源氏物語「桐壺」(7)藤壺と光る君|語注・原文・現代語訳

桐壺更衣のかたちに似る人

年月に添へて、御息所の御ことを

原文

 年月としつきへて、御息所みやすんどころの御ことをおぼし忘るるをりなし。なぐさむやと、さるべき人々をまゐらせたまへど、なずらひにおぼさるるだにいとかたき世かなと、うとましうのみよろづにおぼしなりぬるに、先帝せんだいの宮の御かたちすぐれたまへる聞こえ高くおはします。

語釈
  • みやすんどころ【御息所】:天皇の御寝所に仕える女性。桐壺更衣のこと。
  • なずらひ【準ひ・准ひ・擬ひ】:本物に準ずること。
  • かたし【難し】:容易でない。難しい。
  • うとまし【疎まし】:いとましい。。嫌な感じだ。
  • よろづに【万に】:いろいろと。何事につけて。
  • しのみや【四の宮】:第四皇女。
  • かたち【形・容貌】:容貌。器量。
  • きこえ【聞こえ】:うわさ。評判。

現代語訳

 年月が経つに従っても、帝は更衣との思い出をお忘れになることはありません。慰められることもあろうかと、それらしい人々を参らせなさるけれども、「更衣の面影を思うことさえまったく難しい世かな」と、疎ましいとばかり万事を思いなさっておられました。そのような折に、先帝の第四皇女が、御容貌がすぐれておられるとの評判が高くおいでです。

母后世になくかしづき聞こえたまふを

原文

 ははきさき世になくかしづき聞こえたまふを、うへにさぶらふ典侍ないしのすけは、先帝せんだいの御時の人にて、かの宮にも親しうまゐりなれたりければ、いはけなくおはしましし時より見たてまつり、今もほの見たてまつりて、
「うせたまひにし御息所みやすんどころの御かたちに似たまへる人を、三代の宮仕へに伝はりぬるにえ見たてまつりつけぬを、きさいの宮の姫宮こそ、いとようおぼえて生ひ出でさせたまへりけれ。ありがたき御かたち人になん」
と奏しけるに、まことにやと御心とまりて、ねんごろに聞こえさせたまひけり。

語釈
  • きさき【后】:天皇の夫人。皇后。中宮。
  • かしづく【傅く】:大事に世話をする。
  • きこゆ【聞こゆ】:〘謙譲語〙お⋯する。
  • うへ【上】:天皇。
  • ないしのすけ【典侍】:内侍司の次官。
  • いはけなし【稚けなし】:幼い。
  • ほの【仄】:ちょっと。かすかに。
  • つたはる【伝はる】:昔から続いて現在に至る。受け継がれる。
  • え:よく。じゅうぶんに。
  • みつく【見付く】:見なれる。
  • きさいのみや【后の宮】:后の敬称。
  • おぼゆ【覚ゆ】:似る。
  • おひいづ【生ひ出づ】:成長する。
  • ありがたし【有り難し】:めったにない。めったにないほど尊くすぐれている。
  • ねんごろ【懇ろ】:心を込めたようす。丁寧である。
  • きこえさせたまふ【聞こえさせ給ふ】:申し上げさせなさる。

現代語訳

母である先帝の后が、世にまたとなく大切に守り育てていらっしゃいました。それを帝付きの典侍は、先帝の御時にも仕えていた人で、かの第四皇女にも親しく参りなれていました。御幼少でいらした時から拝見しており、今もほのかにお見かけになると、
「亡くなられた更衣の御容貌に似ている人を、三代にわたる宮仕えを受け継いでいるうちによく見なれてしまっておりましたが、御后様の姫宮こそ、それはそっくりに似て御成長なさり、めったにおられない御容貌の人でございます」
と申し伝えたところ、「まことにや」と帝の御心にとまったので、丁寧に申し上げました。

母后、あなおそろしや

原文

 ははきさき、「あなおそろしや。春宮とうぐう女御にようごのいとさがなくて、桐壺のかうのあらはにはかなくもてなされにしためしもゆゆしう」と、おぼしつつみて、すがすがしうもおぼし立たざりけるほどに、きさきもうせたまひぬ。心細きさまにておはしますに、
「ただ、わがをんな御子みこたちの同じつらにおもひ聞こえん」
と、いとねんごろに聞こえさせたまふ。さぶらふ人々、御後見うしろみたち、御うと兵部卿ひやうぶきやうの御子など、「かく心細くておはしまさむよりは、うちみせさせたまひて御心も慰むべく」などおぼしなりて、まゐらせたてまつりたまへり。

語釈
  • とうぐう【春宮・東宮】:皇太子の御殿。
  • とうぐうのにょうご【春宮・東宮の女御】:弘徽殿女御のこと。
  • さがなし:意地が悪い。
  • あらは【露・顕】:露骨である。
  • はかなし【果無し・果敢無し】:あっけない。
  • もてなす【もて成す】:取り扱う。
  • ゆゆし:不吉だ。忌まわしい。
  • おぼしつつむ【思し包む】:心に包みお隠しになる。
  • すがすがし【清清し】:あっさりして思いきりがよい。
  • おぼしたつ【思し立つ】:心をお決めになる。ご決心なさる。
  • つら【列・連・行】:同列。
  • きこえさせたまふ【聞こえさせ給ふ】:申し上げなさる。
  • せうと【兄人】:男兄弟をさす語。
  • ひゃうぶきゃう【兵部卿】:兵部省の長官。
  • うちずみ【内住み・内裏住み】:宮中に住むこと。女官として宮中に仕えること。

現代語訳

 母の后は、「あなおそろしや。春宮の女御がとんでもなく性悪で、桐壺の更衣が露骨に軽々しく扱われた前例も忌まわしいわ」と心の内に思われて、すがすがしく思い立てないでいるうちに、后も亡くなられてしまいました。四の宮が心細い様子でいらっしゃるところに、
「ただ、私の皇女たちと同列に思いましょう」
と、丁重に申し上げなさいます。四の宮にお仕えする人々、御後見たち、御兄上の兵部卿の御子など、「このように心細いままいらっしゃるよりは、内裏にお住いになられたなら姫君の御心も慰められましょう」などお思いになって、四の宮を参らせなさいました。

藤壺の宮、源氏の君の母となる

藤壺と聞こゆ

原文

 藤壺ふぢつぼと聞こゆ。げに御かたち、ありさま、あやしきまでぞおぼえたまへる。これは人の御きはまさりて、おもひなしめでたく、人もえおとしめきこえたまはねば、うけばりて飽かぬことなし。かれは人のゆるしきこえざりしに、御こころざしあやにくなりしぞかし。おぼまぎるとはなけれど、おのづから御心うつろひて、こよなうおぼし慰むやうなるも、あはれなるわざなりけり。

語釈
  • あやし【奇し・怪し】:神秘的だ。ふつうと違っている。
  • きは【際】:身のほど。身分。家柄。
  • おもひなし【思ひ為し】:人からの思われ方。評判。
  • おとしむ【貶む】:見下す。
  • うけばる【承け張る】:ほかに気兼ねしないで振る舞う。
  • めでたし:すばらしい。立派だ。すぐれている。
  • こころざし【志】:愛情。好意。
  • あやにく【生憎】:意に反するさま。あいにくだ。
  • おぼしまぎる【思し紛る】:思い違えになられる。錯覚なさる。
  • おのづから【自ら】:しぜんと。

現代語訳

 藤壺と申します。実に御容貌、雰囲気、あやしいほどに瓜二つでいらっしゃいます。こちらは御身分もまさっていて、人からの評判もめでたく、誰も見下そうにも見下せなければ、堂々と振る舞っても十分すぎることはありません。あちらは人に許されなかったために、帝の御愛情があいにくにも重くなったのです。桐壺更衣と思い違えることはなさいませんでしたが、しぜんと御心が移ろいで、こよなく思い慰められるようであるのも、あわれなる人の常でございました。

源氏の君は御あたり去りたまはぬを

原文

 げむの君は御あたりりたまはぬを、ましてしげくわたらせたまふ御かたは、えぢあへたまはず。いづれの御かたも、我人におとらんとおぼいたるやはある、とりどりにいとめでたけれど、うちおとなびたまへるに、いとわかううつくしげにて、せちに隠れたまへど、おのづからり見たてまつる。

語釈
  • あたり【辺り】:そば。
  • さる【去る】:離れる。
  • しげし【繁し】:しきりに。絶え間ない。
  • わたらせたまふ【渡らせ給ふ】:いらっしゃる。
  • あふ【敢ふ】:すっかり⋯しきる。最後まで⋯する。
  • とりどり【取り取り】:それぞれに違っている様子。さまざま。
  • めでたし:すぐれている。
  • おとなぶ【大人ぶ】:年配になる。
  • せち【切】:ひたすらである。しきりである。
  • おのづから【自ら】:しぜんと。まれに。
  • もる【漏る・洩る】:すき間からもれる。

現代語訳

 源氏の君は帝のそばをお離れにならないので、まして足しげくお渡りになる藤壺の宮は、いつまでも恥ずかしがっているわけにはいきません。いずれの方々も、自分が人に劣っていようとは思いやしない節があり、それぞれにとてもお綺麗ではありますが、少々お年を重ねておられます。藤壺の宮はいっそう若く美しく見えるので、しきりにお顔を隠しなさっても、偶然にちらりと漏れてお目に入るのです。

母御息所もかげだにおぼえたまはぬを

原文

 母御息所みやすんどころもかげだにおぼえたまはぬを、
「いとよう似たまへり」
と、典侍ないしのすけの聞こえけるを、若き御ここに「いとあはれ」とおもひきこえたまひて、常にまゐらまほしく、 「なづさひ見たてまつらばや」とおぼえたまふ。

語釈
  • みやすんどころ【御息所】:天皇の御寝所に仕える女性。桐壺更衣のこと。
  • ないしのすけ【典侍】:内侍司の次官。
  • わかし【若し】:幼い。
  • ここち【心地】:気持ち。
  • なづさふ:なれ親しむ。まつわりつく。
  • ばや:〘願望〙⋯たい。⋯てほしい。
  • おぼゆ【覚ゆ】:自然に思われる。そのような気がする。

現代語訳

 母君も面影さえ覚えていないので、
「大変よく似ておられますよ」
と、典侍がお話しになるのを、幼心に「なんと尊い」と思いなさって、常に参りたがって、「いつもそばでお見上げしたい」というような気持ちを覚えていらっしゃいます。

光る君、かかやく日の宮

上も限りなき御思ひどちにて

原文

 うへも限りなき御おもひどちにて、
「なうとみたまひそ。あやしくよそへきこえつべき心地なんする。なめしとおぼさでらうたくしたまへ。つらつき、まみなどはいとようたりしゆゑ、かよひて見えたまふも、げなからずなむ」
など聞こえつけたまひつれば、幼心地をさなごこちにも、はかなきはな紅葉もみぢにつけてもこころざしを見えたてまつる。

語釈
  • どち:同士。仲間。
  • な⋯そ:どうか⋯してくれるな。
  • うとむ【疎む】:いやだと思ってさける。よそよそしくする。
  • あやし【奇し・怪し】:不思議だ。
  • よそふ【寄そふ・比ふ】:なぞらえる。思い比べる。
  • なめし:無礼だ。無作法だ。
  • らうたし:いたわってやりたい。
  • つらつき【面つき・頬つき】:顔つき。
  • まみ【目見】:目もと。まなざし。
  • かよふ【通ふ】:似通う。
  • にげなし【似げ無し】:似合わない。釣り合わない。
  • きこえつく【聞こえ付く】:お言い付け申し上げる。
  • はなもみぢ【花紅葉】:春の桜花と秋の紅葉。
  • こころざし【志】:心が向かうところ。相手に心を寄せること。
  • みゆ【見ゆ】:見せる。見られるように振る舞う。

現代語訳

 帝も限りなくいとしく思いなさる同士ですので、
「どうかよそよそしくされないでください。あなたは不思議なほど、この君の亡き母になぞらえられるような心地がするのです。無礼だと思わないで、いたわってあげてください。顔つき、目もとなどはとてもよく似ておりますゆえ、源氏の君とあなたが似通ってお見えになるのも、不似合いではないのですよ」
などとお申し付けになられたので、源氏の君は幼心地にも、はかなく散る桜の花や紅葉につけても、寄り添う心をお見せになります。

こよなう心寄せきこえたまへれば

原文

 こよなう心寄せきこえたまへれば、弘徽殿女御こきでんのにようご、またこの宮とも御なかそばそばしきゆゑ、うち添へてもとよりのにくさも立ちでてものしとおぼしたり。世にたぐひなしと見たてまつりたまひ、名たかうおはする宮の御かたちにも、なほにほはしさはたとへんかたなくうつくしげなるを、世の人、「光君ひかるきみ」と聞こゆ。藤壺ふぢつぼならびたまひて、御おぼえもとりどりなれば、「かかやくの宮」と聞こゆ。

語釈
  • そばそばし【稜稜し】:かどばっている。よそよそしい。
  • うちそふ【打ち添ふ】:付け加える。
  • たちいづ【立ち出づ】:表面に出る。
  • ものし【物し】:不愉快だ。めざわりだ。
  • にほはし【匂はし】:照り輝くように美しい。
  • おぼえ【覚え】:寵愛を受けること。
  • とりどり【取り取り】:それぞれ特徴のあるさま。

現代語訳

 こよなく心をお寄せになるので、弘徽殿女御はまた、この藤壺の宮とも仲がよろしくないゆえ、付け加えてもとよりの憎さも出てきて不愉快だと思われています。帝が世に比類なしと御覧になり、名高くいらっしゃる藤壺の宮の御容貌にも、なお勝る源氏の君の輝かしいさまは例えようもなく美しく見えるのを、世の人、「光る君」と申し上げます。藤壺の宮もお並びになられて、帝の御寵愛もそれぞれであれば、「輝く日の宮」と世に知られます。