11月18日生まれの歴史上の人物・偉人一覧と歴史的な出来事

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11月18日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢58名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!

【日本】11月18日生まれの歴史上の人物・偉人一覧

※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、11月18日と一致する人物だけを掲載しています。

生年人物名肩書き
709年光仁天皇第49代天皇
1723年加藤明経第2代水口藩主
1773年徳川家斉江戸幕府第11代将軍
1780年丹羽長祥第9代二本松藩主
1785年前田利之第9代大聖寺藩主
1855年南部利恭第15代盛岡藩主・伯爵
1858年松崎万長建築家・華族
1865年高島平三郎教育者・心理学者・体育学者
1866年石原久医学者・歯科医
1867年武内作平弁護士・政治家・法制局長官
1868年仁井田益太郎法学者・裁判官・弁護士
1885年杉山元治郎政治家・農民運動家・牧師
1888年深尾須磨子詩人・作家・翻訳家
1896年板垣直子文芸評論家・近代文学研究者
1897年中川善之助民法学者
1898年近衛秀麿指揮者・作曲家
1899年辻直四郎古代インド学者・言語学者
1902年石田一松政治家・演歌師・作詞作曲家
1903年岩崎昶映画評論家・映画製作者
1904年古賀政男作曲家
1910年大島博光詩人・フランス文学者・翻訳家
1917年森田愛子俳人
1919年諏訪彰地震学者・火山学者
1921年楠宏地球物理学者・南極観測隊長
1924年横井芳弘労働法学者
1925年宮川一郎脚本家
1926年武藤嘉文政治家・外務大臣
1926年難波江通泰文学者・歴史学者・哲学者
1928年椋陽児画家・劇画家・小説家

※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。

【海外】11月18日生まれの歴史上の人物・偉人一覧

生年人物名肩書き
1522年ラモラール・エフモントネーデルラントの軍人・政治家
1647年ピエール・ベールフランスの哲学者・思想家
1727年フィリベール・コメルソンフランスの博物学者・植物学者
1736年カール・フリードリヒ・クリスティアン・ファッシュドイツの作曲家
1785年デイヴィッド・ウィルキースコットランドの画家
1786年カール・マリア・フォン・ウェーバードイツの作曲家・指揮者
1786年ヘンリー・ローリー・ビショップイギリスの作曲家
1787年ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールフランスの画家・写真術開発者
1804年アルフォンソ・ラ・マルモライタリアの軍人・首相
1810年エイサ・グレイアメリカの植物学者
1815年ローレンツ・フォン・シュタインドイツの政治学者・社会学者
1832年アドルフ・エリク・ノルデンショルドフィンランド生まれの探検家・鉱物学者
1836年W・S・ギルバートイギリスの劇作家・台本作家
1839年アウグスト・クントドイツの物理学者
1847年エリシュカ・クラースノホルスカーチェコの作家・女性運動家
1860年イグナツィ・パデレフスキポーランドのピアニスト・首相
1882年パーシー・ウインダム・ルイスイギリスの画家・作家
1882年ジャック・マリタンフランスの哲学者
1882年アメリータ・ガリ=クルチイタリアのオペラ歌手
1888年フランシス・マリオンアメリカの脚本家
1897年パトリック・ブラケットイギリスの実験物理学者
1899年ユージン・オーマンディハンガリー生まれの指揮者
1901年ジョージ・ギャラップアメリカの世論調査研究者
1906年ジョージ・ワルドアメリカの生理学者
1906年アレック・イシゴニスイギリスの自動車技術者
1907年コンパイ・セグンドキューバの音楽家
1909年ジョニー・マーサーアメリカの作詞家・作曲家
1923年アラン・シェパードアメリカの宇宙飛行士
1928年シーラ・ジョーダンアメリカのジャズ歌手

11月18日生まれの代表的な偉人

高島平三郎

  • 生没年:1865年11月18日(慶応元年10月1日)~1946年2月16日(昭和21年2月16日)
  • 国:日本
  • 肩書き:教育者・心理学者・体育学者

長崎県の農家に生まれ、師範教育を経て、近代日本が子どもの発達を学校制度へ取り込もうとした時代に教育研究へ進みました。児童心理、体育、家庭教育を横断して多数の著作と講演を行い、東洋大学長や日本児童学会の要職を務めて児童研究の制度化を支えました。経験や観察を教育実践へ結び付ける姿勢は、教師と保護者が子どもの心身を科学的に捉える動きを広げました。一方、当時の児童学には国家的な規律や優生思想と接近する面があり、発達を一つの標準へ合わせた枠組みと、本人の教育普及上の功績を分けて検討する必要があります。

深尾須磨子

  • 生没年:1888年11月18日(明治21年11月18日)~1974年3月31日(昭和49年3月31日)
  • 国:日本
  • 肩書き:詩人・作家・翻訳家

兵庫県に生まれ、夫との死別後に創作へ本格的に入り、女性が職業的な書き手として活動範囲を広げた大正・昭和期を生きました。フランスへ渡って現代詩と文化を学び、詩集『斑猫』などの官能的で自由な詩、児童文学、翻訳、評論を幅広く残しました。海外経験と女性の身体感覚を日本語詩へ持ち込み、戦前から戦後へ続く女性詩人の表現領域を押し広げました。一方、戦時下には翼賛的な詩や言動もあり、解放的な女性像だけで語ると国家動員へ協力した側面が抜け落ちるため、作品を時期ごとに読み直す必要があります。

近衛秀麿

  • 生没年:1898年11月18日(明治31年11月18日)~1973年6月2日(昭和48年6月2日)
  • 国:日本
  • 肩書き:指揮者・作曲家

東京の近衛公爵家に生まれ、欧州の管弦楽文化を日本へ定着させることが課題だった大正期に、東京帝国大学を中退して音楽へ進みました。山田耕筰と日本交響楽協会を設立し、のちのNHK交響楽団につながる新交響楽団を組織して、古典から同時代作品まで多数を紹介しました。常設オーケストラの演奏水準と聴衆基盤を育て、雅楽『越天楽』の管弦楽編曲などを通じて日本音楽の国際発信にも影響しました。一方、活動は華族としての資源と人脈に支えられ、戦時下の欧州での指揮活動や政治家一家との関係にも検討課題があり、純粋な芸術的英雄像へ単純化できません。

辻直四郎

  • 生没年:1899年11月18日(明治32年11月18日)~1979年9月24日(昭和54年9月24日)
  • 国:日本
  • 肩書き:古代インド学者・言語学者

東京に生まれ、サンスクリット文献学を欧州から本格的に導入する過程にあった東京帝国大学で学び、古代インド研究を専門としました。ヴェーダ語、梵文学、宗教思想を原典に即して研究し、『サンスクリット文法』『インド文明の曙』など研究者と一般読者の双方へ届く著作を残しました。厳密な文献読解と翻訳は日本のインド学・仏教学の基礎訓練を整え、後続世代が一次資料へ接近するための標準を築きました。一方、文字エリートの古典資料へ重点を置く方法は民衆文化、口承、ジェンダーやカーストの経験を捉えにくく、植民地期欧州の文献分類を継承した限界にも注意が必要です。

古賀政男

  • 生没年:1904年11月18日(明治37年11月18日)~1978年7月25日(昭和53年7月25日)
  • 国:日本
  • 肩書き:作曲家

福岡県に生まれ、朝鮮で少年期を送り、録音とラジオが歌謡曲を全国へ運ぶようになった昭和初期に明治大学マンドリン倶楽部から作曲家となりました。『影を慕いて』『東京ラプソディ』『人生の並木路』『悲しい酒』など、哀感ある旋律と西洋楽器を結び付けた数多くの流行歌を作りました。いわゆる「古賀メロディー」は都市化、戦争、復興期の感情を共有する大衆音楽の型となり、演歌の形成にも長く影響しました。一方、戦時期には軍国歌謡も手掛け、植民地朝鮮での生活が作品史で郷愁へ回収されがちなため、人気の持続と帝国・戦争への文化的加担を併せて評価すべきです。

カール・マリア・フォン・ウェーバー

  • 生没年:1786年11月18日~1826年6月5日
  • 国:ドイツ
  • 肩書き:作曲家・指揮者

神聖ローマ帝国末期の北ドイツに生まれ、ナポレオン戦争後にドイツ語圏で国民的な舞台芸術が求められた時代に活動しました。オペラ『魔弾の射手』で民間伝承、自然描写、ライトモティーフ的な動機を結び付け、指揮者として楽団配置や稽古の改革も進めました。ロマン派ドイツ・オペラの方向を決定し、ワーグナー、ベルリオーズらの管弦楽法と劇音楽へ大きな影響を与えました。一方、作品に現れる超自然と民族性は後世の国民主義に利用され、異国や社会的他者の描写にも類型化があるため、音楽上の革新を政治的に無垢なものとはみなせません。

ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール

  • 生没年:1787年11月18日~1851年7月10日
  • 国:フランス
  • 肩書き:画家・写真術開発者

フランス革命後の都市文化の中で舞台美術家として働き、光学装置と巨大絵画を組み合わせるジオラマの制作から像を固定する実験へ進みました。ニセフォール・ニエプスとの協力を経て、銀板上に精細な像を得るダゲレオタイプを完成させ、1839年にフランス政府を通じて公表しました。複製できない方式ながら肖像と都市景観の記録を急速に普及させ、写真を科学、芸術、報道へ展開させる出発点となりました。一方、発明者像がダゲール一人へ集中するとニエプスらの貢献を隠し、長い露光、左右反転、有毒な水銀蒸気、高価な機材という制約も見落とされます。

エイサ・グレイ

  • 生没年:1810年11月18日~1888年1月30日
  • 国:アメリカ
  • 肩書き:植物学者

ニューヨーク州に生まれ、医師教育を受けた後、領土拡大と標本収集が進む十九世紀アメリカで植物分類へ専念しました。北米植物を体系化した『グレイ植物学マニュアル』を著し、ダーウィンと書簡を交わして自然選択説をアメリカで擁護しました。東アジアと北米東部の植物相の類似を論じ、生物地理学と進化論の発展、大学における植物学の専門化へ大きく貢献しました。一方、有神論と進化論の調停には科学と信仰をめぐる時代的前提があり、標本収集も先住民の土地拡張と結び付いたため、分類成果を国家膨張から切り離せません。

アドルフ・エリク・ノルデンショルド

  • 生没年:1832年11月18日~1901年8月12日
  • 国:フィンランド大公国・スウェーデン
  • 肩書き:探検家・鉱物学者

フィンランドに生まれ、ロシア帝国当局との対立後にスウェーデンへ移り、北極圏が科学調査と国家的航路開発の対象となった時代に活動しました。ヴェガ号遠征を率いて1878年から1879年にユーラシア北岸の北東航路を初めて通航し、地理、海氷、動植物、民族に関する資料を収集しました。北極海航路の可能性を実証し、極地科学と地図作製を前進させ、近代探検史を代表する成果となりました。一方、遠征記録は現地のチュクチなどを欧州の観察対象として記述し、現在の北極航路拡大は温暖化と環境・先住民社会への負荷を伴うため、征服物語だけで称賛できません。

イグナツィ・パデレフスキ

  • 生没年:1860年11月18日~1941年6月29日
  • 国:ポーランド
  • 肩書き:ピアニスト・作曲家・政治家

ロシア帝国支配下のポドリアに生まれ、分割され国家を失ったポーランドの文化的独立が政治課題となる中で国際的演奏家となりました。華麗な演奏と作曲で世界的名声を得、その知名度と資金を独立運動へ投入し、1919年には首相兼外相としてヴェルサイユ講和会議に参加しました。芸術家の国際的影響力を外交へ結び付け、第一次世界大戦後のポーランド再建を象徴する人物となりました。一方、政権運営は短く国内対立を収束できず、新国家が抱えた少数民族の権利問題にも十分応えなかったため、愛国的象徴と政治的実績を区別して見る必要があります。

ジャック・マリタン

  • 生没年:1882年11月18日~1973年4月28日
  • 国:フランス
  • 肩書き:哲学者

パリの共和派知識人家庭に生まれ、科学主義への失望からカトリックへ改宗し、世俗化と全体主義が対立した二十世紀にトマス哲学を再解釈しました。『統合的人文主義』などで人格の尊厳、自然法、多元的民主主義を論じ、第二次世界大戦後には人権の国際的合意形成にも関与しました。キリスト教民主主義、第二バチカン公会議、世界人権宣言をめぐる思想環境へ影響し、宗教と自由主義を結ぶ道を示しました。一方、初期には反近代的・保守的運動へ接近し、普遍的人格の議論も西欧キリスト教の前提を強く持つため、非キリスト教社会やジェンダーへの適用限界を検討すべきです。

パトリック・ブラケット

  • 生没年:1897年11月18日~1974年7月13日
  • 国:イギリス
  • 肩書き:実験物理学者

ロンドンに生まれ、海軍士官として第一次世界大戦を経験した後、原子核と宇宙線の実験研究が急速に進むケンブリッジで物理学へ転じました。霧箱写真と計数技術を改良して宇宙線による粒子対生成などを明瞭に示し、1948年にノーベル物理学賞を受賞しました。高エネルギー粒子を視覚的証拠として分析する方法を確立し、戦時のオペレーションズ・リサーチと戦後の科学政策にも影響しました。一方、軍事研究に深く関わりつつ核抑止へ批判的提言も行った経歴には緊張があり、科学助言が国家安全保障を効率化することの倫理的責任を免れません。

ジョージ・ワルド

  • 生没年:1906年11月18日~1997年4月12日
  • 国:アメリカ
  • 肩書き:生理学者

ニューヨークの移民家庭に生まれ、生化学と神経科学が感覚の仕組みを分子レベルで説明し始めた時代に研究者となりました。網膜の視物質ロドプシンとビタミンAの関係、明暗順応、色覚の機構を解明し、1967年にノーベル生理学・医学賞を共同受賞しました。視覚を光化学反応として理解する基礎を築き、眼疾患研究と感覚生理学の発展へ長期的な影響を与えました。一方、後年の反核・反戦運動は科学者の社会的責任を示す一方、著名科学者の権威が専門外の政治判断まで自動的に正当化するわけではない点に注意が必要です。

11月18日に起きた歴史的な出来事

  • 794年11月18日(延暦13年10月22日)|平安京への遷都
    桓武天皇が長岡京から新都平安京へ入り、山背国北部に造営された都を政治の中心としました。約千年にわたる京都の都市史と宮廷文化の基盤となり、日本史の時代区分で平安時代の出発点とされます。なお、造営は大規模な労役と租税を民衆へ課し、蝦夷征討と並ぶ国家事業だったため、文化の繁栄だけで負担を見落とせません。
  • 1727年11月18日|タブリーズ地震
    サファヴィー朝崩壊後の混乱期に、現在のイラン北西部タブリーズ付近を大地震が襲い、市街と周辺集落が広く倒壊しました。交易都市の人口と経済へ深刻な打撃を与え、同地域が繰り返し直面する地震危険を示す歴史的災害となりました。なお、推定規模や死者数は史料によって大きく異なるため、数値を確定的に扱わず、政治混乱下で被害記録が偏った点にも注意が必要です。
  • 1803年11月18日|ヴェルティエールの戦い
    サン=ドマングの旧奴隷を中心とする軍がフランス遠征軍を破り、ハイチ革命最後の大規模戦闘に勝利しました。植民地支配と奴隷制を打倒したハイチ独立を決定づけ、黒人共和国成立と大西洋世界の奴隷制度へ衝撃を与えました。なお、長い戦争では双方による虐殺と荒廃が生じ、独立後もフランスの賠償要求と国際的孤立がハイチ社会を長く圧迫しました。
  • 1901年11月18日(明治34年11月18日)|官営八幡製鐵所が操業開始
    日本政府が北九州の八幡に建設した一貫製鉄所で作業開始式を行い、本格的な銑鋼一貫生産へ踏み出しました。鉄道、造船、兵器など重工業の国産化を支え、日本の産業革命と帝国の軍事力を大きく押し上げました。なお、原料と市場は植民地圏へ依存し、過酷な労働、ばい煙、公害、軍需生産を伴ったため、近代化の成功だけで評価できません。
  • 1903年11月18日|ヘイ=ブナウ・バリヤ条約調印
    アメリカと独立直後のパナマを代表したブナウ・バリヤが、運河地帯の建設・管理権をアメリカへ与える条約へ署名しました。パナマ運河建設を可能にし、世界海運とアメリカのカリブ海・太平洋戦略を根本的に変えました。なお、パナマ人が交渉に参加できないまま主権を制限され、コロンビアからの分離へアメリカが介入したため、技術的偉業の前提に帝国的圧力があります。
  • 1905年11月18日|ホーコン7世がノルウェー王に選出
    スウェーデンとの同君連合を解消したノルウェー議会が、デンマーク王子カールをホーコン7世として国王に選びました。国民投票と議会を通じた独立国家の立憲君主制を確立し、二十世紀ノルウェーの政治的連続性を支えました。なお、王制選択は共和制を求める意見も抱え、北部のサーミ人など少数者の政治的権利が直ちに十分保障されたわけではありません。
  • 1911年11月18日(明治44年11月18日)|日本初のオリンピック予選会
    羽田運動場でストックホルム大会への代表選考を兼ねた国際オリムピック大会選手予選会が開幕しました。嘉納治五郎らが進めた国際スポーツ参加を具体化し、金栗四三ら日本最初期のオリンピック代表選出へつながりました。なお、参加機会は男性中心で競技環境も未整備であり、国家威信と身体鍛錬を結び付ける側面を含んだことにも注意が必要です。
  • 1916年11月18日|ソンムの戦い終結
    第一次世界大戦の西部戦線で英仏軍がドイツ軍へ続けた攻勢が、泥濘と冬を前に事実上終結しました。戦車の初投入など工業化された総力戦の姿を示し、わずかな前進のために双方で百万人を超える死傷者を出しました。なお、戦術の発達として説明すると兵士と住民の損失が隠れ、誰が勝利したかという単純な尺度では犠牲の大きさを捉えられません。
  • 1918年11月18日|ラトビア共和国独立宣言
    第一次世界大戦でロシア帝国とドイツ帝国が崩壊する中、リガで人民評議会がラトビア共和国の独立を宣言しました。その後の独立戦争を経て主権国家を形成し、現在のラトビア国家記念日の基礎となりました。なお、領土では赤軍、ドイツ系部隊、民族集団が争い、市民被害と強制移動を伴ったため、宣言だけで独立が平和的に完成したわけではありません。
  • 1928年11月18日|『蒸気船ウィリー』公開
    ニューヨークの劇場でミッキーマウスが登場する短編アニメーション『蒸気船ウィリー』が一般公開されました。映像と音楽・効果音を精密に同期させた作品として人気を集め、音声付きアニメーションとキャラクター産業の発展を加速しました。なお、作品には当時の動物虐待的ギャグや人種表象の文脈があり、成功物語が多数のアニメーターの共同作業と厳しい労働を隠しやすい点にも注意が必要です。
  • 1936年11月18日|ドイツとイタリアがフランコ政権を承認
    スペイン内戦のさなか、ナチス・ドイツとファシスト・イタリアが反乱軍のフランシスコ・フランコをスペイン政府として承認しました。両国による航空機、兵員、武器支援を政治的に強化し、内戦を欧州のファシズム対反ファシズムが衝突する国際戦争へ深めました。なお、支援はゲルニカ爆撃など民間人への攻撃と独裁成立を助け、外交承認を中立的な法的行為として見ることはできません。
  • 1941年11月18日|クルセーダー作戦開始
    北アフリカ戦線でイギリス第8軍が、包囲されたトブルク救援と枢軸軍撃退を目指して大規模攻勢を開始しました。激しい機甲戦の末に枢軸軍をキレナイカから後退させ、連合軍が一時的に戦略主導権を回復しました。なお、戦果は長続きせず双方の損害も大きく、植民地兵と現地住民の被害が欧州軍同士の作戦史で周辺化されがちです。
  • 1951年11月18日(昭和26年11月18日)|国会が講和・安保両条約を承認
    日本の参議院がサンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約を承認し、両条約の国内手続が整いました。占領終結と国際社会復帰への法的道筋をつける一方、米軍駐留を戦後安全保障の基軸として固定しました。なお、沖縄は施政権返還の外に置かれ、中国・朝鮮など重要な戦争被害国も講和枠組みから外れたため、「全面的な独立」の達成とは言い切れません。
  • 1962年11月18日(昭和37年11月18日)|第一宗像丸衝突事故
    横須賀港沖でタンカー第一宗像丸が貨物船と衝突して炎上し、乗組員ら四十一人が死亡しました。高度経済成長で大型船と危険物輸送が増える中、東京湾の航行管制、消火救難、タンカー安全対策を問う重大事故となりました。なお、事故原因を現場の操船だけに帰すと、混雑海域の制度設計や企業の安全管理、殉職した消防・海上保安関係者の危険が見えなくなります。
  • 1978年11月18日|ジョーンズタウン大量死事件
    ガイアナの人民寺院入植地で、指導者ジム・ジョーンズの命令と強制の下、子どもを含む九百人以上が毒物で死亡しました。閉鎖的宗教集団の支配、政治家との関係、家族隔離、心理的・物理的強制を社会が見逃した危険を示しました。なお、全員を自発的な「集団自殺」と呼ぶのは不正確で、多くは殺害されたか選択を奪われており、被害者を指導者の異常性だけへ還元すべきではありません。
  • 2001年11月18日(平成13年11月18日)|Suicaサービス開始
    JR東日本が首都圏の四百二十四駅で非接触ICカードSuicaの利用を開始しました。改札の高速化と乗車券処理の電子化を進め、電子マネーや全国の交通系ICカード相互利用へつながる社会基盤となりました。なお、利便性の一方で移動履歴という個人データが蓄積され、現金利用者、機器操作が苦手な人、障害者への配慮と情報管理が継続的な課題です。

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