万葉集「巻5-794番歌」の原文・現代語訳・作者・万葉歌碑

  大王の遠の朝廷としらぬひ筑紫の国に泣く子なす慕ひ来まして息だにもいまだ休めず年月もいまだあらねば心ゆも思はぬ間にうちなびき臥しぬれ言はむすべ為むすべ知らに石木をも問ひ放け知らず家ならば形はあらむをうらめしき妹の命の我をばも如何にせよとか鳰鳥の二人並び居語らひし心背きて家さかりいます

『万葉集』の第5巻に収録されている794番歌は、太宰府への赴任直後に妻を亡くした大伴旅人になり代わって、山上憶良が詠んだ歌です。万葉歌碑は福岡県太宰府市にある「太宰府メモリアルパーク」にあります。太宰府メモリアルパークはなんと16基もの万葉歌碑が設置されている宝庫。博多湾まで一望できる景色も素晴らしいので、ぜひ訪れてみてください。『万葉集』第5巻、794番歌の原文・読み下し文・現代語訳と、万葉歌碑の場所をご紹介します♪

第5巻 794番歌の原文・現代語訳

原文

  日本挽謌一首

  大王能等保乃朝廷等斯良農比筑紫國尒
  泣子那須斯多比枳摩斯提伊企陀尒母伊摩陀夜周米受年月母伊摩他阿良祢婆
許々呂由母於母波奴阿比陀尒宇知那毗枳許夜斯努礼
  伊波牟須弊世武須弊斯良尒石木乎母刀比佐氣斯良受
  伊弊那良婆迦多知波阿良牟乎宇良賣斯企伊毛乃美許等能阿礼乎婆母伊可尒世与等可
  尒保鳥能布多利那良毗為加多良比斯許々呂曽牟企弖伊弊社可利伊摩須

読み下し文

  ほんばん一首

  大王おほきみとほ朝廷みかどとしらぬひ筑紫つくしの国に
  泣く子なす慕ひ来ましていきだにもいまだ休めず年月としつきもいまだあらねば

  心ゆも思はぬあひだにうちなびきこやしぬれ
  はむすべむすべ知らにいはをもけ知らず
  いへならばかたちはあらむをうらめしきいもみことあれをばも如何いかにせよとか
  にほどりの二人並び語らひし心そむきていへさかりいます

語釈
  • とほのみかど【遠の朝廷】:都から遠く離れた役所。大宰府のこと。
  • しらぬひ:地名「筑紫」にかかる枕詞。知らぬ日。国生み神話に筑紫を白日別という。
  • うちなびく【打ち靡く】:ゆるやかに横に揺れ動く。人が横になる。
  • こやす【臥す】:「臥ゆ」の尊敬語。横におなりになる。多く、死者が横たわっている意に用いる。
  • いはき【石木】:岩や木。感情のないもののたとえ。
  • とひさく【問ひ放く】:問いを発する。遠くから言葉をかける。
  • かたち【形】:姿。
  • いも【妹】:男性から妻・恋人・姉妹、その他いとしい女性を呼ぶ語。
  • みこと【命】:神や天皇また目上の人を敬っていう語。
  • にほどり【鳰鳥】:カイツブリ。雌雄並んで行動する水鳥。
  • さかる【離る】:離れる。遠ざかる。

現代語訳

  日本挽歌一首

  大王の遠い朝廷と、知らぬ日が昇る筑紫の国に、
  泣く子のように慕って来られて、ひと息もいまだ休めず、年月もいまだ経っていないのに、
  心にも思いがけぬ間にふらふらと揺れなびき、床に臥せってしまわれました。
  言うべきすべも為すすべもわからず、岩や木にまで問いかけてみてもわからず、
  もとの家にいたならば姿はあっただろうにと、うらめしく思う妻のあなたは、この私にどうせよと言うのでしょうか。
  鳰鳥のように二人並んで語り合った心に背を向けて、家から遠く離れていらっしゃいます。

第5巻 794番歌の万葉歌碑

『万葉集』第5巻、794番歌の万葉歌碑は、福岡県太宰府市の「太宰府メモリアルパーク」にあります。

太宰府メモリアルパークの場所

太宰府メモリアルパーク「太宰府悠久の丘」 / 2024年10月4日訪問

住所:〒818-0134 福岡県太宰府市大佐野字野口807-128

 太宰府メモリアルパークは広大な敷地の公園墓地で、794番歌の万葉歌碑は「太宰府悠久の丘」というエリアにあります。小高い山上にあり、車がないと行きづらい場所ではありますが、無料送迎バスがあります。JR二日市駅、または西鉄都府楼前駅から1日4便(水曜運休)運行中(2024年10月15日時点)。詳しい時刻や最新情報は公式サイトをご確認くださいませ。

交通アクセス | 太宰府メモリアルパーク

太宰府メモリアルパークの万葉歌碑

『万葉集』第5巻 794番歌の万葉歌碑 / 2024年10月4日訪問
『万葉集』第5巻 794番歌の解説 / 2024年10月4日訪問
太宰府メモリアルパークからの眺め / 2024年10月4日撮影