぎにしかば、やうやうどほになりて、あるいは四、五度、二、三度、もしは一日まぜ、二、三日に一度など、おほかたそのなごり、つきばかりやはべりけむ。

 だいしゆの中に、水、火、風は常に害をなせど、大地にいたりては、ことなる変をなさず。昔、さいかうのころとか、おほ地震なゐりて、東大寺の仏のぐし落ちなど、いみじき事どもはべりけれど、なほ、このたびにはしかずとぞ。すなはちは、人みなあぢきなき事を述べて、いささか心のにごりもうすらぐと見えしかど、月日重なり、年にしのちは、言葉にかけて言ひづる人だになし。

方丈記(9)すべて、世の中のありにくく

 すべて、世の中のありにくく、わが身とすみかとのはかなくあだなるさま、またかくのごとし。いはむや、所により、身のほどに従ひつつ、心を悩ます事は、あげてかぞふべからず。

 もし、おのれが身、かずならずして、けんもんのかたはらにるものは、深く喜ぶ事あれども、おほきに楽しむにあたはず。なげせちなる時も、こゑをあげて泣く事なし。しん退だい安からず、につけて恐れをののくさま、たとへば、すずめたかの巣に近づけるがごとし。

 もし、貧しくして、富めるいへの隣にるものは、あさゆふすぼき姿を恥ぢて、へつらひつつる。妻子、とうぼくのうらやめるさまを見るにも、の人のないがしろなるしきを聞くにも、心ねんねんに動きて、時として安からず。

 もし、せばき地にれば、近くえんしやうある時、そのさいのがるる事なし。もし、へんにあれば、わうばんわづらひおほく、盜賊の難はなはだし。

 また、いきほひあるものはとんよく深く、独身ひとりみなるものは人にかろめらる。たからあれば恐れ多く、貧しければ恨みせちなり。人を頼めば、身、ほかなり。人をはぐくめば、心、恩愛につかはる。

 世に従へば、身、苦し。従はねば、きやうせるに似たり。いづれの所を占めて、いかなるわざをしてか、しばしもこの身を宿やどし、たまゆらも心を休むべき。

方丈記(10)わかかみ、父方の祖母の家を伝へて

 若上わかかみちちかたおほいへを伝へて、ひさしくかの所に住む。その後、縁けて、身おとろへ、しのぶかたがたしげかりしかど、つひにあととむる事を得ず。三十みそぢ余りにして、さらにわが心と、ひとつのいほりを結ぶ。

 これを、ありしまひにならぶるに、十分が一なり。ばかりをかまへて、はかばかしくをつくるに及ばず。わづかについひぢけりといへども、かどつるたづきなし。竹を柱として、車を宿やどせり。雪降り、風吹くごとに、あやふからずしもあらず。所、河原かはら近ければ、水難も深く、はくの恐れもさわがし。

 すべて、あられぬ世を念じすぐしつつ、心を悩ませる事、三十余年なり。そのあひだをりをりのたがひめ、おのづから短き運をさとりぬ。すなはち、五十いそぢの春を迎へて、家をで、世をそむけり。もとより妻子なければ、捨てがたきよすがもなし。身に官禄くわんろくあらず、何につけてかしふをとどめん。むなしく大原山の雲にして、またいつかへりのしゆんしうをなんにける。

方丈記(11)ここに、六十の露消えがたに及びて

 ここに、六十むそぢの露消えがたに及びて、さらに、すゑ宿やどりを結べる事あり。いはば、旅人のひとの宿をつくり、老いたるかひこのまゆをいとなむがごとし。これを、中ごろのみかにならぶれば、また百分が一に及ばず。とかく言ふほどに、よはひ歳々としどしに高く、みかはをりをりせばし。

 そのいへのありさま、世の常にも似ず。広さはわづかにはうぢやう、高さは七尺がうちなり。所を思ひ定めざるがゆゑに、地を占めてつくらず。つちを組み、うちおほひをきて、つぎごとにかけがねをかけたり。もし、心にかなはぬ事あらば、やすくほかへ移さむがためなり。その改めつくる事、いくばくのわづらひかある。積むところ、わづかに二両。車の力をむくふほかには、さらに他のようとういらず。

 今、日野山の奧にあとをかくしてのち、東に三尺余りのひさしをさして、柴りくぶるよすがとす。南、竹のすのこを敷き、その西にだなをつくり、北にせて障子しやうじをへだてて、の絵像をあんし、そばにげんをかき、まへ花経けきやうを置けり。東のきはわらびのほどろを敷きて、夜のゆかとす。西南に竹のつりだなをかまへて、黒きかは三合を置けり。すなはち、和歌、管絃くわんげん往生要集わうじやうえうしふごときのせうもつを入れたり。かたわらに琴、琵琶、おのおの一ちやうを立つ。いはゆるをりごとつぎこれなり。かりいほりのありやう、かくのごとし。

方丈記(12)その所のさまをいはば

 その所のさまを言はば、南にかけあり。岩を立てて、水をためたり。林、のき近ければ、つまを拾ふにともしからず。名をやまといふ。まさきのかづら、あとうづめり。谷しげけれど、西晴れたり。くわんねんのたより、なきにしもあらず。

 春は、ふぢなみを見る。うんのごとくして、西さいはうににほふ。夏は、郭公ほととぎすを聞く。語らふごとに、やまちぎる。秋は、ひぐらしのこゑ、耳に満てり。うつせみの世を悲しむほど聞こゆ。冬は、雪をあはれぶ。積もり、消ゆるさま、ざいしやうにたとへつべし。

 もし、念仏ものく、読経どきやうまめならぬ時は、みづから休み、みづからおこたる。さまたぐる人もなく、また、恥づべき人もなし。ことさらにごんをせざれども、独りれば、ごうをさめつべし。必ずきんかいを守るとしもなくとも、境界きやうがいなければ何につけてか破らん。

 もし、あとしらなみに、この身をするあしたには、をかふ船をながめて、まんしやぜいをぬすみ、もし、かつらの風、葉を鳴らすゆふべには、じんやうを思ひやりて、げんとくおこなひをならふ。

 もし、きようあれば、しばしば松のひびきしうふうらくをたぐへ、水の音にりうせんの曲をあやつる。芸はこれつたなけれども、人の耳を喜ばしめむとにはあらず。ひとり調べ、ひとりえいじて、みづからこころやしなふばかりなり。

方丈記(13)また、ふもとに一つの芝の庵あり

 また、ふもとに一つの柴のいほりあり。すなはち、このやまもりる所なり。かしこに小童こわらはあり。時々来たりて、あひとぶらふ。もし、つれづれなる時は、これを友として遊行ゆぎやうす。

 かれは十歳、これは六十むそぢ。そのよはひ、ことのほかなれど、心をなぐさむる事、これ同じ。あるいばなを抜き、いはなしを取り、を盛り、せりを摘む。あるいはすそわのにいたりて、おちを拾ひて、ぐみを作る。

 もし、うららかなれば、峰によぢのぼりて、はるかにふるさとの空を望み、はたやまふしの里、つかを見る。勝地しようちぬしなければ、心をなぐさむるにさはりなし。あゆみ、わづらひなく、心、とほくいたる時は、これより峰つづき、すみやまを越え、かさとりを過ぎて、あるいいはまうで、あるいいしやまをがむ。もしはまた、あはの原を分けつつ、せみうたおきなあとをとぶらひ、たなかみがはをわたりて、猿丸大夫さるまろまうちぎみが墓をたづぬ。かへるさには、をりにつけつつ、桜を狩り、紅葉もみぢを求め、わらびり、を拾ひて、かつは仏にたてまつり、かつはいへづととす。

 もし、しづかなれば、窓の月に故人をしのび、猿のこゑそでをうるほす。草むらの蛍は、遠くまき篝火かがりびにまがひ、あかつきの雨は、おのづから木の葉吹く嵐に似たり。やまどりのほろと鳴くを聞きても、父か母かとうたがひ、峰の鹿かせぎの近くれたるにつけても、世にとほざかるほどを知る。あるいはまた、埋火うづみびをかきおこして、おいざめの友とす。恐ろしき山ならねば、ふくろふこゑをあはれむにつけても、山中のけいをりにつけて尽くる事なし。いはむや、深く思ひ、深く知らむ人のためには、これにしもかぎるべからず。

方丈記(14)おほかた、この所に住みはじめし時は

 おほかた、この所に住みはじめし時は、あからさまと思ひしかども、今すでに、いつとせたり。かりいほりもややふるさととなりて、のきくち深く、つちこけむせり。

 おのづから、事のたよりにみやこを聞けば、この山にこもりのち、やむごとなき人のかくれたまへるもあまた聞こゆ。まして、その数ならぬたぐひ、尽くしてこれを知るべからず。

 たびたび炎上えんしやうにほろびたるいへ、また、いくそばくぞ。ただ、仮のいほりのみ、のどけくして恐れなし。ほどせばしといへども、よるゆかあり、昼る座あり。一身を宿やどすに不足なし。

 かむなはちひさき貝をこのむ。これ、事知れるによりてなり。みさごはあらいそる。すなはち、人を恐るるがゆゑなり。われ、また、かくのごとし。事を知り、世を知れれば、願はず、わしらず。ただ、しづかなるを望みとし、うれへなきを楽しみとす。

 すべて、世の人のすみかをつくるならひ、必ずしも事のためにせず。あるいは妻子、けんぞくためにつくり、あるいしんぢつぼういうためにつくる。あるいは主君、師匠、および財宝、牛馬のためにさへこれをつくる。

 われ、今、身のために結べり。人のためにつくらず。ゆゑいかんとなれば、今の世のならひ、この身のありさま、ともなふべき人もなく、頼むべきやつこもなし。たとひ、広くつくれりとも、たれを宿し、誰をかゑん。

方丈記(15)それ、人の友とあるものは

 それ、人の友とあるものは、富めるをたふとみ、ねんごろなるをさきとす。必ずしも、なさけあると、なほなるとをば愛せず。ただ、ちくくわげつを友とせんにはしかじ。

 人のやつこたるものは、しやうばつはなはだしく、おんあつきを先とす。さらに、はぐくみあはれむと、安くしづかなるとをば願はず。ただ、わが身をとするにはしかず。

 いかがとするならば、もし、なすべき事あれば、すなはち、おのが身を使ふ。たゆからずしもあらねど、人を従へ、人をかへりみるよりやすし。もし、ありくべき事あれば、みづからあゆむ。苦しといへども、馬、鞍、牛、車と、心を悩ますにはしかず。

 今、一身をわかちて、二つの用をなす。手のやつこ、足の乗り物、よくわが心にかなへり。身、心の苦しみを知れれば、苦しむ時は休めつ、まめなれば使ふ。使ふとても、たびたび過ぐさず、ものしとても、心を動かす事なし。

 いかにいはむや、常にありき、常にはたらくは、養性やうじやうなるべし。なんぞ、いたづらに休みをらん。人を悩ます、ざいごふなり。いかが、ほかの力をるべき。

方丈記(16)衣食のたぐひ、また同じ

 衣食いしよくのたぐひ、また同じ。ふぢころもあさふすまるにしたがひてはだへをかくし、のおはぎ、峰の、わづかに命をつぐばかりなり。人にまじはらざれば、姿を恥づるいもなし。かてともしければ、おろそかなるほうをあまくす。

 すべて、かやうの楽しみ、富める人に対して言ふにはあらず。ただ、わが身一つにとりて、昔、今とをなぞらふるばかりなり。

 それさんがいはただ心一つなり。心もし安からずは、ざうしつちんよしなく、くう殿でんろうかくも望みなし。今、さびしき住まひ、ひといほり、みづからこれを愛す。おのづからみやこでて、身のこつがいとなれる事を恥づといへども、かへりてここにる時は、ほかぞくぢんする事をあはれむ。

 もし、人、この言へる事をうたがはば、いをと鳥とのありさまを見よ。魚は、水にかず。魚にあらざれば、その心を知らず。鳥は、林を願ふ。鳥にあらざれば、その心を知らず。かんきよも、また同じ。住まずして、たれかさとらむ。

方丈記(17)そもそも、一期の月影傾きて

 そもそもいちつきかげかたぶきて、さんの山のに近し。たちまちに、さんの闇に向かはんとす。何のわざをかかこたむとする。仏の教へたまふおもむきは、事にふれてしふしんなかれとなり。今、さうあんを愛するも、かんせきぢやくするも、さばかりなるべし。いかが、えうなき楽しみを述べて、あたら時を過ぐさむ。

 しづかなるあかつき、このことわりを思ひつづけて、みづから心に問ひて言はく、世をのがれて、山林にまじはるは、心ををさめてみちおこなはむとなり。しかるを、なんぢ、姿はしやうにんにて、心はにごりにめり。すみかはすなはち、浄名居士じやうみやうこじの跡をけがせりといへども、たもつところは、わづかにしゅはんどくぎやうにだに及ばず。

 もし、これ、ひんせんむくいのみづから悩ますか、はたまたまうしんのいたりてきやうせるか。その時、心、更に答ふる事なし。ただ、かたはらにぜつこんをやとひて、不請ふしやうぶつ、両三べん申してやみぬ。

 時に、建暦けんりゃくふたとせ弥生やよひのつごもりころ、さうもんれんいんやまいほりにして、これをしるす。

参考書籍

  • 浅見和彦『方丈記』(2011年 ちくま学芸文庫)
  • 浅見和彦『方丈記』(笠間書院)
  • 安良岡康作『方丈記 全訳注』(1980年 講談社)
  • 簗瀬一雄訳注『方丈記』(1967年 角川文庫)
  • 小内一明校注『(影印校注)大福光寺本 方丈記』(1976年 新典社)
  • 市古貞次校注『新訂方丈記』(1989年 岩波文庫)
  • 佐藤春夫『現代語訳 方丈記』(2015年 岩波書店)
  • 中野孝次『すらすら読める方丈記』(2003年 講談社)
  • 濱田浩一郎『【超口語訳】方丈記』(2012年 東京書籍)
  • 城島明彦『超約版 方丈記』(2022年 ウェッジ)
  • 小林一彦「NHK「100分 de 名著」ブックス 鴨長明 方丈記」(2013年 NHK出版)
  • 木村耕一『こころに響く方丈記 鴨長明さんの弾き語り』(2018年 1万年堂出版)
  • 水木しげる『マンガ古典文学 方丈記』(2013年 小学館)
  • 五味文彦『鴨長明伝』(2013年 山川出版社)
  • 堀田善衛『方丈記私記』(1988年 筑摩書房)
  • 梓澤要『方丈の狐月』(2021年 新潮社)
  • 『京都学問所紀要』創刊号「鴨長明 方丈記 完成八〇〇年」(2014年 賀茂御祖神社(下鴨神社)京都学問所)
  • 『京都学問所紀要』第二号「鴨長明の世界」(2021年 賀茂御祖神社(下鴨神社)京都学問所)

 実際に読んだ『方丈記』の関連本を以下のページでご紹介しております。『方丈記』を初めて読む方にも、何度か読んだことがある方にもオススメの書籍をご紹介しておりますので、ぜひご覧ください♪

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この記事を書いた人

『方丈記』に感銘を受けて古典文学にのめり込み、辞書を片手に原文を読みながら、自分の言葉で現代語に訳すことを趣味としています。2024年9月から10年計画で『源氏物語』の全訳に挑戦中です。

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