12月13日生まれの歴史上の人物・偉人一覧と歴史的な出来事

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12月13日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢39名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!

【日本】12月13日生まれの歴史上の人物・偉人一覧

※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、12月13日と一致する人物だけを掲載しています。

生年人物名肩書き
1675年三宅康雄三河田原藩第2代藩主
1692年五島盛暢肥前福江藩第7代藩主
1723年朽木玄綱丹波福知山藩第6代藩主
1735年池田澄延備中生坂藩第4代藩主
1748年松平直方越後糸魚川藩第2代藩主
1841年赤松則良幕臣・海軍軍人・造船技術者
1847年宗義達対馬府中藩第16代藩主
1851年瀧川辨三実業家・神戸商業会議所会頭
1877年大谷竹次郎実業家・松竹創業者
1877年白井松次郎実業家・松竹創業者
1902年屋良朝苗教育者・琉球政府行政主席・沖縄県知事
1905年島田正吾俳優・新国劇指導者
1906年平井富三郎通産官僚・新日本製鐵社長
1910年入矢義高中国文学者・禅学者
1911年鈴木棠三国文学者・民俗学者
1918年清家清建築家
1920年土橋啓二鉄道技術者
1924年小倉昌男実業家・ヤマト運輸社長
1928年三浦保実業家・陶芸家
1931年城達也声優・ナレーター

※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。

【海外】12月13日生まれの歴史上の人物・偉人一覧

生年人物名肩書き
1521年シクストゥス5世ローマ教皇
1553年アンリ4世フランス王・ナバラ王
1678年雍正帝清朝第5代皇帝
1797年ハインリヒ・ハイネドイツの詩人・評論家
1816年ヴェルナー・フォン・ジーメンスドイツの電気技術者・実業家
1819年トーマス・フランシス・ディクシーイギリスの画家
1846年ニコライ・ヤロシェンコロシアの画家
1871年エミリー・カーカナダの画家・作家
1902年タルコット・パーソンズアメリカの社会学者
1915年クルト・ユルゲンスドイツ・オーストリアの俳優
1919年ハンス=ヨアヒム・マルセイユドイツ空軍軍人
1922年ロベール・ヴェイロン=ラクロワフランスのチェンバロ奏者
1923年フィリップ・アンダーソンアメリカの物理学者
1923年アントニ・タピエススペイン・カタルーニャの画家
1923年ラリー・ドビーアメリカの野球選手・監督
1929年クリストファー・プラマーカナダの俳優
1934年リチャード・D・ザナックアメリカの映画プロデューサー
1937年ローベルト・ゲルンハルトドイツの作家・風刺画家
1953年パット・トーピーアメリカのドラマー

12月13日生まれの代表的な偉人

赤松則良

  • 生没年:1841年12月13日(天保12年11月1日)~1920年9月23日(大正9年9月23日)
  • 国:日本
  • 肩書き:幕臣・海軍軍人・造船技術者

江戸の幕臣家に生まれ、長崎海軍伝習所で学び、咸臨丸の測量方として渡米したのち幕府留学生としてオランダで造船を修めました。維新後は海軍の技術教育、横須賀造船所、佐世保・横須賀鎮守府を率い、国産軍艦の建造と技術者育成を進めました。輸入艦への依存から設計・建造能力を国内へ移す基盤を築き、『日本造船の父』と呼ばれる近代工業化の担い手となりました。一方、造船技術は民間交通だけでなく台湾出兵や帝国海軍の拡張を支え、軍事力強化と植民地侵略へ結びついた側面を功業から切り離せません。

大谷竹次郎

  • 生没年:1877年12月13日(明治10年12月13日)~1969年12月27日(昭和44年12月27日)
  • 国:日本
  • 肩書き:実業家・松竹創業者

京都の芝居小屋に関わる家に双生児として生まれ、兄白井松次郎とともに明治末から劇場興行の近代化へ乗り出しました。松竹を創業し、歌舞伎の興行網を統合する一方、映画製作へ進出して撮影所、配給、映画館を一体化しました。伝統芸能を都市の大衆市場へつなぎ、日本映画のスター・監督・ジャンルを育てる巨大な文化産業を築きました。一方、興行の集中は俳優・劇場への支配力を強め、戦時期には国策映画と統制に協力したため、文化保護者という像だけで労働関係と国家協力を覆えません。

屋良朝苗

  • 生没年:1902年12月13日(明治35年12月13日)~1997年2月14日(平成9年2月14日)
  • 国:日本
  • 肩書き:教育者・琉球政府行政主席・沖縄県知事

沖縄県読谷村に生まれ、師範教育を受けて教員となり、沖縄戦後は壊滅した学校の再建と教職員組織を率いました。米軍統治下で祖国復帰運動を進め、公選の琉球政府行政主席、復帰後の初代沖縄県知事として基地問題と県政移行を担いました。教育を住民自治と平和の基盤に置く姿勢は、沖縄の復帰運動と戦後地方政治の重要な軸になりました。一方、日本復帰は施政権返還を実現した一方で米軍基地の集中を固定し、本人の現実的妥協も独立論・反復帰論を含む沖縄内部の多様な意思を代表しきれませんでした。

清家清

  • 生没年:1918年12月13日(大正7年12月13日)~2005年4月8日(平成17年4月8日)
  • 国:日本
  • 肩書き:建築家

京都の寺院の家に生まれ、東京美術学校と東京工業大学で学び、戦後の住宅不足と生活様式の変化に向き合いました。『私の家』『斎藤助教授の家』などで可動建具、簡潔な構造、家具と空間の一体化を試み、住宅設計と工業デザインを結びつけました。伝統的な間の柔軟性を近代生活へ翻案し、戦後日本の小住宅、建築教育、生活デザインへ大きな影響を与えました。一方、実験住宅は主に専門職中産階級の家族像を前提とし、家事を担う女性、障害者、低所得層の要求や大量住宅の現実を十分扱わなかった限界があります。

小倉昌男

  • 生没年:1924年12月13日(大正13年12月13日)~2005年6月30日(平成17年6月30日)
  • 国:日本
  • 肩書き:実業家・ヤマト運輸社長

東京に生まれ、父が経営する大和運輸へ入り、戦後の路線トラック事業の停滞から企業再建を担いました。官庁や業界の反対を押して1976年に宅急便を開始し、翌日配達、明確な料金、取扱店網で個人向け物流を全国化しました。小口配送の社会インフラを作って通信販売、地方産品、生活サービスを変え、引退後は障害者の高賃金雇用を支援しました。一方、利便性の拡大は運転手の長時間労働、再配達、交通・環境負荷を増やし、福祉事業も企業家の善意だけで制度的な所得保障を代替できません。

アンリ4世

  • 生没年:1553年12月13日~1610年5月14日
  • 国:フランス
  • 肩書き:フランス王・ナバラ王

ナバラ王家に生まれ、ユグノーの指導者として宗教戦争を戦い、ヴァロワ朝断絶後にフランス王位を継ぎました。カトリックへ改宗してパリ入城を実現し、1598年のナント勅令でユグノーへ限定的な信仰・軍事上の権利を認めました。内戦後の財政と農業を再建し、ブルボン朝の国家統合と宗派共存に一時的な安定をもたらしました。一方、寛容は平等な信教の自由ではなく王権安定の妥協で、植民事業を後押しし、戦争と改宗を政治手段にしたため『善王』像だけでは評価できません。

雍正帝

  • 生没年:1678年12月13日~1735年10月8日
  • 国:清
  • 肩書き:清朝第5代皇帝

康熙帝の第四皇子として生まれ、皇位継承争いを経て即位し、広大な清朝を官僚制と財政で統御しました。奏摺制度と軍機処を整え、火耗帰公など税制改革を進め、地方官の財源と皇帝への情報集中を強化しました。短い治世で行政効率と国庫を改善し、乾隆期の繁栄を支える中央集権的な統治基盤を築きました。一方、秘密上奏と思想統制は皇帝独裁を強め、文字の獄、辺境での軍事征服、継承をめぐる疑惑もあるため、勤勉な改革君主像だけでは支配の強制性を捉えられません。

ハインリヒ・ハイネ

  • 生没年:1797年12月13日~1856年2月17日
  • 国:ドイツ・フランス
  • 肩書き:詩人・評論家

デュッセルドルフのユダヤ系家庭に生まれ、改宗して大学教育を受け、復古体制下の検閲を逃れてパリへ移りました。『歌の本』『ドイツ・冬物語』で民謡的な抒情に皮肉を差し込み、旅行記と時評でドイツ社会、民族主義、権威を批判しました。ロマン主義を内部から解体する文体は文学とジャーナリズムを結び、歌曲、近代詩、亡命知識人の伝統へ広く影響しました。一方、女性や東方をステレオタイプ化する表現があり、ユダヤ性と改宗を単純な同化・抵抗の物語へ押し込めると本人の矛盾した立場を見失います。

ヴェルナー・フォン・ジーメンス

  • 生没年:1816年12月13日~1892年12月6日
  • 国:ドイツ
  • 肩書き:電気技術者・実業家

ハノーファー王国の農家に生まれ、砲兵学校で科学技術を学び、電信が国家と市場を結ぶ時代に発明家となりました。ポインター電信を改良してジーメンス社を創業し、自励式発電機、長距離電信網、電気鉄道の実用化を進めました。研究、製造、国際敷設を一体化する企業モデルは電力・通信産業を形成し、電気工学の単位名にも残りました。一方、事業は植民地通信と軍事国家の統治能力を高め、巨大企業の労働統制と資本集中を進めたため、発明による接続を中立的な進歩とみなせません。

エミリー・カー

  • 生没年:1871年12月13日~1945年3月2日
  • 国:カナダ
  • 肩書き:画家・作家

ブリティッシュコロンビア州ビクトリアに生まれ、欧州で美術を学び、太平洋岸の森林と先住民集落を主要な題材としました。トーテムポールや村落を記録し、後に大胆な筆触と渦巻く空間で森の生命感を描き、随筆『クレーウィック』も著しました。西海岸の自然をカナダ近代美術の中心へ置き、女性画家が地域経験を言葉と絵で表す先例となりました。一方、先住民文化を『消えゆく』対象として収集・命名した植民者の視線があり、近年は作品の評価を先住民の土地権と表象権から問い直す必要があります。

タルコット・パーソンズ

  • 生没年:1902年12月13日~1979年5月8日
  • 国:アメリカ
  • 肩書き:社会学者

コロラド州に生まれ、欧州社会理論を学んでハーバード大学で社会学の研究教育を制度化しました。『社会的行為の構造』『社会体系』で、役割、規範、制度が相互に調整され社会秩序を保つ構造機能主義を構築しました。ウェーバーやデュルケムを英語圏へ体系的に紹介し、家族、医療、組織、近代化研究の共通語を長く提供しました。一方、安定と合意を重視するため権力、紛争、植民地主義、ジェンダー不平等を過小評価し、米国中産階級の家族像を普遍化したとの批判があります。

フィリップ・アンダーソン

  • 生没年:1923年12月13日~2020年3月29日
  • 国:アメリカ
  • 肩書き:物理学者

インディアナ州に生まれ、第二次世界大戦後にベル研究所で、理想的でない実在物質の量子現象を研究しました。無秩序によって電子が動けなくなるアンダーソン局在、磁性、超伝導の理論を築き、対称性の自発的破れにも重要な洞察を与えました。『多は異なる』と唱えて還元主義を批判し、物性物理から素粒子論、複雑系まで階層ごとの創発を考える視点を広めました。一方、成果は大規模研究所と共同体の蓄積に支えられ、強い論争姿勢やノーベル賞の個人化が共同研究者の貢献を隠す点にも注意が必要です。

アントニ・タピエス

  • 生没年:1923年12月13日~2012年2月6日
  • 国:スペイン
  • 肩書き:画家・彫刻家

バルセロナのカタルーニャ知識人家庭に生まれ、内戦とフランコ独裁を経験し、病床での独学から美術へ進みました。砂、土、布、廃材を絵具に混ぜ、壁、十字、身体の痕跡を刻むマチエール表現で『物質絵画』を展開しました。傷ついた日常素材を政治的記憶と精神性へ結び、戦後欧州の抽象美術とカタルーニャ文化の国際的可視性を高めました。一方、記号の意味を禅や東洋思想へ普遍化する説明には文化の選択的借用があり、市場で高額化した反体制美術の制度化という矛盾もあります。

ラリー・ドビー

  • 生没年:1923年12月13日~2003年6月18日
  • 国:アメリカ
  • 肩書き:野球選手・監督

サウスカロライナ州に生まれ、ニュージャージーで育ち、黒人リーグのニューアーク・イーグルスで二塁手として活躍しました。1947年にアメリカン・リーグ初の黒人選手としてクリーブランドへ入り、外野手へ転向して本塁打王、打点王、ワールドシリーズ優勝を経験しました。人種隔離を破る重圧の中で長く高水準の成績を残し、選手・監督として大リーグ統合の道を広げました。一方、ジャッキー・ロビンソンに比べ記憶されにくく、観客、同僚、宿泊施設での差別を個人の忍耐物語にせず、球界が利益を得ながら保護を怠った制度責任を見る必要があります。

12月13日に起きた歴史的な出来事

  • 1294年12月13日|教皇ケレスティヌス5世退位
    修道生活から教皇に選ばれたケレスティヌス5世が、在位約五か月で自ら退位する教令を出して職を辞しました。教皇が自発的に退位できる先例となり、後継ボニファティウス8世の教皇権強化へつながりました。なお、退位後は後継者に拘束されて死亡しており、謙遜の聖人像だけで派閥政治と本人の自由をめぐる問題を隠せません。
  • 1545年12月13日|トリエント公会議開会
    カトリック教会が宗教改革への対応と内部改革を議論するため、北イタリアのトリエントで公会議を開きました。聖書と伝統、秘跡、聖職者教育を再確認し、近世カトリックの制度と世界宣教を形づくりました。なお、改革は教育水準を高める一方、宗派間の境界、検閲、異端審問を強め、植民地宣教の強制性とも結びつきました。
  • 1577年12月13日|ドレーク世界周航へ出航
    フランシス・ドレークがプリマスを出て、スペイン領への襲撃と太平洋航路探索を伴う航海へ出発しました。1580年にイングランド人初の世界周航を完成し、海図、交易、海軍力と英国の海外進出を拡大しました。なお、航海は国家に認められた私掠と略奪で、先住民社会やスペイン植民地住民への暴力を探検者の英雄譚で正当化できません。
  • 1867年12月13日(慶応3年11月18日)|油小路事件
    新選組から分離した伊東甲子太郎が京都の油小路で暗殺され、遺体を回収しに来た御陵衛士も襲撃されました。幕末の治安組織内部の対立を決定的にし、新選組の孤立と戊辰戦争前夜の政治的暴力を示しました。なお、忠義や剣豪の物語として人気がある一方、待ち伏せと粛清による殺害であり、史料には細部の異同があることを明示すべきです。
  • 1902年12月13日(明治35年12月13日)|哲学館事件
    哲学館の卒業試験答案を文部省が問題視し、教員免許の無試験授与特権を取り消しました。倫理学説と国家道徳、私学の学問の自由をめぐる論争を引き起こし、教育行政の思想統制を可視化しました。なお、答案の解釈と処分理由には複雑な経緯があり、単純な国家対自由の図式だけで学校側の教育内容や制度上の特権を捉えきれません。
  • 1916年12月13日|ホワイト・フライデー雪崩
    第一次世界大戦のイタリア戦線で大雪崩が相次ぎ、オーストリア=ハンガリー軍とイタリア軍の兵士ら多数が死亡しました。高山戦が敵の攻撃だけでなく寒冷、雪崩、補給難による大量死をもたらしたことを示します。なお、死者数は数千から一万規模まで推計差が大きく、一日の単一災害ではなく前後の連続した雪崩を含む呼称である点に注意が必要です。
  • 1931年12月13日(昭和6年12月13日)|犬養内閣成立と金輸出再禁止
    犬養毅内閣が成立し、高橋是清蔵相は同日、金輸出再禁止によって日本円の金本位制離脱を事実上決めました。円安、財政支出、金融緩和で昭和恐慌からの回復を早める一方、政党政治と軍部の緊張が深まりました。なお、物価上昇は生活を圧迫し、軍事費と国債依存も拡大したため、景気回復策だけを成功として評価できません。
  • 1937年12月13日|南京陥落と南京事件
    日中戦争で日本軍が中華民国の首都南京を占領し、その前後から捕虜・敗残兵・民間人への殺害、性暴力、略奪が広がりました。大規模な戦争犯罪として国際的に記録され、東アジアの歴史認識と被害者追悼の中心的問題になっています。なお、被害者数や期間の定義には研究上の幅がありますが、虐殺と性暴力の存在を否定する根拠にはならず、数の論争で個々の被害を消してはなりません。
  • 1939年12月13日|ラプラタ沖海戦
    南大西洋でドイツ装甲艦アドミラル・グラーフ・シュペーと英連邦巡洋艦隊が交戦しました。ドイツ艦はモンテビデオへ退避後に自沈し、開戦初期の通商破壊戦と情報戦の重要な局面になりました。なお、海軍の騎士道物語で語られがちですが双方に死傷者があり、商船戦争は民間船員と世界物流へ広い危険を及ぼしました。
  • 1950年12月13日(昭和25年12月13日)|地方公務員法公布
    地方自治体職員の任用、服務、身分保障、人事委員会、労働基本権の制限を定める地方公務員法が公布されました。戦後自治制度の下で全国の行政職員に共通する専門性と政治的中立の枠組みを整えました。なお、争議権などの制約は公共性を理由に労働者の権利を狭め、非正規職員の増加や自治体ごとの待遇差を十分解決しませんでした。
  • 1959年12月13日|マカリオス3世がキプロス大統領に当選
    英国からの独立準備が進むキプロスで、ギリシャ系のマカリオス3世が初代大統領に選出されました。翌年の共和国発足へ道を開き、宗教指導者が民族運動と国家建設を担う体制が成立しました。なお、ギリシャ系とトルコ系の権力分有は不安定で、双方の民族主義と外部介入が後の暴力と島の分断へつながりました。
  • 1962年12月13日|リレー1号打ち上げ
    NASAが能動型通信衛星リレー1号を打ち上げ、テレビ、電話、データの大西洋横断実験を行いました。低軌道衛星による国際通信の実用性を示し、後の静止通信衛星と地球規模の放送網へ技術をつなぎました。なお、宇宙通信は軍事研究と国家競争に支えられ、情報格差、軌道混雑、宇宙ごみという公共資源管理の問題も生みました。
  • 1976年12月13日|マルガリータ・ベレン虐殺
    アルゼンチン軍政下で、拘禁中の政治犯らがチャコ州で移送中に射殺されました。『汚い戦争』における国家テロと強制失踪を示す事件として、民主化後の真相究明と裁判の対象になりました。なお、当局は逃走時の銃撃戦と偽装しましたが後に計画的処刑と認定され、被害者を政治的立場だけで危険人物とみなす語りを退ける必要があります。
  • 1981年12月13日|ポーランド戒厳令
    ヤルゼルスキ政権が戒厳令を布告し、独立自主管理労組『連帯』の指導者らを拘束して軍と警察を展開しました。民主化運動を一時地下へ追いやりましたが、社会の抵抗は続き、1989年の円卓会議と体制転換へつながりました。なお、ソ連介入回避のためだったとの自己弁護には論争があり、発砲による死者、抑圧、生活物資不足を安定維持の名で正当化できません。
  • 1991年12月13日|南北基本合意書調印
    韓国と北朝鮮が和解、不可侵、交流協力を定める『南北間の和解と不可侵及び交流・協力に関する合意書』へ署名しました。相互の体制を事実上認め、軍事的緊張緩和と対話の制度的原則を示しました。なお、履行機構は核問題と政権間対立で十分機能せず、合意の存在だけで休戦体制、離散家族、人権問題は解決しませんでした。

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