『方丈記』の終章「自ら心に問ひていわく」現代語訳

そもそも、一期の月影傾きて

原文

 そもそも、いちつきかげかたぶきて、さんの山のに近し。たちまちに、さんの闇に向かはんとす。何のわざをかかこたむとする。仏の教へたまふおもむきは、事にふれてしふしんなかれとなり。今、さうあんを愛するも、かんせきぢやくするも、さばかりなるべし。いかが、えうなき楽しみを述べて、あたら時をすぐさむ。

現代語訳

 さて、私の生涯も月が沈むように終わりに近づき、残り少ない命は山の端に近づいている。すぐにでも暗く苦しい死後の世界へと向かおうとしている。いったい何事についてぐちぐち不平を言おうというのか。仏がお教えになる言葉の趣旨は、何事においても執着心を持ってはいけないということである。今、草庵を愛することも、俗世間から遠ざかりひっそりと暮らすことにとらわれていることも、このぐらいにしておくべきであろう。どうして無用な楽しみを述べて、もったいない時を過ごそうか。


語釈
  • そもそも【抑】:さて。
  • いちご【一期】:一生。生涯。
  • つきかげ【月影】:月の光。月明かり。
  • かたぶく【傾く】:(太陽や月が)西へ沈みかける。終わりに近づく。
  • よさん【余算】:残っている寿命。余命。
  • やまのは【山の端】:山の稜線。山と空とが接して見える山側。空側は山際。
  • さんづのやみ【三途の闇】:〘仏教語〙死後の暗く苦しい世界。冥土。
  • なにのわざ【何の業】:どんなこと。何事。
  • かこつ【託つ】:ぐちをこぼす。嘆く。不平を言う。
  • おもむき【趣】:意向。趣旨。
  • ことにふれて【事に触れて】:何かにつけて。ものごとに関して。
  • しふしん【執心】:〘仏教語〙執着すること。
  • さうあん【草庵】:草ぶきの庵。粗末な家。
  • かんせき【閑寂】:俗世間から遠ざかり、ひっそりと物静かなこと。
  • ぢやくす【着す】:〘仏教語〙執着する。とらわれる。
  • さばかり【然許り】:その程度。それほど。そのくらい。
  • えうなし【要無し】:役に立たない。無用である。つまらない。
  • あたら【惜】:もったいない。惜しい。大切な。

静かなる暁、このことわりを思ひつづけて

原文

 静かなるあかつき、このことわりを思ひつづけて、みづから心に問ひていはく、世をのがれて、山林にまじはるは、心ををさめてみちおこなはむとなり。しかるを、なんぢ、姿はしやうにんにて、心はにごりにめり。すみかはすなはち、浄名居士じやうみやうこじの跡をけがせりといへども、たもつところは、わづかにしゅはんどくぎやうにだに及ばず。もし、これ、ひんせんむくいのみづから悩ますか、はたまたまうしんのいたりてきやうせるか。その時、心、さらに答ふる事なし。ただ、かたはらにぜつこんをやとひて、不請ふしやうぶつ、両三べん申してやみぬ。

現代語訳

 静かな明け方、この道理を考え続けて、自分自身の心に問う。世間をさけて遠ざかり山林に分け入ったのは、心を落ち着かせて仏道の修行をするためではなかったのか。それなのに、お前は姿こそ僧であっても、心は煩悩にまみれている。住まいはつまり、浄名居士の跡をまねているとは言え、維持できていることはわずかに周梨槃特の修行にすら及ばない。もしかして、これは前世の行いによる貧賤の報いが自らを悩ませているのか、それとも煩悩にとらわれた心が極まって狂ってしまったのか。こうして心に問うも、これ以上の答えは出てこない。ただそばに舌を動かして、不請阿弥陀仏を2、3遍唱えて終わった。


語釈
  • ことわり【理】:ものごとの道理。
  • みづから【自ら】:自分自身。自分自身で。自分から進んで。
  • のがる【遁る・逃る】:さけて遠ざかる。
  • まじる【交じる】:(野山に)分け入る。
  • をさむ【修む・治む】:落ち着かせる。行いや態度をよくする。
  • みちをおこなふ【道を行ふ】:仏道の修業をする。
  • しかるを【然るを】:そうであるのに。それなのに。ところが。
  • なんぢ【汝】:あなた。おまえ。平安時代は同等か目下の者に、中世には目下に対して用いた。
  • しやうにん【聖人】:知と徳とを兼ね備えたすぐれた僧。高僧。
  • にごり【濁り】:修行を妨げる欲望。煩悩。
  • しむ【染む】:染める。執着する。熱中する。
  • じやうみやうこじ【浄名居士】:インドの修行者、維摩詰のこと。方丈の小室で修行した。
  • けがす【穢す・汚す】:神聖なものを不浄にする。けがす。
  • たもつ【保つ】:持ちこたえる。維持する。
  • わづかに【僅かに】:やっと。かろうじて。
  • しゆりはんどく【周梨槃特】:釈尊の弟子の一人。我が名を忘れるほどの愚鈍であったが、のちに大悟した。
  • ぎやう【行】:〘仏教語〙僧侶や修験者などが、悟りを得るために、仏の教えを実践すること。修行。
  • むくい【報い】:(前世での所業の結果として、現世で受ける)因果応報。
  • はたまた【将又】:それともまた。あるいは。
  • まうしん【妄心】:〘仏教語〙煩悩にとらわれた心。迷いの心。
  • いたる【至る】:この上ない極限に達する。きわまる。
  • ぜつこん【舌根】:〘仏教語〙六根の一つ。味覚の能力、またそれをつかさどる器官。舌。
  • ふしやう【不請】:〘仏教語〙仏や菩薩が、その求めがなくても慈悲で衆生を済度すること。転じて、自分からの望みでないこと。いやいやながら承知すること。
  • あみだ【阿弥陀】:西方極楽浄土の教主。
  • りやうさん【両三】:二度三度。
  • やむ【止む】:終わりにする。中途で終わる。中止になる。起こらないままで終わる。

時に、建暦の二年

原文

 時に、建暦けんりゃくふたとせ弥生やよひのつごもりころ、さうもんれんいんやまいほりにして、これをしるす。

現代語訳

 時に、建暦の二年、三月の末頃、沙門の蓮胤、外山の庵にてこれを記す。


語釈
  • つごもり【晦日】:月の下旬。月末の数日。
  • さうもん【桑門】:僧。出家して仏道を修行する人。
  • れんいん【蓮胤】:長明の法名。
  • とやま【外山】:日野山の総称。