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万葉集「巻3-338番歌」の原文・現代語訳・作者・万葉歌碑
験れる酒を飲むべくあるらし 『万葉集』の第3巻に収録されているこの歌は、大伴旅人が天平元(729)年頃に詠んだ「酒を讃むる歌13首」の一つです。旅人は60歳を超えて大宰府へ赴任することになり、赴任直後に奥さんと死別するなど不遇の晩年を送っていま... -
万葉集「巻5-梅花の歌序」の原文・現代語訳・作者・万葉歌碑
初春の令月にして、気淑らす 元号「令和」の由来となったこちらの文言は、『万葉集』の第5巻に収録されている「梅花の歌序」の一部です。天平2(730)年1月13日、大宰府の長官を務めていた大伴旅人の邸宅で、「梅花の宴」が催されました。上司と部下と... -
万葉集「巻4-555番歌」の原文・現代語訳・作者・万葉歌碑
君がため醸の野に独りや飲まむ友無しにして 『万葉集』の第4巻に収録されているこの歌は、大伴旅人が天平元(729)年頃に丹比へ贈った餞別の歌です。当時の大伴旅人は大宰府の長官で、丹比県守は次官。部下であり、飲み友達でもあった県守は、異動により... -
源氏物語「玉鬘」のあらすじをわかりやすく紹介
『源氏物語』の第22帖「玉鬘」から第31帖「真木柱」までは玉鬘十帖と呼ばれ、玉鬘が結婚するまでの半生が描かれています。玉鬘は光源氏が17歳の頃に逢瀬を交わしていた美女、夕顔の娘。光源氏は夕顔のことが忘れられず、娘である玉鬘の行方も気になってい... -
紫式部日記「日本紀の御局」原文と現代語訳
左衛門の内侍といふ人侍り 原文 左らむよ。 現代語訳 左衛門の内侍という人がいます。よくわからないけど、なぜか私のことをよく思ってなくて、身に覚えのないモヤモヤする陰口がたくさん聞こえてきました。帝(一条天皇)が源氏物語を女房に朗読させ... -
藤原広嗣|鎌足・不比等からの家系と生涯をわかりやすく解説
天平12(740)年に朝廷への反乱を起こした人物として歴史に名を残している藤原広嗣。藤原姓の始祖、中臣鎌足のひ孫で、祖父は大政治家の藤原不比等。不比等の4人の息子たちは藤原四兄弟と呼ばれ、政権の中枢を担っていましたが、天然痘パンデミックによ... -
藤原広嗣の乱|若きエリートはなぜ大宰府で兵を挙げたのか?
天平12(740)年の夏、大宰府に左遷されたことに不満を抱いていた若者が、朝廷に向けて兵を挙げました。若者の名は藤原広嗣。藤原氏の始祖である中臣鎌足のひ孫であり、祖父は大政治家として名を残した藤原不比等。父の宇合もまた政権の中心で活躍してい... -
鏡神社(佐賀県唐津市)|紫式部『源氏物語』ゆかりの地を訪問
佐賀県唐津市に鎮座する鏡神社。西暦200年頃に創立された歴史ある神社で、『源氏物語』の第22帖「玉鬘」の巻で詠まれた歌に登場します。玉鬘はさまざまな事情があって、3歳の頃に京から筑紫国へと引っ越してきた姫君。そこで育った玉鬘は美しく成長し、... -
木曾義仲はなぜ殺された?頼朝・義経と戦うハメになった経緯
寿永3(1184)年1月20日、粟津の戦いで討ち死にした木曾義仲(源義仲)。最期に戦った相手は、源頼朝が派遣した軍隊です。義仲は頼朝と同じ源氏であり、従兄弟という関係。頼朝の弟である義経も、義仲の従兄弟です。 源氏にとって共通の敵は平氏であっ... -
巴御前は実在しない?「木曾の最期」の巴と義仲の関係を考察
木曾義仲に仕えた女武者として知られる巴御前。『源平盛衰記』に登場する人物ですが、当時の一次資料や鎌倉幕府が編纂した歴史書『吾妻鏡』には記述がなく、実在しないのではないかともいわれています。 『平家物語』によると、巴御前は色白で髪が長く、...