9月24日生まれの歴史上の人物・偉人一覧と歴史的な出来事

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9月24日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢40名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!

【日本】9月24日生まれの歴史上の人物・偉人一覧

※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、9月24日と一致する人物だけを掲載しています。

生年人物名肩書き
1714年酒井忠休出羽松山藩第3代藩主
1780年水野勝愛下総結城藩第8代藩主
1784年板倉勝晙備中松山藩第5代藩主
1798年高島秋帆砲術家・幕臣
1827年松平輝聴上野高崎藩第9代藩主
1840年津軽承叙陸奥黒石藩第4代藩主
1858年櫻井錠二化学者・学術行政家
1878年千葉亀雄文芸評論家・ジャーナリスト
1885年嶋田繁太郎海軍軍人・海軍大臣
1887年中塚一碧楼俳人
1890年松本與作建築家
1901年服部之総歴史学者
1903年田中於菟弥インド文学者
1906年宇都宮徳馬政治家・実業家
1910年中村重光政治家

※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。

【海外】9月24日生まれの歴史上の人物・偉人一覧

生年人物名肩書き
1501年ジェロラモ・カルダーノイタリアの数学者・医師
1534年グル・ラーム・ダースシク教第4代グル
1583年アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタインボヘミアの軍人
1625年ヨハン・デ・ウィットネーデルラントの政治家・数学者
1705年レオポルト・フォン・ダウンオーストリアの陸軍元帥
1717年ホレス・ウォルポールイギリスの作家・政治家
1755年ジョン・マーシャルアメリカの連邦最高裁判所長官
1801年ミハイル・オストログラツキーロシア帝国の数学者・物理学者
1802年アドルフ・ダルシアクフランスの地質学者・古生物学者
1844年マックス・ネータードイツの数学者
1859年ユリウス・クレンゲルドイツのチェリスト・作曲家
1861年ビカイジ・カマインドの独立運動家
1870年ジョルジュ・クロードフランスの化学者・発明家
1878年シャルル=フェルディナン・ラミュスイスの作家
1884年イスメト・イノニュトルコ第2代大統領
1884年ヒューゴ・シュマイザードイツの銃器設計者
1895年アンドレ・クルナンフランス出身の生理学者・医師
1896年F・スコット・フィッツジェラルドアメリカの小説家
1896年エルザ・トリオレロシア出身のフランスの作家
1898年ハワード・フローリーオーストラリア出身の病理学者
1898年シャーロット・ムーア=シタリーアメリカの天文学者
1905年セベロ・オチョアスペイン出身の生化学者
1909年ジェラルド・シオレクポーランドの建築史家・建築家
1911年コンスタンティン・チェルネンコソ連の政治家
1936年ジム・ヘンソンアメリカの人形操演家・映像作家

9月24日生まれの代表的な偉人

櫻井錠二

  • 生没年:1858年9月24日(安政5年8月18日)~1939年1月28日(昭和14年1月28日)
  • 国:日本
  • 肩書き:化学者・学術行政家

加賀藩士の家に生まれ、ロンドン大学でアレクサンダー・ウィリアムソンに学んだ後、東京大学で物理化学の教育と研究を担いました。東京化学会の運営、理化学研究所の設立、日本学術振興会の構想などを通じ、個別研究以上に近代日本の研究制度を整えました。理論化学と基礎教育を重視した姿勢は、化学を職人的技術から大学科学へ組み替える力になりました。一方、応用化学を重視する長井長義らと対立し、学問分野の序列化にもつながりました。国家主導の研究機関は産業化だけでなく軍事・帝国政策とも近接したため、「学術の父」という称賛と制度が仕えた権力を併せて考える必要があります。

服部之総

  • 生没年:1901年9月24日(明治34年9月24日)~1956年3月4日(昭和31年3月4日)
  • 国:日本
  • 肩書き:歴史学者

東京帝国大学で社会学を学び、労働運動の調査機関やプロレタリア科学研究所を経てマルクス主義歴史学を進めました。『明治維新史』『黒船前後』などで、維新を英雄の決断ではなく商品生産、階級関係、国際市場の変化から捉え直しました。講座派の論争に参加し、近代日本研究へ社会経済構造を分析する方法を定着させました。一方、発展段階と階級対立を先に置く説明は、地域差、ジェンダー、植民地の主体性を一つの図式へ押し込む危険があります。政治運動と学問の近さを単なる偏向として退けず、同時に理論が史料の複雑さを削った箇所を検証する必要があります。

宇都宮徳馬

  • 生没年:1906年9月24日(明治39年9月24日)~2000年7月1日(平成12年7月1日)
  • 国:日本
  • 肩書き:政治家・実業家

陸軍大将の家庭に育ちながら学生時代にマルクス主義へ接近し、治安維持法で投獄された後、製薬会社を創業しました。戦後は衆参両院議員として日中国交正常化、軍縮、北東アジアの平和を一貫して訴え、月刊誌『軍縮問題資料』も創刊しました。冷戦下で政党の枠を越えて中国との対話を続けた活動は、日本の民間外交と反核運動に影響を残しました。一方、議員活動と企業経営が併存し、政治資源を持つ名望家による上からの平和運動という限界があります。中国政府の人権侵害をどこまで批判したか、党籍変更の多さが政治的実効性を弱めなかったかも含めて評価すべきです。

ジェロラモ・カルダーノ

  • 生没年:1501年9月24日~1576年9月21日
  • 国:ミラノ公国・教皇領
  • 肩書き:数学者・医師・占星術師

ルネサンス期の医師として名声を得る一方、賭博経験から確率の初歩を論じ、機械、自然哲学、自伝まで幅広く著しました。『アルス・マグナ』で三次・四次方程式の解法を公刊し、虚数を含む代数計算の領域を大きく広げました。カルダン継手などに名が残り、数学を実用と自然理解に結ぶ後世の発想へ影響しました。一方、三次方程式の解法はタルタリアから秘密保持を条件に聞いた知識を含み、公開をめぐる優先権争いは倫理上の問題を残しました。占星術と医学、逸話と自己演出が混在するため、現代科学の基準だけで先駆者化するのも迷信家として切り捨てるのも不適切です。

ヨハン・デ・ウィット

  • 生没年:1625年9月24日~1672年8月20日
  • 国:ネーデルラント連邦共和国
  • 肩書き:政治家・数学者

商人都市ドルドレヒトの有力家に生まれ、法律と数学を学んだ後、1653年からホラント州法律顧問として共和国政治を主導しました。年金の現在価値を計算する研究を行う一方、英蘭戦争期には財政・艦隊を整え、オラニエ家総督を置かない統治を維持しました。その行政と数理的思考は保険・年金数学、オランダ共和政史へ長い影響を残しました。一方、繁栄は東西インド会社の植民地交易、奴隷制、アジアでの暴力と切り離せず、共和主義が万人の平等を意味したわけではありません。1672年に兄コルネリスと群衆に惨殺された事件を野蛮な民衆像だけで説明せず、戦争危機、政治宣伝、権力闘争の責任を検討する必要があります。

アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン

  • 生没年:1583年9月24日~1634年2月25日
  • 国:ボヘミア・神聖ローマ帝国
  • 肩書き:軍人・傭兵軍司令官

ボヘミアの小貴族から婚姻と没収地購入で勢力を伸ばし、三十年戦争で皇帝軍の巨大な傭兵軍を組織しました。軍を占領地の拠出金で維持する方式により皇帝の軍事力を急拡大させ、デンマーク王を退けるなど戦局を左右しました。独自外交を進めるほどの権力を得ましたが、皇帝の疑念を招きエーガーで暗殺されました。一方、軍の『自給』は住民への徴発、略奪、飢餓を制度化し、中央ヨーロッパの破壊を深めました。宗教を超えた現実主義者という評価も、私的軍事企業と領土収奪の受益者だった事実を免責しません。

ジョン・マーシャル

  • 生没年:1755年9月24日~1835年7月6日
  • 国:アメリカ合衆国
  • 肩書き:第4代連邦最高裁判所長官・国務長官

独立戦争に従軍し、外交官・国務長官を経て1801年から34年間にわたり連邦最高裁長官を務めました。マーベリー対マディソン判決で違憲審査を定着させ、マカロック対メリーランド州判決などで連邦政府と憲法の権威を強めました。その法理は司法を独立した政治制度として確立し、世界の憲法裁判へ影響しました。一方、司法審査は憲法本文に明記されず、裁判所が民主的決定を覆す権力を拡張したとの批判があります。先住民の法的地位を一部認める判決を出しながら強制移住を止められず、自身も奴隷を所有したため、法の支配の功績と人種的不平等を切り離せません。

ビカイジ・カマ

  • 生没年:1861年9月24日~1936年8月13日
  • 国:英領インド・フランス
  • 肩書き:インド独立運動家

ボンベイの裕福なパールシー家庭に生まれ、疫病救護後に欧州へ渡って亡命インド独立運動へ加わりました。1907年のシュトゥットガルト国際社会主義者大会で植民地支配を告発し、後の国旗へ連なる意匠の旗を掲げました。パリを拠点に機関紙と文書を送り、国境を越える反帝国主義・女性政治活動の先例となりました。一方、旗の意匠を現在のインド国旗へ一直線に結ぶ説明には注意が必要で、運動内部には宗教・階級・戦術の対立がありました。裕福な亡命者が農民や労働者を代表する限界、武装革命との距離、女性の権利が民族独立に従属した面も検討すべきです。

ハワード・フローリー

  • 生没年:1898年9月24日~1968年2月21日
  • 国:オーストラリア・イギリス
  • 肩書き:病理学者・薬理学者

オックスフォード大学でエルンスト・チェーン、ノーマン・ヒートリーらと抗菌物質を系統的に研究しました。フレミングが報告したペニシリンを精製・濃縮し、動物実験と重症患者への治療で有効性を示して、英米の大量生産へつなげました。感染症死亡を大幅に減らす抗生物質時代を開き、1945年のノーベル生理学・医学賞を共同受賞しました。一方、『フレミング一人の偶然の発見』という物語は開発チーム、とりわけヒートリーらの技術的貢献を過小評価します。初期患者は薬不足で治療を継続できず、普及後の過剰使用は薬剤耐性を招いたため、救命効果とアクセス・適正使用の問題を併せて考える必要があります。

9月24日に起きた歴史的な出来事

  • 1730年9月24日(享保15年8月13日)|堂島米会所を公認
    江戸幕府が大坂の堂島米市場を公認し、帳合米取引を含む制度化された商品市場が整いました。米価形成と藩財政を支える先進的な金融機構でしたが、投機による価格変動は都市消費者や困窮層の生活を圧迫し、米を納める農民の意思は市場運営に反映されませんでした。
  • 1789年9月24日|アメリカ司法法成立
    ワシントン大統領が司法法に署名し、連邦最高裁、地方裁判所、司法長官など連邦司法の基本構造が作られました。憲法上の司法権を実働させた重要立法ですが、制度は当初、女性、奴隷、先住民を政治共同体から排除した共和国の秩序の上に置かれていました。
  • 1789年9月24日|クラプロートがウラン発見を発表
    ベルリンの化学者マルティン・クラプロートがピッチブレンドから新元素と考えた物質を得たと学会で発表し、天王星にちなみウランと名付けました。実際に金属ウランが単離されたのは後世であり、元素発見を一度の実験に限定できません。のちの核兵器と原子力利用も含む巨大な影響を本人の意図へ遡って負わせるのも不適切です。
  • 1841年9月24日|ジェームズ・ブルックがサラワクのラージャに就任
    ブルネイのスルタンが反乱鎮圧に協力した英国人ブルックをサラワクの統治者に任じ、白人王朝が始まりました。海賊対策や行政整備を掲げましたが、個人による植民地支配と領土拡張であり、先住諸集団の政治参加や土地権を抑えました。
  • 1852年9月24日|ジファールの動力飛行船が飛行
    アンリ・ジファールが蒸気機関とプロペラを備えた飛行船でパリから約27キロメートルを飛び、操縦可能な動力航空の先駆となりました。航空技術の重要な一歩でしたが、水素の可燃性と低い出力には大きな危険があり、後の軍事偵察・爆撃への利用も技術進歩の負の側面です。
  • 1869年9月24日|米国のブラック・フライデー
    投機家ジェイ・グールドらが金市場の買い占めを図り、政府の金売却で価格が急落して金融混乱が起きました。市場操作と政権周辺の腐敗への不信を深めましたが、損失は投機家だけでなく信用収縮と農産物価格下落を通じて農民・商人・労働者へ広がりました。
  • 1877年9月24日(明治10年)|城山の戦い
    西南戦争の最後の戦闘で政府軍が鹿児島の城山を総攻撃し、西郷隆盛ら薩軍指導者が死亡しました。徴兵制軍隊を持つ中央政府の勝利で武力による士族反乱は終息しましたが、双方の兵士と住民に犠牲を出し、西郷の美化は反乱の政治的矛盾と動員された若者を見えにくくします。
  • 1906年9月24日|デビルスタワーを米国初の国定記念物に指定
    セオドア・ルーズベルト大統領が古物保存法を用い、ワイオミングの巨岩と周辺を国定記念物に指定しました。連邦政府による自然・文化遺産保護の先例となりましたが、ラコタなど先住民の聖地を英語名と観光資源の枠へ取り込み、登攀利用との対立を残しました。
  • 1932年9月24日|プーナ協定
    被抑圧階級の分離選挙をめぐり、獄中で断食したガンディーとB・R・アンベードカル側が、一般選挙区内の留保議席拡大で合意しました。不可触民の政治代表を制度化する一歩でしたが、ガンディーの道徳的圧力が当事者側の独立した選択を狭めたとの批判が続き、カースト差別は解消されませんでした。
  • 1948年9月24日(昭和23年)|本田技研工業設立
    本田宗一郎と藤沢武夫らが浜松で本田技研工業を設立し、補助エンジンから二輪車・自動車の世界企業へ成長しました。戦後の移動手段と製造業を変えましたが、成功は多数の技術者・販売店・工場労働者に支えられ、モータリゼーションは交通事故、大気汚染、化石燃料依存も拡大しました。
  • 1952年9月24日(昭和27年)|第五海洋丸遭難
    明神礁の海底火山を調査していた海上保安庁測量船第五海洋丸が爆発に巻き込まれ、乗員・調査員31人全員が死亡しました。海底火山観測と防災体制を見直す契機になりましたが、噴火時刻や沈没過程には不明点が残り、科学調査を殉職美談だけで語らず危険評価と退避判断を検証する必要があります。
  • 1957年9月24日|カンプ・ノウ開場
    FCバルセロナの新本拠地が開場し、大規模観客席を持つ欧州サッカー文化の象徴となりました。都市観光とカタルーニャの集合的アイデンティティーを支えましたが、建設費はクラブ財政を圧迫し、大型競技場は群衆安全、周辺住民、政治的象徴の商業化という問題も抱えます。
  • 1960年9月24日|原子力空母エンタープライズ進水
    世界初の原子力空母USSエンタープライズが進水し、長期間補給なしで航行できる米海軍の遠洋展開能力を示しました。海軍技術の画期でしたが、核推進の事故・廃炉廃棄物、巨額の軍事費、空母が関与したベトナム戦争などの武力行使を技術的偉業から切り離せません。
  • 1970年9月24日|ルナ16号が月試料を地球へ持ち帰る
    ソ連の無人探査機ルナ16号の帰還カプセルが月の土壌試料を携えて着地し、無人機として初の月試料回収に成功しました。自動採取・帰還技術を実証しましたが、冷戦下の宇宙競争は軍事技術と威信競争に支えられ、成功の陰には秘密主義と失敗計画の非公表がありました。
  • 1973年9月24日|ギニアビサウが独立を宣言
    PAIGCがポルトガル植民地支配に対する長い武装闘争を経て独立を宣言し、多くの国が承認しました。アフリカの脱植民地化を促しましたが、ポルトガルの正式承認は翌年で、戦争による死傷・避難と、独立後の一党支配・クーデターという不安定さが残りました。
  • 2014年9月24日|マンガルヤーンが火星周回軌道へ投入
    インド宇宙研究機関の探査機が火星周回軌道に入り、インドは初回の試みで成功した最初の国となりました。低予算の深宇宙航行能力を示し科学技術教育を刺激しましたが、費用の小ささだけを称える比較は労働条件を見えにくくし、地上の貧困対策との二者択一で論じるのも単純です。
  • 2015年9月24日|ミナ群衆事故
    メッカ巡礼中のミナで巡礼者が密集して多数が圧死し、国別集計では死者が二千人を超えるとされる大惨事になりました。大規模群衆管理、動線、緊急医療の欠陥を示しましたが、サウジ政府の公式数字と各国集計には大差があり、責任追及や犠牲者確認の不透明さが遺族の苦痛を深めました。

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