『源氏物語』の第1帖「桐壺」のあらすじと、登場人物を簡単にわかりやすくまとめました。
帝と桐壺更衣との間に皇子として生まれ、この世の者とは思えないほどかわいらしく、学問や音楽の才能にも恵まれた美少年はやがて「光る君」と呼ばれるようになります。しかし3歳で母を亡くし、後ろ盾のない光る君は、「源氏」の性を与えられて臣下となり、皇太子としての道を閉ざされてしまいます。12歳で元服し、左大臣家の姫君と結婚。でも源氏の君が心の内に思うのは、継母である藤壺の宮なのでした。
第1帖「桐壺」のあらすじ
帝の寵愛と妃たちのイジメ
『源氏物語』は主人公光源氏の父と母の悲愛のストーリーから始まります。父は帝、母は後宮に仕える更衣。後宮には大勢の女御や更衣たちが仕えていましたが、帝は一人の更衣だけを異常に寵愛していました。いつでもどこでも更衣をそばに置き、時には日が高くなるまで一緒に寝て過ごして、午前中のまつりごとをサボることも⋯⋯。唐の玄宗皇帝と楊貴妃のように世が乱れやしないかと人々は非難しますが、帝は周りが見えなくなるほど更衣にぞっこん。とうとう二人の間には、玉のようにかわいらしい皇子が生まれました。のちに「光る君」と呼ばれる主人公、光源氏の誕生です。
更衣の父は大納言にまで昇りつめた人物でしたが、すでに亡くなっていました。後宮内でひけを取らないようにと、母北の方はあれこれうまく取り繕いますが、父という後ろ盾がないのはやはり心細そうで、イジメの材料にもなります。帝の寵愛を一身に受けた更衣は、妃たちの嫉妬も一身に背負っていました。更衣の部屋は桐壺にあり、帝がいる清涼殿から遠く離れています。清涼殿へ向かう途上に待っているのは、妃たちによるえげつないイジメ。更衣は心労から病気がちになり、実家に下がることが多くなっていきました。
3歳で母、6歳で祖母を亡くした美少年
若宮が3歳になった年の夏、桐壺更衣はいよいよ容態が悪化し、休暇を申し出ます。しかし、更衣の体調不良にすっかり馴れてしまっていた帝は、「しばらく様子を見てみよう」と言うばかり。更衣の母君が泣く泣くお願いすることで、ようやく許可されました。でももう手遅れ。実家に下がった更衣は、間もなく亡くなってしまいます。「火葬される娘と同じ煙になりたい」と、ひどく取り乱す更衣の母君。食事も喉を通らないほど憔悴する帝。母の死を理解できない3歳の若宮は、人々が悲しむ様子を不思議そうに見ているのでした。
秋になり、夕月が美しい夜、帝は更衣の母君に手紙を贈ります。時が経っても悲しみが紛れることのない帝は、若宮の参内を願っていました。若宮を連れて宮中へ参られるようにと、丁寧に文をしたためますが、更衣の母君はかわいい孫を手放すことがつらく、参内する決心がつきません。帝は「時が経てばしかるべき機会が来るだろう」と、若宮の成長を祈るばかりでした。
そして若宮5歳の年、ついに宮中へ参上します。この世の者とは思えないほど美しく成長した若宮は、もはや不吉に思えるレベルです。一方でその翌年、更衣の母君が亡くなりました。母の時と違って、6歳になった若君はおばあちゃんの死を理解して泣いています。母も祖母も失い、後見人のいない若宮は、「皇子として生まれながら、どこか陰のある美少年」という絶対にモテるキャラを手に入れました。学問や音楽を習わせても、若宮は極めて優秀です。何をやらせても完璧で、まさに選ばれし者であったのです。
皇太子になれず、源氏の君となる
更衣の母君が亡くなる少し前の春、皇太子が決まりました。帝は内心、「桐壺更衣が生んだ若宮をこそ皇太子に立てたい」と望んでいたのですが、弘徽殿女御という正妻との間に先に生まれた第一皇子がいます。その皇子を差し置いて、若宮が皇太子になろうものなら、世間はきっと反発するでしょう。しかも若宮は母も祖母も失い、後ろ盾のない身です。皇太子になればかえって苦労が多いだろうと、帝は胸の内を顔色にも出さないようにしていました。
また、ちょうどその頃に、高麗から当たると評判の占い師が来日していました。その占い師に若宮を見させたところ、
「帝王になるべき素質があるが、世の乱れを招くことになる。国家の柱石として、天下をサポートするのがよろしいかと」
と言います。国内の占い師に見させても、言われることは大体同じ。帝は結局、第一皇子を皇太子に立てて、若宮には源氏の性を与えて臣下とすることに決めました。
光る君、輝く日の宮
どれだけ月日が流れても、桐壺更衣への未練を断ち切れない帝。すべてが虚しいとかグチグチ憂いていたところ、桐壺更衣にとてもよく似た人が藤壺の間にいると耳にします。先帝の第四皇女で、身分の高さは申し分ありません。桐壺更衣の時と違って、誰も見下すことはできないでしょう。帝はさっそく入内するように伝えますが、藤壺の宮の母后は、桐壺更衣の二の舞いになるのではないかと拒否。しかし、その母后が間もなく亡くなります。兄上や後見人のすすめで藤壺の宮は帝に仕えることとなり、源氏の君の継母となりました。
藤壺の宮は、桐壺更衣と見た目も雰囲気もあやしいほどに瓜二つ。母の面影すら記憶にない源氏の君は、「母君にそっくりですよ」と言われれば尊いと感じ、いつも藤壺の宮のそばにいたいと思います。例えようもなく美しく、輝かしい源氏の君と藤壺の宮は、「光る君」、「輝く日の宮」と世に知られたのでした。
12歳で元服、左大臣の娘と結婚
源氏の君は12歳で元服します。成人のお姿はますます美しく、驚きあきれんばかりです。加冠役を務めたのは左大臣。帝の妹婿であり、帝から厚く新任されている人物です。左大臣にはただ一人、大切に育てている姫君がいました。皇太子からも入内を所望されていましたが、源氏の君を婿に迎えようと待っていたのです。帝にはすでに話を通していたので、この元服の折にと、姫君と源氏の君を結婚させることが決まりました。元服の祝宴後、源氏の君は左大臣の邸宅へと出かけます。婚礼の儀式を済ませ、左大臣家の婿となりました。姫君は源氏の君よりも少し年上です。まだあどけなさが残る源氏の君と並ぶのが、恥ずかしくも思われるのでした。
父は左大臣、母は帝の妹という華やかな家系の姫君に、源氏の君が婿として迎えられました。左大臣の勢いは、皇太子の祖父である右大臣をも圧倒するほどです。姫君には蔵人少将という兄がおり、これがまた若い美男子。左大臣と右大臣はあまり仲が良くなかったのですが、蔵人少将は右大臣の四女の婿として迎えられました。左大臣が源氏の君を大切にもてなすように、右大臣も蔵人少将を丁重に扱います。左大臣と源氏の君、右大臣と蔵人少将、両家とも理想的な婿と舅の関係を築いていました。
理想の人は藤壺の宮
結婚したあとも、源氏の君が内心に恋い慕っているは藤壺の宮でした。左大臣の姫君も決して悪くない美女であるのに、いかにも箱入り娘という感じが好きになれないのです。成人してからは、藤壺の宮の部屋へ入ることができません。それでもほのかに漏れる声を慰めにしようと、源氏の君は宮中で過ごしたがります。姫君が待つ左大臣邸へはたまにしか出向きませんが、まだ幼い年頃だから罪ではあるまいと、左大臣家は源氏の君を丁重にもてなすのでした。
宮中では桐壺更衣が住んでいた淑景舎を、源氏の君に使わせることに。桐壺更衣に仕えていた女房たちはそのまま、源氏の君に仕えることになりました。更衣の実家では、立派に改築するための大工事が進んでいます。源氏の君は、「このような所に、理想のあの人と住めたら⋯⋯」としつこく思い続けるのでした。
光る君という名は、あの高麗人が付けたとか。
第1帖「桐壺」の登場人物まとめ
- 光源氏:物語の主人公。輝かしい美少年。左大臣の姫君と結婚するが、継母である藤壺の宮を恋い慕っている。
- 帝:光源氏の父。桐壺更衣を寵愛するも、それが重荷となった更衣は早逝。更衣にそっくりな藤壺の宮を迎え入れる。
- 桐壺更衣:光源氏の母。帝からの寵愛を受ける一方で人々の嫉妬を買い、3歳の光源氏を残して亡くなってしまう。
- 大納言:桐壺更衣の父。大納言は太政官に次ぐ地位。すでに故人となっている。
- 北の方:桐壺更衣の母。夫にも娘にも先立たれた悲しみに暮れたまま、光源氏が6歳の時に逝去。
- 藤壺の宮:光源氏の継母。先帝の第四皇女であり、桐壺更衣のそっくりさん。光源氏に好意を抱かれている。
- 左大臣:光源氏の義父。妻は帝の妹であり、帝からの信任も厚い。娘の婿として光源氏を迎え入れる。
- 姫君:左大臣の娘。光源氏と結婚するが、夫はなかなか家に帰ってこない。光源氏よりも少し年上。
- 蔵人少将:左大臣の息子であり、姫君の兄。右大臣の四女の婿。光源氏の親友として物語に長く登場する。
- 右大臣:皇太子の祖父。ライバルである左大臣の息子、蔵人少将を四女の婿として迎え入れる。蔵人少将との関係は良好。
- 弘徽殿女御:右大臣の娘。帝の正妻であり、皇太子の母。桐壷更衣を恨み、藤壺の宮と光源氏のこともよく思っていない。
白居易の漢詩『長恨歌』との関係性
『源氏物語』は白居易の漢詩『長恨歌』からの引用が多々あります。『長恨歌』は『源氏物語』よりも約200年前に作られた漢詩で、唐の玄宗皇帝と楊貴妃との悲恋の物語を歌ったものです。楊貴妃に溺れ、酒色にふけっていた玄宗皇帝は、反乱を起こされてしまい楊貴妃を死なせてしまいます。安史の乱と呼ばれる反乱は7年以上にわたって続き、唐国が滅亡するきっかけとなりました。平安時代の貴族たちは教養として漢詩を学んでおり、『長恨歌』は広く知られていました。『長恨歌』の内容を知っておくと『源氏物語』をより深く楽しめますので、ぜひこちらのページもご覧くださいませ♪