
11月17日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢40名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】11月17日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、11月17日と一致する人物だけを掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1650年 | 島津綱貴 | 薩摩藩主 |
| 1753年 | 五島盛運 | 肥前福江藩主 |
| 1797年 | 仙石政美 | 但馬出石藩主 |
| 1842年 | 寺島秋介 | 長州藩士・官僚・政治家 |
| 1852年 | 瀬木博尚 | 実業家・博報堂創業者 |
| 1860年 | 石坂正信 | 教育者・青山学院院長 |
| 1864年 | 関定孝 | 政治家・盛岡市長 |
| 1868年 | 下坂藤太郎 | 官僚・実業家 |
| 1869年 | 麻田駒之助 | 出版人・中央公論社社長 |
| 1871年 | 長田秋濤 | 劇作家・フランス文学者 |
| 1877年 | 菅野経三郎 | 政治家 |
| 1882年 | 古賀春一 | 実業家 |
| 1885年 | 萬鉄五郎 | 洋画家 |
| 1891年 | 広瀬豊作 | 官僚・政治家・大蔵大臣 |
| 1893年 | 山田龍雄 | 官僚・逓信次官 |
| 1895年 | 平塚運一 | 版画家 |
| 1896年 | 金倉円照 | インド哲学者・仏教学者 |
| 1897年 | 坂口謹一郎 | 応用微生物学者 |
| 1898年 | 北村喜八 | 演出家・劇作家・翻訳家 |
| 1899年 | 大林良一 | 社会保険学者 |
| 1901年 | 平瀬實武 | 政治家・鹿児島市長 |
| 1902年 | 森本孝順 | 律宗僧侶・唐招提寺長老 |
| 1905年 | 富樫凱一 | 土木工学者・建設官僚 |
| 1905年 | 柳瀬良幹 | 行政法学者 |
| 1906年 | 本田宗一郎 | 技術者・本田技研工業創業者 |
※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。
【海外】11月17日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 9年 | ウェスパシアヌス | ローマ皇帝 |
| 1503年 | アーニョロ・ブロンズィーノ | フィレンツェの画家 |
| 1587年 | ヨースト・ファン・デン・フォンデル | オランダの詩人・劇作家 |
| 1600年 | 朱舜水 | 明出身の儒学者 |
| 1602年 | アニエス・ド・ランジャック | フランスの修道女 |
| 1612年 | ドルゴン | 後金・清の皇族・摂政 |
| 1729年 | マリーア・アントニア・ディ・スパーニャ | サルデーニャ王妃 |
| 1749年 | ニコラ・アペール | フランスの食品加工業者・発明家 |
| 1753年 | ヘンリー・ミューレンバーグ | アメリカの聖職者・植物学者 |
| 1755年 | ルイ18世 | フランス国王 |
| 1790年 | アウグスト・フェルディナント・メビウス | ドイツの数学者・天文学者 |
| 1901年 | リー・ストラスバーグ | アメリカの演出家・演技教師 |
| 1904年 | イサム・ノグチ | 日系アメリカ人の彫刻家 |
| 1922年 | スタンリー・コーエン | アメリカの生化学者 |
| 1928年 | アルマン | フランス出身の現代美術家 |
11月17日生まれの代表的な偉人
萬鉄五郎
- 生没年:1885年11月17日(明治18年11月17日)~1927年5月1日(昭和2年5月1日)
- 国:日本
- 肩書き:洋画家
岩手県東和町の商家に生まれ、東京美術学校で学び、西洋近代絵画が日本へ相次いで紹介される大正期に独自の表現を模索しました。卒業制作『裸体美人』で強い色彩と平面的構成を示し、キュビスムやフォーヴィスムを吸収した自画像、風景、人物画を制作しました。西洋様式の模倣でなく日本の身体・風景感覚へ変換し、大正期前衛美術と後の洋画家に大きな刺激を与えました。一方、同時代の画壇では奇異とみなされ生活も不安定で、後世の天才評価が家族の支え、地方と中央の格差、作品保存に携わった人々を隠さないよう注意が必要です。
平塚運一
- 生没年:1895年11月17日(明治28年11月17日)~1997年11月18日(平成9年11月18日)
- 国:日本
- 肩書き:版画家
島根県松江に生まれ、石井柏亭、伊上凡骨らに学び、作家自身が彫り刷る創作版画運動が広がる時代に活動しました。木の板目と刀痕を生かす白黒版画を追究し、法隆寺、松江、東京、渡米後のワシントンなど建築と風景を力強い明暗で表現しました。教育と国際交流を通じて日本の木版技法をアメリカへ伝え、百歳を超える制作歴で近代版画の継承と変化を示しました。一方、自画自刻自摺を純粋芸術の基準とする運動は彫師・摺師の分業を低く評価し、海外での成功も戦後の日米文化政策と市場の支えを受けた点を考慮すべきです。
坂口謹一郎
- 生没年:1897年11月17日(明治30年11月17日)~1994年12月9日(平成6年12月9日)
- 国:日本
- 肩書き:応用微生物学者
新潟県に生まれ、東京帝国大学で農芸化学を学び、日本の醸造業が経験技術から微生物科学へ転換する時代に研究しました。麹菌、酵母、細菌の代謝と分類を研究し、酒、醤油、有機酸、抗生物質など発酵生産の基礎を築き、多数の菌株を収集しました。日本独自の醸造文化を近代バイオテクノロジーへ結び、産学協力と研究者育成を通じて発酵工業の国際競争力を高めました。一方、産業化は企業利益と標準化を優先して地域ごとの蔵・職人・微生物多様性を失わせることがあり、戦時期の研究動員も含めて科学の社会的責任を検討すべきです。
本田宗一郎
- 生没年:1906年11月17日(明治39年11月17日)~1991年8月5日(平成3年8月5日)
- 国:日本
- 肩書き:技術者・実業家
静岡県の鍛冶職人の家に生まれ、自動車修理工、ピストンリング製造を経て、敗戦後の移動手段不足のなかで小型エンジン事業を始めました。本田技研工業を創業し、補助エンジン付き自転車からスーパーカブ、二輪レース、乗用車へ進出して高回転エンジンと量産技術を磨きました。藤沢武夫との分業経営で世界企業を築き、技術者の試作と失敗を重視する企業文化は日本の製造業とモータースポーツへ影響しました。一方、成功は販売・工場労働者や取引先の共同作業に支えられ、自動車普及が大気汚染、交通死、資源消費を拡大したため、技術革新を社会的費用から切り離せません。
アーニョロ・ブロンズィーノ
- 生没年:1503年11月17日~1572年11月23日
- 国:フィレンツェ公国
- 肩書き:画家
フィレンツェ近郊に生まれ、ポントルモの工房で学び、メディチ家が宮廷文化と政治権力を再建する十六世紀に活動しました。冷たい光沢、精密な衣装、引き延ばされた身体を用い、『愛の寓意』『エレオノーラ・ディ・トレドと息子』などの肖像・宗教画を描きました。マニエリスムの洗練された宮廷様式を代表し、権力、衣服、身体の演出を読み解く美術史と肖像画研究に大きな影響を与えました。一方、貴族の威厳を永遠化する絵画は労働者と政治的抑圧を画面外へ置き、寓意画の官能性を現代の性的分類へ安易に当てはめる解釈にも慎重さが必要です。
朱舜水
- 生没年:1600年11月17日~1682年5月24日
- 国:明・日本
- 肩書き:儒学者
浙江省余姚に生まれ、明清交替で抗清復明運動に関わり、日本や東南アジアへ援助を求めた後、長崎から日本へ亡命しました。水戸藩の徳川光圀に招かれ、経世実用を重んじる儒学、礼制、建築、農政の知識を伝え、『大日本史』編纂にも思想的刺激を与えました。明の遺臣文化と江戸儒学を結ぶ越境知識人として、水戸学、教育、東アジアの文人交流へ長く影響しました。一方、後世の尊王思想へ直線的に結び付けると本人の明朝忠誠と実学が単純化され、日本での庇護も長崎の対外統制と移民制限のなかにあった点を見落とします。
ニコラ・アペール
- 生没年:1749年11月17日~1841年6月1日
- 国:フランス
- 肩書き:食品加工業者・発明家
シャンパーニュ地方に生まれ、料理人・菓子職人として働き、革命戦争期に長期保存できる軍用食料への需要に応えました。食品を瓶へ密封し加熱する方法を試行錯誤で確立し、政府賞金を得て工程を公開し、保存食品工場を運営しました。微生物学成立前の発明ながら缶詰・瓶詰の原理を開き、軍隊、航海、都市生活、災害備蓄の食料供給を根本から変えました。一方、大量保存食は軍事遠征と植民地拡張を支え、栄養損失、工場労働、容器廃棄を伴うため、便利さを無条件の社会進歩とみなせません。
ルイ18世
- 生没年:1755年11月17日~1824年9月16日
- 国:フランス
- 肩書き:国王
ヴェルサイユにルイ16世の弟として生まれ、革命で亡命し、ナポレオン戦争後にブルボン家の王として帰国しました。1814年憲章を公布して世襲王政と二院制議会、法の下の平等、革命期の財産関係を妥協的に併存させました。旧体制の完全復活を避けながら立憲王政を運営し、革命後のフランスが王権と市民社会を調整する一時的な枠組みをつくりました。一方、選挙権は富裕男性へ限定され、白色テロと超王党派を十分抑えられず、植民地支配と奴隷制再建後の秩序も維持したため、穏健王の評価には限界があります。
アウグスト・フェルディナント・メビウス
- 生没年:1790年11月17日~1868年9月26日
- 国:ドイツ
- 肩書き:数学者・天文学者
ザクセンに生まれ、ガウスらが幾何学と代数学を新しい抽象的方法へ進める十九世紀前半にライプツィヒ大学で研究しました。射影幾何学で重心座標を発展させ、数論のメビウス関数を導入し、片面しかない曲面として知られるメビウスの帯を独立に研究しました。座標に依存しない形の性質を扱う位相幾何学と数論へ基本概念を残し、数学教育や工学・芸術にも広く浸透しました。一方、メビウスの帯にはヨハン・リスティングの同時期の研究があり、一人の名を冠する法則が共同的な発見過程を覆う点に注意が必要です。
リー・ストラスバーグ
- 生没年:1901年11月17日~1982年2月17日
- 国:アメリカ
- 肩書き:演出家・演技教師
オーストリア領ガリツィアのユダヤ人家庭に生まれ、幼少期にニューヨークへ移住し、移民演劇と近代リアリズムが交差する舞台で学びました。グループ・シアターとアクターズ・スタジオで、感情記憶と集中を重視するメソッド演技を体系化し、多くの舞台・映画俳優を指導しました。役の内的経験を重視する訓練は戦後アメリカ映画の演技様式を変え、世界の演劇学校と俳優教育へ長く影響しました。一方、過去の苦痛を再体験させる指導は心理的負担と教師への権力集中を招き、スタニスラフスキー体系を感情記憶だけへ狭めたとの批判があります。
イサム・ノグチ
- 生没年:1904年11月17日~1988年12月30日
- 国:アメリカ・日本
- 肩書き:彫刻家・デザイナー
ロサンゼルスに日本人の父とアメリカ人の母の間に生まれ、日米双方で育ち、抽象彫刻と公共空間が拡張する二十世紀に活動しました。石、金属、紙、土を用いた彫刻、庭園、舞台美術、家具を制作し、岐阜の提灯技術から照明彫刻『AKARI』を生み出しました。美術と生活、東洋と西洋、彫刻と景観を横断し、公共デザインとランドアートに国際的な影響を与えました。一方、日系人収容所へ自ら入った経験は連帯と挫折の両面を持ち、『東西の融合』という評価が文化差や職人の技術を作家個人のアイデンティティへ回収する危険があります。
スタンリー・コーエン
- 生没年:1922年11月17日~2020年2月5日
- 国:アメリカ
- 肩書き:生化学者
ニューヨークの移民家庭に生まれ、戦後の生化学が細胞増殖を分子レベルで説明し始める時期に研究者となりました。リタ・レヴィ=モンタルチーニとの研究で神経成長因子を精製し、その過程から上皮成長因子を発見して受容体を介する細胞信号を明らかにしました。発生、創傷治癒、癌を成長因子から理解する基礎をつくり、分子標的薬と再生医学へ大きな影響を与えてノーベル賞を共同受賞しました。一方、成果は動物実験と大規模研究共同体に依存し、基礎発見から生まれた高価な治療薬へのアクセス格差や製薬企業の独占も科学史の外へ置けません。
アルマン
- 生没年:1928年11月17日~2005年10月22日
- 国:フランス・アメリカ
- 肩書き:現代美術家
ニースに生まれ、第二次世界大戦後の大量生産と消費社会を背景に、伝統的絵画から日用品を素材とする表現へ移りました。同種の物を透明箱に集積する『アキュミュレーション』、楽器や家具を切断・焼却する作品を制作し、ヌーヴォー・レアリスムに参加しました。廃棄物と商品を美術館へ持ち込み、所有、反復、破壊を可視化してポップアート、インスタレーション、環境芸術へ影響しました。一方、大量消費を批判しながら作品自体が高価な商品となり、大規模な物品使用と廃棄も伴ったため、制度批判と美術市場への依存という矛盾があります。
11月17日に起きた歴史的な出来事
- 1183年11月17日(寿永2年閏10月1日)|水島の戦い
備中国水島で平氏水軍が源義仲方の軍を破り、瀬戸内海の制海権を一時的に守りました。平氏の海上戦力と日食を利用したとの軍記記述で知られ、源平内乱における海運・水軍の重要性を示します。なお、『平家物語』の劇的叙述と同時代史料を区別する必要があり、戦闘は武士だけでなく船頭、沿岸住民、寺社領を巻き込みました。 - 1292年11月17日|ジョン・ベイリャルがスコットランド王に即位
王位継承争いでイングランド王エドワード1世の裁定を受け、ジョン・ベイリャルが国王となりました。スコットランド王権の正統性をめぐる対立を一時収めましたが、イングランドの宗主権要求が独立戦争へつながりました。なお、裁定は対等な仲裁でなく軍事的圧力を背景とし、諸侯の争いの陰で課税と戦争負担を受けた住民の経験も見る必要があります。 - 1558年11月17日|エリザベス1世即位
メアリー1世の死去により異母妹エリザベス1世がイングランド王位を継承しました。宗教和解を進め、海上進出、演劇文化、議会政治が発展するエリザベス朝の始まりとなりました。なお、カトリック弾圧、アイルランド征服、奴隷貿易と植民事業の拡大を伴い、黄金時代という呼称だけでは暴力と貧困を隠します。 - 1659年11月17日|ピレネー条約締結
長く戦ったフランスとスペインが講和し、国境をピレネー山脈周辺に定めて領土を移しました。フランス優位とスペイン衰退を示し、ルイ14世とスペイン王女マリア・テレサの婚姻で王朝外交を整えました。なお、国境線はカタルーニャの共同体を分断し、住民の言語・自治を王朝国家が取引したため、安定した自然国境の成立とは単純化できません。 - 1796年11月17日|アルコレの戦い終結
ナポレオン率いるフランス軍が三日間の戦闘でオーストリア軍を退け、北イタリア戦役の主導権を維持しました。機動と宣伝によって若い将軍の名声を高め、フランス革命戦争からナポレオン支配へ移る政治的資本となりました。なお、英雄が橋上で旗を掲げた図像は誇張され、双方の兵士とイタリア住民の死傷・徴発を勝利神話の背景へ追いやりました。 - 1800年11月17日|ワシントンD.C.で初の連邦議会
アメリカ連邦議会が新首都ワシントンD.C.の建設途上の議事堂で初めて会期を開きました。政府機関の恒久的移転により、州から独立した連邦首都と三権分立の空間が形づくられました。なお、建設には奴隷労働が使われ、首都用地から政治代表権を制限された住民も生じたため、共和国の記念碑性だけで評価できません。 - 1855年11月17日|リヴィングストンがモシ・オ・トゥニャ到達
デイヴィッド・リヴィングストンが現地でモシ・オ・トゥニャと呼ばれる大瀑布へ到達し、ヴィクトリア滝と命名しました。欧州の地図と地理学へザンベジ川流域を組み込み、後の探検、宣教、通商への関心を高めました。なお、現地住民が古くから知る場所を欧州人の発見と呼ぶのは植民地主義的で、命名は土地の知識と主権を帝国の言葉へ置き換えました。 - 1869年11月17日|スエズ運河開通
地中海と紅海を結ぶスエズ運河が開通し、欧州とインド洋をアフリカ南端経由なしで航行できるようになりました。世界の海運時間と交易路を変え、エジプトの戦略的重要性、蒸気船、帝国間競争を飛躍的に高めました。なお、工事では徴用されたエジプト農民が過酷な労働で多数死亡し、債務と英仏資本支配が後のイギリス占領へつながりました。 - 1871年11月17日|全米ライフル協会設立
南北戦争後に射撃技術を改善する目的で、退役軍人らがニューヨーク州に全米ライフル協会を設立しました。競技、訓練、安全教育から銃器所有権を擁護する巨大な政治団体へ発展し、アメリカ政治へ強い影響を持ちました。なお、銃による自殺・殺人・大量射撃が続くなか、業界資金とロビー活動が規制を妨げたとの批判があり、権利論を被害から切り離せません。 - 1903年11月17日|ロシア社会民主労働党分裂
党大会をめぐる対立から、レーニン派のボリシェヴィキとマルトフ派のメンシェヴィキという呼称が定着しました。党員資格、組織集中、革命戦略の違いがロシア革命運動の二大潮流を形成し、1917年の権力闘争へつながりました。なお、多数派・少数派という名称は一時の採決に由来し、後の勝者が描いた必然的分裂史は各派内部の変化と協力を単純化しています。 - 1905年11月17日(明治38年11月17日)|第二次日韓協約調印
日本政府が軍事力を背景に大韓帝国の外交権を奪う協約へ大臣らの署名を迫り、統監府設置を決めました。韓国を保護国化して伊藤博文を統監に据え、1910年の韓国併合へ至る植民地支配の決定的段階となりました。なお、皇帝高宗は批准せず協約の無効を訴え、強制と脅迫のもとで成立したため、近代化支援や合法的合意として正当化できません。 - 1933年11月17日|アメリカがソ連を承認
ルーズベルト政権がソビエト連邦と正式な外交関係を樹立し、相互に大使を置くことで合意しました。世界恐慌下の通商拡大と日本の東アジア進出への対応を背景に、十六年続いた非承認政策を終えました。なお、宗教・財産請求や政治宣伝をめぐる対立は残り、承認もスターリン体制の飢饉と弾圧を解決・正当化するものではありません。 - 1939年11月17日|ナチスによるチェコ学生弾圧
プラハの反占領デモを受け、ナチ当局が大学を閉鎖し、学生指導者九人を処刑、多数を強制収容所へ送りました。占領地の知識人と教育機関を標的にした弾圧として記憶され、11月17日が国際学生の日となる契機になりました。なお、抗議の象徴化だけでなく、処刑、収容、大学閉鎖で失われた個々の生命と研究、占領協力の構造を記録する必要があります。 - 1950年11月17日|第14代ダライ・ラマ親政開始
中国人民解放軍のチベット進出が迫るなか、十五歳のテンジン・ギャツォが予定を早めて政治権限を引き受けました。チベット政府の宗教・政治指導者として交渉を担い、後の亡命政府と非暴力による自治要求へつながる転機となりました。なお、旧チベット社会にも身分・農奴制をめぐる問題があり、中国統治の抑圧批判と旧制度の理想化を混同してはいけません。 - 1969年11月17日|第1次戦略兵器制限交渉開始
アメリカとソ連の代表団がヘルシンキで会合し、核兵器運搬手段を制限するSALT交渉を始めました。相互確証破壊のもとで軍拡を管理し、1972年の弾道弾迎撃ミサイル制限条約と暫定協定へつながりました。なお、保有核を廃絶せず数量と技術を管理する枠組みで、第三国と核実験被害者の声を十分に反映しませんでした。 - 1970年11月17日|ルナ17号月面着陸
ソ連の無人探査機ルナ17号が月面へ着陸し、世界初の遠隔操作月面車ルノホート1号を展開しました。長距離走行、土壌測定、画像送信を行い、有人飛行とは異なる低危険の惑星探査技術を確立しました。なお、科学成果は冷戦の威信競争と軍事技術に支えられ、秘密主義は失敗と費用、技術者の労働を国民から見えにくくしました。 - 1971年11月17日(昭和46年11月17日)|沖縄返還協定強行採決
衆議院沖縄返還協定特別委員会で、自民党が野党の抗議のなか協定承認案を採決しました。翌年の施政権返還を進める法的段階となりましたが、米軍基地の集中と核密約への疑念を残しました。なお、国会手続の強行と沖縄住民の反基地要求の軽視は、本土復帰が自己決定と負担の公平を十分実現しなかったことを示します。 - 1989年11月17日|ビロード革命始まる
プラハで学生の平和的デモを治安部隊が弾圧し、市民、演劇人、反体制知識人の大規模抗議へ広がりました。共産党一党支配を短期間で終わらせ、ハヴェル大統領就任と議会制民主主義への移行を実現しました。なお、非暴力革命の成功の一方、市場化後の失業・格差、チェコとスロバキアの分離、旧体制責任の扱いには複雑な課題が残りました。 - 1990年11月17日(平成2年11月17日)|雲仙普賢岳噴火開始
長崎県の雲仙普賢岳で水蒸気爆発が起き、およそ百九十八年ぶりの噴火活動が始まりました。長期の火山活動、溶岩ドーム、火砕流への観測と避難を進め、日本の火山防災を大きく変える契機となりました。なお、翌年の大火砕流で報道関係者、消防団員、住民ら四十三人が死亡し、危険区域への取材集中と警戒区域設定の難しさが問われました。 - 1997年11月17日|ルクソール事件
エジプトのハトシェプスト女王葬祭殿前で武装集団が観光客らを襲撃し、六十二人が死亡しました。観光産業を狙うテロが国家経済と国際移動を直撃し、エジプト政府の過激派対策を強化させました。なお、犠牲者追悼が必要な一方、事件後の一斉弾圧と拷問、イスラム教徒全体への偏見を安全対策として正当化できません。 - 1997年11月17日(平成9年11月17日)|北海道拓殖銀行経営破綻
北海道拓殖銀行が資金繰り悪化から営業継続を断念し、戦後初の都市銀行破綻となりました。バブル崩壊後の不良債権問題を可視化し、金融監督、公的資金、預金者保護を抜本的に見直す契機となりました。なお、地域企業への貸し渋り、失業、取引先倒産が北海道経済へ深刻な打撃を与え、経営者責任と救済費用の国民負担が問われました。 - 2005年11月17日(平成17年11月17日)|構造計算書偽造問題公表
国土交通省が建築士によるマンション・ホテルの耐震強度偽装を公表しました。確認検査の民間開放後に設計者、施工者、販売者、検査機関の責任が分散した欠陥を示し、建築基準法改正へつながりました。なお、住民は退去、ローン、資産価値喪失を負い、個人建築士だけの犯罪として処理すると低価格・短納期を迫る業界構造と行政責任が隠れます。 - 2018年11月17日|黄色いベスト運動開始
フランス各地で燃料税引き上げに反対する市民が道路や交差点を占拠し、抗議運動を始めました。地方の自動車依存、生活費、代表制への不信を可視化し、政府に燃料増税撤回と最低賃金対策を迫りました。なお、運動は多様で一部に暴力、差別的言説、陰謀論も入り、警察の重傷を伴う武器使用とともに民主的抗議の限界が問われました。