在千潟あり慰めて行かめども家なる妹いいふかしみせむ
『万葉集』の第12巻に収録されている3161番歌は、さまざまに解釈されている作者不詳の歌です。在千潟の場所についても諸説あり、はっきりとはしていませんが、現在の福岡県福津市星ヶ丘団地辺りではないかという説にちなみ、万葉歌碑が建立されています。『万葉集』第12巻、3161番歌について、原文・読み下し文・現代語訳と、万葉歌碑の場所を紹介します♪
『万葉集』第12巻 3161番歌の原文と現代語訳
在千方在名草目而行目友家有妹伊将欝悒
在千潟あり慰めて行かめども家なる妹いいふかしみせむ
- 在千潟:所在未詳の地名。福岡県、福井県、京都府など諸説あり。地名ではなく枕詞とする説もある。
- あり【有り・在り】:その場にいる。過ごす。
- なぐさむ【慰む】:気を晴らす。心を楽しませる。
- いも【妹】男性から妻・恋人・姉妹、その他いとしい女性を呼ぶ語。
- い:語調を強める間投助詞。
- いふかし:事情をはっきり知って安心したい。物事がはっきりせず心がはればれとしない。疑わしい。不審である。
在千潟へ気晴らしに行きたいけれど、家にいる妻はきっと不審に思うだろう。
たまには一人で遊びに行きたいかも♪
『万葉集』第12巻 3161番歌の解釈
この歌には主に二つの解釈があります。一つは、「美しい在千潟の地でしばらく心を慰めて行きたいけれど、家で待っている妻は不安に思うだろう」という、旅先で妻を思いやる夫の歌。もう一つは、「在千潟のようにあなたとずっと一緒にいて心を楽しませて行きたいけれど、家にいる妻が不審に思うだろう」という、浮気相手をうまく言いくるめる男の歌です。解釈によって良い夫にも悪い夫にもなるのですから、不明な要素が多い分、自由に解釈できるのは面白いと思います。
私はどう思ったかというと、「ちょっと在千潟へ気晴らしに行きたいけれど、妻が不安に思うだろうからやめておこうかな」と解釈するのがしっくりきました。現代に生きる男たちも、同じような経験がある人は多いのではないでしょうか。別にやましいことをするわけでもないのに、一人で出かけようとすると「誰と会うの? どこに行くの? 何時に帰って来るの?!」だの言われたり、鬼LINEされたりして、うんざりしたことはありませんか?
えっ、ない?
もし在千潟の地が、現在万葉歌碑が立っている福岡県福津市星ヶ丘団地付近だとすると、光の道で有名な宮地嶽神社の近くであり、江戸時代に「津屋崎千軒」と呼ばれる大繁華街であった津屋崎町があります。奈良時代以前の津屋崎がどんな場所だったのかはわかりませんが、5~6世紀に築かれたとされる「新原・奴山古墳群」もこの近くであり、星ヶ丘団地周辺は昔から人が多く住んでいて、かなり栄えていたのではないかと思うのです。というわけで、私は在千潟が当時の繁華街、人が集まる場所の地名だったのかもと思い、このような解釈に至りました。
『万葉集』第12巻 3161番歌の万葉歌碑
在千潟あり慰めて行かめども家なる妹いいふかしみせむ
この歌が刻まれた万葉歌碑は、福岡県福津市の星ヶ丘団地を上った先にあります。なぜこの場所に建てられたのかというと、江戸時代の学者「貝原益軒」が編纂した『筑前国続風土記』に、この3161番歌にある「在千潟」はこの付近だと記されているからです。この辺りはかつて宗像郡の荒自郷というエリアであり、現在も在自という地名が残っています。目の前に広がる海は、在自潟と呼ばれていたのではないでしょうか。あくまで「在自潟参考地」とされておりますが、貝原益軒の説はかなり確度が高いのではないかと思います。
住所:〒811-3308 福岡県福津市星ヶ丘6