9月28日生まれの歴史上の人物・偉人一覧と歴史的な出来事

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9月28日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢46名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!

【日本】9月28日生まれの歴史上の人物・偉人一覧

※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、9月28日と一致する人物だけを掲載しています。

生年人物名肩書き
1597年松平忠国播磨明石藩主
1721年蜂須賀宗鎮阿波徳島藩第8代藩主
1771年水野忠光肥前唐津藩第3代藩主
1846年蜂須賀茂韶阿波徳島藩第14代藩主・貴族院議長
1867年長野宇平治建築家
1884年杉村陽太郎外交官・国際オリンピック委員
1901年矢尾喜三郎政治家
1908年藤田良雄天文学者
1912年久保田正文評論家
1912年大原富枝小説家
1914年小松伸六文芸評論家
1915年坂東文夫彫刻家
1919年鈴木六林男俳人
1922年加藤一郎法学者・東京大学総長
1923年島田ばく児童文学作家・詩人

※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。

【海外】9月28日生まれの歴史上の人物・偉人一覧

生年人物名肩書き
1573年テオドール・ド・マイエルヌジュネーヴ出身の医師・化学者
1605年イスマエル・ブリヤールフランスの天文学者
1681年ヨハン・マッテゾンドイツの作曲家・音楽理論家
1698年ピエール・ルイ・モーペルテュイフランスの数学者・自然哲学者
1746年ウィリアム・ジョーンズイギリスの東洋学者・裁判官
1803年プロスペル・メリメフランスの作家・文化財行政官
1819年ナルシス・ムントリオルスペインの技術者・潜水艇開発者
1823年アレクサンドル・カバネルフランスの画家
1834年シャルル・ラムルーフランスの指揮者
1841年ジョルジュ・クレマンソーフランス首相・ジャーナリスト
1844年ロバート・スタウトニュージーランド首相・法学者
1852年ジョサイア・コンドルイギリスの建築家
1852年アンリ・モアッサンフランスの化学者
1856年ケイト・ダグラス・ウィギンアメリカの作家・幼児教育者
1860年ポール・ヴィラールフランスの物理学者
1863年カルロス1世ポルトガル国王
1870年フローラン・シュミットフランスの作曲家
1887年エイベリー・ブランデージアメリカの国際オリンピック委員会会長
1892年エルマー・ライスアメリカの劇作家
1893年ヒルダ・ガイリンガーオーストリア出身の数学者
1895年ウォレス・ハリソンアメリカの建築家
1900年イザベル・ペルアメリカの社会活動家・レジスタンス協力者
1901年ウィリアム・S・ペイリーアメリカの放送事業者
1903年ヘイウッド・ハンセルアメリカ空軍軍人・戦略爆撃論者
1910年ディオスダド・マカパガルフィリピン大統領
1924年ルドルフ・バルシャイソ連出身の指揮者・ヴィオラ奏者
1924年ロゼッタ・ライツアメリカのフェミニスト・音楽史家
1924年マルチェロ・マストロヤンニイタリアの映画俳優
1925年マーティン・クルスカルアメリカの数学者・物理学者
1925年シーモア・クレイアメリカの計算機科学者
1929年ラタ・マンゲシュカルインドの歌手

9月28日生まれの代表的な偉人

長野宇平治

  • 生没年:1867年9月28日(慶応3年9月1日)~1937年12月14日(昭和12年12月14日)
  • 国:日本
  • 肩書き:建築家

東京帝国大学でジョサイア・コンドルに学び、日本銀行技師として各地の支店建築を設計しました。石造・煉瓦造と古典主義の構成を日本の都市・金融制度へ定着させ、日本銀行本支店、旧台湾総督府、旧大倉精神文化研究所などに関わりました。建築教育と日本建築士会の創設にも力を注ぎ、専門職としての建築家制度へ影響を与えました。一方、銀行や植民地統治機関の威厳を示す建築は、国家・資本の権力を空間として可視化する役割も担いました。保存される記念建築の美しさだけでなく、建設労働者、都市住民、植民地社会が置かれた関係を含めて評価する必要があります。

大原富枝

  • 生没年:1912年9月28日(大正元年9月28日)~2000年1月27日(平成12年1月27日)
  • 国:日本
  • 肩書き:小説家

高知県の山間部に生まれ、結核による長い療養と戦争を経験しながら執筆を続けました。『婉という女』では土佐藩の思想家・野中兼山の娘を幽閉された女性の内面から描き、歴史小説の視点を権力者から周縁へ移しました。『於雪 土佐一條家の崩壊』などでも、女性、病者、敗者の記憶を史料と想像力の間から掘り起こしました。一方、沈黙した歴史上の女性へ現代作家が声を与える行為には、本人の経験を代弁・美化する危険があります。苦難を精神的成長の素材にする読みを避け、史実と創作の境界、地域社会の身分差を確かめながら読む必要があります。

藤田良雄

  • 生没年:1908年9月28日(明治41年9月28日)~2013年1月9日(平成25年1月9日)
  • 国:日本
  • 肩書き:天文学者

東京帝国大学で天文学を学び、恒星の光を波長ごとに分けて化学組成と温度を調べる恒星分光学を専門としました。低温度星のスペクトルに現れる分子吸収を研究し、炭素星など晩期型星の分類と大気理解へ国際的な成果を残しました。東京大学教授、日本学士院長などを務め、戦後日本の天文学教育と研究組織を支えました。一方、スペクトル分類は観測装置と理論モデルに依存し、分類名が星の進化過程をそのまま説明するわけではありません。長寿の碩学という個人像だけでなく、観測助手、技官、共同研究者と大型設備が成果を可能にした点を見る必要があります。

ウィリアム・ジョーンズ

  • 生没年:1746年9月28日~1794年4月27日
  • 国:グレートブリテン
  • 肩書き:東洋学者・裁判官

多言語を学んだ法律家として英領ベンガルの最高法院判事となり、1784年にアジア協会を設立しました。サンスクリット語がギリシア語・ラテン語などと共通の起源を持つ可能性を明確に論じ、比較言語学とインド・ヨーロッパ語族研究の発展を促しました。法典・詩・音楽の翻訳を通じて南アジア研究を欧州の学術制度へ組み込みました。一方、その知識生産は東インド会社の司法と統治に奉仕し、「ヒンドゥー法」を固定的な古典文献へ還元しました。インド人パンディットの協力が個人の発見として吸収されたこと、植民地権力が言語分類を支配に用いたことを忘れてはいけません。

ジョルジュ・クレマンソー

  • 生没年:1841年9月28日~1929年11月24日
  • 国:フランス
  • 肩書き:首相・ジャーナリスト

医師から共和派政治家・新聞人となり、政教分離、ドレフュス再審、植民地政策批判などで第三共和政の論争を主導しました。第一次世界大戦末期に首相として総力戦を指揮し、連合国の勝利とパリ講和会議で中心的役割を担いました。「虎」と呼ばれた決断力は共和政の存続に寄与しましたが、ヴェルサイユ条約の厳しい対独条件は後世の欧州不安定化をめぐる論争を残しました。一方、内相時代には炭鉱・葡萄農家のストライキを軍と警察で抑圧し、反植民地主義も一貫していませんでした。戦時指導者の英雄像と、労働者・植民地兵へ負担を集中させた総力戦体制を併せて評価すべきです。

ジョサイア・コンドル

  • 生没年:1852年9月28日~1920年6月21日
  • 国:イギリス・日本
  • 肩書き:建築家・教育者

明治政府の招きで来日し、工部大学校造家学科で辰野金吾、片山東熊、曾禰達蔵ら最初期の日本人建築家を教育しました。鹿鳴館、ニコライ堂、旧岩崎邸などを設計し、西洋式の構造・製図・専門教育を日本に定着させました。河鍋暁斎に日本画を学び、庭園・美術研究を英語で紹介したことでも文化交流に影響しました。一方、鹿鳴館は条約改正を目指す欧化政策と上流階級の舞台で、彼の建築は国家と財閥の権威を表しました。「日本近代建築の父」という呼称だけでは、在来の大工技術や日本人学生・職人の創造的役割、帝国化と西洋化の権力差が見えにくくなります。

アンリ・モアッサン

  • 生没年:1852年9月28日~1907年2月20日
  • 国:フランス
  • 肩書き:化学者・薬学者

薬学と無機化学を学び、反応性が極めて高いフッ素を1886年に低温電解で単離しました。高温電気炉を開発して炭化物、金属、人工ダイヤモンドを研究し、無機化学の実験領域を大きく広げました。フッ素単離の功績で1906年のノーベル化学賞を受け、現代のフッ素化学と高温材料研究へ基礎を残しました。一方、フッ化水素など強毒性物質への曝露は本人と助手の健康を脅かし、初期実験は現在の安全基準を満たしません。人工ダイヤモンドの主張には再現性をめぐる疑問もあり、単独の天才像より装置、試料汚染、共同作業を含む検証史が重要です。

ヒルダ・ガイリンガー

  • 生没年:1893年9月28日~1973年3月22日
  • 国:オーストリア=ハンガリー帝国・ドイツ・アメリカ合衆国
  • 肩書き:数学者

ウィーン大学で数学を学び、ベルリンでリヒャルト・フォン・ミーゼスと応用数学・統計学を研究しました。塑性理論、確率、遺伝学の数理モデルに成果を上げ、純粋数学と工学・生物学を結ぶ先駆的研究を進めました。ナチ政権下でユダヤ系かつ女性であるため職を追われ、トルコを経て米国へ亡命し、後進の女性研究者に重要な前例を残しました。一方、米国でも有力大学の常勤研究職を得にくく、才能だけでは制度的差別を越えられませんでした。彼女を「逆境を克服した女性」とだけ称賛すると、亡命者を周縁的ポストへ置いた学界の責任と失われた研究機会を個人の忍耐へ転嫁します。

シーモア・クレイ

  • 生没年:1925年9月28日~1996年10月5日
  • 国:アメリカ合衆国
  • 肩書き:計算機科学者・電気技術者

真空管時代の計算機設計から出発し、CDC 6600で命令処理の並列化と高速周辺装置を組み合わせ、スーパーコンピューターという市場を確立しました。クレイ・リサーチを創業し、Cray-1のベクトル処理、配線距離を縮める筐体、冷却設計によって科学計算を飛躍させました。気象、核物理、流体、宇宙研究に必要な大規模計算の文化へ長く影響しました。一方、成功を一人の孤高の技術者に帰す物語は、論理設計者、配線工、プログラマー、政府研究費の役割を隠します。軍事・核兵器研究が主要顧客だったこと、専用機路線が汎用並列計算の進歩で事業的限界に直面したことも欠かせません。

ラタ・マンゲシュカル

  • 生没年:1929年9月28日~2022年2月6日
  • 国:インド
  • 肩書き:歌手

父の死後に家計を支えるため映画界へ入り、ヒンディー語を中心に多数の言語で映画歌曲を録音しました。細やかな音程、長い息、感情表現で女優の歌唱を担うプレイバック歌手の地位を高め、独立後インドの大衆文化と国民的記憶を形づくりました。作曲家・作詞家との膨大な協業は南アジアの映画音楽を世界へ広げ、最高位の民間勲章バーラト・ラトナも受けました。一方、業界での圧倒的な影響力が新しい女性歌手の機会を狭めたとの批判や、印税・信用配分をめぐる対立がありました。「国民の声」という称号はインドの言語・宗教・音楽伝統の多様性を一人へ集約する危うさも持ちます。

9月28日に起きた歴史的な出来事

  • 1066年9月28日|ノルマンディー公ウィリアムがイングランドへ上陸
    ウィリアム率いるノルマン軍がサセックス沿岸へ上陸し、ヘイスティングズの戦いとノルマン征服へ進みました。王権、土地所有、英語、教会制度を長く変えましたが、城の建設、土地没収、北部の破壊など住民への暴力を伴いました。王朝交代だけの物語ではありません。
  • 1538年9月28日|プレヴェザの海戦
    オスマン帝国のバルバロス・ハイレッディン率いる艦隊が、教皇・ヴェネツィア・スペインなどの連合艦隊を破りました。東地中海の制海権をオスマン側へ傾けましたが、沿岸住民は双方の襲撃、奴隷化、徴発にさらされました。宗教陣営の英雄譚だけで海上帝国の暴力を覆えません。
  • 1781年9月28日|ヨークタウン包囲戦が始まる
    アメリカ・フランス連合軍が英軍の籠もるヨークタウンを包囲し、独立戦争の決定的降伏へつながりました。米国独立を確実にしましたが、フランス軍、黒人兵、先住民、女性の労働は後世の建国物語で周縁化されました。独立後も奴隷制と先住民排除は継続しました。
  • 1864年9月28日|第一インターナショナル創立
    ロンドンの集会で各国の労働者・社会主義者が国際労働者協会を結成し、労働時間、組合、国際連帯を議論しました。労働運動の越境的ネットワークを築きましたが、マルクス派、無政府主義者、労組派の対立や欧州中心性が組織を分裂させました。単一思想の団体ではありません。
  • 1871年9月28日|ブラジルで自由出生法成立
    奴隷女性からこの日以後に生まれる子を法的に自由とするリオ・ブランコ法が成立しました。1888年の奴隷制廃止へ一歩進みましたが、子どもは一定年齢まで母親の所有者のもとで働かされ、補償は被害者でなく奴隷所有者を中心に設計されました。段階的解放が搾取を長引かせた面があります。
  • 1889年9月28日|第1回国際度量衡総会が国際原器を承認
    パリで開かれた国際度量衡総会がメートル原器とキログラム原器を国際標準として承認し、各国へ複製を配布しました。科学・工業・貿易の測定を統一しましたが、標準化は欧州諸国主導で進み、地域固有の尺度と知識を行政的に排除する力も持ちました。
  • 1898年9月28日|戊戌の六君子を処刑
    清朝の改革派六人が北京で処刑され、光緒帝のもとで進められた戊戌変法は挫折しました。制度改革を求める世論を急進化させ、清末革命へ影響しましたが、改革派内部にも帝国維持と漢人知識人中心の限界がありました。処刑を西太后個人だけの反動に帰すと政治連合の複雑さを失います。
  • 1901年9月28日|バランギガ事件
    フィリピン・サマール島のバランギガで住民とゲリラが米軍部隊を襲撃し、多数の米兵を殺害しました。米比戦争への抵抗として記憶されますが、その後の米軍報復は村落焼却、食料破壊、住民殺害を伴いました。双方の死者を見つつ、植民地占領という権力差を曖昧にできません。
  • 1902年9月28日(明治35年)|足尾台風
    台風が関東地方を通過し、足尾銅山周辺を中心に暴風雨と洪水で多数の死者・家屋被害を出しました。山地の森林伐採と鉱山開発が流域の保水力を弱め、鉱毒問題と水害が重なりました。自然災害としてだけ扱うと企業活動と国家の治水責任が見えなくなります。
  • 1921年9月28日(大正10年)|安田善次郎暗殺
    安田財閥創始者の安田善次郎が大磯の別邸で右翼活動家に刺殺されました。富の集中と財閥への反感を象徴する事件となりましたが、政治的主張が殺人を正当化することはできません。慈善事業だけで財閥の労働・金融支配を美化せず、暴力と社会的不平等を別々に検討すべきです。
  • 1924年9月28日|航空機による初の世界一周が完了
    米陸軍航空隊の飛行隊がシアトルへ帰還し、約半年をかけた初の航空世界周航を完成しました。長距離航法と国際航空の可能性を示しましたが、軍事技術の宣伝事業であり、補給網は植民地港湾と各地の労働へ依存しました。参加機・搭乗員全員が一周したわけではない点にも注意が必要です。
  • 1939年9月28日|独ソ境界友好条約を調印
    ポーランド侵攻後のドイツとソ連が占領境界を確定し、秘密議定書で東欧の勢力圏を調整しました。両国の一時的協力はポーランド分割と住民の大量逮捕・追放を制度化しました。「友好」という名称は、主権国家と市民の意思を無視した大国間取引の暴力を隠します。
  • 1958年9月28日|フランス第五共和政憲法を住民投票で承認
    アルジェリア戦争の危機のなか、強い大統領権限を持つ新憲法がフランス本土と海外領土の投票で承認されました。政治的不安定を抑えましたが、植民地では独立か共同体残留かが軍事圧力下で問われ、票の平等な自由を前提にできません。行政権集中への批判も続きます。
  • 1964年9月28日(昭和39年)|『宴のあと』事件でプライバシー権を承認
    東京地方裁判所が三島由紀夫の小説『宴のあと』をめぐる判決で、私生活をみだりに公開されない権利を法的利益として認めました。日本のプライバシー権判例の出発点となりましたが、表現・報道・創作の自由との境界は一律ではありません。公人性や同意を具体的に衡量する必要があります。
  • 1971年9月28日(昭和46年)|科学衛星『しんせい』打ち上げ
    東京大学宇宙航空研究所が日本初の科学衛星しんせいを打ち上げ、電離層、宇宙線、太陽電波などを観測しました。日本の宇宙科学を実験段階から継続観測へ進めましたが、観測成果はロケット開発、地上局、技術者の集団作業によるものです。国家威信や予算配分との関係も含めて評価すべきです。
  • 1977年9月28日|ダッカ日航機ハイジャック事件
    日本赤軍メンバーが日本航空472便を乗っ取り、バングラデシュのダッカへ着陸させて人質と収監者の釈放を要求しました。日本政府は人命優先で要求を受け入れましたが、身代金と釈放が後のテロを助長したとの批判も生みました。人質の安全と法執行を単純な二者択一にできません。
  • 1995年9月28日|オスロ合意IIを調印
    イスラエルとパレスチナ解放機構がワシントンで暫定自治拡大に合意し、ヨルダン川西岸を複数区域へ分けました。選挙と自治制度を前進させましたが、占領終結、入植地、エルサレム、難民を先送りしました。細分化された区域制度が恒久的支配を固定したとの批判もあります。
  • 2000年9月28日|米FDAがミフェプリストンを承認
    米食品医薬品局が妊娠初期の薬による中絶に用いるミフェプリストンを承認し、外科手術以外の選択肢を広げました。医療アクセスと自己決定に大きな影響を与えましたが、政治的規制、医療格差、誤情報が利用を妨げています。薬の安全性と中絶をめぐる価値判断を混同してはいけません。
  • 2014年9月28日|香港で警察が催涙弾を使用
    普通選挙制度を求める香港の市民が幹線道路を占拠し、警察の催涙弾使用を契機に「雨傘運動」が大規模化しました。若者の政治参加と非暴力抵抗を世界へ示しましたが、長期占拠は生活・営業への負担と運動内部の戦略対立を生みました。要求は実現せず、その後弾圧が強まりました。
  • 2018年9月28日|スラウェシ島地震・津波
    インドネシア中部スラウェシ州で大地震が起こり、津波と地盤の液状化・流動化によって数千人が死亡しました。複合災害の避難・土地利用対策を問いましたが、警報装置の故障、通信断、非正規居住地の脆弱性が被害を拡大しました。自然現象だけに責任を帰せません。

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