方丈記– category –
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『方丈記』後編の始まり「生きづらい世の中」の現代語訳
すべて、世の中のありにくく 原文 すべて、世の中のありにくく、わが身と栖ふべからず。 現代語訳 総じて、世の中が生きづらく、我が身と住まいとがはかなく仮めなさまは、重ねて述べてきたとおりである。ましてや、場所によって、境遇を受け入れ続け... -
元暦の大地震とは?『方丈記』の現代語訳と地震の規模を考察
元暦の大地震とは、元暦2(1185)年7月9日の午刻(正午頃)に平安京を襲った大地震です。翌月の8月14日に元暦から文治へと改元されたため、文治地震とも呼ばれます。地震の推定規模はマグニチュード7.4。平成7(1995)年1月17日に発生した兵庫県南部地震... -
【悲惨】養和の飢饉とは?『方丈記』の原文と現代語訳を考察
養和の飢饉とは、養和元(1181)年から寿永元(1182)年にかけて、平安京を含む西日本一帯で発生した大飢饉のことです。『方丈記』の記述によれば、京都市中だけで死者42,300人。当時の京の人口は約10万人といわれていますので、半数近くの庶民が犠牲に... -
【平清盛の暴挙】方丈記「福原遷都」の原文と現代語訳を考察
また、治承なりし事なり。 治承4(1180)年5月30日、平清盛の口から福原への遷都が発表されました。予定日はたった3日後の6月3日。それも1日早められて、6月2日に遷幸が開始されます。安徳天皇、高倉上皇、後白河法皇は、平清盛らとともに福原へと出発... -
平氏滅亡の予兆?方丈記「治承の辻風」の現代語訳と時代背景
辻風は常に吹くものなれど、かかる事やある。ただ事にあらず。さるべきもののさとしか、などぞ疑りし。 治承4(1180)年4月29日、平安京ですさまじい辻風(竜巻)が発生しました。「辻風は常に吹くものなれど」とあるように、当時の京都ではそれほど珍... -
方丈記「安元の大火」の現代語訳と長明の高松院への恋心を考察
去となりにき。 安元3(1177)年4月28日に発生した「安元の大火」は、平安京の3分の1が焼け落ちたとされる史上最大級の大火災でした。世の不思議を目の当たりにした長明は、自分の足で現場を尋ね回り、火災発生時の様子や被害状況を細かく調べ上げたの... -
方丈記の冒頭「ゆく河の流れ」の原文・現代語訳をポップに考察
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例と、またかくのごとし。 有名な書き出しから始まる『方丈記』の作者、鴨長明が生きた時代は、貴族の世から武士の世へと変... -
【全文】鴨長明『方丈記』原文と現代語訳
『方丈記』は日本三大随筆の一つとされている作品ですが、その中身は人生や生き方について書かれた哲学本です。前半部分は鴨長明が経験した5つの災害について、後半部分は生きづらい世の中を乗り切る処世術について書かれています。もし今の時代に『方丈記... -
【訪問記】方丈の庵跡(鴨長明方丈址)の場所と道中の楽しみ
ここに、六十りを結べる事あり。 60歳という露が消えそうな年齢になって、末葉の宿り(余生を過ごす住まい)を造った鴨長明。「広さはわづかに方丈(約5畳)」という小さな庵で、「日野山の奧にあとをかくして」晩年を過ごしました。代表作の『方丈記... -
【訪問記】木の丸殿(きのまろどの)とは?百人一首の聖地?
内裏り。 この一文は鴨長明が『方丈記』の中で、平清盛の暴挙ともいわれる「福原遷都」をディスったものです。新しい都として定められた福原の地は、山と海に挟まれて平地が少なく、平安京を遷すにはとても土地が足りませんでした。実際に現地へ視察に...
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