9月25日生まれの歴史上の人物・偉人一覧と歴史的な出来事

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9月25日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢42名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!

【日本】9月25日生まれの歴史上の人物・偉人一覧

※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、9月25日と一致する人物だけを掲載しています。

生年人物名肩書き
1755年榊原政敦越後高田藩第2代藩主
1763年秋月種徳日向高鍋藩第8代藩主
1830年大田原広清下野大田原藩第13代藩主
1855年饗庭篁村小説家・演劇評論家
1873年加瀬禧逸弁護士・政治家
1876年安藤正純ジャーナリスト・政治家
1884年石橋湛山第55代内閣総理大臣・言論人
1885年古賀峯一海軍軍人・連合艦隊司令長官
1895年有馬正文海軍軍人
1905年松枝茂夫中国文学者・翻訳家
1911年小牧正英バレエダンサー・振付家
1920年高木彬光推理作家

※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。

【海外】9月25日生まれの歴史上の人物・偉人一覧

生年人物名肩書き
1599年フランチェスコ・ボッロミーニスイス出身のイタリアの建築家
1613年クロード・ペローフランスの建築家・医師
1644年オーレ・レーマーデンマークの天文学者
1694年ヘンリー・ペラムグレートブリテン首相
1711年乾隆帝清朝第6代皇帝
1744年フリードリヒ・ヴィルヘルム2世プロイセン国王
1773年アゴスティーノ・バッシーイタリアの昆虫学者・微生物学の先駆者
1798年ジャン=バティスト・エリー・ド・ボーモンフランスの地質学者
1839年カール・アルフレート・フォン・ツィッテルドイツの古生物学者
1858年アルブレヒト・ペンクドイツの地理学者・地質学者
1860年ジョン・ホープオーストラリア総督・リンリスゴー侯爵
1862年レオン・ボエルマンフランスの作曲家・オルガニスト
1862年ビリー・ヒューズオーストラリア首相
1865年アンリ・ルバスクフランスの画家
1866年トーマス・ハント・モーガンアメリカの遺伝学者
1869年ルドルフ・オットードイツの宗教学者・神学者
1877年プルタルコ・エリアス・カリェスメキシコ大統領
1881年魯迅中国の小説家・思想家
1893年ハラルド・クラメールスウェーデンの数学者・統計学者
1896年ロベルト・ジェラールスペインの作曲家
1896年アレッサンドロ・ペルティーニイタリア大統領・反ファシズム運動家
1897年ウィリアム・フォークナーアメリカの小説家
1903年マーク・ロスコラトビア出身のアメリカの画家
1906年ドミートリイ・ショスタコーヴィチソ連の作曲家
1908年ジャクリーヌ・オードリーフランスの映画監督
1911年エリック・ウィリアムズトリニダード・トバゴ初代首相・歴史家
1920年セルゲイ・ボンダルチュクソ連の映画監督・俳優
1920年サティシュ・ダワンインドの航空宇宙工学者
1921年ロバート・マルドゥーンニュージーランド首相
1927年コリン・デイヴィスイギリスの指揮者

9月25日生まれの代表的な偉人

饗庭篁村

  • 生没年:1855年9月25日(安政2年8月15日)~1922年6月20日(大正11年6月20日)
  • 国:日本
  • 肩書き:小説家・演劇評論家

幕末の江戸に生まれ、漢学・英学を学んだのち1874年に読売新聞社へ入り、校正係から記者・小説家へ進みました。『当世商人気質』などで都市の商業生活を戯作の語りと新しい新聞小説の形式から描き、竹の屋主人の名による劇評でも明治期の演劇批評を育てました。ポー作品の紹介や江戸文学研究、幸田露伴ら根岸派との活動を通じ、江戸の文芸と近代文学・新聞文化をつなぎました。一方、作品には当時の身分観、女性観、文明開化をめぐる類型的な表現もあり、都市読者の視線が社会全体を代表するわけではありません。「日本最初のポー翻訳者」といった称号は翻案と翻訳の境界で変わるため、編集者や先行紹介者を含む出版史のなかで評価する必要があります。

石橋湛山

  • 生没年:1884年9月25日(明治17年9月25日)~1973年4月25日(昭和48年4月25日)
  • 国:日本
  • 肩書き:第55代内閣総理大臣・言論人

東洋経済新報の記者・主幹として、植民地を放棄して国内の自由貿易と民生を重視する「小日本主義」を唱えました。軍部の膨張、満洲事変、統制経済を批判し、戦後は蔵相、通産相を経て1956年に首相となりました。病気で在任65日で退陣しましたが、日中・日ソ関係の改善と福祉国家的な経済政策を志向し、保守政治の別の可能性を示しました。一方、言論活動にも時局への妥協があり、植民地支配を主として費用対効果から論じたため被支配者の権利を中心に置いたとは言えません。短命政権への期待を実施済みの成果と混同せず、財政・政党運営の現実的限界も見る必要があります。

高木彬光

  • 生没年:1920年9月25日(大正9年9月25日)~1995年9月9日(平成7年9月9日)
  • 国:日本
  • 肩書き:推理作家

京都帝国大学で冶金学を学び、戦後の失業期に江戸川乱歩の推薦を得て『刺青殺人事件』で作家デビューしました。神津恭介、大前田英策ら異なる探偵像を用い、本格推理、法廷小説、歴史ミステリー、企業犯罪へ題材を広げました。『白昼の死角』『破戒裁判』などは、高度成長期の金融・司法・権力の盲点を娯楽小説として可視化しました。一方、女性の身体や猟奇性を謎の装置として消費する初期作品には、現在から見て批判すべき表象があります。史実や裁判を大胆に再構成するため、社会告発の迫力と事実記録としては読めない虚構性を区別しなければなりません。

フランチェスコ・ボッロミーニ

  • 生没年:1599年9月25日~1667年8月2日
  • 国:スイス・教皇領
  • 肩書き:建築家

石工としてローマへ出てサン・ピエトロ大聖堂の工事に携わり、のちに独立した建築家となりました。サン・カルロ・アッレ・クワトロ・フォンターネやサンティーヴォ・アッラ・サピエンツァで、凹凸する壁、幾何学的平面、連続する光を用いバロック建築を革新しました。ベルニーニと異なる知的で緊張感ある空間は、近代以降の建築家にも強い影響を与えました。一方、二人の対立を「社交的な天才対孤独な天才」という心理劇にする説明は、施主、修道会、職人、予算の役割を隠します。自死を作品の奇矯さと結び付けるロマン化も避け、精神的苦痛を美的独創性の証明として消費しない注意が必要です。

オーレ・レーマー

  • 生没年:1644年9月25日~1710年9月19日
  • 国:デンマーク
  • 肩書き:天文学者・官僚

パリ天文台で木星の衛星イオの食を観測し、地球が木星へ近づく時と遠ざかる時の時刻差を分析しました。1676年に光が有限の速度で伝わると結論し、天文学的現象から光速を初めて定量的に示しました。帰国後はコペンハーゲンで観測機器、温度目盛、度量衡、街路照明など公共技術の整備にも携わりました。一方、計算は現在の光速値を直接得たものではなく、観測データと解釈にはカッシーニら天文台の共同作業がありました。『光速を単独で発見した』とする英雄史は、衛星軌道の不確かさや後世の再計算を見えにくくします。

乾隆帝

  • 生没年:1711年9月25日(康熙50年8月13日)~1799年2月7日(嘉慶4年1月3日)
  • 国:清
  • 肩書き:第6代皇帝

康熙帝・雍正帝から続く統治基盤を受け継ぎ、18世紀清朝の領域と人口・財政を最大規模へ広げました。新疆、チベットなどへの軍事支配を強め、多言語の宮廷文化を利用しながら『四庫全書』の編纂、絵画・工芸の収集を推進しました。長い治世は東アジアの政治・交易・文化へ大きな影響を与えました。一方、ジュンガル征服では住民の大量死と移住が起こり、文字獄と禁書によって知識人を統制しました。晩年の軍事費増大、汚職、人口圧力を含め、「康乾盛世」という繁栄の像を帝国の暴力と社会格差から切り離せません。

トーマス・ハント・モーガン

  • 生没年:1866年9月25日~1945年12月4日
  • 国:アメリカ合衆国
  • 肩書き:遺伝学者・発生学者

発生学から遺伝研究へ進み、ショウジョウバエの白眼変異を手掛かりに遺伝子が染色体上に並ぶことを実験で示しました。組換え頻度から遺伝子地図を作る研究を学生たちと進め、メンデル遺伝と細胞学を結ぶ染色体説を確立しました。1933年のノーベル生理学・医学賞を受け、モデル生物を用いる現代生命科学の研究様式へ大きな影響を与えました。一方、「フライ・ルーム」の成果はスターティヴァント、ブリッジス、ミュラーらの分担と競争に支えられ、所長一人の発見ではありません。小さなモデル生物で得た規則を生物全般へ拡張する限界や、当時の研究室で女性の信用が狭められた制度も考慮すべきです。

魯迅

  • 生没年:1881年9月25日~1936年10月19日
  • 国:清・中華民国
  • 肩書き:小説家・思想家

日本留学中に医学から文学へ転じ、辛亥革命後の社会で古い礼教と精神的隷属を批判しました。『狂人日記』『阿Q正伝』『故郷』は白話文を用いて家族、階級、迷信、革命の自己欺瞞を鋭く描き、中国近代文学の基準を変えました。翻訳、木版画運動、若い作家の支援も通じ、東アジアの反帝国主義文化へ広い影響を与えました。一方、死後は共産党国家の革命的聖人として正典化され、作品の曖昧さや党派への批判が単純化されました。農民・女性を啓蒙される対象として描く知識人の視線もあり、抵抗の象徴と表象上の限界を併せて読む必要があります。

ウィリアム・フォークナー

  • 生没年:1897年9月25日~1962年7月6日
  • 国:アメリカ合衆国
  • 肩書き:小説家

米国南部ミシシッピをモデルに架空のヨクナパトーファ郡を作り、複数の家系と世代を作品間で交差させました。『響きと怒り』『八月の光』『アブサロム、アブサロム!』では、意識の流れ、時間の断絶、多声的語りによって奴隷制の記憶と南部社会の崩壊を表現しました。1949年のノーベル文学賞後、世界文学と映画脚本へ大きな影響を与えました。一方、黒人登場人物の声は白人作家の構成を通しており、人種的類型や性的暴力の扱いには批判があります。公民権運動では漸進主義的で曖昧な発言も行い、南部を批判した文学的複雑さを作者自身の政治的勇気と同一視できません。

ドミートリイ・ショスタコーヴィチ

  • 生没年:1906年9月25日~1975年8月9日
  • 国:ロシア帝国・ソビエト連邦
  • 肩書き:作曲家

革命後のレニングラード音楽院で学び、交響曲第1番で国際的に注目されました。オペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』が1936年に党機関紙で攻撃された後も、15の交響曲と弦楽四重奏曲、映画音楽を作り、戦争、恐怖、私的追悼を多層的な音響に刻みました。交響曲第5番・第7番などはソ連の公式文化と個人の抵抗の双方をめぐる世界的議論を生んでいます。一方、全作品を暗号化された反スターリン声明と読む説も、体制に従った公式作曲家と断じる説も単純です。党員となり宣伝作品も書いた現実、家族と同僚を守る恐怖、演奏家との共同制作を含め、曖昧さそのものを歴史条件として捉える必要があります。

9月25日に起きた歴史的な出来事

  • 1066年9月25日|スタンフォード・ブリッジの戦い
    イングランド王ハロルド2世がヨーク近郊でノルウェー王ハーラル3世の侵攻軍を破り、ヴァイキングによる大規模侵攻を退けました。しかし王軍は直後に南へ強行軍し、ヘイスティングズでノルマン軍と戦うことになります。「ヴァイキング時代の終わり」という区切りは便利でも、地域の交流や暴力がこの日に断絶したわけではありません。
  • 1396年9月25日|ニコポリスの戦い
    オスマン帝国軍がハンガリー王と西欧諸侯の十字軍をドナウ川沿岸で破り、バルカン支配を固めました。騎士の無秩序を敗因とする物語が有名ですが、史料は勝者・敗者双方の政治的意図を含みます。捕虜の大量処刑も起こり、宗教文明間の単純な対決として美化できません。
  • 1513年9月25日|バルボアが太平洋を視認
    スペイン探検隊を率いたバスコ・ヌーニェス・デ・バルボアがパナマ地峡の山上から、ヨーロッパ人として初めてアメリカ側から太平洋を確認しました。世界地理と征服航路を変えましたが、先住民の案内と知識に依存し、海をスペイン王の名で領有する行為は土地・人間を一方的に支配する植民地主義でした。
  • 1555年9月25日|アウクスブルクの宗教和議
    神聖ローマ帝国内でカトリックとルター派の共存を認め、領邦君主が領内の宗派を決める原則を定めました。宗教戦争を一時的に抑えましたが、カルヴァン派などは対象外で、住民個人の信教自由ではありませんでした。支配者と異なる信仰の人には改宗か移住が迫られました。
  • 1690年9月25日|北米植民地初の新聞『パブリック・オカレンシズ』発行
    ボストンでベンジャミン・ハリスが四ページの新聞を刊行し、植民地社会の戦争・疫病・政治情報を伝えました。無許可だったため一号で当局に禁圧され、報道自由史の象徴となりました。一方、紙面は先住民を植民者の戦争の対象として描き、初期ジャーナリズムも帝国的視点から自由ではありません。
  • 1884年9月25日(明治17年)|『今日新聞』創刊
    東京で夕刊紙『今日新聞』が創刊され、改題・統合を経て現在の東京新聞につながる系譜の一つとなりました。都市大衆向け新聞の発展を示しますが、新聞社史の連続性は経営交代や紙面方針の断絶を含みます。商業報道は識字と公共圏を広げる一方、煽情記事や政治権力との関係も抱えました。
  • 1915年9月25日(大正4年)|山極勝三郎らが人工発癌研究を発表
    山極勝三郎と市川厚一はウサギの耳へコールタールを反復塗布し、人工的に癌を発生させた研究成果を報告しました。環境中の化学物質と発癌の因果を実験で示す先駆となりましたが、多数の動物へ長期の苦痛を与えた実験であり、現在の動物福祉・代替法の基準からも検討が必要です。
  • 1921年9月25日(大正10年)|名古屋を高潮が襲う
    台風の接近で伊勢湾沿岸に高潮が起こり、名古屋南部を中心に多数の死者・行方不明者と家屋被害が生じました。港湾都市の防潮対策を促しましたが、低湿地の工場・住宅へ労働者が集住した社会条件が被害を拡大しました。自然現象だけを原因にすると都市計画と格差の責任が隠れます。
  • 1926年9月25日|奴隷条約を調印
    国際連盟加盟国が奴隷制と奴隷取引の防止を約する条約へ署名し、国際法上の廃絶規範を前進させました。しかし植民地の強制労働、債務拘束、家事労働などは定義と執行の外に残りました。条約参加国自身が帝国支配を続け、被害者が救済を直接求める仕組みも弱いものでした。
  • 1937年9月25日(昭和12年)|大牟田で集団赤痢
    福岡県大牟田市で水道水を介したとみられる赤痢の大流行が起こり、一万人を超える患者と多数の死者を出しました。上水道の消毒・検査と公衆衛生行政の重要性を示しましたが、戦時体制下の情報管理や責任所在の曖昧さが被害把握を難しくしました。
  • 1956年9月25日|TAT-1が営業開始
    スコットランドとニューファンドランドを結ぶ初の大西洋横断電話ケーブルが営業を始め、安定した音声回線を欧米間に提供しました。外交・報道・商取引を高速化しましたが、通信網は西側同盟と大企業へ集中し、旧植民地地域との情報格差や監視利用の問題を残しました。
  • 1957年9月25日|リトルロック・ナインが登校
    アイゼンハワー大統領が派遣した連邦軍の護衛下で、九人の黒人生徒がアーカンソー州の白人高校へ終日登校しました。最高裁の学校分離違憲判決を連邦権力で実行した画期ですが、生徒は校内で長期の暴力と侮辱を受け、形式的統合だけでは人種差別が終わらないことを示しました。
  • 1962年9月25日|アルジェリア人民共和国を宣言
    独立戦争とエヴィアン協定を経たアルジェリアで制憲議会が共和国の成立を宣言し、植民地支配後の国家建設が始まりました。民族解放の大きな成果でしたが、欧州系住民と協力者の大量流出・報復、FLNによる一党支配、地域・言語の多様性抑圧が続きました。
  • 1964年9月25日|モザンビーク独立戦争が始まる
    FRELIMOがポルトガル植民地当局への武装闘争を開始し、1975年の独立へつながりました。脱植民地化を進めた一方、農村住民は双方の徴発、強制移住、地雷、報復にさらされました。独立後の内戦も含め、武装闘争を直線的な解放物語としてのみ語れません。
  • 1972年9月25日(昭和47年)|田中角栄首相が中国を訪問
    田中首相が北京へ到着し、周恩来首相らとの交渉を開始しました。29日の日中共同声明と国交正常化へ至る歴史的訪問でしたが、日本の侵略責任をめぐる表現、台湾との断交、戦後補償を国家間合意で処理したことは、被害者や台湾住民の声を十分に反映しませんでした。
  • 1974年9月25日|最初のトミー・ジョン手術
    整形外科医フランク・ジョーブが投手トミー・ジョンの損傷した肘靱帯を腱移植で再建し、競技復帰への道を開きました。スポーツ医学と一般整形外科へ広く応用されましたが、成功率の上昇が若年選手の酷使を正当化する危険があり、手術は能力を高める予防策ではありません。
  • 1978年9月25日|パシフィック・サウスウエスト航空182便墜落
    サンディエゴ上空で旅客機と小型機が衝突し、地上を含む144人が死亡しました。混雑空域の管制、操縦士の視認、衝突防止装置を見直す契機になりました。事故写真の大量流通は安全教育に寄与する一方、被害者の死を見世物化する報道倫理の問題を残しました。
  • 1981年9月25日|サンドラ・デイ・オコナーが米最高裁判事に就任
    オコナーが宣誓して米国史上初の女性連邦最高裁判事となり、司法の代表性を広げました。人工妊娠中絶や州権限で中間的判断を重ねましたが、個人の『初』だけで法曹界の性差別が解消されたわけではありません。先住民の主権や刑事司法を狭く解した判決にも批判があります。
  • 2008年9月25日|神舟7号打ち上げ
    中国が有人宇宙船神舟7号を打ち上げ、後に中国初の船外活動へ成功しました。独自の有人宇宙技術と国家的研究能力を示しましたが、宇宙開発は軍事技術・威信競争と密接で、情報公開の限界や巨額投資の優先順位を含めて評価する必要があります。
  • 2015年9月25日|国連が持続可能な開発目標を採択
    国連総会が2030年までの17目標を含む「持続可能な開発のための2030アジェンダ」を採択しました。貧困、教育、気候、ジェンダーを統合した共通枠組みですが、法的拘束力はなく、指標達成が企業の広報や数値合わせに使われる危険があります。歴史的排出と富の偏在に応じた責任配分もなお争点です。
  • 2017年9月25日|イラク・クルディスタン独立住民投票
    クルディスタン地域政府が独立の賛否を問い、圧倒的多数が賛成しました。クルド人の自己決定要求を示しましたが、イラク政府と周辺国は反発し、係争地キルクークの支配を地域政府が失う結果になりました。非クルド住民の意思、投票の法的根拠、指導部の国内政治利用も論点です。

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