平家物語– category –
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木曾義仲はなぜ殺された?頼朝・義経と戦うハメになった経緯
寿永3(1184)年1月20日、粟津の戦いで討ち死にした木曾義仲(源義仲)。最期に戦った相手は、源頼朝が派遣した軍隊です。義仲は頼朝と同じ源氏であり、従兄弟という関係。頼朝の弟である義経も、義仲の従兄弟です。 源氏にとって共通の敵は平氏であっ... -
巴御前は実在しない?「木曾の最期」の巴と義仲の関係を考察
木曾義仲に仕えた女武者として知られる巴御前。『源平盛衰記』に登場する人物ですが、当時の一次資料や鎌倉幕府が編纂した歴史書『吾妻鏡』には記述がなく、実在しないのではないかともいわれています。 『平家物語』によると、巴御前は色白で髪が長く、... -
【全文】平家物語「木曾の最期」原文と現代語訳
美しき女武者、巴御前 木曾殿は信濃より、巴、山吹とて二人の便女を具せられたり 原文 木曾なり。 現代語訳 木曾殿は信濃で挙兵した時から、巴、山吹という二人の侍女を連れておられた。山吹は病気になって都にとどまった。中でも巴は、色白で髪が長く... -
【訪問記】『平家物語』ゆかりの地を巡る関門海峡散歩コース
元暦2(1185)年3月24日、長門国赤間関壇ノ浦で行われた「壇ノ浦の戦い」。序盤は平知盛を大将とする平氏軍が優勢でしたが、潮の流れが反転すると源義経が率いる源氏軍のターンとなり、平氏は滅亡へと追いやられました。まだ6歳(数え年8歳)だった安徳...
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