ギリシャで「ダフネの樹」と呼ばれる月桂樹。現代でも芸術分野の功労者に月桂樹の冠が授けられることがありますが、これは『アポロンとダフネ』というギリシャ神話がもとになっています。
エロス(キューピッド)の矢によって、ダフネにどうしようもなく恋焦がれるアポロンと、アポロンをどうしても好きになれないダフネ。追いかけてくるアポロンから逃げまどい、とうとう逃げ切れなくなったダフネは、月桂樹へと姿を変えてしまうのでした。
ギリシャ神話『アポロンとダフネ』のあらすじをわかりやすく解説します。
『アポロンとダフネ』のあらすじ

出典:Wikipedia
からかった子供に仕返しされるアポロン
アポロンは弓の名手。つい先日、大蛇ピュートーンを弓で退治したばかりです。そのことを鼻にかけて調子に乗っていたアポロンは、弓矢をおもちゃにして遊んでいる少年を見かけました。子供相手にマウントを取りたくなったアポロンは、
「子供が弓矢で遊ぶなんて、いけませんねえ。その弓矢はあなたのようなガキではなく、私のような名人が扱うべきもの。私はあの大蛇ピュートーンを倒したのだけれど、あなたはその弓で何を射れるのかな?」
と、大人気のない嫌味を言います。しかし少年は即座に、
「何でも射れるよ。オジサンにだって当てられるよ」
と、言い返しました。そしてパルナッソス山の頂上から2本の矢を放つと、少年の宣言通りに1本の矢がアポロンの胸に命中。もう1本の矢は、ダフネという少女の胸を射ました。
恋するアポロンと拒否するダフネ
この少年というのが実は、恋の神エロスなのでした。ローマ神話ではクピド(Cupido)と名を変え、キューピッドの矢(Cupidは英語読み)でおなじみの神です。見た目は子供ですが、永遠に年を取らない性質なので、実はアポロンより年上ってこともあり得ます。
アポロンに命中した矢は、恋に夢中になる金の矢でした。一方でダフネに当たった矢は、恋を跳ね返す鉛の矢。アポロンはダフネにどうしようもなく恋焦がれ、ダフネはアポロンを絶対に好きになれない、という運命が決まったのです。
もっとも、まだ少女だったダフネは、色恋にもともと興味がありませんでした。森を散策して草花を摘んだり、動物を追いかけたり、一人で気ままに過ごす方が楽しくて、
「パパ、私は結婚なんてしたくないの。アルテミス様のようにずっと独りでいたいの」
と、父に話します。父は河の神ペーネイオス。ダフネの意見を尊重しますが、顔がそうはさせないだろうと、かわいい娘の将来を案じています。アルテミスというのは月の女神で、アポロンの双子の姉(妹説もあり)です。恋に執着するアポロンとは対照的に、純潔を貫いた処女神とされています。
恐怖の追いかけっこ
父親が案じた通り、誰が見ても美しいダフネに、求婚する男が跡を絶ちませんでした。しかしエロスの鉛の矢が刺さったダフネは、一切の申し出を断り続けます。たいていの男はそれで諦めますが、一人だけ絶対にあきらめない男がいました。アポロンです。
ダフネが拒否すればするほど、アポロンの恋心は燃える一方。「自然体でもあんなに美しいのですから、髪をあげたらさぞかし色っぽいでしょうねえ。隠されているところはもっと⋯⋯」と、妄想が止まりません。アポロンは我慢できなくなり、ダフネを待ち伏せして声をかけることにしました。
しかし、ダフネは逃げ出してしまいます。子羊が狼から逃げるように、風よりも速く逃げるダフネ。アポロンがどんな言葉で口説こうとしても、ダフネの耳に届きません。しかし髪や服を乱しながら逃げる姿は、アポロンをますます興奮させました。
アポロンは恋の翼に乗って追い、ダフネは恐怖の翼に乗って逃げます。ダフネの足はとても速かったのですが、アポロンの足はもっと速く、とうとう追いつかれてしまいました。
ダフネの樹
アポロンはダフネの髪に、あえぐ吐息を吹きかけました。ぞっとしたダフネは力が入らなくなり、倒れそうになってしまったので、父である河の神ペーネイオスに最後の助けを求めました。
「パパ、助けて! 私は絶対に交わりたくないの。男が寄ってくるこの容姿を変えてほしいの!」
そう叫ぶと、ダフネの体が硬くなっていきました。肌は樹の皮に包まれ、腕は枝となり、髪は葉に変わっていきます。足は大地に沈み込み、根を張りました。こうしてダフネは、一本の樹へと姿を変えてしまったのです。
呆然と立ち尽くすアポロンでしたが、ダフネが樹になっても愛は消えませんでした。アポロンはダフネの樹で冠を作り、愛の証として頭に飾ることを誓います。華やかな競技で勝利した者にも、ダフネの樹の冠を贈ると約束しました。
ピューティア大祭と月桂樹の冠
ダフネは月桂樹のギリシア語源です。アポロンが約束した通り、古代ギリシアで行われていたピューティア大祭の勝者に、月桂樹の冠が授与されました。ピューティア大祭の語源は、アポロンが弓で退治した大蛇ピュートーンです。
ピューティア大祭はスポーツではなく、音楽や誌など芸術分野の競技大会です。オリンピュア大祭(古代オリンピック)と同じく4年に一度、オリンピュア大祭と開催年が重ならないように行われていました。
月桂樹の冠はピューティア大祭で贈られていたもので、現代でも芸術の功労者に授与されることがあります。オリンピュア大祭で贈られていたのはオリーブの冠で、現代のオリンピックにも受け継がれています。