美しき女武者、巴御前
木曾殿は信濃より、巴、山吹とて二人の便女を具せられたり
木曾殿は信濃より、巴、山吹とて二人の便女を具せられたり。山吹は労りあって都にとどまりぬ。中にも巴は、色白く髪長く、容顔まことにすぐれたり。ありがたき強弓、精兵、馬の上、かちだち、打ち物もっては鬼にも神にもあはうどいふ一人当千の兵なり。
木曾殿は信濃で挙兵した時から、巴、山吹という二人の侍女を連れておられた。山吹は病気になって都にとどまった。中でも巴は、色白で髪が長く、顔立ちはまことに美しかった。世にそうそういない剛弓の名手であり、えり抜きの精鋭。騎馬でも徒歩でも戦いとなれば、太刀を持って鬼でも神でも相手にしようという一人当千の勇士である。
- しなの【信濃】:現在の長野県。義仲は治承4(1180)年9月7日、信濃の木曾で挙兵した。
- びんぢょ【便女】:武将の身の回りの世話(性行為も含む)をする女。
- ぐす【具す】:連れる。伴う。
- いたはり【労り】:病気。疲労。
- ようがん【容顔】:顔立ち。顔かたち。
- ありがたし【有り難し】:(めったにないほど)尊くすぐれている。感心である。
- つよゆみ【強弓】:張りが強い剛弓を引きこなす弓の名手。
- せいびゃう【精兵】:すぐれた強い武士。とくに、強い弓を引く者。
- かちだち【徒立ち・歩立ち】:徒歩での戦い。
- うちもの【打ち物】:太刀、薙刀のように、相手を打ち切る武器。
- あふ【会ふ・逢ふ・遭ふ】:対抗する。立ち向かう。相争う。
- いちにんたうぜん【一人当千】:一人で千人の敵に対抗できるほどの力や勇気を持っていること。
究竟の荒馬乗り、悪所落とし、戦といへば
究竟の荒馬乗り、悪所落とし、戦といへば、札よき鎧着せ、大太刀、強弓持たせて、まづ一方の大将には向けられけり。度々の高名、肩を並ぶるものなし。されば今度も多くのものども落ちゆき討たれける中に、七騎が内まで巴は討たれざりけり。
極めてすぐれている女武者で、荒馬を巧みに乗りこなし、足場の悪い難所も馬で駆け下りる。戦となれば強靭な札で仕立てた頑丈な鎧を着せられ、大太刀と強弓を持たされて、真っ先に一軍の大将として敵に差し向けられた。たびたび手柄を立てた評判は、肩を並べるものがいない。それで今度の戦でも、多くのものが敗走し、討たれていく中、残り7騎になっても巴は討たれなかった。
- くっきゃう【究竟】:(武芸・体力などが)極めてすぐれていること。
- あらうまのり【荒馬乗り】:荒馬を自由に乗りこなすことができる者。
- あくしょおとし【悪所落とし】:急坂などの足場の悪い難所を馬に乗って駆け下りることができる馬術の名手。。
- さね【札】:鎧の主要部をなす短冊形の革製または鉄製の板。
- おつ【落つ】:敗北して逃亡する。
今井四郎兼平との約束
木曾は長坂を経て、丹波路へおもむくとも聞こえけり
木曾は長坂を経て、丹波路へおもむくとも聞こえけり。また、竜花越にかかって北国へとも聞こえけり。かかりしかども、今井がゆくへを聞かばやとて、勢田の方へ落ちゆくほどに、今井四郎兼平も八百余騎で勢田をかためたりけるが、わづかに五十騎ばかりに討ちなされ、旗をば巻かせて、主のおぼつかなきに、都へとってかへすほどに、大津の打出の浜にて木曾殿にゆきあひたてまつる。互ひになか一町ばかりよりそれと見知って、主従駒をはやめて寄りあうたり。
木曾は長坂を経由して、丹波路に向かうと噂されていた。また、竜花越えをして北国へ行くとも言われていた。しかし木曾は、今井の行方を探ろうと勢田の方へと落ちてゆく。今井四郎兼平は約800騎で勢田を守りかためていたが、わずか50騎ほどの軍勢に討ち破られ、旗を巻き納めて、主君の安否を心配するあまり都へと引き返す。そうしているうちに、大津の打出の浜で木曾殿と偶然に出会われた。お互いに1町ほど離れた距離で相手がわかり、木曾殿と今井は足早に駆け寄りあった。
- ながさか【長坂】:現在の京都市北区鷹峯から北へ釈迦谷山、城山を越えて杉坂に至る山道。
- たんばぢ【丹波路】:現在の京都市西京区大枝の老の坂から亀岡を経て播磨へ入る道。
- りゅうげごえ【竜花越】:現在の京都市左京区大原から滋賀県大津市へと越える北陸への道。途中越。
- せた【勢田】:現在の滋賀県大津市瀬田。
- はたをまく【旗を巻く】:軍旗を巻き納めること。戦意喪失した敗軍のさまを示す。
- おぼつかなし【覚束なし】:気がかりだ。心配だ。心細い。
- うちでのはま【打出の浜】:現在の滋賀県大津市松本町の琵琶湖岸。
- ゆきあふ【行き合ふ・行き逢ふ】:偶然に出会う。
- ちゃう【町】:1町は約109メートル。
- しゅうじゅう【主従】:主君と家来。主人と従者。
木曾殿、今井が手を取ってのたまひけるは、
木曾殿、今井が手を取ってのたまひけるは、「義仲、六条河原でいかにもなるべかりつれども、なんぢがゆくへの恋しさに、多くの敵の中を駆け割って、これまでは逃れたるなり」。今井四郎、「御諚まことにかたじけなう候ふ。兼平も勢田で討ち死につかまつるべう候ひつれども、御ゆくへのおぼつかなさにこれまで参って候ふ」とぞ申しける。木曾殿、「契りはいまだ朽ちせざりけり。義仲が勢は敵におしへだてられ、山林に馳せ散ってこの辺にもあるらんぞ。汝が巻かせて持たせたる旗あげさせよ」とのたまへば、今井が旗を差しあげたり。
木曾殿、今井の手を取って仰せられたことは、「義仲、六条河原で死ぬつもりであったが、お前の行方が恋しいあまり、多くの敵の中を駆け割って、ここまでは逃れた」。今井四郎は、「お言葉まことにありがとうございます。兼平も勢田で討ち死にいたすつもりでございましたが、殿の行方が心配でここまで参りました」と申し上げた。木曾殿が、「約束はまだ朽ちていない。義仲の軍は敵に押し隔てられ、山林に馳せ散ってこの辺りにいるだろうよ。お前が巻き納めて持たせている旗をあげさせよ」とおっしゃると、今井が旗を空高くあげた。
- のたまふ【宣ふ】:〘言ふの尊敬語〙おっしゃる。仰せになる。
- ろくでうかはら【六条河原】:現在の五条通から正面通の辺りを流れる鴨川の河原。古くから処刑場だった。
- いかにもなる【如何にもなる】:「死ぬ」を婉曲にいう言葉。
- ごぢゃう【御諚】:身分が高い人の命令。仰せ。
- かたじけなし【辱し・忝し】:ありがたい。
- おぼつかなし【覚束なし】:気がかりだ。心配だ。心細い。
- さしあがる【差し上がる】:空高くあがる。。
京より落つる勢ともなく、勢田より落つる者ともなく、
京より落つる勢ともなく、勢田より落つるものともなく、今井が旗をみつけて三百余騎ぞ馳せ集まる。木曾大いに悦んで、「この勢あらば、などか最後の戦せざるべき。ここにしぐらうで見ゆるは誰が手やらん」。「甲斐の一条次郎殿とこそ承り候へ」。「勢はいくらほどあるやらん」。「六千余騎と聞こえ候へ」。「さてはよい敵ござんなれ。同じう死なば、よからう敵にかけあうて、大勢の中でこそ討ち死にをもせめ」とて、まっさきにこそ進みけれ。
すると都から落ちてきた軍勢でもなく、勢田の方面から落ちてきた者でもなく、今井の旗を見つけて約300騎が馳せ集まった。木曾は大いに喜んで、「これだけの勢力があるならば、どうして最期の戦をしないでいられようか。ここに密集して見えるのは誰の手勢か」。「甲斐の一条次郎と聞いております」。「勢力はどれぐらいか」。「約6,000騎とのことです」。「それはふさわしい敵であろうことよ。どうせ死ぬなら、張り合いのある敵とやり合って、大軍の中でこそ討ち死にしようや」といって、真っ先に攻め進んだ。
- などか:どうして⋯か。なぜ⋯か。
- しぐらふ:密集する。集まっている。
三百余騎で六千余騎を駆け破る義仲軍
木曾左馬頭、その日の装束には、
木曾左馬頭、その日の装束には、赤地の錦の直垂に唐綾縅の鎧着て、鍬形打ったる甲の緒締め、厳物作りの大太刀帯き、石打ちの矢の、その日のいくさに射て少々残ったるを頭高に負ひなし、滋籐の弓持って、聞こゆる木曾の鬼葦毛といふ馬の、極めて太うたくましいに、金覆輪の鞍置いてぞ乗ったりける。
木曾左馬頭のその日の装束は、赤地の錦の直垂に唐綾縅の鎧を着て、鍬形を打ちつけた兜の緒を締めて、見るからにいかつい大太刀を腰にさし、その日の戦で射て少し残っている石打ちの羽の矢を肩ごしに高々と見えるように背負い、滋籐の弓を持って、かの有名な「木曾の鬼葦毛」という極めて太くたくましい馬に、金で装飾した立派な鞍を置いて乗っていた。
- さまのかみ【左馬頭】:左馬寮(宮中で馬の飼育・調教をつかさどる役所)の長官。
- ひたたれ【直垂】:武士の礼服。現在、相撲の行司が着用している衣服。
- からあや【唐綾】:中国渡来の綾織物。
- をどし【縅・威】:鎧の札(さね)を組紐や革紐などで結び合わせること。
- からあやをどしのよろい【唐綾縅の鎧】:唐綾で札をつづった鎧。華麗で気品高く、身分ある武将が着用した。
- くはがた【鍬形】:兜に前面についている2本の角。
- を【緒】:糸や紐などの総称。
- いかものづくり【厳物作り・怒物作り】:見るからに威厳のあるつくり。
- はく【佩く・帯く】:刀剣などを腰につける。
- いしうち【石打ち】:「石打ちの羽」の略。鷲などの尾の両端の羽。強固で上等な矢羽として使われた。
- かしらだか【頭高】:矢を背負った時に、長い矢が肩ごしに高々と見えるさま。
- おふ【負ふ】:背負う。
- しげどう【滋籐・重籐】:弓の束(つか)を漆で塗り、その上に籐を幾重にも巻きつけて補強したもの。
- きこゆる【聞こゆる】:有名な。世間で評判の。
- おにあしげ【鬼葦毛】:鬼は強さを表す接頭語。葦毛は馬の毛色の一種で、白い毛に黒や濃い褐色の毛が混じったもの。
- きんぷくりん【金覆輪】:鞍や刀の鞘などを金で縁どりして装飾したもの。
鐙踏んばり立ちあがり、大音声をあげて名乗りけるは、
鐙踏んばり立ちあがり、大音声をあげて名乗りけるは、「昔は聞きけんものを、木曾の冠者、今は見るらん、左馬頭兼伊予守、朝日の将軍源義仲ぞや。甲斐の一条次郎とこそ聞け。互ひによい敵ぞ。義仲討って、兵衛佐に見せよや」とて、喚いて駆く。
一条の次郎、「ただ今名乗るは大将軍ぞ。あますなものども、もらすな若党、討てや」とて、大勢の中に取りこめて、我討っ取らんとぞ進みける。
義仲は鐙を踏ん張って立ち上がり、大声をあげて名乗った。「昔は聞いたことがあるだろうよ、木曾の冠者という者を。今は目の前に見るであろう、左馬頭であり伊予守、朝日の将軍義仲ぞ! 貴様は甲斐の一条次郎と聞いているが、互いに好敵手ぞ。この義仲を討って、兵衛佐に見せたらどうや!」と大声で叫びなから馬で突進する。
一条の次郎は、「ただいま名乗ったのは大将軍ぞ。討ち残すな皆の者、取り逃がすな若者ども、討てやおらあ!」と号令をかけて義仲を大勢の軍勢の中に囲い込み、我こそは討ち取らんと攻め進んだ。
- あぶみ【鐙】:鞍の両わきにかけ、足を踏みかけるもの。
- くゎんじゃ【冠者】:元服を迎えた若者。義仲は入京して任官するまでは無位無官で、「木曾の冠者」と呼ばれていた。
- あさひのしゃうぐん【朝日の将軍】:義仲の異称。彗星のように現れて平家を都落ちさせたことから朝日将軍と称えられた。
- いちでうじろう【一条次郎】:一条忠頼。甲斐源氏武田氏の一族。元暦元(1184)年に頼朝の命で暗殺された。
- ひゃうゑのすけ【兵衛佐】:兵衛府(天皇の身辺や宮中の敬語をつかさどる役所)の次官。
- をめく【喚く】:大声で叫ぶ。わめく。
- かく【駆く】:馬に乗って走る。馬で疾走する。
- あます【余す】:討ち残す。
- もらす【漏らす・洩らす】:取り逃がす。
木曾三百余騎、六千余騎が中を縦様、
木曾三百余騎、六千余騎が中を縦様、横様、蜘蛛手、十文字に駆け割って、後ろへつっと出でたれば、五十騎ばかりになりにけり。そこを破ってゆくほどに、土肥の二郎実平、二千余騎で支へたり。それをも破ってゆくほどに、あそこでは四五百騎、ここでは二三百騎、百四五十騎、百騎ばかりが中を駆け割り駆け割りゆくほどに、主従五騎ほどにぞなりにける。
木曾の300余騎は、6,000余騎もの敵軍の中を縦、横、四方八方、十字に馬で駆けまわり、後ろへさっと抜け出たところ、木曾の軍勢は50騎ほどになってしまった。そこを打ち破っていくと、土肥の二郎実平が2,000余騎で防ぎ止めている。それをも打ち破っていくと、あそこでは400~500騎、ここでは200~300騎の軍勢。140~150騎、100騎ばかりの中をどんどん駆け破っていくうちに、とうとう木曾と従者の5騎になってしまった。
- くもで【蜘蛛手】:四方八方。
- つっと:さっと。急に。
- とひのじらうさねひら【土肥の二郎実平】:土肥実平。相模土肥氏の祖であり、小早川氏の祖とされる武将。
- ささふ【支ふ】:はばむ。防ぎ止める。
- しゅうじゅう【主従】:主君と家来。主人と従者。
五騎が内まで巴は討たざれけり。
五騎が内まで巴は討たれざれけり。木曾殿、「おのれはとうとう、女なればいづちへもゆけ。我は討ち死にせんと思ふなり。もし人手にかからば自害をせんずれば、木曾殿の最後のいくさに、女を具せられたりけりなんど言はれん事もしかるべからず」とのたまひけれども、なほ落ちもゆかざりけるが、あまりに言はれ奉て、「あっぱれ、よからうかたきがな。最後のいくさして見せ奉らん」とてひかへたるところに、武蔵国に聞こえたる大力、恩田の八郎師重、三十騎ばかりで出できたり。
巴、その中へ駆け入り、恩田の八郎に押し並べて、むずと取って引き落とし、我が乗ったる鞍の前輪に押し付けてちっとも働かさず、首ねぢ切って捨ててんげり。その後、物具脱ぎ捨て、東国の方へ落ちぞゆく。手塚太郎討ち死にす。手塚別当落ちにけり。
5騎になっても巴は討たれていなかった。木曾殿は「お前はさっさと、女なのだからどこへでも行け。我は討ち死にしようと覚悟している。もし敵の手にかかろうものなら自害をするつもりだ。『木曾殿は最後のいくさに女を連れていた』などと言われるようなことがあってはならん」とおっしゃったが、巴はそれでも逃げようとしなかった。木曾殿が何度もおっしゃるので、「ああ、ふさわしい敵はいないのでしょうか。最後のいくさをお見せしたい」と待ちかまえているところに、武蔵の国で名高い大力の持ち主、恩田八郎師重が30騎ほどで現れた。
巴はその軍勢の中へ攻め入り、恩田八郎と馬を押し並べて、勢いよく馬から引きずり落とし、自分が乗っている鞍の前輪に押し付けて少しも身動きさせず、首をねじり切って捨ててしまった。その後、武具を脱ぎ捨てて東国の方へと落ちていった。手塚太郎は討ち死にした。手塚別当も落ちていった。
- とうとう【疾う疾う】:早く。さっさと。
- ぐす【具す】:連れ添う。一緒に行く。
- のたまふ【宣ふ】:〘言ふの尊敬語〙おっしゃる。仰せになる。
- だいぢから【大力】:力が極めて強いこと。。
- むずと:力を込めて勢いよく。
- はたらかす【働かす】:身動きさせる。
木曾義仲と今井四郎兼平の最期
今井四郎、木曾殿、主従二騎になってのたまひけるは、
今井四郎、木曾殿、主従二騎になってのたまひけるは、「日ごろは何とも覚えぬ鎧が、今日は重うなったるぞや」。今井四郎申しけるは、「御身もいまだ疲れさせたまはず。御馬も弱り候はず。何によってか一領の御着背長を重うは思し召し候ふべき。それは御方に御勢が候はねば、臆病でこそさは思し召し候へ。兼平一人候ふとも、余の武者千騎と思し召せ。矢七つ八つ候へば、しばらく防き矢仕らん。あれに見え候ふ、粟津の松原と申す。あの松の中で御自害候へ」とて、打ってゆくほどに、また新手の武者五十騎ばかり出できたり。
今井四郎と木曾殿の主従2騎となっておっしゃるのは、「普段は何とも思わない鎧の重みが、今日は重くなったように感じるぞ」。今井四郎が申す、「お体はまだ疲れてはいないはず。馬もまだ弱っていないでしょう。何によって殿の大きな鎧が重いと感じられるのでしょうか。それは殿に勢力がありませんので、臆病からそう思われるのではありませんか。兼平が一人おりますとも。我を武者1,000騎とお思いください。矢が7~8本あれば、しばらくは防ぐことができましょう。あそこをご覧ください。粟津の松原という場所です。あの松の中で、ご自害なされませ」といって攻め入ると、また新たに50騎ほどの武者が出てきたのであった。
- きせなが【着背長】:おもに大将が着用する大きな鎧。
君はあの松原へ入らせ給へ
「君はあの松原へ入らせ給へ。兼平はこの敵防き候はん」と申しければ、木曾殿のたまひけるは、「義仲、都にていかにもなるべかりつるが、これまで逃れくるは、汝と一所で死なんと思ふ為なり。所々で討たれんよりも、一所でこそ討ち死にをもせめ」とて、馬の鼻を並べて駆けんとしたまへば、今井四郎馬より飛び降り、主の馬の口に取りついて申しけるは、「弓矢取りは、年ごろ日ごろいかなる高名候へども、最後の時不覚しつれば、長き疵にて候ふなり。御身は疲れさせ給ひて候ふ。続く勢は候はず。敵に押し隔てられ、言ふかひなき人、郎等に組み落とされさせ給ひて、討たれさせ給ひなば、『さばかり日本国に聞こえさせ給ひつる木曾殿をば、それがしが郎等の討ち奉たる』なんど申さん事こそ口惜しう候へ。ただあの松原へ入らせ給へ」と申しければ、木曾、「さらば」とて、粟津の松原へぞ駆けたまふ。
「殿はあの松原へお入りください。兼平はこの敵勢を防ぎ止めます」と申すと、木曾殿がおっしゃるには、「義仲、都にて死を覚悟していたが、ここまで逃れてきたのは汝と同じ場所で死のうと思ったからだ。別々の場所で討たれるよりも、同じ場所でこそ死のうではないか」といって馬の鼻を並べて駆けられると、今井四郎が馬から飛び降りて、木曾殿の馬の口に取り付いて申した。「武人というものは、年ごろ日ごろ、どんなに高名を立てておりましても、最期のときが思い通りでなければ、長らく恥として残ります。お体はお疲れになっております。続く味方はいません。敵に押し隔てられて、取るに足らない郎等に組み落とされて討たれなさったら、『これほど日本国に名を上げた木曾殿をば、どこそこの郎等が討ったぞ』などと申されることとなり残念でなりません。すぐあの松原へお入りください」と申すと、木曾は「さらばだ」と粟津の松原へと駆けていかれた。
- きず【疵】:不名誉。恥。
今井四郎只一騎、五十騎ばかりが中へ駆け入り、
今井四郎只一騎、五十騎ばかりが中へ駆け入り、鐙踏んばり立ちあがり、大音声あげて名乗りけるは、「日来は音にも聞きつらん、今は目にも見給へ。木曽殿の御乳母子、今井四郎兼平、生年三十三にまかりなる。さる者ありとは鎌倉殿までも知ろし召されたるらんぞ。兼平討って見参にいれよ」とて射残したる八筋の矢を、差し詰め引き詰め散々に射る。死生は知らず、やにはに敵八騎射落とす。その後、打ち物抜いて、あれに馳せ合ひ、これに馳せ合ひ切って回るに、面を合はする者ぞなき。分捕りあまたしたりけり。ただ、「射取れや」とて中に取りこめ、雨の降るやうに射けれども、鎧よければ裏かかず、あき間を射ねば手も負はず。
今井四郎はたった1騎で50騎ばかりの軍勢の中へ懸け入り。鐙を踏ん張って立ち上げリ、大声で名乗った。「日ごろは聞いたことあるだろう。今はその目で見たまえ。木曾殿の乳母子、今井四郎兼平、生年33歳。さる者ありとは鎌倉殿もご存知であろうぞよ。さあ兼平を討って、鎌倉殿のお目にかけるがいい」といって残り8本の矢を次々に射った。死生はわからないが、敵を8騎射落とした。その後、太刀を抜いてあちこち斬ってまわると、正面から立ち向かってくる者はいない。討ち取った首は多数。敵はただ、「射ろ。討て」と今井を取り囲み、雨のように矢を降らせるけれども、頑丈な鎧の裏までは刺さらず、すき間を狙っても手すら傷を負わない。
- さしつめひきつめ【差し詰め引き詰め】:矢を次から次へとつがえるさま。
木曽殿は只一騎、粟津の松原へ駆け給ふが、
木曽殿は只一騎、粟津の松原へ駆け給ふが、正月廿一日、入り相ばかりの事なるに、薄氷は張ったりけり、深田ありとも知らずして、馬をざっと打ち入れたれば、馬の頭も見えざりけり。あふれどもあふれども、打てども打てども働かず。今井が行方の覚束なさに振り仰ぎ給へる内甲を、三浦の石田次郎為久、追っかかって、よっ引いて、ひゃうふっと射る。痛手なれば、真っ向を馬の頭に当ててうつぶし給へる処に、石田が郎等二人落ちあうて、遂に木曽殿の首をば取ってんげり。
木曾殿はただ1騎で粟津の松原へと駆けていかれたが、1月21日、日没のころであった。薄い氷が張っていて、その下に深い田があるとは知らず、馬でざっと乗り入れると、馬の頭も見えないほど沈んでしまった。鐙で馬の腹を何度も蹴っても、鞭を打っても打っても動かない。今井の行方が気になって振り向く兜を、三浦の石田次郎為久が追いかけて、弓を力強く引いてひゃうふっと射た。それが痛手となり、真っ向から馬の頭に当ててうつぶしているところに、石田が郎等二人と落ち合って、とうとう木曾殿の首を取った。
- いりあひ【入り相】:日没の頃。
- あふる【煽る】:馬を速く走らせようと鐙で馬のわき腹などを蹴る。
- ひゃうふっと:矢が音を立てて飛び、物に命中する音の形容。
- だいぢから【大力】:力が極めて強いこと。。
- むずと:力を込めて勢いよく。
- はたらかす【働かす】:身動きさせる。
太刀の先に貫き、高く差し上げ、
太刀の先に貫き、高く差し上げ、大音声をあげて「この日頃、日本国に聞こえさせ給つる木曽殿を、三浦の石田次郎為久が討ち奉りたるぞや。」と名乗りければ、今井四郎、軍しけるがこれを聞き、「今は誰を庇はんとてかいくさをもすべき。これを見給へ東国の殿原。日本一の剛の者の自害する手本。」とて、太刀の先を口に含み、馬より逆さまに飛び落ち、貫かつてぞ失せにける。さてこそ粟津のいくさはなかりけれ。
木曾殿の首を太刀の先に貫き、高くあげて、大声をあげて「この日ごろ、日本国に名を轟かせている木曾殿を、三浦の石田次郎為久が討ち取りましたぞ」と名乗れば、今井四郎は戦いながらこれを聞き、「今は誰をかばって戦う必要があろうか。これを見たまえ、東国の者どもよ。日本一の強者がする自害の手本を」といって太刀の先を口にくわえ、馬から逆さまに飛び落ち、体を貫かせて死んだ。こうして粟津の合戦が終わった。
- とうとう【疾う疾う】:早く。さっさと。
- ぐす【具す】:連れ添う。一緒に行く。
- のたまふ【宣ふ】:〘言ふの尊敬語〙おっしゃる。仰せになる。
- だいぢから【大力】:力が極めて強いこと。。
- むずと:力を込めて勢いよく。
- はたらかす【働かす】:身動きさせる。