
12月12日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢37名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】12月12日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、12月12日と一致する人物だけを掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1848年 | 三宅秀 | 医師・医学者・東京帝国大学医科大学長 |
| 1887年 | 徳三宝 | 柔道家 |
| 1898年 | 黒島伝治 | 小説家 |
| 1898年 | 大内青圃 | 彫刻家 |
| 1901年 | 木村伊兵衛 | 写真家 |
| 1903年 | 小津安二郎 | 映画監督 |
| 1904年 | 杉野嘉男 | 柔道家・古武道家 |
| 1915年 | 小池禮三 | 競泳選手・水泳指導者 |
| 1920年 | 前川辰男 | 地方政治家・高知市長 |
| 1922年 | 渡辺淳 | 建築家 |
| 1923年 | 田中卓 | 古代史学者 |
| 1923年 | 津村謙 | 歌手 |
| 1928年 | 加藤康三 | 実業家・オリエンタルランド社長 |
| 1932年 | 秦郁彦 | 近現代史家 |
| 1933年 | 田波靖男 | 脚本家 |
| 1934年 | 菅貫太郎 | 俳優 |
| 1936年 | 森内俊雄 | 小説家 |
| 1938年 | 秋草直之 | 実業家・富士通社長 |
※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。
【海外】12月12日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1526年 | アルバロ・デ・バサン | スペインの海軍軍人 |
| 1731年 | エラズマス・ダーウィン | イギリスの医師・博物学者・詩人 |
| 1777年 | アンリ・ブランヴィル | フランスの動物学者・解剖学者 |
| 1801年 | ヨハン(ザクセン王) | ザクセン王・翻訳者 |
| 1805年 | ウィリアム・ロイド・ガリソン | アメリカの奴隷制廃止運動家 |
| 1821年 | ギュスターヴ・フローベール | フランスの小説家 |
| 1832年 | ルートヴィヒ・シュレーフリ | スイスの数学者 |
| 1862年 | ジョゼフ・ブルース・イズメイ | イギリスの海運実業家 |
| 1863年 | エドヴァルド・ムンク | ノルウェーの画家・版画家 |
| 1866年 | アルフレート・ヴェルナー | スイスの化学者 |
| 1915年 | フランク・シナトラ | アメリカの歌手・俳優 |
| 1918年 | ジョー・ウィリアムズ | アメリカのブルース歌手 |
| 1923年 | ボブ・バーカー | アメリカのテレビ司会者・動物保護活動家 |
| 1924年 | エド・コッチ | アメリカの政治家・ニューヨーク市長 |
| 1927年 | ロバート・ノイス | アメリカの半導体技術者・実業家 |
| 1928年 | ヘレン・フランケンサーラー | アメリカの画家 |
| 1928年 | チンギス・アイトマートフ | キルギスの小説家・外交官 |
| 1928年 | ロンサム・サンダウン | アメリカのブルース音楽家 |
| 1937年 | コニー・フランシス | アメリカの歌手 |
12月12日生まれの代表的な偉人
三宅秀
- 生没年:1848年12月12日(嘉永元年11月17日)~1938年3月16日(昭和13年3月16日)
- 国:日本
- 肩書き:医師・医学者・東京帝国大学医科大学長
江戸の蘭方医の家に生まれ、少年期に遣欧使節へ随行し、幕末から明治にかけて西洋医学の翻訳と教育に携わりました。東京医学校の教育を整え、東京大学医学部長、帝国大学医科大学長を務め、日本最初期の医学博士の一人となりました。医学校と衛生制度を近代大学へ接続し、解剖学、病理学、臨床教育を制度化する基盤を作りました。一方、近代医学の導入は漢方医や地域の治療知を周縁化し、国家の衛生行政と軍事力強化にも結びついたため、西洋化を無条件の進歩として語るべきではありません。
木村伊兵衛
- 生没年:1901年12月12日(明治34年12月12日)~1974年5月31日(昭和49年5月31日)
- 国:日本
- 肩書き:写真家
東京下谷に生まれ、小型カメラが報道と日常記録を変える時代に営業写真とアマチュア活動から出発しました。ライカを用いた自然な人物写真、秋田の農村、中国の都市、戦後のパリなどを撮り、日本工房や写真家集団の活動を主導しました。被写体へ近づきながら構えを感じさせないスナップは日本の報道・ドキュメンタリー写真の基準となり、その名を冠した賞も後進を支えています。一方、戦時中は国策宣伝組織に関わり、植民地や占領地を撮った写真には帝国側の視線があるため、『庶民の素顔』を写した人間主義だけで評価できません。
小津安二郎
- 生没年:1903年12月12日(明治36年12月12日)~1963年12月12日(昭和38年12月12日)
- 国:日本
- 肩書き:映画監督
東京深川に生まれ、松竹蒲田撮影所へ入り、無声映画からトーキー、戦中、占領期を通して家族と都市生活を撮りました。『晩春』『麦秋』『東京物語』で低いカメラ位置、切り返しを抑えた構図、日常の反復を用い、世代交代と家族の別れを描きました。抑制された形式は世界の映画作家と批評家へ影響し、日本の家庭劇を普遍的な映像言語へ高めました。一方、『日本的』とされる静けさは後世の国際的評価が作った面もあり、女性が家族のケアを担う構造や、戦時中の軍務・国策映画との関係を見落とせません。
田中卓
- 生没年:1923年12月12日(大正12年12月12日)~2018年11月24日(平成30年11月24日)
- 国:日本
- 肩書き:古代史学者
大阪市に生まれ、皇學館大学で日本古代史を研究し、戦後に断絶した同大学の再興と史料教育に深く関わりました。古代氏族、伊勢神宮、法制史、皇位継承をめぐる文献を検討し、『古代天皇制の基礎的研究』などを著しました。記紀・系譜・神宮史料を精査する仕事は古代国家形成研究へ資料的貢献を残し、大学の研究基盤を整えました。一方、皇室と神道の連続性を強く肯定する立場は国家神道批判や考古学的成果と緊張し、政治的主張と実証研究の境界を慎重に読む必要があります。
秦郁彦
- 生没年:1932年12月12日(昭和7年12月12日)~2024年9月29日(令和6年9月29日)
- 国:日本
- 肩書き:近現代史家
山口県に生まれ、東京大学卒業後に大蔵省勤務を経て、外交・軍事・官僚資料を用いる近現代史研究へ進みました。『昭和史の軍人たち』『南京事件』や人物・部隊の事典を編み、数量と一次資料から戦争史の論点を検証しました。軍人の経歴や作戦組織を追跡する基礎情報を整え、慰安婦、南京事件、戦後史をめぐる公共的論争にも強い影響を与えました。一方、被害規模や制度責任をめぐる結論は研究者・当事者から批判され、実証を掲げる数字も史料の欠落と定義に左右されるため、論争的立場を中立的確定値として扱えません。
エラズマス・ダーウィン
- 生没年:1731年12月12日~1802年4月18日
- 国:イギリス
- 肩書き:医師・博物学者・詩人
イングランド中部に生まれ、産業革命初期の医師として診療する傍ら、発明家や実業家が集うルナー・ソサエティに参加しました。『ズーノミア』や詩『植物の園』で生物が共通祖先から変化しうる着想、植物の分類、医学、生理を大胆に論じました。科学知を詩と推論で結び、進化思想、技術文化、孫チャールズ・ダーウィンへ先行する知的環境を作りました。一方、進化機構は実証的に確立されず、病気の説明には推測も多く、奴隷制反対を唱えつつ産業化が生む労働・植民地資源への依存を十分捉えませんでした。
ウィリアム・ロイド・ガリソン
- 生没年:1805年12月12日~1879年5月24日
- 国:アメリカ
- 肩書き:奴隷制廃止運動家
マサチューセッツ州の貧しい家庭に生まれ、印刷工から新聞編集者となり、奴隷制の即時廃止を主張しました。新聞『リベレーター』を三十五年間発行し、アメリカ反奴隷制協会を組織して、憲法と教会の奴隷制容認を激しく批判しました。漸進解放ではなく黒人の人権を現在の問題として訴え、女性活動家を含む大衆運動と南北戦争期の世論を動かしました。一方、白人男性指導者として黒人活動家の主体性を覆う場面があり、女性参画をめぐる組織分裂や、政治参加を拒む戦術の有効性にも同時代から批判がありました。
ギュスターヴ・フローベール
- 生没年:1821年12月12日~1880年5月8日
- 国:フランス
- 肩書き:小説家
ルーアンの外科医の家に生まれ、七月王政、二月革命、第二帝政を距離を置いて観察しながら文学へ専念しました。『ボヴァリー夫人』『感情教育』で語り手の距離、自由間接話法、緻密な文体を用い、欲望と俗悪さを冷徹に描きました。言葉の正確さを徹底する創作は写実主義とモダニズム小説へ大きな影響を与え、小説の形式そのものを批評の対象にしました。一方、オリエント旅行記と作品には植民地主義的・性的な他者化があり、労働者や女性への侮蔑的言辞も残るため、文体の革新性と社会的偏見を分けて検討すべきです。
エドヴァルド・ムンク
- 生没年:1863年12月12日~1944年1月23日
- 国:ノルウェー
- 肩書き:画家・版画家
ノルウェーの軍医家庭に生まれ、母と姉の病死、自身の病弱、都市化するクリスチャニアの芸術運動を背景に制作しました。『叫び』『病める子』『生命のダンス』などで不安、愛、嫉妬、死を歪む線と強い色彩に変え、版画で反復しました。内面の感情を風景と身体へ投影する表現は象徴主義と表現主義の橋渡しとなり、二十世紀美術と視覚文化へ広く浸透しました。一方、精神的危機を天才性の源として美化すべきでなく、女性を誘惑者や脅威として類型化する作品、ナチ占領下での受容を含む複雑さがあります。
アルフレート・ヴェルナー
- 生没年:1866年12月12日~1919年11月15日
- 国:スイス
- 肩書き:化学者
アルザスに生まれ、チューリヒで無機化合物の構造を研究し、原子価だけでは説明できない金属錯体へ取り組みました。中心金属の周囲に配位子が一定の数と立体配置で結びつく配位説を提案し、異性体の予測と合成で実証しました。錯体化学の基礎は触媒、顔料、分析化学、金属医薬、生体内金属研究へ発展し、無機化学初のノーベル化学賞につながりました。一方、構造モデルは後の電子論で修正され、研究室の実験を支えた学生・助手の寄与が賞の個人名に隠れやすい点と、化学産業の環境負荷にも注意が必要です。
フランク・シナトラ
- 生没年:1915年12月12日~1998年5月14日
- 国:アメリカ
- 肩書き:歌手・俳優
ニュージャージー州のイタリア系移民家庭に生まれ、ラジオとビッグバンドが大衆音楽を全国化する時代に歌手となりました。マイクを生かした語りかける歌唱、息の長いフレージングでスタンダード曲を再解釈し、『地上より永遠に』では俳優としても評価されました。アルバムを一つの主題で構成する方法を広め、ポピュラー歌唱、映画、ラスベガスの娯楽産業に長い影響を残しました。一方、マフィアとの関係をめぐる疑惑、女性への暴力的言動、人種平等を唱えながら男性中心の興行文化を体現した矛盾を、華やかな成功物語から外せません。
ロバート・ノイス
- 生没年:1927年12月12日~1990年6月3日
- 国:アメリカ
- 肩書き:半導体技術者・実業家
アイオワ州に生まれ、トランジスタ発明後の半導体研究へ入り、ショックレー研究所を離れた技術者たちとフェアチャイルド社を作りました。平面型集積回路を実用化する特許を取得し、ゴードン・ムーアらとインテルを創業して半導体の大量生産と企業文化を変えました。多数の素子を一枚のチップへ統合する技術はコンピューター、通信、家電の小型化を支え、シリコンバレー形成の核となりました。一方、集積回路はジャック・キルビーとの並行発明で、成功は軍需と公的研究資金、国際的な製造労働に支えられ、電子廃棄物と労働格差も進歩の費用です。
ヘレン・フランケンサーラー
- 生没年:1928年12月12日~2011年12月27日
- 国:アメリカ
- 肩書き:画家
ニューヨークの裕福な家庭に生まれ、戦後の抽象表現主義が男性作家中心に注目される画壇で大画面の色彩表現を追究しました。薄く溶いた絵具を下地処理しないキャンバスへ染み込ませるソーク・ステイン技法を『山と海』などで展開しました。色を物質の層でなく広がる場として扱う方法はカラーフィールド・ペインティングを導き、版画にも新しい技法をもたらしました。一方、技法が男性画家への橋渡しとして説明され本人の独自性が軽視されてきた一方、未処理キャンバスの保存問題や特権的な画廊ネットワークも評価に含める必要があります。
チンギス・アイトマートフ
- 生没年:1928年12月12日~2008年6月10日
- 国:キルギス・ソ連
- 肩書き:小説家・外交官
キルギス自治共和国に生まれ、父をスターリン期の粛清で失い、ロシア語とキルギス語の双方で創作しました。『ジャミーリャ』『白い汽船』『一世紀より長い一日』で草原の伝承、近代化、戦争、環境破壊を重ねて描きました。中央アジアの生活と口承文化をソ連・世界文学へ伝え、民族文化と普遍的倫理を結ぶ作家として各国で読まれました。一方、ソ連の公的地位と検閲制度の中で活動し、民族文化を象徴化する語りが地域内部の階級・ジェンダー差を単純化する面も批判的に読む必要があります。
12月12日に起きた歴史的な出来事
- 1098年12月12日|マアッラ陥落
第1回十字軍の軍勢がシリアの都市マアッラを占領し、住民を大量に殺害しました。アンティオキアからエルサレムへ進む十字軍の補給危機と暴力を示し、イスラーム圏に長い記憶を残しました。なお、年代記には飢えた兵士による人肉食の記述もあるものの規模は議論があり、宗教的英雄譚で民間人虐殺を正当化できません。 - 1408年12月12日|ドラゴン騎士団創設
ハンガリー王ジギスムントと王妃バルバラが王権防衛とオスマン勢力への対抗を掲げ、貴族騎士団を設立しました。中東欧の諸侯を王へ結びつけ、キリスト教君主の同盟と紋章文化に影響しました。なお、宗教防衛の名は権力闘争と特権維持を覆い、後世にドラキュラ伝説へ安易に結びつけると当時の政治的文脈が失われます。 - 1787年12月12日|ペンシルベニア州が憲法批准
ペンシルベニアがデラウェアに続き合衆国憲法を批准し、連邦二番目の州となりました。人口と経済力の大きい州の参加が新連邦政府の成立を現実的にし、批准運動を加速させました。なお、手続は反対派が審議の強行を批判し、州の形成も先住民からの土地収奪と奴隷制の存続を背景としていました。 - 1838年12月12日(天保9年10月26日)|天理教立教の日
中山みきが大和国庄屋敷村で神の啓示を受けたとされ、後に天理教がこの日を立教の日と位置づけました。幕末社会の病、貧困、家族の不安へ救済と共同体を示す新宗教の出発点になりました。なお、信仰上の出来事と史料で確認できる教団形成は区別が必要で、教団は近代国家の宗教統制と弾圧にもさらされました。 - 1901年12月12日|マルコーニの大西洋横断無線受信
グリエルモ・マルコーニがニューファンドランドで、イングランドから送ったモールス信号の受信に成功したと発表しました。長波無線が地球の曲率を越えて届く可能性を示し、海上通信、放送、国際電気通信の発展を促しました。なお、当時の装置と記録から本当に信号を識別できたか議論があり、一人の発明物語は先行研究者や特許紛争を隠します。 - 1911年12月12日|インド帝国の首都移転発表
デリー・ダルバールで英国王ジョージ5世が、英領インドの首都をカルカッタからデリーへ移すと発表しました。ムガル帝国の旧都を帝国支配の中心へ再編し、ニューデリー建設によって植民地権力を都市空間に刻みました。なお、行政上の利便や歴史的象徴を理由にしつつ、ベンガル民族運動への対抗でもあり、住民移転と人種・階級分離を伴いました。 - 1913年12月12日|『モナ・リザ』発見
1911年にルーヴル美術館から盗まれたレオナルド・ダ・ヴィンチの絵が、フィレンツェで売却を試みた犯人の逮捕により回収されました。国際報道が作品を世界的な文化アイコンへ押し上げ、美術館の警備と文化財管理を見直す契機になりました。なお、犯人の愛国的返還という自己弁護は盗難を正当化せず、名画一作への熱狂が他の文化財や植民地由来収蔵品の問題を覆いました。 - 1915年12月12日|袁世凱が帝政復活を宣言
中華民国大総統の袁世凱が皇帝即位を受諾し、翌年を洪憲元年とする中華帝国の成立を宣言しました。共和政の制度的脆弱さを露呈し、各地の護国戦争と軍閥政治の分裂を加速させました。なお、復古は広範な反対で短期間に撤回され、袁個人の野心だけでなく列強介入と軍事・財政基盤の弱さを含めて説明する必要があります。 - 1936年12月12日|西安事件
張学良と楊虎城が西安で蔣介石を拘束し、共産党討伐の停止と一致抗日を要求しました。交渉後に蔣介石が解放され、第二次国共合作と日中戦争期の抗日統一戦線へつながりました。なお、張学良は長期幽閉され、事件の主導者と合意内容は国民党・共産党双方の政治的記憶で異なるため、単純な愛国的美談にできません。 - 1937年12月12日|パナイ号事件
南京近郊の長江で日本海軍機が米砲艦パナイ号を爆撃して沈め、米国人らに死傷者が出ました。日本政府の謝罪と賠償で開戦は避けられたものの、日中戦争が列強の権益と衝突する危険を示しました。なお、誤爆との説明には標識の視認や攻撃意図をめぐる疑問が残り、中国人乗員・難民の被害が米日外交の陰に隠れやすい点も重要です。 - 1939年12月12日|インディギルカ号遭難
ソ連の貨客船インディギルカ号が北海道猿払村沖で座礁・転覆し、収容されていた囚人を含む多数が死亡しました。日ソ関係が緊張する中で地域住民が救助に当たり、海難救助と強制収容制度の実態を伝える事件となりました。なお、死者数と乗船者の身分には資料差があり、ソ連側の情報秘匿と、囚人を施錠区画に残した管理責任を曖昧にできません。 - 1941年12月12日(昭和16年12月12日)|政府が戦争呼称を『大東亜戦争』と決定
東条内閣は対米英戦争と日中戦争を一体として『大東亜戦争』と呼ぶことを閣議決定しました。『アジア解放』を掲げる宣伝概念で侵略と資源獲得を正当化し、教育、報道、動員へ浸透しました。なお、占領下の協力や独立運動を一様に否定できない一方、この呼称を無批判に使うと日本軍の支配、虐殺、強制労働を覆い隠します。 - 1942年12月12日|冬の嵐作戦開始
ドイツ軍がスターリングラードで包囲された第6軍を救出するため、コーカサス方面から攻勢を開始しました。救援は市の近くまで進んだものの連結できず、枢軸軍の敗北と東部戦線の主導権転換を確定させました。なお、作戦地図では包囲軍、赤軍、民間人の飢餓と凍傷が抽象化され、ヒトラーの命令だけで現場指揮官や占領犯罪の責任を消せません。 - 1963年12月12日|ケニア独立
ケニアがイギリスから独立し、ジョモ・ケニヤッタを首相とする主権国家になりました。マウマウ蜂起を含む長い反植民地運動の後に自治を獲得し、東アフリカの脱植民地化を前進させました。なお、植民地期の土地集中と非常事態下の拷問・収容は独立後も傷を残し、ケニヤッタ政権の権威主義と民族間格差も解放物語の外に置けません。 - 2000年12月12日|ブッシュ対ゴア判決
米連邦最高裁がフロリダ州の大統領選再集計を停止し、ジョージ・W・ブッシュの当選を事実上確定させました。選挙手続、投票機、司法と政治の境界をめぐる大論争を生み、各州の選挙管理改革を促しました。なお、五対四の判断は党派的と批判され、黒人有権者の投票排除や制度的格差が候補者間の法廷劇の陰に隠れました。 - 2015年12月12日|パリ協定採択
気候変動枠組条約の締約国が、世界の平均気温上昇を産業革命前より十分低く保ち1.5度を目指す協定を採択しました。先進国・途上国を問わず各国が削減目標を提出・更新する普遍的な気候枠組みを作りました。なお、目標は各国の自主性に依存し、現状の削減量では温暖化を止められず、損失と損害、資金、歴史的責任の不均衡も残っています。