9月27日生まれの歴史上の人物・偉人一覧と歴史的な出来事

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9月27日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢42名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!

【日本】9月27日生まれの歴史上の人物・偉人一覧

※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、9月27日と一致する人物だけを掲載しています。

生年人物名肩書き
1659年黒田綱政筑前福岡藩第4代藩主
1717年浅野宗恒安芸広島藩第6代藩主
1761年戸田忠翰下野宇都宮藩第2代藩主
1793年遠山景元江戸町奉行・旗本
1793年徳川斉朝尾張藩第10代藩主
1838年田中芳男博物学者・農商務官僚
1839年高杉晋作長州藩士・奇兵隊創設者
1853年真野観我海軍軍人・主計少将
1868年清水澄憲法学者・枢密院議長
1883年丸山鶴吉内務官僚・警視総監
1900年戸坂潤哲学者・評論家
1902年半谷三郎詩人
1914年宇野重吉俳優・演出家・劇団民藝創設者
1952年星野道夫写真家・随筆家

※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。

【海外】9月27日生まれの歴史上の人物・偉人一覧

生年人物名肩書き
1389年コジモ・デ・メディチフィレンツェの銀行家・政治指導者
1533年ステファン・バートリポーランド王・トランシルヴァニア公
1601年ルイ13世フランス国王
1627年ジャック=ベニーニュ・ボシュエフランスの神学者・説教家
1657年ソフィア・アレクセーエヴナロシア摂政
1696年アルフォンソ・デ・リゴリイタリアのカトリック司教・神学者
1719年アブラハム・ゴットヘルフ・ケストナードイツの数学者・詩人
1722年サミュエル・アダムズアメリカ独立運動の政治家
1792年ジョージ・クルックシャンクイギリスの風刺画家
1805年ジョージ・ミュラードイツ出身の慈善家・宣教師
1818年ヘルマン・コルベドイツの化学者
1821年アンリ=フレデリック・アミエルスイスの哲学者・日記作家
1840年アルフレッド・セイヤー・マハンアメリカ海軍軍人・戦略思想家
1840年トーマス・ナストドイツ出身のアメリカの風刺画家
1842年アルフォンス・ルナールベルギーの地質学者・鉱物学者
1871年グラツィア・デレッダイタリアの小説家
1879年ハンス・ハーンオーストリアの数学者
1880年ジャック・ティボーフランスのヴァイオリニスト
1882年エリー・ナイドイツのピアニスト
1898年ヴィンセント・ユーマンスアメリカの作曲家
1906年ウィリアム・エンプソンイギリスの詩人・文学批評家
1913年アルバート・エリスアメリカの心理学者
1918年マーティン・ライルイギリスの電波天文学者
1919年ジェームズ・H・ウィルキンソンイギリスの数値解析学者
1921年ミクローシュ・ヤンチョーハンガリーの映画監督
1922年アーサー・ペンアメリカの映画監督
1928年マーガレット・ルールイギリスの海洋考古学者
1932年オリバー・ウィリアムソンアメリカの経済学者

9月27日生まれの代表的な偉人

田中芳男

  • 生没年:1838年9月27日(天保9年8月9日)~1916年6月22日(大正5年6月22日)
  • 国:日本
  • 肩書き:博物学者・農商務官僚

信濃国飯田に生まれ、幕末の本草学から近代博物学へ移る時期に動植物・鉱物・産業資料の収集と分類を進めました。ウィーン万国博覧会への参加、博覧会行政、上野の博物館と動物園、農業教育機関の設立に関わり、日本の博物館制度と殖産興業を支えました。標本を公共教育へ用いる発想は、国立科学博物館や農学教育につながる基盤となりました。一方、収集は国家が地方と植民地の自然・物産を分類して利用可能な資源へ変える事業でもありました。「日本の博物館の父」という称号だけでなく、展示から生産者や採集地の知識が消えた問題を検討する必要があります。

高杉晋作

  • 生没年:1839年9月27日(天保10年8月20日)~1867年5月17日(慶応3年4月14日)
  • 国:日本
  • 肩書き:長州藩士・奇兵隊創設者

吉田松陰の松下村塾に学び、上海で欧米列強による清への進出を目撃して海防と藩政改革への危機感を強めました。身分を越えて兵を募る奇兵隊を結成し、四国艦隊との講和や功山寺挙兵を通じて長州藩の主導権を倒幕派へ移しました。その軍制と政治行動は薩長同盟、第二次長州征討の勝利、明治維新へつながりました。一方、外国公使館焼き討ちなど排外的暴力にも加わり、奇兵隊の「平等」も指揮権や待遇の身分差を完全には消していません。若くして病死した革命児という英雄像が、無名隊士の犠牲と維新後に切り捨てられた隊員の不満を隠さないよう注意が必要です。

戸坂潤

  • 生没年:1900年9月27日(明治33年9月27日)~1945年8月9日(昭和20年8月9日)
  • 国:日本
  • 肩書き:哲学者・評論家

京都帝国大学で西田幾多郎らの哲学を学び、科学論、技術論、ジャーナリズム批判を唯物論の立場から展開しました。三木清らと唯物論研究会を組織し、『日本イデオロギー論』で常識や「日本精神」がファシズムを支える仕組みを分析しました。日常語と報道を哲学の対象にした仕事は、戦後の思想史・メディア論へ重要な視点を残しました。一方、治安維持法による検挙と獄死のため研究は中断され、断片的著作を一つの完成体系として読むことはできません。抵抗の思想家として顕彰するだけでなく、国家弾圧、大学制度、知識人仲間の転向が彼の発言可能性を狭めた過程を見る必要があります。

コジモ・デ・メディチ

  • 生没年:1389年9月27日~1464年8月1日
  • 国:フィレンツェ共和国
  • 肩書き:銀行家・政治指導者

メディチ銀行の国際金融網と一族の人脈を背景に、公式の君主にならずフィレンツェ共和国の選挙・官職を長く統御しました。追放から帰還した後、同盟外交でイタリア諸国の均衡を支え、ブルネレスキ、ドナテッロ、フラ・アンジェリコらの制作と図書収集を援助しました。その庇護は初期ルネサンスの都市文化とプラトン研究の発展へ大きな影響を与えました。一方、芸術支援は信仰や公共心だけでなく富と政治的正統性を示す装置であり、銀行利益と納税者の負担に支えられました。「共和国の父」という称号の裏で反対派を追放し、共和制を非公式な寡頭支配へ変えた面を見落とせません。

サミュエル・アダムズ

  • 生没年:1722年9月27日~1803年10月2日
  • 国:英領北米・アメリカ合衆国
  • 肩書き:政治家・アメリカ独立運動家

ボストンの徴税官・新聞論客から英本国の課税政策に反対する運動の組織者となり、通信委員会を通じて植民地間の抵抗を結びました。大陸会議代議員として独立宣言に署名し、のちにマサチューセッツ州知事を務めました。街頭運動、決議、出版を連動させる政治技術は米独立革命と参加型政治文化へ長く影響しました。一方、ボストン茶会を彼一人が指揮したとする像は史料上単純化され、群衆の多様な動機を隠します。自由を唱えながら先住民の土地拡大を前提とし、奴隷制を抱えた新国家の平等の限界を根本から解決しませんでした。

アルフレッド・セイヤー・マハン

  • 生没年:1840年9月27日~1914年12月1日
  • 国:アメリカ合衆国
  • 肩書き:海軍軍人・戦略思想家

米海軍士官として南北戦争などを経験し、海軍大学校で歴史と戦略を講じました。『海上権力史論』で通商路、艦隊、港湾、海外基地を結ぶ制海権が国家の繁栄を左右すると論じました。その著作は米国、イギリス、ドイツ、日本の海軍増強と帝国戦略に強く影響し、現代の海洋安全保障論にも語彙を残しました。一方、歴史例の選択は英米の商業帝国を成功モデルとし、植民地支配と人種階層を当然視していました。彼の理論を普遍法則として適用すると、陸上戦、技術変化、地域社会への暴力を軽視し、軍拡競争を自己実現的に促す危険があります。

グラツィア・デレッダ

  • 生没年:1871年9月27日~1936年8月15日
  • 国:イタリア
  • 肩書き:小説家

サルデーニャ島ヌオロの独学的な環境から執筆を始め、島の村落社会、家族、罪、宿命、近代化の衝突をイタリア語で描きました。『灰』『母』『エリアス・ポルトルゥ』などにより、1926年に女性として二人目のノーベル文学賞受賞者となりました。周縁地域の口承文化と心理描写を結び、サルデーニャ文学を国際的読者へ開きました。一方、島民を古風で宿命的な存在として示す表現は、大陸側が期待する異国趣味を強めたとの批判があります。女性作家の成功物語だけでなく、方言を標準語へ移す際の損失と、階級・植民地主義的な「南部」表象を検討する必要があります。

マーティン・ライル

  • 生没年:1918年9月27日~1984年10月14日
  • 国:イギリス
  • 肩書き:電波天文学者

第二次世界大戦中のレーダー研究を経てケンブリッジ大学で電波望遠鏡群を築き、複数アンテナの信号を合成して高い解像度を得る開口合成法を発展させました。電波源カタログと観測装置によって銀河・クエーサー研究を推進し、アントニー・ヒューイッシュと1974年のノーベル物理学賞を受けました。天文学で初めて同賞が授与され、巨大観測装置と計算を組み合わせる時代を象徴しました。一方、宇宙の定常状態説をめぐる論争ではデータ解釈と個人的対立が鋭く、初期カタログには混同誤差もありました。パルサー発見者ジョスリン・ベル・バーネルが受賞対象外だった信用配分を含め、研究所長の功績とチーム全体の労働を分けて見る必要があります。

オリバー・ウィリアムソン

  • 生没年:1932年9月27日~2020年5月21日
  • 国:アメリカ合衆国
  • 肩書き:経済学者

工学と経営実務を経て経済学へ進み、市場で買うか企業内で作るかを左右する取引費用を制度分析の中心に置きました。契約の不完備性、限定合理性、機会主義、資産特殊性を用いて企業の境界と統治構造を説明し、2009年のノーベル経済学賞を受けました。その枠組みは法学、組織論、公共政策、サプライチェーン研究へ広く応用されています。一方、人間を機会主義的主体としてモデル化するため、信頼、権力、ケア、歴史的差別を十分扱えないとの批判があります。効率的な統治形態の説明が、独占や労働者の従属を正当化する規範論へすり替わらないよう注意が必要です。

9月27日に起きた歴史的な出来事

  • 1540年9月27日|イエズス会が正式認可
    教皇パウルス3世が教書によってイグナチオ・デ・ロヨラらのイエズス会を正式に認可しました。教育、宣教、学術を通じてカトリック改革と世界交流を促しましたが、欧州王権や植民地拡大とも結び付きました。現地語研究の功績と、改宗・文化破壊への加担を併せて見る必要があります。
  • 1669年9月27日|カンディア包囲戦が終結
    ヴェネツィア側のカンディアがオスマン帝国へ降伏し、20年以上に及んだクレタ島の包囲戦が終わりました。オスマン帝国の東地中海支配が強まりましたが、長期戦で兵士と住民が大量に死亡し、疫病と飢餓が拡大しました。文明間対決ではなく帝国同士の資源戦争として見る必要があります。
  • 1791年9月27日|フランスでユダヤ人の市民権を承認
    革命期の国民議会がユダヤ人を個人として完全な市民権へ包摂する決定を行いました。身分・宗教共同体による法的差別を崩す重要な一歩でしたが、同化を条件に集団的自治を否定する側面がありました。法的平等の後も反ユダヤ主義と社会的排除は続きました。
  • 1822年9月27日|シャンポリオンがヒエログリフ解読を報告
    ジャン=フランソワ・シャンポリオンが碑文研究の成果をフランス学士院で報告し、古代エジプト文字が表音記号と表意記号を組み合わせることを示しました。エジプト学を飛躍させましたが、ロゼッタ・ストーンの植民地戦争による移動と、アラブ・エジプト人研究者の知識が欧州中心の発見物語から外されがちです。
  • 1825年9月27日|ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道開業
    イングランド北東部で蒸気機関車を用いる公共鉄道が開業し、石炭輸送と旅客輸送の工業化を象徴しました。鉄道網は市場と移動を変えましたが、沿線土地の収用、鉱山労働、煙害、投機を伴いました。「世界初」の定義は機関車・旅客・公共性のどれを重視するかで異なります。
  • 1854年9月27日|蒸気船アークティック沈没
    大西洋航路の客船アークティックが霧中でフランス船と衝突して沈没し、数百人が死亡しました。救命艇不足と乗員・男性乗客による艇の占有が強く批判され、海上安全規則の必要性を示しました。正確な乗船者名簿がなく、貧しい移民や乗員の犠牲が記録から漏れた問題もあります。
  • 1908年9月27日|最初の量産型フォード・モデルT完成
    デトロイトの工場で最初の量産向けモデルTが完成し、安価で修理しやすい自動車として大量普及しました。移動、製造業、郊外生活を変えましたが、流れ作業の単調労働、道路建設による地域分断、石油依存と排気汚染も拡大しました。大量所有を無条件の進歩とは見なせません。
  • 1925年9月27日(大正14年)|東京地下鉄道の起工式
    上野―浅草間に日本初の本格的地下鉄を建設する工事が始まり、1927年の開業へつながりました。過密化する東京の大量輸送と都市技術を前進させましたが、危険な地下工事、沿道商店への影響、関東大震災後の都市再編と土地価値の偏りも伴いました。
  • 1939年9月27日|国家保安本部を設置
    ナチス・ドイツが親衛隊の保安部、秘密国家警察、刑事警察などを国家保安本部へ統合しました。監視、占領地支配、強制移送、ホロコーストを官僚的に計画・実行する中枢となりました。犯罪を一部の狂信者だけに帰さず、文書・鉄道・専門職が大量殺害を可能にした制度として捉える必要があります。
  • 1940年9月27日|日独伊三国同盟を調印
    日本、ドイツ、イタリアがベルリンで軍事同盟を結び、欧州とアジアの戦争を米国への牽制で結び付けました。日本の外交的孤立と対米対立を深め、枢軸国側での参戦へ近づけました。各国の利害は一致せず、同盟は侵略と植民地支配を相互に正当化する枠組みでした。
  • 1945年9月27日(昭和20年)|昭和天皇とマッカーサーが初会見
    敗戦後の東京で昭和天皇が連合国軍最高司令官マッカーサーと会見し、占領統治と天皇制の扱いをめぐる象徴的場面となりました。並んだ写真は権力関係を可視化しましたが、会話内容には後世の回想や政治的演出が混在します。戦争責任が誰にどう問われなかったかを含めて検討すべきです。
  • 1946年9月27日(昭和21年)|労働関係調整法を公布
    争議のあっせん・調停・仲裁などを定める労働関係調整法が公布され、戦後労働法制の一角を形成しました。団体交渉と社会的調整の制度を整えましたが、公益事業の争議予告や緊急調整は争議権を制約します。占領改革を一方的な民主化としてのみ評価できません。
  • 1949年9月27日|中華人民共和国の国旗を採択
    中国人民政治協商会議が五星紅旗を新国家の国旗として採択し、共産党を中心とする政治統合の象徴を定めました。内戦後の国家建設を可視化しましたが、同じ過程で反対勢力の排除と一党支配が制度化されました。旗の象徴解釈も後世の公式説明と設計時の議論を区別する必要があります。
  • 1950年9月27日(昭和25年)|朝日新聞が伊藤律架空会見を掲載
    朝日新聞が潜伏中の日本共産党幹部・伊藤律と記者が会見したとする記事を掲載しましたが、後に取材が成立していない捏造と判明しました。新聞の検証・訂正制度を見直す重大事件となりましたが、冷戦と占領下の競争的報道が裏付け不足を促した組織責任を、記者個人だけへ帰せません。
  • 1957年9月27日(昭和32年)|小田急SE車が狭軌世界最高速度を記録
    小田急電鉄のSE車が東海道本線の試験で時速145キロを記録し、狭軌鉄道の高速化を実証しました。流線形軽量車体や連接台車の知見は新幹線開発へ影響しましたが、速度記録は試験条件下の成果です。営業安全、保守、地域交通の便益を記録競争と混同してはいけません。
  • 1964年9月27日|ウォーレン委員会報告書を公表
    ケネディ米大統領暗殺を調査した委員会が、リー・ハーヴェイ・オズワルドの単独犯行とする報告書を公表しました。膨大な証言と資料を整理しましたが、情報機関の非公開、証拠解釈、手続きへの疑念が残りました。根拠ある批判と、反証不能な陰謀論を区別することが重要です。
  • 1977年9月27日(昭和52年)|横浜米軍機墜落事故
    米海兵隊の偵察機が横浜市の住宅地へ墜落し、幼児二人が死亡、家族と住民が重傷を負いました。人口密集地上空の軍用飛行と日米地位協定下の捜査・補償を問う事件となりました。母親の死が事故被害として扱われるまで時間を要したことも、被害の長期性を示します。
  • 1983年9月27日|GNUプロジェクトを公表
    リチャード・ストールマンが自由に使用・研究・改変・再配布できるUnix互換システムGNUの構想を公表しました。自由ソフトウェア運動とライセンス設計へ大きな影響を与えましたが、運動内部の包摂性や指導者中心性、無償労働の持続可能性には批判があります。
  • 1989年9月27日(平成元年)|横浜ベイブリッジ開通
    横浜港を横断する斜張橋が開通し、首都高速湾岸線の物流と港湾景観を大きく変えました。港の機能強化と観光資源化に寄与しましたが、大規模道路は沿岸環境、騒音、自動車依存を拡大します。建設利益と地域負担が誰に配分されたかも評価点です。
  • 1996年9月27日|タリバンがカブールを制圧
    内戦下のアフガニスタンでタリバンが首都を占領し、旧大統領ナジーブッラーを殺害して厳格な統治を開始しました。治安回復を支持した住民もいましたが、女性の教育・就労、少数派、文化表現を暴力的に抑圧しました。外国支援と長年の戦争が台頭を可能にした背景も不可欠です。
  • 2007年9月27日(平成19年)|ミャンマーで長井健司が射殺される
    反政府デモを取材していた日本人映像記者の長井健司が、ヤンゴンで治安部隊に至近距離から撃たれ死亡しました。軍政の弾圧と報道の危険を国際社会へ示しましたが、撮影機材の返還や責任追及は進みませんでした。同時に多数の現地市民・僧侶が受けた被害を外国人記者一人の物語へ縮めない配慮が必要です。
  • 2008年9月27日|中国初の船外活動
    神舟7号の飛行士翟志剛が宇宙船外へ出て、中国初の船外活動を実施しました。有人宇宙技術の自立と研究能力を示しましたが、宇宙開発は軍事・国家威信と密接で、情報公開、費用、労働安全を含めて評価する必要があります。
  • 2014年9月27日(平成26年)|御嶽山噴火
    登山者が多い昼前に御嶽山が水蒸気噴火し、63人が死亡・行方不明となる戦後最悪の火山災害となりました。火山監視、警戒情報、避難施設、登山届の改善を促しましたが、水蒸気噴火の予知には限界があります。結果だけで登山者や観測者を責めるべきではありません。

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