白居易(白楽天)の代表作、『長恨歌』を全4回に分けて考察していきます。第4回は安史の乱が終息し、都に戻った玄宗皇帝が楊貴妃のことを忘れられず、道士に魂を探しに行かせる場面。『源氏物語』に引用されている表現が多々ありますので、その辺りを補足します。先に『長恨歌』の全文を読みたい方は、以下のページをご覧くださいませ♪
目次 閉じる
前回(第3回)のあらすじ
天はめぐり、地は転じて、龍の御車を都へと引き返す。帰り着くと宮殿の御池も御苑もそのまま。太液池の芙蓉は亡き人の顔、未央宮の柳は眉を思い起こさせる。夕暮れの宮殿に蛍が飛び交い、憂いにうち沈んでいる。孤灯の明かりをともし尽くすも、いまだ眠りを成さない。翡翠のしとねは寒くして、誰と共にしようか。亡き人の魂は夢に現れてくれない。ついに道士の仙術によって、貴妃の魂を探しさせた。上は碧天の彼方、下は黄泉の国まで、果てしなく広がるばかりで何も見えない。
忽聞海上有仙山
原文・語釈・現代語訳
忽 聞 海 上 有 仙 山
山 在 虚 無 縹 緲 間
楼 閣 玲 瓏 五 雲 起
其 中 綽 約 多 仙 子
中 有 一 人 字 太 真
雪 膚 花 貌 参 差 是
金 闕 西 廂 叩 玉 扃
転 教 小 玉 報 双 成
聞 道 漢 家 天 子 使
九 華 帳 裏 夢 魂 驚
忽ち聞く海上に仙山有りと
山は虚無縹緲の間に在り
楼閣玲瓏として五雲起こり
其の中に綽約として仙子多し
中に一人有り字は太真
雪の膚花の貌参差として是れなり
金闕の西廂に玉扃を叩き
転じて小玉をして双成に報ぜしむ
聞道く漢家の天子の使いと
九華の帳裏夢魂驚く
- 虚無:(道教で)真理は至るところに存在するが形としては見えないこと。
- 縹緲:かすかではっきりしないさま。
- 玲瓏:玉のような透き通った輝き。
- 五雲:めでたいしるしである五色の雲。
- 綽約:(女性の容姿が)しなやかで美しいさま。
- 太真:楊貴妃はもともと玄宗の息子の妻であったが、奪い取る形になるのを避けるために出家させ、太真という女道士の名を与えられていた。
- 雪膚花貌:雪のように白い肌と花のように美しい容貌。
- 参差:ほとんど同じ。
- 金闕:黄金の宮門。
- 西廂:正殿の西の廂の間。女性の居室。
- 玉扃:宝石で装飾を施した門扉。
- 小玉・双成:侍女の名前。
- 九華帳裏:色とりどりの花模様を施したとばりの中。
たちまちに聞く、海上に仙女が住む山があると。山は虚無に霞んだ空間にあり、楼閣は宝石のように透明な輝きをまとい、五色の雲が立ちこめている。その中に、しなやかで美しい仙女多し。中に一人あり、字は太真。雪のように白い肌、華やかな容貌、ほとんど差がなくまさにこの方である。黄金の門をくぐり、西の廂へ進み、玉の扉をたたくと、小玉に取り次がせて双成へと知らせる。漢家の天子の使いであると聞くと、九華の花模様のとばりの中で夢を見ていた魂が、驚いて目を覚ます。
太真とは
太真とは、楊貴妃の道士名のことです。楊貴妃はもともと、玄宗皇帝の息子の妻でした。楊貴妃を欲しいと思った玄宗皇帝も、さすがに息子から奪い取るというのは世間体が悪すぎます。そこで、楊貴妃をいったん道教に出家させることにしました。その時に得た道士名が太真です。数年後、玄宗皇帝は堂々と迎え入れ、貴妃に封じます。太真こと楊玉環は、楊貴妃となりました。
攬衣推枕起徘徊
原文・語釈・現代語訳
攬 衣 推 枕 起 徘 徊
珠 箔 銀 屏 邐 迤 開
雲 鬢 半 偏 新 睡 覚
花 冠 不 整 下 堂 来
風 吹 仙 袂 飄 颻 挙
猶 似 霓 裳 羽 衣 舞
玉 容 寂 寞 涙 闌 干
梨 花 一 枝 春 帯 雨
衣を攬り枕を推し起ちて徘徊す
珠箔銀屛邐迤として開く
雲鬢半ば偏れて新たに睡り覚む
花冠整えず堂を下りて来たる
風は仙袂を吹きて飄颻として挙がる
猶ほ似たり霓裳羽衣の舞
玉容寂寞として涙闌干たり
梨花一枝春雨を帯ぶ
- 徘徊:躊躇する。動揺してうろたえている。
- 珠箔:心珠で編んだすだれ。
- 銀屛:銀の屏風。
- 邐迤開:するすると巻き上げられるように開く。
- 新睡覚:眠りから覚めたばかり。
- 闌干:涙が縦横に落ちるさま。
衣を手に取り、枕を押すようにして起き上がると、とまどい足踏みする。心珠のすだれ、銀の屏風がするすると開く。雲のように豊かな髪は一方に偏り、新たに眠りから覚めたばかりの姿で、花冠も整えずに堂を下りて来た。風が仙女のたもとを吹き上げて、ひらひらと舞い上がる。まさに似ている、霓裳羽衣の舞に。玉のような顔つきは寂寞として、涙がはらはらと流れ落ちる。梨の花の一枝が、春の雨を帯びるように。
含情凝睇謝君王
原文・語釈・現代語訳
含 情 凝 睇 謝 君 王
一 別 音 容 両 眇 茫
昭 陽 殿 裏 恩 愛 絶
蓬 萊 宮 中 日 月 長
迴 頭 下 望 人 寰 処
不 見 長 安 見 塵 霧
唯 将 旧 物 表 深 情
鈿 合 金 釵 寄 将 去
釵 留 一 股 合 一 扇
釵 擘 黄 金 合 分 鈿
但 教 心 似 金 鈿 堅
天 上 人 間 会 相 見
情を含み睇を凝らして君王に謝す
一たび別れしより音容両つながら眇茫たり
昭陽殿裏恩愛絶え
蓬萊宮中日月長し
頭を迴らして人寰の処を下に望めば
長安は見えず塵霧を見る
唯だ旧物を将て深情を表さん
鈿合金釵寄せ将ち去らしむ
釵は一股を留めて合は一扇
釵は黄金を擘き合は鈿を分かつ
但だ心をして金鈿の堅きに似せしむれば
天上人間会ず相い見えんと
- 凝睇:ひとみを凝らす。じっと見つめる。
- 音容:声と姿。
- 渺茫:ぼんやりとしてはっきりしない。
- 昭陽殿:漢の宮殿の名前。
- 蓬萊宮:仙山の一つ、蓬萊山にある宮殿。
- 日月長:長い年月。仙界と俗界の時間の流れが違うこと、不幸な時間は長く感じられることも含む。
- 人寰:人の世。俗世。
- 旧物:遺品。
- 鈿合:螺鈿装飾が施された小箱。
- 金釵:金のかんざし。
- 釵擘黄金合分鈿:金釵は二股を分けて、鈿合は蓋と箱に分けて、片方を楊貴妃の遺品として玄宗に贈る。
情を含めて、ひとみを凝らして道士を見つめ、君王への感謝の言葉を告げる。
「一たびお別れしてから、御声も御姿も両方ともぼんやりとしていました。昭陽殿の中で賜った恩愛は絶えて、蓬萊宮の中で過ごす年月は長く感じられます。頭をめぐらせて人の世を下に眺めれば、長安は見えず、塵の霧が見えるばかりです。ただ、形見の遺品を頼りに、深い愛情を表したく存じます。螺鈿の小箱と、金のかんざしをお持ち帰りください。かんざしは一本を手元に留めて、小箱は一箱を。かんざしは黄金を割き、小箱は螺鈿を分けて、ただ二人の心を黄金と螺鈿のように堅く契れば、天上界でも人間界でも必ず、お互いに相いまみえるでしょう」
桐壺更衣の形見
『源氏物語』では桐壺更衣の母親が、更衣の形見にと髪飾りを帝に贈ります。それを見た帝が「亡き人の住みか尋ね出でたりけむしるしの釵ならましかば」と思う場面がありますが、この釵というのは楊貴妃が送った金釵のことです。楊貴妃は道士が自分にあったことの証拠として金釵を持って行かせました。このように桐壷更衣の魂を見つけた証であったなら、と髪飾りを見て思うのでした。
臨別殷勤重寄詞
原文・語釈・現代語訳
臨 別 殷 勤 重 寄 詞
詞 中 有 誓 両 心 知
七 月 七 日 長 生 殿
夜 半 無 人 私 語 時
在 天 願 作 比 翼 鳥
在 地 願 為 連 理 枝
天 長 地 久 有 時 尽
此 恨 綿 綿 無 絶 期
別れに臨んで殷勤に重ねて詞を寄す
詞の中に誓い有り両心のみ知る
七月七日長生殿
夜半人無く私語の時
天に在りては願わくは比翼の鳥と作り
地に在りては願わくは連理の枝と為らんと
天長く地久しきも時有りて尽きん
此の恨み綿綿として絶える期無からん
- 七月七日:七夕。機織りの織女と牛飼いの牛郎が一年に一度会う日。中国の神話が由来。
- 長生殿:華清宮のなかの宮殿の一つ。永遠の生を意味する。
- 私語:ひそひそ話をする。
- 比翼鳥:雌雄一体の鳥。愛情深い夫婦の象徴。
- 連理枝:根本が異なる二本の木が合体して木目が一つになっている木。
- 綿綿:長く続いて絶えないさま。
別れに臨んで、ねんごろに重ねて詞を寄せる。詞の中に誓いあり、それは二人の心のみ知ること。七月七日、長生殿、夜半に人はなく、ささやき声で語る時。
「天にあっては、願わくは比翼の鳥となり、地にあっては、願わくは連理の枝となりましょう」
天は長く、地は悠久であるも、時は有限であり、いつかは尽きる。この悲しみは綿々と続き、絶えることはないだろう。
比翼の鳥と連理の枝
こちらも『源氏物語』に引用されています。桐壺帝と更衣は「翼をならべ、枝をかはさん」と誓い合っていました。比翼の鳥とは雌雄一体の鳥のことで、男女和合の象徴です。連理の枝とは根の異なる2本の木が上で合体したもので、男女の交わりを意味します。桐壺帝は更衣との誓いを果たせず、「かなはざりける命のほどぞ、うらめしき」と嘆きます。この表現は『長恨歌』のラストと同じです。