白居易『長恨歌』の考察(2)安史の乱の原因と楊貴妃の最期

 白居易(白楽天)の代表作、『長恨歌』を全4回に分けて考察していきます。第2回は安史の乱が起こり、楊貴妃が命を落とす場面。安史の乱の概要と、楊貴妃の死について補足します。先に『長恨歌』の全文を読みたい方は、以下のページをご覧くださいませ♪

前回(第1回)のあらすじ

華清宮にある楊貴妃の像 / 2012年12月15日訪問

 漢の皇帝は国を傾けるほどの美女を欲しがっていた。楊家に娘あり、天生の麗しい美貌は隠しきれない。一朝に選ばれて皇帝のそばに仕える身となった。華清の池で初めて皇帝の寵愛を賜り、日が高くなるまで添い寝する。皇帝は早朝のまつりごとを怠るようになった。貴妃の姉妹兄弟もみな列せられ、誰もがうらやむ光彩の楊家一門が誕生する。人々は男子を生むよりも、女子を生んで宮廷に入れた方がマシだと思うようになった。

驪宮高処入青雲

華清宮 / 2012年12月15日訪問

原文・語釈・現代語訳

漢文

 驪  宮 gōng 高 gāo 処 chù 入  青 qīng 雲 yún

 仙 xiān 楽 yuè 風 fēng 飄 piāo 処 chù 処 chù 聞 wén

 緩 huǎn 歌  慢 màn 舞  凝 níng 糸  竹 zhú

 尽 jìn 日  君 jūn 王 wáng 看 kàn 不  足 

 漁  陽 yáng 鼙  鼓  動 dòng 地  来 lái

 驚 jīng 破  霓  裳 cháng 羽  衣  曲 

 九 jiǔ 重 chóng 城 chéng 闕 què 煙 yān 塵 chén 生 shēng

 千 qiān 乗 shèng 万 wàn 騎  西  南 nán 行 xíng

書き下し文

驪宮りきゅうたかところ青雲せいうん

仙楽せんがくかぜひるがえりて処処しょしょこゆ

かんまんちくらし

尽日じんじつ君王くんのうれどもりず

漁陽ぎょようへいうごかしてたり

驚破きょうは霓裳げいしょう羽衣ういきょく

九重きゅうちょう城闕じょうけつ煙塵えんじんしょう

千乗せんじょうばん西南せいなん

語釈
  • 驪宮:驪山の華清宮。
  • 仙楽:仙人が奏する音楽。俗界で聴くことのできないような美しい楽曲。
  • 緩歌:ゆっくり歌うこと。
  • 慢舞:ゆっくり舞うこと。
  • 糸竹:琴などの絃楽器(糸)と笛などの管楽器(竹)の総称。
  • 漁陽:現在の天津市薊州区。
  • 鞞鼓:戦場で用いる鼓。攻め太鼓。
  • 霓裳羽衣曲:玄宗が楊貴妃のために作ったとされる曲。
  • 城闕:宮城の門。

現代語訳

 驪宮は高いところ、青雲に入る。仙楽の音は風に乗り、あちらこちらで聞こえる。緩やかに歌い、ゆったりと舞い、管絃の音を情緒たっぷりに奏でて、一日を尽くしても君王は飽き足らない。

 漁陽の攻め太鼓が、大地をとどろかせて来た。驚き破られる霓裳羽衣の曲。九つ重なる城門には煙と塵が立ち昇り、一千の馬車と一万の騎兵が西南へ逃げ行く。

安史の乱とは

 安史の乱とは、唐の辺境を守る節度使であった安禄山と、その部下の史思明によって引き起こされた玄宗皇帝に対する反乱です。安禄山と史思明の性をとって「安史の乱」と呼ばれています。安禄山は人の懐に入り込むのに長けていたようで、玄宗皇帝にも大変気に入られていました。特別扱いされている楊貴妃にもあやかろうと、自分を楊貴妃の養子にしてほしいと頼み込み、安禄山の方が楊貴妃よりも16歳年上であるにもかかわらず、楊貴妃の息子となります。楊貴妃も楊貴妃で安禄山のことをたいそう気に入っていたようで、「洗児」という新生児を湯に入れる儀式を、安禄山を赤ちゃんに見立ててさせたとか。イカれてます。

 しかしそれを良く思っていなかったのが、楊貴妃の又従兄である楊国忠です。彼は安禄山を宮廷から排除しようと動き、対立を深めていきます。楊国忠は宰相であり、正面切っての権力争いでは安禄山に勝ち目はありません。いよいよ命の危険を感じた安禄山は挙兵を決意。長安から遠く離れた漁陽(現在の天津市薊県州区)で狼煙を上げました。平和ボケしていた唐政府軍は戦闘力が弱く、安禄山はわずか1ヶ月で副都洛陽を陥落させ、長安へと攻め入ります。玄宗皇帝は楊貴妃や楊国忠たちとともに楊家の拠点である蜀へと敗走するのでした。

翠華揺揺行復止

原文・語釈・現代語訳

漢文

 翠 cuì 華 huá 揺 yáo 揺 yáo 行 xíng 復  止 zhǐ

 西  出 chū 都  門 mén 百 bǎi 余  里 

 六 liù 軍 jūn 不  発  無  奈 nài 何 

 宛 wǎn 転 zhuǎn 娥 é 眉 méi 馬  前 qián 死 

 花 huā 鈿 diàn 委 wěi 地  無  人 rén 收 shōu

 翠 cuì 翹 qiào 金 jīn 雀 què 玉  搔 sāo 頭 tóu

 君 jūn 王 wáng 掩 yǎn 面 miàn 救 jiù 不  得 

 迴 huí 看 kàn 血 xuè 涙 lèi 相 xiāng 和  流 liú

書き下し文

すい揺揺ようようとしてきてまる

西にしのかたもんでてひゃく余里より

六軍りくぐんはっせず奈何いかんともする

宛転えんてんたる娥眉がびぜん

でんゆだねられてひとおさむる

翠翹すいぎょう金雀きんじゃく玉搔頭ぎょくそうとう

君王くんのうめんおおいてすく

かえれば血涙けつるいしてなが

語釈
  • 翠華:カワセミの羽で飾った天子の旗。
  • 百余里:唐代の1里は400~600m。都から西へ百余里の地は馬嵬。
  • 六軍:天子直属の軍隊。馬嵬で反旗をひるがえし、玄宗に楊貴妃の殺害を迫った。
  • 宛転:眉がゆるく弧を描いているさま。
  • 蛾眉:美しい眉。美女の眉。
  • 馬前死:楊貴妃が馬嵬で死んだことを表す。玄宗はやむなく楊貴妃に自殺を命じた。
  • 花鈿:花のかんざし。
  • 翠翹:カワセミの尾のかたちをした髪飾り。
  • 金雀:スズメをかたどった金のかんざし。
  • 玉搔頭:宝玉のかんざし。

現代語訳

 翠華の御旗はゆらゆらと迷い、進んではまた止まる。都の門を西へ出て百里余り、六軍は出発せず、いかんともできない。みやびな眉の美しい人は、馬嵬の地を前に死す。花のかんざしは地にうち捨てられて、拾おうとする人はいない。かわせみの髪飾りも、金雀のかんざしも、宝玉のくしも。君王は玉顔を覆うばかりで、救おうにも救えない。振り返って見れば、血と涙が相混じって流れていた。

楊貴妃の死

 酒色にふけり、政治を怠っていた玄宗皇帝、その皇帝に寵愛され、贅の限りを尽くす楊貴妃、それにあやかり権勢を強くする楊家一門、誰もがよく思っていなかったことでしょう。玄宗皇帝を護衛する兵士たちの中にも、安禄山の反乱に共感する者が少なくなかったのではないでしょうか。長安から西へ百里余り、馬嵬の地で兵士たちは歩みを止め、楊国忠を殺害します。楊貴妃の殺害も要求され、兵士たちを鎮めることができなかった玄宗皇帝は認めるほかありませんでした。楊貴妃に自殺を命じます。楊貴妃は養子として迎え入れた安禄山に反乱を起こされ、寵愛を一身に受けた玄宗皇帝に自殺を命じられて死んだのです。これを悲劇と思うか、自業自得と思うか、少なくとも私は同情できません。まあ、一番やばいのは玄宗皇帝ですが、とにかく理不尽な世の中です。

黄埃散漫風蕭索

原文・語釈・現代語訳

漢文

 黄 huáng 埃 āi 散 sǎn 漫 màn 風 fēng 蕭 xiāo 索 suǒ

 雲 yún 桟 zhàn 縈 yíng 紆  登 dēng 剣 jiàn 閣 

 峨 é 嵋 méi 山 shān 下 xià 少 shǎo 人 rén 行 xíng

 旌 jīng 旗  無  光 guāng 日  色  薄 

 蜀 shǔ 江 jiāng 水 shuǐ 碧  蜀 shǔ 山 shān 青 qīng

 聖 shèng 主 zhǔ 朝 zhāo 朝 zhāo 暮  暮  情 qíng

 行 xíng 宮 gōng 見 jiàn 月 yuè 傷 shāng 心 xīn 色 

 夜  雨  聞 wén 鈴 líng 腸 cháng 断 duàn 声 shēng

書き下し文

黄埃こうあい散漫さんまんとしてかぜ蕭索しょうさくたり

雲桟うんさんえいして剣閣けんかくのぼ

峨嵋がびさんひとくことすくなく

せいひかり日色にっしょくうす

蜀江しょくこうみずみどりにして蜀山しょくざんあお

聖主せいしゅ朝朝ちょうちょう暮暮ぼぼじょう

行宮あんぐうつきれば傷心しょうしんいろ

夜雨やうすずけばちょうたれるこえ

語釈
  • 蕭索:もの寂しい。わびしい。
  • 雲桟:高いところにかかる桟道。蜀の険しい山道によく見られる。
  • 縈紆:まといつく。
  • 剣閣:剣閣山。古来から危険な山として知られる。
  • 峨嵋山:蜀を象徴する山。
  • 旌旗:色あざやかな旗。天子一行のしるしの旗。
  • 日色薄:蜀の地は山深く、霧が多いため日差しが薄い。
  • 朝朝暮暮:毎朝毎晩。夢の中で交わった神女を忘れられなかった楚の懐王の故事が由来。
  • 行宮:仮の宮殿。
  • 聞鈴:天子の部屋へ入る前に鈴を鳴らしていた。鈴の音が聞こえると楊貴妃の来訪かと思い傷心した。

現代語訳

 黄色い砂埃は散漫として風にわびしく舞い上がり、雲上の桟橋を絶壁にまといつくようにして剣閣山を登る。峨嵋山のふもとは人の往来も少なく、色あざやかな御旗は山影で光なく、日差しの色も薄い。蜀江の水は碧緑に澄み、蜀山は青々と美しい。聖主は朝朝暮暮、亡き人への慕情に沈む。行宮から月を見れば、傷心の顔色を浮かべ、雨の夜に鈴の音を聞けば、断腸の声を上げる。

蜀の風景

 写真ACのフリー画像ではありますが、蜀の風景をイメージできる写真を掲載します。

雲桟

 こちらは蜀ではありませんが、映画アバターのロケ地として使われた張家界の写真です。雲桟とはこのように断崖絶壁に沿ってかけられた桟橋で、玄宗皇帝の一行は壁にはうようにして山を登りました。剣閣山は古来から危険な山として知られていたようです。

蜀山

 こちらは成都周辺の山々。蜀はこのように山深く、霧が立ち込めて日差しも薄いそうです。

蜀江

 こちらは四川省の有名な観光地でもある九寨溝の写真です。蜀江水碧とはこのような色。美しいですね~行ってみたいですね~♪