白居易(白楽天)の代表作、『長恨歌』を全4回に分けて考察していきます。第1回は漢皇が楊家の娘を寵愛し、楊家一門が権勢を得るところまで。漢皇は唐の第9代皇帝玄宗、楊家の娘は楊貴妃がモデルです。二人の悲恋のエピソードは『源氏物語』にも取り入れられており、桐壺帝と桐壺更衣との関係は、玄宗皇帝と楊貴妃との関係に似通っています。
『長恨歌』を段落に区切って、原文に語釈を加えながら詳しく読み解いていきます。全文を通しで読みたい方は、以下のページをご覧ください♪
漢皇重色思傾国
原文・語釈・現代語訳
長 恨 歌
漢 皇 重 色 思 傾 国
御 宇 多 年 求 不 得
楊 家 有 女 初 長 成
養 在 深 閨 人 未 識
天 生 麗 質 難 自 棄
一 朝 選 在 君 王 側
迴 眸 一 笑 百 媚 生
六 宮 粉 黛 無 顔 色
長恨歌
漢皇色を重んじて傾国を思う
御宇多年求むれども得ず
楊家に女有り初めて長成す
養われて深閨に在れば人未だ識らず
天生の麗質は自ら棄て難く
一朝に選ばれて君王の側に在り
眸を迴らして一たび笑えば百の媚生じ
六宮の粉黛は顔色無し
- 長恨:(思い通りにならず)残念がる。嘆き恨む。
- 重色:女色を好む。
- 御宇:天下を治める。御代。治世。
- 深閨:深窓。奥の部屋。
- 麗質:美しい容貌。美貌。
- 迴眸:振り返って見る。
- 一笑百媚:一たび笑うと百の愛嬌が生まれるほど色っぽい。
- 六宮:後宮。
- 粉黛:おしろいとまゆ墨。後宮の美しく装った女性たち。
漢の皇帝は女色を重んじて、国を傾けるほどの美女を望んでいた。しかし御治世の多年、どれだけ探し求めても得られなかった。
楊家に娘あり、成人したばかりである。奥の部屋で大切に育てられていたため、人はまだ誰も知らない。天生の麗しい素質はおのずから捨てがたく、一朝に選ばれて君王のそばに仕える身となった。瞳をめぐらせて一たび微笑めば、百の愛嬌が生まれる。六宮の華やかに装う美女たちも、色気を無くしてしまう。
漢皇と傾国の美女
実際のモデルは唐の第9代皇帝「玄宗李隆基(685年 – 762年)」ですが、唐皇ではなく漢皇とすることで名指しを避け、物語として歌っています。傾国というのは「国を傾けるほどの美女」という意味で、前漢の第7代皇帝「武帝劉徹(前156年 – 前87年)」の李夫人が由来です。李夫人の兄であり、歌舞を得意とする楽人であった李延年が、
北方有佳人 北方に佳人有り
絶世而独立 絶世にして独立す
一顧傾人城 一顧すれば人の城を傾け
再顧傾人国 再顧すれば人の国を傾く
と、武帝の前で歌ったところ、武帝は「国を傾けるほどの佳人(美女)」に興味津々。その佳人こそが李延年の妹であり、武帝の夫人として後宮に入ったというエピソードがあります。ただ、李夫人における傾国とは、国を崩壊に傾けるほどの美女、という意味ではありません。美女を見ようと国中の人が集まって、大地を傾けてしまう、というような意味です。李夫人は武帝の寵愛を一身に受けていたそうで、その点は楊貴妃にも桐壺更衣にも共通します。しかし武帝との間に皇子劉髆を産んだあと、若くして亡くなったとされており、どちらかというと桐壺更衣に似ているようですね。
楊貴妃の出自
楊貴妃は開元7(719)年6月1日、蜀の地方役人であった楊玄琰の四女として生まれました。もとの名を楊玉環といい、楊家はそれほど身分の高い家柄ではなかったと思われますが、開元23(735)年に16歳で寿王李瑁の妃となります。寿王李瑁は玄宗皇帝の第18子。そうです、玄宗は自分の息子の妻を奪い取ったのです。さすがに奪い取ったというのはまずいので、開元28(740)年にいったん女道士として出家させることで、寿王と離婚させました。その4年後に正式に玄宗の後宮に入り、翌年の天宝4載(745年)には皇后に次いで位の高い「貴妃」に立てられ、楊貴妃となったのでした。
春寒賜浴華清池
原文・語釈・現代語訳
春 寒 賜 浴 華 清 池
温 泉 水 滑 洗 凝 脂
侍 児 扶 起 嬌 無 力
始 是 新 承 恩 澤 時
雲 鬢 花 顔 金 歩 揺
芙 蓉 帳 暖 度 春 宵
春 宵 苦 短 日 高 起
従 此 君 王 不 早 朝
春寒くして浴を賜う華清の池
温泉水滑らかにして凝脂を洗う
侍児扶け起こすも嬌として力無し
始めて是れ新たに恩沢を承けし時なり
雲鬢花顔金歩揺
芙蓉の帳は暖かくして春宵を度る
春宵苦だ短くて日高くして起く
此れ従り君王早朝せず
- 凝脂:白くてつやのある肌。
- 侍児:おつきの者。侍女。
- 嬌:きゃしゃである。弱々しい。
- 恩澤:(帝王や官吏が下の者に与える)愛情。
- 雲鬢:ふさふさした美しいびん髪。
- 花顔:花のように美しい顔つき。
- 金歩揺:歩くたびに揺れる金の髪飾り。
- 芙蓉:ハスの花。芙蓉帳はハスの花模様のベッドを囲む幕。
- 度:過ごす。
春はまだ寒くして、湯浴を賜わる華清の池。温泉の水はなめらかで、つややかな白い肌を洗う。侍女が支え起こすも、なまめかしく力なくゆらめく。初めてこれ新たに、帝の寵愛を承った時であった。雲のように豊かなびん髪、花のように美しい顔つき、歩けば揺れる金の髪飾り。芙蓉のとばりは暖かく、春の宵を過ごす。春の宵は苦しいほどに短くて、日が高くなってようやく起きた。これより君王、早朝のまつりごとを怠る。
華清池とは
華清池は長安(現在の西安市)から東北へ約30km先にある温泉地です。3000年以上も前から温泉が湧き出ており、周代から歴代皇帝の行楽地として利用されていました。唐代初期に造営された「温泉宮」と呼ばれる離宮を、天宝6載(747年)に玄宗皇帝の命令で大規模に拡張。「温泉宮」から「華清宮」に改称されました。玄宗皇帝と楊貴妃はここで酒色にふけり、贅沢の限りを尽くしていたようです。
桐壺帝も早朝せず
「日高くして起き、君王早朝せず」とはまったくけしからんですよね。『源氏物語』にも、「ある時には大殿籠もり過ぐして、やがてさぶらはせたまひ」という記述があります。「大殿籠もり過ぐす」とは「寝過ごす」という意味で、要するに桐壺帝と桐壺更衣も日が高くなるまでアレしていたわけです。「やがてさぶらはせたまひ」とは、「そのまま側に仕えさせる」という意味。24時間ずっと一緒にいて、政治をサボっているのですから、まあ、一言でクソです(笑)。
承歓侍宴無閑暇
原文・語釈・現代語訳
承 歓 侍 宴 無 閑 暇
春 従 春 遊 夜 専 夜
後 宮 佳 麗 三 千 人
三 千 寵 愛 在 一 身
金 屋 粧 成 嬌 侍 夜
玉 楼 宴 罷 酔 和 春
姉 妹 弟 兄 皆 列 土
可 怜 光 彩 生 門 戸
遂 令 天 下 父 母 心
不 重 生 男 重 生 女
歓を承け宴に侍して閑暇無し
春は春の遊びに従い夜は夜を専らにす
後宮の佳麗三千人
三千の寵愛一身に在り
金屋粧い成りて嬌として夜に侍し
玉楼宴罷みて酔ひて春に和す
姉妹弟兄皆な土に列す
憐む可し光彩門戸に生ず
遂に天下の父母の心をして
男を生むを重んぜず女を生むを重んぜしむ
- 承歓:(他の人の意向に合わせて)喜んでもらう。
- 夜専夜:帝の夜のお供を一人で務めること。
- 佳麗:美しい女性。
- 列土:爵位と領地を与えられること。
- 門戸:一門。
帝の歓心を承り、宴席にもそばでお仕えして閑暇なし。春は春の御遊びに付き従い、夜は夜のお供を専らに付き添う。後宮の華麗な美女たち三千人、三千の寵愛が一身にあり。金の御殿ではおめかしして艶やかに夜を興じ、玉の楼殿では宴を抜け出して酔いと春の気に調和する。
姉妹兄弟みな領土を賜り、誰もがうらやむ光彩なる一門が誕生した。ついに天下の父母の心は、男子を生むことを重んぜず、女子を生むことを重んずるようになった。
金屋と玉楼
「金屋」も武帝のエピソードが元ネタです。武帝が子供の頃、のちに最初の皇后となる「陳皇后」と会った時に、「もし阿嬌(陳皇后の幼名)をお嫁にできるなら、金屋(黄金の御殿)を建ててあげたい」と話した故事によります。「粧い成りて嬌として侍し」の「嬌」は愛嬌の嬌で、「かわいい」とか「色っぽい」といった意味がありますが、阿嬌にもかけているのではないでしょうか。ちなみに陳皇后は「傾国の美女」で紹介した李夫人とは別人です。
「玉楼」は玉(宝石)で飾った豪華な建物のことで、金屋がプライベートな場所であるのに対して、玉楼は宴などが催されるオープンな場所です。「罷」は「やめる」とか「終わる」という意味と、「退出する」という意味があります。私は後者の意を取り、宴までも二人で抜け出してアレしていたと解釈しました。私の思考が歪んでいるのかもしれません(笑)。
楊貴妃の姉妹兄弟
玄宗皇帝は楊貴妃のみならず、楊家一門にいい思いをさせました。楊貴妃は四女であり、3人の姉がいます。長女は韓国夫人、次女は虢国夫人、三女は秦国夫人に封じられ、化粧代として毎年多額の金銭を支給されました。また、楊貴妃の又従兄である楊国忠も宰相となり、楊家は光彩門戸となったのです。周りからすると超胸糞案件。男子を生むよりも、女子を生んで宮廷に入れるべきだと人々が思うのも無理ありませんね。