源氏物語「桐壺」(9)藤壺への思慕|語注・原文・現代語訳

華やかな左大臣家の勢い

その夜、大臣の御里に

原文

 その夜、大臣おとどの御さとに源氏の君まかでさせたまふ。ほふにめづらしきまで、もてかしづききこえたまへり。いときびはにておはしたるを、ゆゆしううつくしとおもひきこえたまへり。女ぎみはすこしぐしたまへるほどに、いとわかうおはすればげなうづかしとおぼいたり。

語釈
  • さと【里】:家。
  • まかづ【罷づ】:「行く」「来」の丁寧語。出かけます。参ります。
  • さほふ【作法】:婿として迎える婚礼。
  • もてかしづく【もて傅く】:大切にもてなす。
  • きびは:いかにもまだ若いようす。
  • ゆゆし:はばかられる。おそれおおい。程度がはなはだしい。不吉だ。
  • うつくし【愛し・美し】:かわいらしい。愛らしく美しい。
  • すぐす【過ぐす】:年齢が上である。ふける。
  • にげなし【似げ無し】:不釣り合い。

現代語訳

 その夜、大臣の御邸宅へ源氏の君はお越しになりました。婚礼の作法は世に珍しいほど立派にして、大切におもてなしなさいました。いかにもあどけない美少年という様子でおいでになるのを、大臣は不吉なほど美しいと思われました。姫君はすこし年上でいらっしゃるので、源氏の君があまりに若くお見えになるのが不釣り合いで恥ずかしいと思われるのでした。

この大臣の御おぼえいとやむごとなきに

原文

 この大臣おとどの御おぼえいとやむごとなきに、母宮、内裏うちのひとつ后腹きさいばらになんおはしければ、いづかたにつけてもいとはなやかなるに、この君さへかくおはしひぬれば、春宮とうぐうの御祖父おほぢにて、つひに世中よのなかを知りたまふべき右大臣みぎのおとどの御いきほひは、ものにもあらずされたまへり。

語釈
  • おぼえ【覚え】:信任。人望。
  • やむごとなし:並々でない。格別だ。
  • ははみや【母宮】:大臣の妻。姫君の母。
  • うち【内裏】:帝。
  • ひとつきさいばら【一つ后腹】:同じ皇后を母とする皇子・皇女。帝と母宮は兄妹。
  • いづかた【何方】:どちら。
  • そふ【添ふ】:付け加わる。
  • とうぐう【東宮・春宮】:皇太子の御殿。帝の第一皇子、弘徽殿女御の子のこと。
  • よのなかをしる【世中を知る】:世の中を治める。
  • みぎのおとど【右大臣】:第一皇子の祖父。源氏の君の義父は左大臣。
  • いきほひ【勢ひ】:ほかを圧倒する力。権勢。
  • ものにもならず【物にもならず】:問題にもならない。

現代語訳

 この大臣は帝の御信任が大変厚い上に、姫君の母宮は、帝と同じ后の腹にお生まれになった兄妹でいらっしゃるのです。大臣と母宮のどちらにつけても、極めて華やかな御血統であるところに、この源氏の君までこのように婿として迎えられました。春宮の御祖父であり、とうとう世の中を治められるはずであった右大臣の御権勢は、問題にもならないほど圧倒されてしまいました。

御子どもあまた腹々にものしたまふ

原文

 おんどもあまた腹々はらばらにものしたまふ。宮の御はら蔵人少将くらうどのせうしやうにていとわかうをかしきを、右大臣みぎのおとどの、御なかはいとよからねど、え見過みすぐしたまはで、かしづきたまふ四君しのきみにあはせたまへり。劣らずもてかしづきたるは、あらまほしき御あはひどもになむ。

語釈
  • ものす【物す】:露骨に表現するのを避ける言い方。
  • くらうどのせうしゃう【蔵人少将】:母宮と同じ腹。姫君の兄。
  • をかし:すぐれている。美しい。
  • かしづく【傅く】:大切に育てる。
  • しのきみ【四の君】:右大臣家の四女。第一皇子の母である弘徽殿女御の妹。
  • あはす【合はす】:結婚させる。
  • あらまほし【有らまほし】:理想的だ。好ましい。望ましい。
  • あはひ【間】:間柄。仲。組み合わせ。

現代語訳

 左大臣は子どもたちを大勢の腹々にものしていらっしゃいます。姫君と同じ母宮がお生みになった男子は、蔵人少将というこれまた若く美しい男子です。右大臣は、左大臣との御仲はあまりよろしくありませんでしたが、この少将を見過ごそうにも見過ごすことができず、大切に育てられている四の君に婿として迎えられました。左大臣に劣らず、少将を大切にもてなされているのは、両家ともまことに理想的な婿と舅の御間柄でございます。

藤壺を思う光る君

源氏の君は、上の常に召しまつはせば

原文

 源氏の君は、うへの常にしまつはせば、心やすくさとみもえしたまはず。心のうちには、ただ藤壺ふぢつぼの御ありさまをたぐひなしとおもひきこえて、さやうならん人をこそめ、る人なくもおはしけるかな。大殿おほいとのの君、いとをかしげにかしづかれたる人とはゆれど、心にもつかずおぼえたまひて、をさなきほどの心ひとつにかかりて、いと苦しきまでぞおはしける。

語釈
  • めしまつはす【召し纏はす】:貴人が、愛する目下の人をお呼び寄せになり、側にいさせる。
  • さとづみ【里住み】:宮仕えをしている人が宮中から下がって自分の家で過ごすこと。
  • みる【見る】:妻とする。
  • おほいとの【大殿】:大臣の敬称。
  • をかしげ【をかし気】:かわいらしく見えるさま。
  • かしづく【傅く】:大切に育てる。
  • こころにつく【心に付く】:気にいる。心にかなう。
  • かかる【懸かる・掛かる】:すがる。

現代語訳

 源氏の君は、帝が常にお召し寄せて側にいさせるので、ゆっくり姫君とお過ごしになることもできません。心のうちには、ただ藤壺の宮の御ありさまを世に類なき人と思われて、さようになるであろう人をこそ妻にしたいのですが、似る人もまあいらっしゃらないものです。左大臣殿の姫君は、いかにも姫君らしく大切に守られてきた人とは見えますが、心にもかなわないと感じられて、幼き頃に抱いた藤壺の宮への心一筋にすがって、ひどく苦しいまでに思い悩んでおられました。

大人になりたまひて後は

原文

 大人おとなになりたまひて後は、ありしやうに御簾みすうちにもれたまはず。御あそびの折々をりをりこと、笛のに聞こえかよひ、ほのかなる御こゑなぐさめにて、内裏うちみのみこのましうおぼえたまふ。五六日さぶらひたまひて、おほい殿とのに二三日など、えにまかでたまへど、ただ今はをさなき御ほどに、つみなくおぼしなして、いとなみかしづききこえたまふ。御方々おんかたがたの人々、世中よのなかにおしなべたらぬをりととのへすぐりてさぶらはせたまふ。御心につくべき御あそびをし、おほなおほなおぼしいたつく。

語釈
  • おとな【大人】:元服を済ませた人。
  • みす【御簾】:貴人のいる部屋のすだれ。
  • あそび【遊び】:音楽を奏すること。管弦の楽しみ。
  • きこえかよふ【聞こえ通ふ】:ご交際申し上げる。
  • たえだえ【絶え絶え】:絶えそうになりながら、わずかに続くさま。とぎれとぎれに。
  • おもひなす【思ひ為す】:推測する。
  • いとなみ【営み】:準備。用意。
  • かたがた【方方】:おのおの方。源氏の君と姫君のそれぞれ。
  • おしなぶ【押し並ぶ】:ふつうだ。平凡だ。
  • えりととのふ【選り整ふ】:選びそろえる。
  • すぐる【選る】:慎重に選び出す。精選する。
  • おほなおほな:我を忘れてひたすらに。精いっぱい。
  • おぼし【思し】:それらしく見えるようす。
  • いたつく【労く】:苦労する。骨を折る。世話をする。いたわる。

現代語訳

 元服して大人になられた後は、帝は以前のように源氏の君を御簾のうちにもお入れになりません。管弦の御遊びの折々には、藤壺の宮が奏でられる琴に、源氏の君が笛の音を合わせて心を通わせなさり、ほのかに漏れる御声を慰めにして、宮中に住むことばかりが好ましく感じられます。5~6日は宮中にお仕えなさって、左大臣家には2~3日など、とぎれとぎれにおいでになりますが、ただ今は幼いお年頃ですので、罪は犯していないだろうとお思いになって、身の回りの用意を丁重におもてなしなさるのです。源氏の君と姫君のそれぞれに仕える女房たちは、世の中に並々でない者を慎重に選びそろえてお仕えさせております。御心にとまりそうな御遊びを催しては、精いっぱいお仕えしている感じを見せようと骨を折るのでした。

内裏にはもとの淑景舎を御曹司にて

原文

 内裏うちにはもとのげいおんざうにて、はは御息所みやすんどころの御かたの人々、まかでらずさぶらはせたまふ。さと殿との修理すりしき内匠寮たくみづかさ宣旨せんじくだりて、なうあらたつくらせたまふ。もとのだち、山のたたずまひ、おもしろき所なりけるを、いけの心広くしなして、めでたくつくりののしる。かかる所に、おもふやうならん人をゑてまばやとのみ、なげかしうおぼしわたる。

 光君ひかるきみといふ名は、高麗こまうどのめできこえてつけたてまつりけるとぞ、つたへたるとなむ。

語釈
  • しげいさ【淑景舎】:桐壺の間の公式な呼び方。
  • ざうし【曹司】:宮中に設けられた役人や女官などの部屋。
  • さとのとの【里の殿】:桐壺更衣の実家。
  • すりしき【修理職】:内裏の修理造営をつかさどる役所。
  • たくみづかさ【内匠寮】:宮中の調度の製作や殿舎の装飾などをつかさどった。
  • になし【二無し】:二つとない。比べるものがないほどに素晴らしい。
  • こだち【木立】:植木。
  • やま【山】:山の形に作ったもの。築山。
  • こころ【心】:中心。
  • しなす【為成す・為做す】:(ある状態に)仕立てる。してしまう。
  • ののしる【罵る】:大騒ぎする。
  • おもひわたる【思ひ渡る】:思い続ける。
  • めづ【愛づ】:ほめる。

現代語訳

 内裏ではもとの桐壺更衣がお住まいであった淑景舎を源氏の君の御部屋にして、母御息所にお仕えしていた女房たちを、散り散りにおいとまさせずに引き続いてお仕えさせます。母君の実家は修理職、内匠寮に宣旨が下り、世に二つとない立派な改築工事を進めさせなさいます。もとの植木や築山の佇まいも趣深い所でありましたのを、池の中心を広くしてしまって、めでたく造り変える工事は大騒ぎです。源氏の君は、「かような所に、思うような人を据えて住みたいことよ」とばかり、嘆かわしく思い続けるのでした。

 光る君という名は、あの高麗人がご称賛を申し上げておつけになられたとぞ、言い伝えられていますとか。