清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。
現代語に訳さなくても、超ディスってるんだろうなって感じが伝わりますよね(笑)。『紫式部日記』は寛弘5(1008)年から寛弘7(1010)年にかけて、宮中の様子を記録した日記です。その中で和泉式部と清少納言を批評しているのですが、それがまあとんでもない悪口。和泉式部は恋愛体質の二流ポエマー、清少納言はドヤ顔でとんでもない女、といった感じで痛烈にディスっているのです。
人の悪口が面白いというのもどうかとは思いますが、やっぱり面白いので『紫式部日記』の「和泉式部と清少納言」について原文と現代語訳を紹介します。
男にだらしない女、和泉式部
和泉式部は不倫で有名でした。20歳頃に和泉守であった橘道貞と結婚。和泉式部という女房名はこれが由来です。娘も生まれましたが、和泉式部は為尊親王と不倫を始めます。しかしこれがバレてしまい、親からは勘当。さらに不倫相手の為尊親王が疫病で死亡してしまいました。
失意のどん底?にあった和泉式部でしたが、今度は亡き為尊親王の弟、敦道親王に言い寄られます。和泉式部は26歳、敦道親王は23歳と、3つ年下です。敦道親王から見ると3つ年上の女。大人の色気を感じたのでしょう。この時の和泉式部はまだ離婚しておらず、敦道親王も既婚者。つまり、ダブル不倫です。しかしこれもバレてしまい、敦道親王の妻が家出。二人にとってはラッキーと、一緒に暮らし始めます。なかなかのクズです。
和泉式部には他にも恋愛関係にあったと見られる男がおり、記録に残っていない人もたくさんいるでしょうから、相当な恋愛体質だったのでしょう。それをよく思っていなかった紫式部は、『紫式部日記』でこのように批判しました。
和泉式部といふ人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ、打ち解けて文走り書きたるにそのかたの才ある人、はかない言葉の匂ひも見え侍るめり。歌はいとをかしきこと。ものおぼえ、歌のことわり、まことの歌詠みざまにこそ侍らざめれ、口にまかせたる言どもに必ず、をかしき一節の目にとまる詠み添へ侍り。それだに、人の詠みたらむ歌難じことわりゐたらむは、いでやさまで心は得じ。口にいと歌の詠まるるなめりとぞ見えたるすぢに侍るかし。恥づかしげの歌詠みやとは覚え侍らず。
和泉式部という人は、実に味わい深い手紙を書き交わしていたそうですね。和泉は男にだらしないところがあるとはいえ、恋仲になって手紙を走り書きするとそっちの方は才ある人で、ちょっとした言葉でも色めいているように感じられます。歌は本当にお見事。和歌の知識、理論は本物の歌人の品格こそございませんが、口に任せて出る言葉の中に必ず、香ばしい一節の目にとまる文が添えられています。それほどの人なのに、他人が詠んだ歌を批判したり評価を付けたりしているのは、まあそんなに歌を理解していないんでしょう。口からただ歌があふれ出ているようだとしか思えない作風なのでございますのよ。こちらが恥ずかしくなるほど優れた歌詠みだとは思えません。
- おもしろし【面白し】:素晴らしい。趣がある。興味深い。
- かきかはす【書き交わす】:手紙を互いに書く。文通する。
- けしからず【怪しからず・異しからず】:感心できない。
- うちとく【打ち解く】:くつろぐ。なれ親しむ。
- にほひ【匂ひ】:色つやのある美しさ。
- ものおぼえ【物覚え】:和歌の知識。
- なんず【難ず】:非難する。
- ことわる【判る・理る・断る】:判定する。
- いでや:(不満や否定・反発などを表す)いやいや。なあに。さあ。
- はづかしげ【恥づかしげ】:(こちらが恥ずかしいと思うほど)すぐれている。立派だ。
和泉式部とは正反対の赤染衛門
なんというか、紫式部って陰キャだったんだろうなって感じがひしひしと伝わりますよね。丁寧語でディスってるところがすごく嫌味に感じます。続いては赤染衛門という女性について言及しているのですが、これは赤染衛門個人の批評というよりも、和泉式部と清少納言をより低くディスるためのクッションのような段落です。
赤染衛門は丹波守であった大江匡衡と結婚しました。和泉式部とまったく違い、夫婦仲が良いことで有名だったそうです。紫式部は赤染衛門のことを、とても上品な風格で、歌人としても素晴らしいと絶賛しています。それに比べて品がなく歌も下手くそなのに、自分が賢いと思っている人はかわいそうだと、清少納言へのディスへと続きます。
丹波守の北の方をば、宮、殿などのわたりには匡衡衛門とぞ言ひ侍る。ことにやむごとなきほどならねどまことにゆゑゆゑしく、歌詠みとてよろづのことにつけて詠み散らさねど、聞こえたるかぎりははかなき折節のことも、それこそ恥づかしき口つきに侍れ。ややもせば腰離れぬばかり折れかかりたる歌を詠み出で、えも言はぬよしばみごとしても、われかしこに思ひたる人、憎くもいとほしくも覚え侍るわざなり。
丹波守の奥様のことを、中宮彰子様や藤原道長殿の辺りでは匡衡衛門と呼んでおられました。特に家柄が良いわけではないけれどたいそう上品な風格があり、歌人だからと事あるごとに詠み散らすこともなく、聞こえてくる限りではなんでもない時のことも、それこそ自分が恥ずかしくなるぐらい素晴らしい詠みぶりでございます。ともすれば腰が折れるどころか離れんばかりの下手な歌を詠んで、なんとも言いようがないぐらい無理に上品ぶっていても、自分が賢いと思っている人は憎らしくもあり、かわいそうにも思えてしまうことです。
- 丹波守:大江匡衡のこと。
- きたのかた【北の方】:貴人の妻の敬称。大江匡衡の妻、赤染衛門のこと。
- みや【宮】:皇族の敬称。中宮彰子のこと。
- との【殿】:身分の高い男性をさす語。藤原道長のこと。
- まさひらえもん【匡衡衛門】:夫婦仲が良いことから、夫の名前を付けたあだ名で呼ばれていた。
- ことに【殊に・異に】:特別に。とりわけ。
- やむごとなし:家柄や身分が高貴だ。
- ゆゑゆゑし【故故し】:品があって重々しい。
- くちつき【口付き】:歌の詠みぶり。
- ややもせば:どうかすると。ともすると。
- こしをる【腰折る】:和歌の第三句(腰の句)と第四句の続きが悪いこと。
- えもいはず【えも言はず】:なんとも言いようがないほどひどい。
- よしばむ【由ばむ】:気どる。上品ぶる。
- われかしこ【我賢】:自分こそ賢いと思っているさま。
- いとほし:かわいそうだ。気の毒だ。
清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人
清少納言については説明不要ですね。『枕草子』の著者であり、現代でも紫式部『源氏物語』と並んで紹介されますが、当時もライバル視していたようです。もはや現代語に訳さなくても、原文を読むだけでクソディスってる感が伝わるかと思います。
清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども、よく見ればまだいと足らぬこと多かり。かく人にことならむと思ひ好める人は必ず見劣りし、行く末うたてのみ侍るは。艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるに侍るべし。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよく侍らむ。
清少納言こそ、ドヤ顔でとんでもない人でございましたこと。あれほど利口ぶって漢字を書き散らしていらっしゃる程度も、よく見ればまだとても未熟な点が多い。このように他人と違っていたいとばかり思う人は必ず見劣りし、行く末は思い通りにならないことばかりでございましょう。風流人っぽく振る舞うようになってしまった人は、ぞっとするほど寒々として何もないような場面でもしみじみと趣があるかように振る舞い、おもしろいことも見逃すまいとするうちに、自ら勝手に不適当で中身のない人間になるでしょう。その中身が空っぽになってしまった人の成れの果ては、どうして良くなりましょうか。
- したりがほ【したり顔】:得意顔。
- いみじ【忌みじ】:はなはだしい。なみなみでない。
- さばかり【然許り】:たいそう。非常に。
- さかし【賢し】:利口ぶっている。
- まな【真名】:漢字。「仮名」に対して真の字という意。
- うたて:事態や心情が自分の意志とは関係なく進んでいくさま。
- えん【艶】:思わせぶりなさま。美しく趣のあるさま。
- すごし【凄し】:ひどく寂しい。寒々としている。ぞっとするほど恐ろしい。
- すずろ【漫ろ】:あてがないさま。
- もののあはれ【物のあはれ】:物事にふれて起こるしみじみとした趣。
- さるまじ【然るまじ】:そうであってはならない。不適当だ。そんなはずはない。
- あだ【徒】:実質がない。浮ついている。
紫式部は炎上かまってちゃん?
和泉式部と清少納言を痛烈に批判した紫式部ですが、この後は自分自身の境遇をつづります。
何の取り柄もなく、行く末は希望もない。みすぼらしい部屋には、ほこりかぶった琴が立てかけられ、虫の巣のようになった古本が積み上げられている。夫も亡くなって寂しい。
といった具合です。
現代のSNSにもいますよね。他者をさんざん批判しておいて、自分も辛いのってガード張ってくる人。紫式部が現代を生きていたら、炎上かまってちゃんになっていたかもしれませんね(笑)。