
11月19日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢35名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】11月19日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、11月19日と一致する人物だけを掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1881年 | 田中長一郎 | 鉱山実業家 |
| 1899年 | 江上トミ | 料理研究家 |
| 1906年 | 森部静武 | ヴァイオリニスト・音楽教育者 |
| 1907年 | 浪花千栄子 | 俳優 |
| 1910年 | 太田一夫 | 政治家・労働運動家 |
| 1914年 | 若狭得治 | 運輸官僚・全日本空輸社長 |
| 1924年 | 西條八束 | 陸水学者・海洋学者 |
| 1927年 | 森﨑東 | 映画監督 |
| 1929年 | 竹中恵美子 | 労働経済学者・女性労働研究者 |
| 1933年 | 藤岡重慶 | 俳優・声優 |
| 1937年 | 古井由吉 | 小説家・ドイツ文学者 |
※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。
【海外】11月19日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1600年 | チャールズ1世 | イングランド・スコットランド王 |
| 1711年 | ミハイル・ロモノーソフ | ロシアの科学者・詩人 |
| 1752年 | ジョージ・ロジャース・クラーク | アメリカ独立戦争期の軍人 |
| 1770年 | ベルテル・トルバルセン | デンマークの彫刻家 |
| 1770年 | アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルン | ロシアの提督・探検家 |
| 1805年 | フェルディナン・レセップス | フランスの外交官・運河事業家 |
| 1831年 | ジェームズ・ガーフィールド | 第20代アメリカ大統領 |
| 1838年 | ケシャブ・チャンドラ・セン | インドの宗教・社会改革者 |
| 1851年 | ウィリアム・ペン・ブルックス | アメリカの農学者・札幌農学校教師 |
| 1859年 | ミハイル・イッポリトフ=イワノフ | ロシアの作曲家・指揮者・教育者 |
| 1875年 | ハイラム・ビンガム3世 | アメリカの探検家・政治家 |
| 1887年 | ジェームズ・サムナー | アメリカの生化学者・ノーベル化学賞受賞者 |
| 1888年 | ホセ・ラウル・カパブランカ | キューバのチェス世界王者 |
| 1900年 | アンナ・ゼーガース | ドイツの小説家 |
| 1905年 | トミー・ドーシー | アメリカのジャズ音楽家 |
| 1909年 | ピーター・ドラッカー | オーストリア生まれの経営思想家 |
| 1917年 | インディラ・ガンディー | インド首相 |
| 1919年 | ジッロ・ポンテコルヴォ | イタリアの映画監督 |
| 1920年 | ジーン・ティアニー | アメリカの俳優 |
| 1921年 | アンダ・ゲーザ | ハンガリー出身のピアニスト |
| 1922年 | ユーリ・クノロゾフ | ソ連の言語学者・マヤ文字解読者 |
| 1925年 | ジグムント・バウマン | ポーランド生まれの社会学者 |
| 1933年 | ラリー・キング | アメリカの放送司会者 |
| 1934年 | フィリップ・レダー | アメリカの遺伝学者 |
11月19日生まれの代表的な偉人
ミハイル・ロモノーソフ
- 生没年:1711年11月19日~1765年4月15日
- 国:ロシア帝国
- 肩書き:科学者・詩人・言語学者
白海沿岸の漁民家庭に生まれ、徒歩でモスクワへ出て学び、ロシア帝国が西欧の学術制度を導入していた十八世紀に科学と文学の双方で活動しました。化学実験、熱・物質論、天文学、地理学を研究し、金星の大気を観測したほか、ロシア語文法と韻律を整え、モスクワ大学創設にも力を尽くしました。専門分化以前の知をロシア語で組織し、自然科学の教育基盤と近代ロシア文学の標準語形成へ長期的な影響を与えました。一方、質量保存則や金星大気の『最初の発見者』という称揚には優先権をめぐる議論があり、国家的英雄像が同時代の共同研究者と帝国アカデミーの国際的ネットワークを隠さないよう注意が必要です。
江上トミ
- 生没年:1899年11月19日(明治32年11月19日)~1980年7月21日(昭和55年7月21日)
- 国:日本
- 肩書き:料理研究家
熊本県に生まれ、女子教育と都市中間層の家庭生活が変化した大正期に料理を学び、戦後の食生活再建期に広く活動しました。江上料理学院を開き、放送、新聞、料理書を通じて栄養、衛生、家庭料理の技術をわかりやすく普及させました。テレビ時代の料理研究家像を確立し、洋食や各地の料理を家庭へ紹介して戦後日本の献立と食教育へ大きな影響を与えました。一方、家庭料理を女性の愛情と責任へ結び付ける語りは無償の家事労働を固定しやすく、豊かな食卓像が所得格差や食糧難の経験を覆う点には注意が必要です。
浪花千栄子
- 生没年:1907年11月19日(明治40年11月19日)~1973年12月22日(昭和48年12月22日)
- 国:日本
- 肩書き:俳優
大阪府の貧しい家庭に生まれ、幼くして奉公へ出された後、道頓堀の芝居小屋から映画と舞台の世界へ入りました。松竹新喜劇や溝口健二『祇園囃子』などで庶民女性、母、女将を巧みに演じ、ラジオドラマでも親しまれました。主役を支える生活感ある演技により、戦前・戦後の関西女性の言葉と身体を映像・音声へ残し、性格俳優の価値を高めました。一方、苦労を成功物語へ変える受容は児童労働、家庭内暴力、興行界の搾取を美談化しやすく、離婚や仕事上の排除を生んだジェンダー構造も見落とせません。
西條八束
- 生没年:1924年11月19日(大正13年11月19日)~2007年10月9日(平成19年10月9日)
- 国:日本
- 肩書き:陸水学者・海洋学者
東京に生まれ、第二次世界大戦後に湖沼と海洋の物質循環を定量的に測る日本の水圏科学が整備される中で研究しました。諏訪湖をはじめとする湖沼の生産力、富栄養化、堆積物を調査し、測定法と長期観測を組み合わせて環境変化を明らかにしました。陸水学と海洋学をつなぎ、水質汚濁を生態系全体の循環として把握する研究と環境教育を前進させました。一方、科学的観測だけでは流域開発や産業政策を変えられず、富栄養化対策が地域住民や小規模事業者へ負担を移す場合もあるため、研究成果と政策効果を区別すべきです。
森﨑東
- 生没年:1927年11月19日(昭和2年11月19日)~2020年7月16日(令和2年7月16日)
- 国:日本
- 肩書き:映画監督
長崎県に生まれ、戦争と被爆の記憶を抱えて松竹へ入り、高度経済成長から社会の分断が表面化する時期に映画を撮りました。『黒木太郎の愛と冒険』『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』『ペコロスの母に会いに行く』などで周縁の人々をユーモアと怒りを交えて描きました。労働者、移民、女性、高齢者を制度の客体でなく生きる主体として映し、日本の社会派喜劇に独自の位置を築きました。一方、猥雑さや男性的な視線が女性像を消費するとの批判もあり、善意ある代弁が当事者の多様性を一つの人情物語へまとめる危険に注意が必要です。
チャールズ1世
- 生没年:1600年11月19日~1649年1月30日
- 国:イングランド・スコットランド・アイルランド
- 肩書き:国王
スコットランド王家に生まれ、王権神授説と議会による課税・宗教統制が衝突した十七世紀に三王国を統治しました。議会を長く開かずに統治し、宗教政策と課税を押し進めた結果、主教戦争と清教徒革命を招き、王党派軍を率いて議会派と戦いました。敗北後に国王として公開裁判を受け処刑され、その死は共和政、王政復古、立憲政治の形成を考える画期となりました。一方、信念を貫いた殉教者像は、強制課税、宗教弾圧、アイルランドとスコットランドへの軍事介入、内戦の大量死に対する統治責任を薄める危険があります。
ベルテル・トルバルセン
- 生没年:1770年11月19日~1844年3月24日
- 国:デンマーク
- 肩書き:彫刻家
コペンハーゲンの職人家庭に生まれ、古代ギリシア・ローマ美術を規範とする新古典主義が欧州で隆盛した時代にローマで活動しました。『Jason with the Golden Fleece』や教会彫刻、王侯の記念像を大理石で制作し、均整の取れた静かな人体表現を確立しました。カノーヴァと並ぶ国際的彫刻家となり、遺贈作品を基に開館したトルバルセン美術館は近代的な作家美術館の先駆けとなりました。一方、古典美を普遍的な理想とする姿勢は白い大理石像を西洋美の基準として固定し、工房助手の制作や多彩色だった古代彫刻の実像を見えにくくしました。
アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルン
- 生没年:1770年11月19日~1846年8月24日
- 国:ロシア帝国
- 肩書き:海軍提督・探検家
バルト・ドイツ人貴族としてエストニアに生まれ、ロシア帝国が太平洋交易と極東支配を拡大しようとした時期に海軍へ入りました。1803年からロシア初の世界周航を指揮し、日本への使節派遣、北太平洋の測量、海流と気象の観測を行いました。航海記と海図は太平洋航海の精度を高め、ロシアの海洋学・海軍教育と日本を含む地域研究へ長く用いられました。一方、探検は露米会社の植民交易と領土的関心に結び付き、現地住民の知識や被害を帝国の科学成果へ吸収した側面を見落とせません。
フェルディナン・レセップス
- 生没年:1805年11月19日~1894年12月7日
- 国:フランス
- 肩書き:外交官・運河事業家
ヴェルサイユの外交官家庭に生まれ、蒸気船と欧州帝国主義が世界交通を再編した十九世紀に領事経験を生かして運河事業を進めました。エジプト総督の許可を得てスエズ運河会社を設立し、1869年に地中海と紅海を結ぶ運河を開通させました。欧州とアジア間の航路を短縮して世界貿易と海軍戦略を変え、土木事業家を国際的英雄とする時代を象徴しました。一方、建設では多数のエジプト人が強制的に動員され死亡し、後のパナマ運河計画は技術・財政判断を誤って破綻したため、「二つの海を結んだ英雄」像だけでは不十分です。
ジェームズ・ガーフィールド
- 生没年:1831年11月19日~1881年9月19日
- 国:アメリカ
- 肩書き:第20代大統領
オハイオ州の貧しい農家に生まれ、教師、弁護士、北軍将校を経て、南北戦争後の共和党政治で連邦下院議員となりました。大統領として猟官制の改革と黒人市民権の擁護を掲げましたが、就任四か月で求職者に銃撃され、長い闘病の末に死亡しました。暗殺は官職配分制度への批判を強め、後のペンドルトン公務員制度改革法を促す政治的契機となりました。一方、短命政権のため改革者としての可能性が実績以上に理想化され、医師の不衛生な治療が死を早めた点も暗殺者だけの責任物語からこぼれ落ちます。
ホセ・ラウル・カパブランカ
- 生没年:1888年11月19日~1942年3月8日
- 国:キューバ
- 肩書き:チェス世界王者
スペイン植民地支配末期のハバナに生まれ、幼少期からチェスの才能を示し、アメリカ留学を経て国際大会へ進みました。簡潔で正確な終盤技術と素早い局面判断を武器に1921年に世界王者となり、難解な理論より盤面の明快さを示しました。キューバとラテンアメリカの象徴的知識人となり、棋譜と著作は現在も終盤・戦略教育の基本教材として用いられます。一方、天才神話は長期準備や対戦相手の貢献を隠し、王座戦条件をめぐる交渉と再戦が実現しなかった事情には商業性と本人の強い特権意識も関わりました。
ピーター・ドラッカー
- 生没年:1909年11月19日~2005年11月11日
- 国:オーストリア・アメリカ
- 肩書き:経営思想家
ウィーンの知識人家庭に生まれ、ナチズムの台頭を避けてイギリス、アメリカへ移住し、大企業と知識労働が社会を変える時代を観察しました。『現代の経営』などで目標による管理、分権化、知識労働者、非営利組織の役割を論じ、企業を社会的制度として分析しました。経営を単なる利益技法でなく使命、顧客、責任の問題として捉え、世界の企業経営と公共・非営利部門の実務言語へ影響しました。一方、概念は処方箋として単純化されやすく、労働者間の権力差、不平等、環境制約を十分理論化しなかったため、企業の自己管理だけで公共利益を保証できません。
インディラ・ガンディー
- 生没年:1917年11月19日~1984年10月31日
- 国:インド
- 肩書き:首相
独立運動指導者ジャワハルラール・ネルーの娘として生まれ、植民地支配から独立したインドが国家統合と開発を急ぐ中で政治家となりました。首相として銀行国有化、緑の革命、1971年のバングラデシュ独立戦争への介入を進め、非同盟外交で国際的存在感を高めました。食糧増産と中央政府の統率を実現し、女性として長期に大国を率いた象徴的存在となりました。一方、1975年からの非常事態で反対派拘束、検閲、強制不妊手術が行われ、パンジャブでのブルースター作戦も深い対立と自身の暗殺を招いたため、近代化の功績と権威主義を不可分に評価すべきです。
11月19日に起きた歴史的な出来事
- 1095年11月19日|クレルモン教会会議開会
教皇ウルバヌス2世がフランスのクレルモンで聖職者と世俗権力者を集め、教会改革と東方支援を協議する会議を開きました。会議末の十字軍呼びかけは武装巡礼を大規模に組織し、地中海東部の政治・宗教関係を数世紀にわたり変えました。なお、遠征はムスリム、ユダヤ人、東方キリスト教徒への虐殺と略奪を伴い、信仰的熱意だけで正当化できません。 - 1392年11月19日(明徳3年・元中9年閏10月5日)|明徳の和約
南朝の後亀山天皇が京都へ入り、三種の神器を北朝の後小松天皇へ渡すことで、半世紀余り続いた南北朝の分裂が終結しました。室町幕府の全国支配を安定させ、皇位継承と朝廷儀礼を一つの系統へ戻す重要な政治的転換となりました。なお、両統が交互に即位する約束は守られず南朝方の不満が残り、統一を単純な和解とみなすと敗者側の排除が見えません。 - 1493年11月19日|コロンブスがプエルトリコへ上陸
第2回航海中のクリストファー・コロンブス一行が、先住民がボリケンと呼んだ島へ到達し、スペイン王権の名で領有を主張しました。その後の植民地化、砂糖経済、軍事拠点化へつながり、カリブ海世界の人口・環境・交易を大きく変えました。なお、欧州人の「発見」と呼ぶ表現は既存のタイノ社会を消し、征服、疫病、強制労働、奴隷化による破壊を覆い隠します。 - 1794年11月19日|ジェイ条約調印
アメリカとイギリスが独立戦争後の駐屯地、債務、通商をめぐる懸案の解決を目指してロンドンで条約へ署名しました。英米間の再戦を回避し、アメリカの海上貿易を一定期間安定させ、連邦政府の外交権を具体化しました。なお、イギリスによる船員強制徴募や中立権問題は未解決で、フランス支持派や南部農民の反発を招き、先住民の土地と主権は交渉から排除されました。 - 1819年11月19日|プラド美術館開館
スペイン王室の収集品を公開する王立絵画彫刻美術館がマドリードで開館し、後のプラド美術館となりました。ベラスケス、ゴヤ、エル・グレコらの作品を保存・公開し、スペイン美術研究と国民文化形成の中心施設となりました。なお、王室・教会・帝国の収集には権力と没収の歴史があり、国民的遺産という語りが作品の由来と植民地支配を曖昧にしない検証が必要です。 - 1863年11月19日|ゲティスバーグ演説
南北戦争の激戦地に設けられた国立墓地の献納式で、リンカーン大統領が短い演説を行いました。独立宣言の平等理念を戦争目的と結び付け、「人民の、人民による、人民のための政治」という民主主義の基準を後世へ残しました。なお、言葉の普遍性が高く評価される一方、当時の黒人が直ちに完全な参政権と安全を得たわけではなく、戦死者の犠牲を修辞だけで包むべきではありません。 - 1942年11月19日|ウラヌス作戦開始
ソ連軍がスターリングラードで市街戦を続けるドイツ第6軍の両翼へ大規模反攻を開始しました。ルーマニア軍などの防衛線を突破して枢軸軍を包囲し、独ソ戦の主導権がソ連へ移る決定的な転機となりました。なお、軍事的成功の陰で兵士と市民に膨大な死傷、飢餓、捕虜死亡が生じ、同盟国部隊だけへ敗因を負わせる説明にも注意が必要です。 - 1945年11月19日(昭和20年11月19日)|GHQが映画236本を上映禁止
連合国軍総司令部が軍国主義・超国家主義・封建主義を助長すると判断した日本映画二百三十六本の上映禁止と処分を命じました。占領下の非軍事化と文化改革を象徴し、戦時映画の検証と新しい民主主義的映画制作を促しました。なお、戦争責任を問う意義がある一方、占領権力による検閲と資料焼却でもあり、作品と制作記録の喪失が歴史研究を難しくしました。 - 1956年11月19日(昭和31年11月19日)|東海道本線全線電化
米原―京都間の電化完成により、東京―神戸間の東海道本線で電気運転が一貫して可能になりました。特急「あさかぜ」の運転開始とともに長距離輸送の速度・容量を高め、後の東海道新幹線建設へつながる需要を示しました。なお、利便性の拡大は沿線開発と都市集中を進め、石炭輸送や蒸気機関車に関わる地域雇用を急速に変化させた側面もあります。 - 1965年11月19日(昭和40年11月19日)|戦後初の赤字国債発行を閣議決定
佐藤栄作内閣が景気後退による税収不足へ対応するため、補正予算の財源として特例公債を発行する方針を決めました。均衡財政を原則としてきた戦後財政の転換点となり、景気対策に国債を用いる政策手段が広がりました。なお、短期的な需要下支えの一方、恒常的な借入依存へ道を開き、将来世代負担と歳出規律をめぐる問題を残しました。 - 1969年11月19日|アポロ12号月面着陸
ピート・コンラッドとアラン・ビーンが月面の「嵐の大洋」へ着陸し、無人探査機サーベイヤー3号の近くで調査しました。精密着陸能力を実証し、岩石採取と観測機器設置によって有人月探査を技術実験から継続的科学調査へ進めました。なお、巨額の国家予算と冷戦競争に支えられ、宇宙開発の利益配分、打上げの環境負荷、生命の危険を伴った点も併せて見る必要があります。 - 1971年11月19日(昭和46年11月19日)|沖縄返還協定批准反対デモ
国会での沖縄返還協定強行採決へ抗議するデモが全国で行われ、東京の日比谷公園では一部参加者と機動隊が衝突しました。施政権返還後も米軍基地と核持込みをめぐる不信が続くことを可視化し、沖縄の自己決定を本土政治へ問い返しました。なお、火炎瓶で松本楼が焼失し逮捕者・負傷者も出ており、国家の強硬姿勢と運動内部の暴力の双方を検証する必要があります。 - 1977年11月19日|サダト大統領がイスラエル訪問
エジプトのアンワル・サダト大統領がアラブ国家の現職首脳として初めてイスラエルを公式訪問しました。ベギン首相との交渉を通じてキャンプ・デービッド合意とエジプト・イスラエル平和条約への道を開き、中東外交を転換しました。なお、エジプトは占領地シナイを回復した一方、パレスチナ人の主権問題は解決されず、アラブ諸国の反発とサダト暗殺につながる分断を生みました。 - 1985年11月19日|ジュネーブ米ソ首脳会談開始
レーガン大統領とゴルバチョフ書記長がジュネーブで初めて直接会談し、核軍拡と東西関係を協議しました。即時の条約には至らなかったものの対話の継続を確認し、後の中距離核戦力全廃条約と冷戦終結へ向かう信頼形成となりました。なお、軍縮交渉の進展後も核兵器は大量に残り、超大国同士の安定が代理戦争の被害国へ自動的な平和をもたらしたわけではありません。 - 1993年11月19日(平成5年11月19日)|環境基本法公布
公害対策基本法を発展させ、地球環境問題、持続可能性、国・自治体・企業・国民の責務を定める環境基本法が公布されました。個別の公害規制から環境全体を計画的に管理する政策へ枠組みを広げ、環境基本計画や環境影響評価を支える理念法となりました。なお、理念規定が多く直接の被害救済や強制力には限界があり、経済成長との調整が汚染削減を遅らせる危険も残ります。 - 1999年11月19日|神舟1号打上げ
中国が酒泉衛星発射センターから無人宇宙船神舟1号を打ち上げ、約二十一時間の軌道飛行後に帰還させました。有人宇宙飛行に必要なロケット、船体、追跡・回収システムを統合して試験し、2003年の有人飛行成功へ道を開きました。なお、国家的威信と軍民両用技術に支えられ、巨額費用、情報公開の限定、落下物と環境影響を含む評価が必要です。