2024年– date –
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それ三界はただ心一つなり|方丈記「我が身一つ」現代語訳
それ、人の友とあるものは 原文 夫とするにはしかず。 現代語訳 そもそも、人の友というものは、裕福な人を尊敬し、しきりと親密そうにする人を第一とする。必ずしも思いやりのある人や、心がまっすぐな人を愛するわけではない。ただもう、音楽と自然... -
草庵への愛着|方丈記「仮の庵もやや故郷となり」現代語訳
おほかた、この所に住みはじめし時は 原文 おほかた、この所に住みはじめし時は、あからさまと思ひしかども、今すでに、五へるもあまた聞こゆ。まして、その数ならぬたぐひ、尽くしてこれを知るべからず。 現代語訳 そもそも、この場所に住み始めた時... -
自ら休み自ら怠る|方丈記「気ままな暮らし」現代語訳
もし、念仏もの憂く、読経まめならぬ時は 原文 もし、念仏もの憂なければ何につけてか破らん。 現代語訳 もし、念仏をするのがおっくうで、読経にも気が進まない時は、気ままに休み、気ままにサボる。それを邪魔する人もいなければ、恥ずかしいと思う... -
大豪邸から山小屋へ|方丈記「方丈の庵」の現代語訳
ここに、六十の露消えがたに及びて 原文 ここに、六十し。 現代語訳 さて、60歳という露の消えかかるころになって、改めて葉先の露のようにはかない余生を送る家を造ることになった。言ってみれば、旅人が一夜を過ごすための宿を造り、年老いた蚕がま... -
方丈記「長明の過去と住まい」大原に隠れ住み出家するまで
わかがみ、父方の祖母の家を伝へて 原文 わかがみ、父ぶ。 現代語訳 私は若いころ、父方の祖母の家を受け継いで、長らくその場所に住んでいた。その後、縁が切れ、身は落ちぶれて、思いを寄せる方々も多かったけれど、とうとう家を持ち続けることがで... -
『方丈記』後編の始まり「生きづらい世の中」の現代語訳
すべて、世の中のありにくく 原文 すべて、世の中のありにくく、わが身と栖ふべからず。 現代語訳 総じて、世の中が生きづらく、我が身と住まいとがはかなく仮めなさまは、重ねて述べてきたとおりである。ましてや、場所によって、境遇を受け入れ続け... -
元暦の大地震とは?『方丈記』の現代語訳と地震の規模を考察
元暦の大地震とは、元暦2(1185)年7月9日の午刻(正午頃)に平安京を襲った大地震です。翌月の8月14日に元暦から文治へと改元されたため、文治地震とも呼ばれます。地震の推定規模はマグニチュード7.4。平成7(1995)年1月17日に発生した兵庫県南部地震... -
【悲惨】養和の飢饉とは?『方丈記』の原文と現代語訳を考察
養和の飢饉とは、養和元(1181)年から寿永元(1182)年にかけて、平安京を含む西日本一帯で発生した大飢饉のことです。『方丈記』の記述によれば、京都市中だけで死者42,300人。当時の京の人口は約10万人といわれていますので、半数近くの庶民が犠牲に... -
【平清盛の暴挙】方丈記「福原遷都」の原文と現代語訳を考察
また、治承なりし事なり。 治承4(1180)年5月30日、平清盛の口から福原への遷都が発表されました。予定日はたった3日後の6月3日。それも1日早められて、6月2日に遷幸が開始されます。安徳天皇、高倉上皇、後白河法皇は、平清盛らとともに福原へと出発... -
平氏滅亡の予兆?方丈記「治承の辻風」の現代語訳と時代背景
辻風は常に吹くものなれど、かかる事やある。ただ事にあらず。さるべきもののさとしか、などぞ疑りし。 治承4(1180)年4月29日、平安京ですさまじい辻風(竜巻)が発生しました。「辻風は常に吹くものなれど」とあるように、当時の京都ではそれほど珍...