
2月21日、今日は何の日?
2026年2月21日(土曜日)の歴史、企業・団体の記念日、世界の祝日、著名人の誕生日と命日をまとめます。
まず注目したいのは、1916年に始まったヴェルダンの戦い、1952年のベンガル語運動、ユネスコの「国際母語デー」。日付の由来、歴史上の出来事、公休日か啓発日かという違いまで、根拠を分けて詳しく見ていきましょう。
| 早わかり | 内容 |
|---|---|
| 歴史の注目項目 | 1916年に始まったヴェルダンの戦い/1952年のベンガル語運動/ユネスコの「国際母語デー」 |
| 代表的な記念日 | 国際母語デー/バングラデシュの言語殉教者の日/ファーザー・リニ・デー(バヌアツ) |
| 2026年の暦 | 土曜日・旧暦2026年1月5日・国民の祝日ではありません |
2月21日に起きた主な事件
- 1431年|捕らえられたジャンヌ・ダルクに対する公開の尋問がルーアンで始まりました。
- 1804年|南ウェールズで蒸気機関車が貨車と乗客を牽引し、実用的な走行を示しました。
- 1878年|コネティカット州ニューヘイブンで電話利用者を載せた一枚の名簿が配られました。
- 1916年|ドイツ軍がフランス北東部の要塞地帯へ大規模攻撃を開始しました。
- 1925年|米国の週刊誌「ザ・ニューヨーカー」の最初の号が発売されました。
- 1947年|撮影後すぐに像が現れるインスタント写真方式が米国光学会で披露されました。
- 1952年|東パキスタンでベンガル語の公用語化を求めるデモに警察が発砲しました。
- 1965年|アフリカ系米国人の権利運動家マルコムXが演説会場で銃撃されました。
- 1972年|現職の米国大統領として初めてリチャード・ニクソンが中華人民共和国を訪れました。
- 1972年|無人月探査機ルナ20号が月の高地に着陸し、試料採取に取りかかりました。
1431年|ジャンヌ・ダルクの異端審問で公開審理が始まる
百年戦争でフランス軍を鼓舞したジャンヌ・ダルクは、ブルゴーニュ派に捕らえられた後、イングランド側へ引き渡されました。1431年2月21日、ルーアン城の礼拝堂でピエール・コーション司教が主導する異端審問の公開審理が始まり、信仰、服装、啓示について尋問されました。
審理は政治的利害と教会法の手続きが絡み、ジャンヌは同年5月に火刑となりました。1456年の復権裁判は元の判決を無効とし、1920年にはカトリック教会が列聖しました。捕縛日、審理開始日、処刑日を混同せずに捉えます。
1804年|トレビシックの蒸気機関車が鉄道走行に成功
発明家リチャード・トレビシックが設計した高圧蒸気機関車は1804年2月21日、ペナダレン製鉄所からアバーカノンまでの軌道を走りました。鉄と貨車、乗客を運び、蒸気動力がレール上の重量物輸送に使えることを実証しました。
機関車は重く、鋳鉄製レールを傷めたため直ちに商業鉄道へ普及したわけではありません。しかし、高圧蒸気機関と粘着運転の可能性を示し、スティーブンソンらが発展させる鉄道技術の先駆けとなりました。「世界初」の範囲は条件を添えて理解します。
この走行以前にも蒸気機関を車輪で動かす試みはありましたが、荷を載せて鉄道軌道を一定距離走った記録として重視されます。技術史の「最初」は、試作、実演、営業運転のどれを条件にするかを明示して使うべき言葉です。
1878年|米国初の電話加入者名簿が発行
ニューヘイブン地区電話会社は1878年2月21日、電話交換サービスの加入者約50件を一覧にした用紙を発行しました。番号はまだ割り当てられておらず、利用者は交換手に相手の名前を告げて接続を依頼しました。個人だけでなく医師、商店、警察などが並びました。
名簿は電話網が一対一の実験装置から、多数の利用者を結ぶ社会的ネットワークへ変わり始めたことを示します。後の電話帳の原型ですが、冊子形式や番号順の電話帳が最初から完成していたわけではありません。
1916年|第一次世界大戦のヴェルダンの戦いが始まる
1916年2月21日朝、長時間の砲撃後にドイツ第5軍がヴェルダン周辺へ進撃しました。フランスに象徴的・軍事的に重要な地点を守らせて消耗させる意図があり、ドゥオモン要塞の陥落などを経て、フランス軍は補給路「聖なる道」で兵員と物資を送り続けました。
戦闘は約10か月に及び、両軍合計で数十万人の死傷者を出しました。決定的な突破には至らず、フランス軍は年末までに多くの陣地を奪回します。ヴェルダンは工業化された総力戦、砲撃、国家的記憶を象徴する地名となりました。
「彼らを通すな」という言葉とともにフランスの抵抗の象徴となりましたが、兵士は部隊を交代しながら継続投入され、広い社会が戦場の消耗を経験しました。記念施設は現在、仏独和解と共同追悼の場にもなっています。
1925年|雑誌「ザ・ニューヨーカー」創刊号が刊行
編集者ハロルド・ロスとジェーン・グラントが構想した雑誌は、1925年2月21日号を創刊号として刊行しました。表紙にはモノクルで蝶を眺める紳士「ユースタス・ティリー」が描かれ、都会的なユーモア、批評、短編、漫画を組み合わせました。
初期には経営が安定しませんでしたが、綿密な事実確認と編集、長編報道、文学作品で独自の地位を築きました。表紙の日付と実際の店頭発売日には出版慣行上の差があり得るため、ここでは公式が示す創刊号の日付として扱います。
1947年|エドウィン・ランドが即時写真を公開実演
ポラロイド社のエドウィン・ランドは1947年2月21日、ニューヨークで開かれた米国光学会の会合で、撮影から約1分で陽画を得る写真方式を実演しました。娘から「なぜ今すぐ写真を見られないのか」と問われた経験が開発の契機になったと語られます。
翌1948年に最初のランドカメラが市販され、現像所を介さず結果を確認できる写真文化が広がりました。化学材料、カメラ機構、量産を統合した革新であり、後のデジタル写真とは方式が異なっても「すぐ見る」体験を先取りしました。
1952年|ダッカのベンガル語運動で学生らが犠牲になる
パキスタン政府がウルドゥー語を唯一の国語とする方針を進める中、人口の多くがベンガル語を話す東部で反発が広がりました。1952年2月21日、ダッカ大学周辺で集会禁止令を越えて学生らがデモを行い、警察の発砲で複数人が死亡しました。
運動はベンガル語が国家語の一つとして認められる流れをつくり、東パキスタンの政治的・文化的自覚、後のバングラデシュ独立運動にも結びつきました。ユネスコがこの日を国際母語デーとした背景には、言語権を守るための犠牲があります。
犠牲者数や誰が最初に死亡したかには資料差があります。本記事は不確かな人数を断定せず、発砲と死亡が確認され、言語運動の象徴日になったことを軸にします。バングラデシュでは「シャヒード・デー」として公休日です。
1965年|マルコムXがニューヨークで暗殺
1965年2月21日、マンハッタンのオーデュボン・ボールルームで演説を始めようとしたマルコムXが複数の男に撃たれ、39歳で死亡しました。彼はネーション・オブ・イスラムを離れた後、メッカ巡礼を経て国際的な人権問題として人種差別を訴えていました。
3人が有罪となりましたが、2021年には捜査資料の不開示などを理由に2人の有罪判決が取り消されました。暗殺の全容を単純化せず、本人の思想も生涯を通じて変化したことを踏まえる必要があります。
1972年|ニクソン米大統領が北京を訪問
冷戦下で米中が長く正式な外交関係を持たない中、ニクソン大統領は1972年2月21日に北京へ到着し、毛沢東と会談しました。周恩来首相との協議を重ね、上海も訪問する一週間の「中国への旅」が始まりました。
訪問の最終日に発表された上海コミュニケは、双方の相違を残しながら関係正常化への枠組みを示しました。ソ連との三角関係、台湾をめぐる立場、アジア秩序に大きな影響を与え、1979年の米中国交樹立へつながりました。
ニクソンは出発前に、この訪問を「世界を変えた一週間」と位置づけました。華やかな映像の裏で、両国は朝鮮半島、ベトナム戦争、台湾など重大な対立を残しており、和解そのものではなく対話の入口を開いた外交でした。
1972年|ソ連のルナ20号が月面に軟着陸
ソ連が打ち上げたルナ20号は1972年2月21日、月面のアポロニウス高地に軟着陸しました。自動装置で月の土壌を掘削して密封容器へ収め、上昇段を発射し、カプセルは2月25日に地球へ帰還しました。
有人のアポロ計画と並行し、ソ連は無人機だけで月試料を往復輸送する技術を実証しました。ルナ16号に続く成功で、高地試料を地球上で分析できるようにし、月の地域ごとの地質差を比較する資料を提供しました。
2月21日の記念日・世界の祝日
国際母語デー
ユネスコ総会が1999年に宣言し、国連総会も多言語主義の促進を支持した国際デーです。1952年2月21日のベンガル語運動を記念し、消滅の危機にある言語、母語による教育、文化的多様性の大切さを考えます。各国一律の公休日ではありません。
世界では家庭で使う言語と学校の授業言語が異なる子どもが少なくありません。母語を足場に学ぶことは理解を助ける一方、多数派言語を習得する機会との両立も必要です。この日は一言語への閉鎖ではなく、多言語社会の設計を考える日です。
バングラデシュの言語殉教者の日
バングラデシュでは、1952年にベンガル語の地位を求める運動で学生らが死亡した2月21日を「シャヒード・デー」として追悼し、国の公休日としています。国際母語デーの由来と同じ事件ですが、国内の追悼日と国連・ユネスコの国際デーを区別します。
ファーザー・リニ・デー(バヌアツ)
バヌアツ独立運動を率い、初代首相となったウォルター・リニの命日にちなむ国の記念日です。2026年2月21日は政府の休日一覧でも公休日とされています。個人の誕生日ではなく、1999年2月21日の死去を記念する日です。
第5代国王誕生日の祝日(ブータン)
ブータンではジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王の1980年2月21日の誕生日を祝い、2026年は2月21日から23日が祝日として案内されています。王の誕生日そのものと、複数日にわたる当年の休日を分けて記します。
世界センザンコウの日(2026年)
絶滅の危機にあるセンザンコウ8種と違法取引の問題を知らせる国際的な啓発日で、毎年2月の第3土曜日に実施されます。2026年は2月21日です。国連制定日や法定休日ではなく、保全団体・動物園などが連携する移動日です。
センザンコウは哺乳類で、爬虫類ではありません。うろこを薬用とする需要や食用目的の密猟、生息地減少が脅威です。保全を伝える際は、違法取引の摘発だけでなく、地域社会と生息地を守る長期的対策も重要です。
漱石の日
1911年2月21日、文部省から文学博士号を授与すると伝えられた夏目漱石が、学位は不要だとして辞退した史実にちなむ通称です。国や遺族が制定した公的記念日ではありませんが、肩書より創作の自立を重んじた姿勢を伝えます。
漱石は東京帝国大学英文科を卒業し、英国留学や大学講師を経験しましたが、朝日新聞社へ入り職業作家として活動しました。学位辞退は学問の否定ではなく、本人の意思を問わず名誉を与える制度への違和感として読むことができます。
日刊新聞創刊の日
1872年(明治5年)旧暦2月21日、東京・浅草で「東京日日新聞」が創刊されたことにちなむ通称です。グレゴリオ暦では3月29日に当たります。1871年1月28日創刊の横浜毎日新聞より後であり、「日本初」ではなく東京初の日刊新聞として区別します。
木挽BLUEの日(毎月21日)
雲海酒造が本格芋焼酎「木挽BLUE」の発売日である2017年3月21日にちなみ、毎月21日をブランドの記念日としています。青い海を思わせる酵母や商品を発信する企業制定日で、2月だけの記念日ではありません。
ゼクシオの日(XXIOの日・毎月21日)
ダンロップスポーツマーケティングがゴルフブランド「XXIO」の魅力を伝えるため、ローマ数字のXXIを21に見立てて毎月21日に設定した企業制定日です。競技団体の公式大会日ではなく、ブランドに結びつく民間記念日です。
中国の春節連休(2026年)
中国では2026年2月15日から23日までが国務院指定の春節連休で、2月21日も休日です。旧暦正月は毎年の新暦日が変わり、休日を補う振替出勤日も政府が決めるため、固定日として扱いません。
雨水・土脉潤起の期間
2026年2月21日は二十四節気の雨水、七十二候の「土脉潤起」に当たります。降る雪が雨へ変わり、凍った土が湿り始める時季を表す暦の言葉です。農作業の目安として培われましたが、日本全国の当日天候を保証するものではありません。
今日(2026年2月21日)が祝日の国
2026年2月21日(土)は日本の国民の祝日ではありません。バングラデシュでは言語殉教者の日、バヌアツではファーザー・リニ・デーが公休日です。ブータンでは第5代国王誕生日の祝日期間、中国では春節連休に含まれます。国際母語デーは国際的な啓発日です。
- 日本:国民の祝日ではありません
- バングラデシュ:言語殉教者の日
- バヌアツ:ファーザー・リニ・デー
- ブータン:第5代国王誕生日の祝日(2026年は2月21日〜23日)
- 中国:春節の公休日(2026年は2月15日〜23日)
2月21日が誕生日の有名人
ピョートル3世(1728年生)
1762年にロシア皇帝となりましたが、プロイセンとの戦争を終わらせる政策や国内での支持不足から、在位約半年で妻エカチェリーナが主導する政変により退位しました。死の経緯にも謎が残ります。
カール・チェルニー(1791年生)
ベートーヴェンに学び、リストを教えたウィーンの音楽家です。膨大な作品を残し、特に段階的な練習曲は現在もピアノ教育で使われ、演奏技術の体系化に大きな影響を与えました。
ジョン・ヘンリー・ニューマン(1801年生)
英国国教会のオックスフォード運動を率いた後、カトリックへ改宗し枢機卿となりました。信仰と良心、大学教育について著し、2019年にカトリック教会で列聖されています。
レオ・ドリーブ(1836年生)
フランスの作曲家で、バレエ『コッペリア』『シルヴィア』、歌劇『ラクメ』で知られます。舞踊の伴奏にとどまらない色彩豊かな管弦楽法は、後のバレエ音楽の発展に影響しました。
ジャンヌ・カルマン(1875年生)
122歳164日まで生きたとされ、厳格な文書確認を経た人類史上最高齢記録の保持者です。フランス・アルルで生涯を送りました。極端な長寿の一般化や、個別の生活習慣を長寿法として断定することはできません。
戸籍、国勢調査、婚姻資料などが検討され、記録は国際的に認定されていますが、近年には本人取り違え説も提起されました。反論を含む研究が続いており、長寿記録は逸話だけでなく文書の連続性で評価されます。
アンドレス・セゴビア(1893年生)
クラシックギターを大規模な演奏会場の独奏楽器として確立することに貢献しました。バッハなどの編曲を演奏し、作曲家へ新作を委嘱し、多くの弟子を通じて20世紀の奏法とレパートリーを広げました。
アナイス・ニン(1903年生)
フランス生まれで米国を中心に活動し、長年の日記と小説で欲望、自己形成、芸術家の人間関係を描きました。刊行時に編集された日記と、後に公刊された無削除版では内容と人物像の見え方が異なります。
W・H・オーデン(1907年生)
英国生まれの詩人で、戦争、愛、信仰、政治を多様な形式で書きました。スペイン内戦や第二次世界大戦の時代を経験し、『葬送のブルース』などが広く知られる一方、政治詩への自らの評価も変化しました。
ロバート・ムガベ(1924年生)
独立運動を経て1980年から首相、後に大統領として長期政権を築きました。教育普及への初期の成果がある一方、弾圧、選挙不正、経済混乱、人権侵害で厳しく批判され、2017年に失脚しました。
サム・ペキンパー(1925年生)
『ワイルドバンチ』などで西部劇の神話を解体し、スローモーション編集を使った暴力表現で映画史に強い影響を与えました。撮影現場での対立や女性表象を含め、作家性と問題点の双方が論じられます。
ユベール・ド・ジバンシィ(1927年生)
フランスのオートクチュールデザイナー。オードリー・ヘプバーンの映画衣装や私服を長く手がけ、簡潔な線と優雅さを結びつけました。ブランドと映画スターの協働モデルを象徴する人物です。
ニーナ・シモン(1933年生)
クラシックピアノを基礎に、ジャズ、ブルース、フォーク、ゴスペルを横断しました。『Mississippi Goddam』などで人種差別への怒りを歌い、公民権運動と音楽表現を結びつけました。
本人はジャズ歌手という限定を好まず、自身の音楽を「ブラック・クラシカル・ミュージック」と表現しました。幅広いジャンル名のどれか一つに押し込めず、編曲、ピアノ、低い声、政治的発言を一体として捉えるのが適切です。
バーバラ・ジョーダン(1936年生)
南部再建期以降で初めてテキサス州から連邦下院へ選出された黒人女性です。ウォーターゲート事件の弾劾審議で憲法原則を説いた演説が高く評価され、公民権と政治倫理を訴えました。
1974年の下院司法委員会で、憲法冒頭の「われら人民」に黒人や女性が当初含まれなかった歴史を指摘しつつ、憲法への信頼を語りました。個人的な障壁と制度への批判を、法の手続きの擁護へ結びつけた演説です。
アラン・リックマン(1946年生)
舞台で培った声と細やかな演技で、『ダイ・ハード』のハンス・グルーバー、『ハリー・ポッター』シリーズのスネイプなどを演じました。悪役の印象だけでなく、ロマンスやコメディにも幅広い役を残しました。
スネイプ役では物語の結末に関わる情報を作者から早期に知らされ、表面の敵意だけではない複雑な人物像を構築したとされます。舞台演出や映画監督も手がけ、人気シリーズの役だけに還元できないキャリアでした。
エリオット・ペイジ(1987年生)
カナダ出身の俳優。映画『JUNO/ジュノ』でアカデミー主演女優賞候補となり、『アンブレラ・アカデミー』などに出演しました。2020年にトランスジェンダーであることを公表し、当事者の可視性にも影響を与えました。
2月21日生まれの有名人一覧
| 生年 | 名前 | 職業・分野 |
|---|---|---|
| 1728 | ピョートル3世 | ロシア皇帝 |
| 1791 | カール・チェルニー | ピアニスト・作曲家 |
| 1801 | ジョン・ヘンリー・ニューマン | 神学者・枢機卿 |
| 1836 | レオ・ドリーブ | 作曲家 |
| 1875 | ジャンヌ・カルマン | 長寿記録保持者 |
| 1893 | アンドレス・セゴビア | クラシックギター奏者 |
| 1903 | アナイス・ニン | 作家 |
| 1907 | W・H・オーデン | 詩人 |
| 1924 | ロバート・ムガベ | ジンバブエ政治家 |
| 1925 | サム・ペキンパー | 映画監督 |
| 1927 | ユベール・ド・ジバンシィ | ファッションデザイナー |
| 1933 | ニーナ・シモン | 歌手・ピアニスト |
| 1936 | バーバラ・ジョーダン | 米国政治家 |
| 1937 | ハーラル5世 | ノルウェー国王 |
| 1943 | デヴィッド・ゲフィン | 音楽・映画実業家 |
| 1946 | アラン・リックマン | 俳優 |
| 1962 | チャック・パラニューク | 作家 |
| 1979 | ジェニファー・ラブ・ヒューイット | 俳優・歌手 |
| 1987 | エリオット・ペイジ | 俳優 |
2月21日が命日の有名人
バールーフ・デ・スピノザ(1677年没)
神と自然を同一の実体として論じ、心身、自由、感情を幾何学的な論証形式で考察しました。生前に共同体から破門され、主著『エチカ』は死後に刊行されました。近代合理論と聖書批判に大きな影響を与えています。
スピノザが説く自由は、原因から切り離された気ままな選択ではなく、自然の必然性を理解し、受動的な感情に支配されにくくなることに関わります。政治論では思想と言論の自由を国家の安定と結びつけました。
クルト・アイスナー(1919年没)
第一次世界大戦末にバイエルン王政の終焉を宣言し、共和国政府を率いた社会主義者です。選挙敗北後に辞任を表明しに州議会へ向かう途中、右翼民族主義者に暗殺され、ミュンヘンの政治混乱が深まりました。
ジョージ・エラリー・ヘール(1938年没)
太陽磁場を発見し、大型望遠鏡の建設を推進した米国の天文学者です。ヤーキス、ウィルソン山、パロマーへ連なる観測施設を構想し、組織と資金を動かして天文学の観測能力を飛躍させました。
フレデリック・バンティング(1941年没)
チャールズ・ベストらとインスリンの抽出・治療応用を進め、糖尿病治療を変えました。1923年ノーベル生理学・医学賞を受賞し、特許を大学へ低額で譲渡しました。航空事故の負傷がもとで亡くなりました。
インスリンはバンティング一人の「発明」ではありません。ベスト、マクラウド、コリップ、患者、量産に携わった企業の協力で治療へ届きました。ノーベル賞の配分をめぐる緊張も、共同研究の評価の難しさを示します。
マルコムX(1965年没)
黒人の尊厳と自己決定を鋭い言葉で訴えた米国の活動家です。ネーション・オブ・イスラム時代と離脱後では立場が変化し、晩年は国際的な人権運動と連携しようとしました。暗殺事件の再検証も続いています。
ハワード・フローリー(1968年没)
フレミングが発見したペニシリンを、エルンスト・チェインらと治療可能な薬へ発展させました。動物実験、臨床試験、量産体制への橋渡しを担い、1945年ノーベル生理学・医学賞を共同受賞しました。
ミハイル・ショーロホフ(1984年没)
ドン地方のコサック社会と革命・内戦を描いた大作『静かなドン』で知られ、1965年ノーベル文学賞を受賞しました。ソ連体制内での地位と作品の著者性をめぐる論争も文学史の論点です。
ガートルード・エリオン(1999年没)
病原体や腫瘍細胞の代謝の違いを標的に薬を設計する手法を発展させ、白血病治療薬、免疫抑制薬、抗ウイルス薬などに貢献しました。1988年ノーベル生理学・医学賞を共同受賞しています。
エリオンは博士号を持たないまま研究所で成果を積み、試行錯誤だけに頼らず、生化学的な差から候補物質を選ぶ「合理的薬物設計」の先駆者となりました。個々の薬だけでなく開発思想を変えた点が重要です。
ビリー・グラハム(2018年没)
大規模な伝道集会と放送を通じ、20世紀米国福音派を代表する存在となりました。歴代大統領に助言し政治へ近づいた影響力と、人種統合への姿勢や宗教と権力の距離がともに論じられます。
2月21日が命日の有名人一覧
| 没年 | 名前 | 職業・分野 |
|---|---|---|
| 1677 | バールーフ・デ・スピノザ | 哲学者 |
| 1919 | クルト・アイスナー | バイエルン州首相 |
| 1938 | ジョージ・エラリー・ヘール | 天文学者 |
| 1941 | フレデリック・バンティング | 医師・医学研究者 |
| 1965 | マルコムX | 人権運動家 |
| 1968 | ハワード・フローリー | 病理学者 |
| 1984 | ミハイル・ショーロホフ | 作家 |
| 1999 | ガートルード・エリオン | 薬理学者 |
| 2018 | ビリー・グラハム | キリスト教伝道者 |
| 2019 | ピーター・トーク | 音楽家・俳優 |
2月21日の星座・誕生花・誕生石
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 星座 | 魚座 |
| 誕生花 | 日付ごとの花は資料によって異なります |
| 2月の誕生石 | アメシスト(紫水晶) |
2026年2月21日の暦
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 曜日 | 土曜日 |
| 和暦 | 令和8年2月21日 |
| 旧暦 | 2026年1月5日 |
| 六曜 | 大安 |
| 干支 | 丙寅(ひのえとら) |
| 二十四節気 | 雨水の期間(2026年の雨水は2月19日0時52分、啓蟄は3月5日22時59分) |
| 七十二候 | 土脉潤起(つちのしょううるおいおこる) |
| 月齢 | 3.6(東京・正午) |
| 十二直 | 建(たつ) |
| 日本の祝日 | 国民の祝日ではありません |
2026年2月21日の暦を読む
2026年2月21日は旧暦1月5日、六曜は大安です。二十四節気では雨水、七十二候は「土脉潤起」。東京の正午の月齢は3.6で、夕方の西空に細い月が見やすくなる時期です。土曜日ですが、日本の国民の祝日ではありません。
主な確認資料
- ユネスコ・国際母語デー
- バングラデシュ・ロンドン高等弁務官事務所の休日案内
- バヌアツ政府
- 英国国立公文書館・ジャンヌ・ダルク裁判
- 英国国立鉄道博物館・初期蒸気機関車
- 米国議会図書館・電話史
- 帝国戦争博物館・ヴェルダンの戦い
- ポラロイド・会社の歴史
- 米国国務省歴史局・ニクソン訪中
- 中国政府・2026年の公休日
- 国立天文台・2026年暦要項(二十四節気)
- 国立天文台・2026年2月の月齢(東京)
- 内閣府・国民の祝日
