
9月26日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢44名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】9月26日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、9月26日と一致する人物だけを掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1714年 | 真田信安 | 信濃松代藩第5代藩主 |
| 1776年 | 松平義和 | 美濃高須藩第9代藩主 |
| 1806年 | 青山幸寛 | 美濃郡上藩第4代藩主 |
| 1812年 | 松浦曜 | 肥前平戸藩第11代藩主 |
| 1828年 | 小林虎三郎 | 長岡藩士・教育者 |
| 1830年 | 大久保利通 | 政治家・明治政府の指導者 |
| 1836年 | 堀直虎 | 信濃須坂藩第13代藩主・幕末の若年寄 |
| 1844年 | 牧野忠訓 | 越後長岡藩第12代藩主 |
| 1848年 | 酒井忠経 | 越前敦賀藩第8代藩主 |
| 1864年 | 大谷岩太郎 | 実業家・大谷酒造創業者 |
| 1873年 | 關一 | 経済学者・大阪市長 |
| 1886年 | 古泉千樫 | 歌人 |
| 1893年 | 斎藤佐次郎 | 編集者・児童文学者 |
| 1894年 | 高橋円三郎 | 実業家・新聞記者・政治家 |
| 1905年 | 岩村忍 | 東洋史学者 |
| 1906年 | 新保幸太郎 | 外科学者 |
| 1906年 | 能代清 | 構造工学者 |
| 1911年 | 永田亮一 | 政治家・自治官僚 |
| 1911年 | 尾高尚忠 | 作曲家・指揮者 |
※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。
【海外】9月26日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1641年 | ネヘミア・グルー | イングランドの植物解剖学者 |
| 1731年 | ジアン・フランチェスコ・マルファッティ | イタリアの数学者 |
| 1791年 | テオドール・ジェリコー | フランスの画家 |
| 1792年 | ウィリアム・ホブソン | イギリス海軍士官・初代ニュージーランド総督 |
| 1843年 | ジョゼフ・ファーフィ | オーストラリアの小説家 |
| 1849年 | イワン・パブロフ | ロシアの生理学者 |
| 1859年 | ルイ・マジョレル | フランスの家具デザイナー |
| 1863年 | セルゲイ・オルデンブルク | ロシアの東洋学者 |
| 1870年 | クリスチャン10世 | デンマーク国王・アイスランド国王 |
| 1874年 | ルイス・ハイン | アメリカの写真家・社会改革運動家 |
| 1876年 | エディス・アボット | アメリカの社会福祉学者 |
| 1877年 | アルフレッド・コルトー | スイス出身のピアニスト・指揮者 |
| 1877年 | ウーゴ・チェルレッティ | イタリアの精神科医 |
| 1886年 | A・V・ヒル | イギリスの生理学者 |
| 1887年 | バーンズ・ウォリス | イギリスの航空技術者 |
| 1888年 | T・S・エリオット | アメリカ出身のイギリスの詩人・批評家 |
| 1889年 | マルティン・ハイデガー | ドイツの哲学者 |
| 1891年 | ハンス・ライヘンバッハ | ドイツ出身の科学哲学者 |
| 1895年 | ユルゲン・シュトロープ | ドイツの親衛隊将官・戦争犯罪者 |
| 1897年 | パウロ6世 | 第262代ローマ教皇 |
| 1898年 | ジョージ・ガーシュウィン | アメリカの作曲家 |
| 1907年 | アンソニー・ブラント | イギリスの美術史家・ソ連の諜報員 |
| 1914年 | アキレ・コンパニョーニ | イタリアの登山家 |
| 1932年 | マンモハン・シン | インド首相・経済学者 |
| 1936年 | ウィニー・マディキゼラ=マンデラ | 南アフリカの反アパルトヘイト運動家・政治家 |
9月26日生まれの代表的な偉人
小林虎三郎
- 生没年:1828年9月26日(文政11年8月18日)~1877年8月24日(明治10年8月24日)
- 国:日本
- 肩書き:長岡藩士・教育者
佐久間象山に学び、幕末には長岡藩の改革派として横浜開港や公武合体を論じました。戊辰戦争で荒廃した長岡に届いた救援米を食用にせず売却し、学校再建へ充てたとされる「米百俵」の逸話で知られます。教育を将来の復興資本とみなす思想は、長岡の学校文化や戦後日本の公共倫理に影響を与えました。一方、米百俵の細部は後世の戯曲や政治演説で象徴化され、史料で確認できる範囲と物語的脚色を区別する必要があります。窮乏する住民へ即時配給しない政策には当然反発があり、自己犠牲の美談だけで生活危機を覆うべきではありません。
大久保利通
- 生没年:1830年9月26日(天保元年8月10日)~1878年5月14日(明治11年5月14日)
- 国:日本
- 肩書き:政治家・明治政府の指導者
薩摩藩の下級藩士から島津久光の側近となり、倒幕と王政復古、新政府の中央集権化を主導しました。版籍奉還・廃藩置県を進め、岩倉使節団の副使として欧米制度を調査した後、内務卿として殖産興業と地方行政を統括しました。征韓論を退けて国内整備を優先した政策は近代国家建設を加速させましたが、西南戦争後に紀尾井坂で暗殺されました。一方、政府内の権力を内務省へ集中し、士族反乱や自由民権運動に強硬姿勢を取り、琉球処分にも深く関わりました。「維新の三傑」という成功物語だけでなく、反対派を排除した統治と周縁地域への強制を含めて評価する必要があります。
關一
- 生没年:1873年9月26日(明治6年9月26日)~1935年1月26日(昭和10年1月26日)
- 国:日本
- 肩書き:経済学者・大阪市長
東京高等商業学校で交通政策を研究し、助役を経て1923年から大阪市長を務めました。御堂筋の拡幅と地下鉄建設、大阪港・公営住宅・社会事業の整備を進め、「大大阪」と呼ばれた都市圏の基盤を築きました。受益者負担や市営事業を組み合わせた都市経営は、日本の近代都市計画と自治行政に長い影響を残しました。一方、御堂筋事業は立ち退きと巨額負担を伴い、郊外化や土地価格上昇の利益が全住民へ均等に及んだわけではありません。強力な専門官僚型市政を称賛するだけでなく、議会・住民参加の狭さと植民地主義期の都市競争という背景も見る必要があります。
テオドール・ジェリコー
- 生没年:1791年9月26日~1824年1月26日
- 国:フランス
- 肩書き:画家
革命とナポレオン戦争後のフランスで古典主義を学びながら、馬、軍人、事故の身体を激しい運動感で描きました。巨大作『メデューズ号の筏』では政府の縁故人事が招いた難破と漂流者の絶望を同時代の政治事件として可視化しました。現地取材、遺体研究、生存者への聞き取りを組み合わせた制作はロマン主義絵画と社会的報道表現へ大きな影響を与えました。一方、黒人男性を救済の頂点に置く構図は奴隷制批判と読める一方、苦痛を観客の壮観へ変える危うさもあります。精神疾患患者の肖像とされる連作も診断名や来歴が不確かで、近代精神医学の分類を本人の人格と同一視してはいけません。
イワン・パブロフ
- 生没年:1849年9月26日~1936年2月27日
- 国:ロシア帝国・ソビエト連邦
- 肩書き:生理学者
消化腺の働きを長期観察する手術法を確立し、1904年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。給餌前の合図だけで犬が唾液を分泌する現象を体系化し、条件反射、興奮、抑制を客観的に測る研究計画へ発展させました。その方法は行動主義心理学、学習研究、神経科学、臨床的行動療法へ広く影響しました。一方、本人は心理を単純な刺激反応へ還元したつもりではなく、後世の「ベルを鳴らすと犬が唾液」という説明は実験の多様さを縮めています。犬への外科処置と拘束は深刻な動物福祉上の問題を伴い、成果を語る際には当時と現在の倫理基準の差を無視できません。
ルイス・ハイン
- 生没年:1874年9月26日~1940年11月3日
- 国:アメリカ合衆国
- 肩書き:写真家・社会改革運動家
教師から写真家へ転じ、移民受け入れ施設エリス島で新来者を尊厳ある個人として撮影しました。全米児童労働委員会の調査員として工場、鉱山、農場へ入り、年齢や労働時間を記録した写真で児童労働の実態を世論へ示しました。エンパイア・ステート・ビル建設労働者の連作も含め、写真を社会調査と改革運動の証拠にする方法へ大きな影響を与えました。一方、撮影対象は改革団体の目的に沿って類型化され、本人が画像の使われ方を十分選べたとは限りません。感動的な写真だけを消費すると、貧困を生む企業・人種・移民政策の構造と、調査者が持つ視線の権力が見えにくくなります。
A・V・ヒル
- 生没年:1886年9月26日~1977年6月3日
- 国:イギリス
- 肩書き:生理学者・科学行政家
数学から生理学へ進み、筋肉が収縮するときの熱産生と酸素消費を精密に測定しました。筋活動のエネルギー変換を定量化した功績で、オットー・マイヤーホフと1922年のノーベル生理学・医学賞を受けました。第二次世界大戦期には議員・科学顧問として研究者の国際協力とナチスから逃れた学者の救援にも力を尽くしました。一方、初期の乳酸と酸素負債をめぐるモデルは後の生化学・運動生理学によって修正され、教科書的説明を完成理論として扱えません。軍事研究と国家動員にも関与したため、科学の国際主義と戦時技術への協力が同居した人物として検討すべきです。
T・S・エリオット
- 生没年:1888年9月26日~1965年1月4日
- 国:アメリカ合衆国・イギリス
- 肩書き:詩人・批評家
米国から欧州へ渡り、第一次世界大戦後の断片化した都市経験を『荒地』で神話、会話、諸言語の引用へ組み直しました。『四つの四重奏』や評論「伝統と個人の才能」は、モダニズム詩と20世紀の文学批評に決定的な影響を与え、1948年にノーベル文学賞を受けました。編集者・劇作家としても英語圏の文学制度を形づくりました。一方、作品と私信には反ユダヤ的表現や階級的・女性蔑視的な視線があり、宗教的保守主義も排外政治と接近しました。引用の革新性を称賛しつつ、植民地世界の文化を西欧の危機を救う材料として利用した権力関係を読む必要があります。
マルティン・ハイデガー
- 生没年:1889年9月26日~1976年5月26日
- 国:ドイツ
- 肩書き:哲学者
フッサールの現象学を継承し、『存在と時間』で人間を世界内で他者や道具と関わり、死へ向かう存在として分析しました。存在論、解釈学、実存哲学の語彙を変え、サルトル、ガダマー、アーレント、デリダから建築・文学理論まで幅広く影響しました。技術を単なる道具でなく、世界が資源として現れる仕方として問うた議論も現代環境思想へつながります。一方、1933年にナチ党へ入りフライブルク大学総長として政権に協力し、反ユダヤ的記述を含む『黒ノート』も残しました。哲学と政治を完全に切り離すことも全著作をナチズムへ還元することも避け、概念が排除の政治とどう結び付いたかを具体的に検証する必要があります。
マンモハン・シン
- 生没年:1932年9月26日~2024年12月26日
- 国:インド
- 肩書き:首相・経済学者
英領インドのパンジャーブに生まれ、分離独立で移住を経験した後、経済学者、中央銀行総裁、財務相を歴任しました。1991年の外貨危機で規制緩和、貿易自由化、通貨改革を進め、インド経済を従来の統制型から世界市場へ接続しました。2004年から10年間首相を務め、農村雇用保障、情報公開、米印原子力協力などを実現しました。一方、自由化は成長と中間層拡大を促した反面、農村困窮、雇用の不安定化、所得格差を解消せず、政権末期には汚職疑惑と政策停滞が続きました。本人の清廉さと、連立与党・官僚・企業が担った政策結果を分けて評価する必要があります。
9月26日に起きた歴史的な出来事
- 1580年9月26日|ドレーク艦隊が世界周航を完了
フランシス・ドレークのゴールデン・ハインド号がプリマスへ帰港し、マゼラン隊に続く世界周航を完成しました。航海は太平洋航路と海洋地理の知識を広げ、イングランドの海外進出を加速しましたが、スペイン船への略奪、先住民との不均衡な取引、植民地領有を伴う私掠事業でもありました。 - 1687年9月26日|パルテノン神殿が砲撃で爆発
ヴェネツィア軍がオスマン支配下のアテネを攻撃し、火薬庫として使われていたパルテノンに砲弾が命中して中央部が崩壊しました。古代建築の決定的損壊となり、後世の保存運動へ教訓を残しましたが、文化遺産を軍事施設と標的にした双方の責任を単純に一国へ帰せません。 - 1815年9月26日|神聖同盟を締結
ロシア、オーストリア、プロイセンの君主がキリスト教的原則に基づく相互協力を宣言しました。ナポレオン戦争後の欧州秩序を象徴しましたが、自由主義・民族運動への干渉を正当化する保守反動の枠組みにもなりました。宗教語彙と大国政治の実態を区別して読む必要があります。 - 1918年9月26日|ムーズ・アルゴンヌ攻勢が始まる
第一次世界大戦末期、米軍とフランス軍が西部戦線でドイツ軍への大攻勢を開始しました。休戦を早める圧力となりましたが、米軍史上でも最大級の死傷者を出し、未熟な指揮、疫病、砲撃が兵士と民間人へ甚大な損害を与えました。勝利の物語だけでは戦争末期の無益な消耗を捉えられません。 - 1935年9月26日(昭和10年)|第四艦隊事件
三陸沖で演習中の日本海軍第四艦隊が台風に遭遇し、駆逐艦の船体切断など大損害を受けました。艦艇の軽量化と過大な武装、構造強度の不足を見直す契機となりましたが、軍機として情報が統制され、組織の設計競争と安全軽視が社会的検証を受けにくい体制でした。 - 1954年9月26日(昭和29年)|洞爺丸台風で青函連絡船が沈没
台風15号の暴風と高波で青函連絡船洞爺丸などが函館港外で沈没し、千人を超える犠牲者が出ました。気象判断、船の構造、出航と錨泊の意思決定が検証され、青函トンネル構想を後押ししました。自然災害だけでなく組織的な安全管理の失敗として記憶する必要があります。 - 1958年9月26日(昭和33年)|狩野川台風が伊豆半島を襲う
台風22号が伊豆半島へ接近・上陸し、狩野川流域の洪水と土砂災害で多数の死者・行方不明者を出しました。放水路や治水計画の強化につながりましたが、短時間豪雨、流木、脆弱な住宅立地が被害を重ねました。河川改修だけで災害リスクを完全に消せるわけではありません。 - 1959年9月26日(昭和34年)|伊勢湾台風が上陸
台風15号が紀伊半島へ上陸し、伊勢湾沿岸の高潮を中心に五千人を超える死者・行方不明者を出しました。災害対策基本法、防潮堤、気象警報の整備を促した戦後最大級の風水害です。一方、低地の住宅、貯木場の流木、貧困と情報格差が被害を拡大しており、「想定外」の自然現象だけでは説明できません。 - 1960年9月26日|ケネディとニクソンのテレビ討論
米大統領選の候補者が全国テレビで初の討論を行い、政策だけでなく表情や映像演出が選挙判断を左右する時代を示しました。民主的な比較機会を広げましたが、見た目が勝敗を決めたという通説は世論調査の限界を含みます。短い映像が複雑な政策を印象競争へ変える問題も残しました。 - 1962年9月26日|北イエメン革命
軍将校がイエメン王国の王政を倒して共和国を宣言し、エジプトとサウジアラビアが介入する内戦へ発展しました。近代化と共和制を掲げた一方、地域社会は長期の戦闘、空爆、化学兵器使用の疑いに苦しみました。革命を単純な進歩として語ると、代理戦争と国家分裂の傷を見落とします。 - 1962年9月26日(昭和37年)|若戸大橋が開通
北九州の若松と戸畑を結ぶ若戸大橋が開通し、当時東洋最長の吊橋として物流と都市統合を促しました。日本の長大橋技術の基盤となりましたが、建設や自動車交通を優先する都市政策は渡船利用者や沿線環境へ負担を移しました。利便性と地域間格差の変化を併せて評価すべきです。 - 1968年9月26日(昭和43年)|政府が水俣病と第二水俣病を公害病と認定
厚生省が熊本水俣病をチッソのメチル水銀、第二水俣病を昭和電工の排水によるものとする統一見解を発表しました。企業責任と公害行政を公式に認める転機でしたが、発生確認から認定まで長年を要し、その間に被害が拡大しました。認定基準から漏れた患者の救済問題は現在まで続いています。 - 1969年9月26日|ビートルズ『アビイ・ロード』発売
イギリスでアルバム『アビイ・ロード』が発売され、連続曲、録音技術、ジャケット写真を含むスタジオ作品の完成度が後世のポピュラー音楽へ大きく影響しました。一方、制作時の対立や権利配分、音楽産業の集中も背景にあり、「四人の最後の共同傑作」という像は複雑な分業を簡略化します。 - 1980年9月26日|オクトーバーフェスト爆弾テロ
西ドイツ・ミュンヘンの祭典会場入口で爆弾が爆発し、実行犯を含む13人が死亡、多数が負傷しました。極右テロの重大事件ですが、捜査は長く単独犯説へ傾き、共犯関係や組織的背景の検証が遅れました。被害者への偏見と国家機関の極右軽視も批判されています。 - 1983年9月26日|ソ連の早期警戒システムが誤警報
ソ連軍将校スタニスラフ・ペトロフは、米国の核ミサイル発射を示す衛星警報を機器の誤作動と判断し、即時報復につながる報告を避けました。核戦争回避の象徴ですが、一人の英雄だけでなく、太陽光反射を誤認した技術設計と不透明な指揮系統が危機を生んだ点が重要です。 - 2002年9月26日|客船ジョラ号沈没
セネガル政府運航のフェリー、ジョラ号がガンビア沖で転覆し、過積載と悪天候のなか千人を超える人々が死亡しました。世界最悪級の海難事故となりましたが、救助の遅れ、乗客名簿の不備、保守管理と政治的責任の不徹底が遺族の救済を妨げました。 - 2003年9月26日(平成15年)|十勝沖地震
北海道十勝沖でマグニチュード8.0の地震が起こり、津波、負傷者、石油タンク火災などの被害が発生しました。長周期地震動と沿岸避難、危険物施設の耐震対策を見直す契機となりましたが、釣り人の行方不明など警報が避難へ直結しない問題も残しました。