
12月19日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢47名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】12月19日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、12月19日と一致する人物だけを掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1642年 | 松平直矩 | 白河藩初代藩主 |
| 1810年 | 藤堂高聴 | 久居藩主 |
| 1819年 | 織田信学 | 天童藩主 |
| 1836年 | 浅野慶熾 | 広島藩主 |
| 1865年 | 伊東里き | 北米移住支援者 |
| 1880年 | 小原光雲 | 華道家・小原流家元 |
| 1885年 | 大橋八郎 | 政治家・逓信官僚 |
| 1889年 | 速水和彦 | 機械工学者 |
| 1890年 | 谷崎精二 | 英文学者・小説家 |
| 1892年 | 三田了一 | 宗教家・教育者 |
| 1893年 | 纐纈弥三 | 官僚・政治家 |
| 1894年 | 吉田五十八 | 建築家 |
| 1894年 | 森田たま | 小説家・随筆家 |
| 1894年 | 加藤顕清 | 彫刻家 |
| 1898年 | 羽根盛一 | 官僚・政治家 |
| 1900年 | 小沢久太郎 | 政治家・郵政大臣 |
| 1903年 | 佐野一彦 | 哲学者・民俗学者 |
| 1918年 | 池田淳 | 地方自治官僚・政治家 |
| 1921年 | 海野一隆 | 地理学者 |
| 1921年 | 楠本憲吉 | 俳人 |
| 1922年 | 阿部日顕 | 僧侶・日蓮正宗法主 |
| 1922年 | 眉山俊光 | 政治家 |
| 1932年 | 木元教子 | 評論家・教育者 |
※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。
【海外】12月19日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1554年 | フィリップス・ウィレム | オラニエ公 |
| 1676年 | ルイ=ニコラ・クレランボー | フランスの作曲家 |
| 1683年 | フェリペ5世 | スペイン国王 |
| 1713年 | ジョン・テイラー | イギリスの政治家・著作家 |
| 1778年 | マリー・テレーズ・シャルロット | フランス王女 |
| 1813年 | トーマス・アンドリューズ | アイルランドの化学者・物理学者 |
| 1814年 | エドウィン・スタントン | アメリカの政治家・法律家 |
| 1816年 | フランツ・ザッハー | オーストリアの料理人 |
| 1817年 | シャルル・ダンクラ | フランスのバイオリニスト・作曲家 |
| 1825年 | ジョージ・フレデリック・ブリストウ | アメリカの作曲家 |
| 1852年 | アルバート・マイケルソン | アメリカの物理学者 |
| 1861年 | コンスタンス・ガーネット | イギリスの翻訳家 |
| 1861年 | イタロ・ズヴェーヴォ | イタリアの作家 |
| 1875年 | ミレヴァ・マリッチ | セルビアの物理学者・数学者 |
| 1882年 | ブロニスワフ・フーベルマン | ポーランドのバイオリニスト |
| 1882年 | ヴァルター・ブラウンフェルス | ドイツの作曲家 |
| 1888年 | フリッツ・ライナー | ハンガリー出身の指揮者 |
| 1890年 | ジャン・ジュネ | フランスの作家 |
| 1906年 | レオニード・ブレジネフ | ソビエト連邦の政治家 |
| 1915年 | エディット・ピアフ | フランスの歌手 |
| 1921年 | シシリー・タイソン | アメリカの女優 |
| 1924年 | ミシェル・トゥルニエ | フランスの小説家 |
| 1925年 | ロバート・シャーマン | アメリカの作曲家 |
| 1929年 | ボブ・ブルックマイヤー | アメリカのジャズ奏者 |
12月19日生まれの代表的な偉人
小原光雲
- 生没年:1880年12月19日(明治13年12月19日)~1938年9月5日(昭和13年9月5日)
- 国:日本
- 肩書き:華道家・小原流家元
岡山に生まれ、近代都市の住宅と百貨店文化が広がる中で、床の間中心の生け花を近代的な盛花へ改めました。水盤に花材を広げる小原流を確立し、展覧会と教授制度を通じて大量の女性門弟へ新しい花の造形を教えました。生け花を立体的な美術作品として展示する形式は、家庭の習い事と現代デザインを結び、戦後の流派拡大を支えました。一方、家元制度は女性の自己表現を支えながらも師弟関係と階層を固定し、植民地期の日本文化普及と結びついた面もあります。
大橋八郎
- 生没年:1885年12月19日(明治18年12月19日)~1968年6月4日(昭和43年6月4日)
- 国:日本
- 肩書き:政治家・逓信官僚
逓信省から法制局長官、内閣書記官長へ進み、戦後は日本放送協会会長と電電公社総裁を務めました。終戦時の放送体制と戦後の電気通信事業の再編に関わり、行政と放送・電話をつなぐ制度を設計しました。国家の情報インフラを官僚が組み替えた経歴は、放送の公共性と通信独占の成立を理解する手掛かりになります。一方、戦時の言論統制と玉音放送に関与した責任があり、戦後の近代化・公共サービスの功績だけで情報支配の歴史を正当化できません。
谷崎精二
- 生没年:1890年12月19日(明治23年12月19日)~1971年12月14日(昭和46年12月14日)
- 国:日本
- 肩書き:英文学者・小説家
谷崎潤一郎の弟として文学環境に育ち、早稲田大学で英文学を教えながら小説とエドガー・アラン・ポー研究を続けました。英文学の翻訳・作家論と『文学の諸問題』などの評論を通じ、大学の英語教育と日本の近代小説を媒介しました。翻訳と創作を往復する学者像は、外国文学を日本語の読書文化へ定着させ、戦後の文学研究を支えました。一方、著名な兄との比較で評価されやすく、英文学中心の制度がアジア・女性の文学を周縁化した点や、翻訳の改変も検討が必要です。
吉田五十八
- 生没年:1894年12月19日(明治27年12月19日)~1974年3月24日(昭和49年3月24日)
- 国:日本
- 肩書き:建築家
東京美術学校で学び、欧米視察後に伝統的な数寄屋の比例と素材を近代住宅・公共建築へ組み込みました。小林古径邸、五島美術館、皇居新宮殿などで、細い柱と深い軒による『吉田流数寄屋』を設計しました。日本建築を単なる復古でなく国際的な近代建築として提示し、戦後の住宅設計と文化財的景観へ影響しました。一方、皇室・富裕層の邸宅を中心に発展したため、職人の労働と都市の立ち退きを隠し、和風意匠を国民文化へ一般化する限界もあります。
フィリップス・ウィレム
- 生没年:1554年12月19日~1618年2月20日
- 国:ネーデルラント
- 肩書き:オラニエ公・軍人
オラニエ公ウィレム1世の子として生まれ、八十年戦争の中で父の暗殺後に家督と政治的役割を引き継ぎました。スペイン支配に対する反乱側の軍事・外交を支え、オランダ共和国の王朝的象徴として諸州を結びました。オラニエ家の継承は近代オランダの国家形成と宗派政治に長く影響し、君主制の歴史的根拠になりました。一方、独立運動は宗教的少数派や植民地交易の拡大と結びつき、共和国の自由を農民・都市下層の解放と同一視できません。
マリー・テレーズ・シャルロット
- 生没年:1778年12月19日~1851年10月19日
- 国:フランス
- 肩書き:王女・王妃
ルイ16世とマリー・アントワネットの長女として革命と王政廃止、家族の処刑を経験し、亡命先で王党派の象徴となりました。タンプル塔から解放された唯一の直系王族として帰国し、王政復古後にアングレーム公爵夫人として宮廷政治へ関わりました。革命の犠牲者・『孤児』の物語は王党派記憶と女性の政治的利用を形づくり、フランス王制のノスタルジーを支えました。一方、王族の苦難を強調すると、革命前の身分制・財政危機・植民地奴隷制と、一般民衆の飢餓が背景から消えてしまいます。
トーマス・アンドリューズ
- 生没年:1813年12月19日~1885年11月9日
- 国:アイルランド
- 肩書き:化学者・物理学者
ベルファストで医学と化学を学び、クイーンズ大学で気体の性質と相転移を実験しました。二酸化炭素の臨界温度を測定し、気体と液体が連続的に変化する臨界現象の概念を明確にしました。熱力学と物理化学の橋渡しとなるデータを提供し、後の超臨界流体研究や工業分離技術の基礎を築きました。一方、研究は産業用の圧縮・冷却技術と結びつき、実験室の功績だけでは労働安全や環境負荷を評価できない点があります。
エドウィン・スタントン
- 生没年:1814年12月19日~1869年12月24日
- 国:アメリカ
- 肩書き:法律家・陸軍長官
オハイオで弁護士となり、南北戦争前の政争を経てリンカーン政権の陸軍長官に就任しました。徴兵・補給・鉄道輸送を中央集権化し、南北戦争の北軍を組織して戦後の大統領弾劾にも関わりました。近代的な戦時行政と軍民関係のモデルを作り、連邦政府の権限拡大と奴隷解放の実施を支えました。一方、強権的な逮捕や報道統制も行い、戦時の効率化を自由権の侵害と切り離せず、先住民政策や再建期の人種暴力も残しました。
アルバート・マイケルソン
- 生没年:1852年12月19日~1931年5月9日
- 国:アメリカ
- 肩書き:物理学者
ポーランド生まれで米国へ移住し、海軍兵学校と大学で光学実験を学んで精密測定の研究者となりました。マイケルソン・モーリー実験や干渉計を用いて光速度を測定し、ノーベル物理学賞を受賞しました。光速度の精密測定はエーテル仮説を揺るがし、相対性理論と現代物理の実験的基盤を整えました。一方、実験の意味は後世の理論で再解釈され、国家・軍の研究資金と男性研究者中心の制度が多くの補助者を見えにくくしました。
コンスタンス・ガーネット
- 生没年:1861年12月19日~1946年12月17日
- 国:イギリス
- 肩書き:翻訳家
ロシア語を学び、革命前後のロシア文学を英語圏へ紹介する翻訳者としてロンドンの知識人と交流しました。トルストイ、ドストエフスキー、チェーホフらの作品を大量に英訳し、英語圏の近代小説の読まれ方を変えました。日本語を含む多言語翻訳や作家の再評価を促し、ロシア文学が世界文学の標準教材となる過程に決定的な役割を果たしました。一方、流暢さを優先した省略や文体の均質化があり、原文の文化・階級・女性の声を英語の読者へ合わせて変形した点を批判的に読む必要があります。
イタロ・ズヴェーヴォ
- 生没年:1861年12月19日~1928年9月13日
- 国:イタリア・オーストリア=ハンガリー
- 肩書き:作家・実業家
トリエステの多言語都市で商業と文学を往復し、イタリア語、ドイツ語、ユダヤ系文化が交差する社会を生きました。『ゼーノの意識』で自己欺瞞と近代企業の不安を描き、ジェイムズ・ジョイスとの交流を通じて再評価されました。不可靠な語り手と心理の分裂は近代主義文学の重要な形式となり、国境都市の複合的なアイデンティティを表現しました。一方、作品の『病的な男』像は女性や労働者を周辺化し、ジョイスの推薦による遅い名声が文学市場の偶然性を隠しています。
ブロニスワフ・フーベルマン
- 生没年:1882年12月19日~1947年6月15日
- 国:ポーランド・イスラエル
- 肩書き:バイオリニスト・音楽家
ワルシャワ近郊に生まれ、欧州各地で演奏し、ナチ政権の台頭を受けてユダヤ人音楽家を救う活動に転じました。パレスチナ交響楽団(現イスラエル・フィル)を創設し、欧州から追放された演奏家に職と避難先を与えました。演奏芸術を難民救援と国家建設へ結びつけ、イスラエルの音楽制度と亡命音楽家のネットワークを形成しました。一方、救済された人々の選別やパレスチナ住民の排除を伴う国家形成が語られにくく、文化的成功をシオニズムの単線的物語にできません。
レオニード・ブレジネフ
- 生没年:1906年12月19日(明治39年12月19日)~1982年11月10日(昭和57年11月10日)
- 国:ソビエト連邦
- 肩書き:政治家・最高指導者
ウクライナの工業地帯で党官僚となり、フルシチョフ失脚後に集団指導を経てソ連共産党書記長へ昇進しました。軍拡と福祉の安定を掲げる一方、チェコスロバキア侵攻、アフガニスタン戦争、東欧への介入を決定しました。『停滞の時代』と呼ばれる統治は社会保障と教育を維持しつつ、冷戦の軍事均衡とソ連崩壊への制度疲労を残しました。一方、安定を懐かしむ評価は検閲、強制精神医療、民族抑圧、衛星国の主権侵害を過小評価し、個人独裁と集団責任の両面が必要です。
12月19日に起きた歴史的な出来事
- 1843年12月19日|チャールズ・ディケンズ『クリスマス・キャロル』刊行
ロンドンの貧困と救貧法への関心が高まる中、ディケンズが短編『クリスマス・キャロル』を出版しました。守銭奴スクルージの改心を通じて慈善と社会的責任を大衆文化へ広め、近代的なクリスマス像を形成しました。なお、個人の善意による救済は低賃金や救貧制度の構造問題を隠し、貧困者を教訓の道具として描く限界もあります。 - 1939年12月19日|ニューヨーク近代美術館でピカソ展開幕
第二次世界大戦前夜、MoMAがパブロ・ピカソの回顧的な展覧会を開き、欧州の前衛芸術を米国へ紹介しました。米国の美術館が国際的な近代美術の中心へ成長し、戦後の芸術市場と抽象表現主義の土台になりました。なお、美術館の収集は植民地・富裕層の資金に依存し、ピカソの女性表象や政治的立場を傑作の物語だけで覆えません。 - 1968年12月19日(昭和43年12月19日)|日本の南極観測隊が南極点到達
第9次南極地域観測隊の隊員が昭和基地から犬ぞりと車両で進み、日本隊として初めて南極点へ到達しました。極地観測の技術と国際協力を示し、地球科学・気象研究を継続する象徴的成果となりました。なお、探検の英雄譚は先住民のいない南極を『無人の大地』として扱い、観測基地の環境負荷や隊員の安全問題を隠しがちです。 - 1984年12月19日|中英共同声明の香港返還合意
英国と中国が香港の1997年返還と『一国二制度』を定める共同声明に署名しました。植民地統治から中国主権への移行を平和的に枠づけ、返還後の自治と法制度をめぐる国際的基準を作りました。なお、香港住民の直接参加が限られ、国家安全・民主化・移民をめぐる後の対立を完全には解決しない曖昧な合意でした。 - 2012年12月19日|韓国大統領選で朴槿恵が当選
韓国の大統領選挙で朴槿恵が当選し、同国初の女性大統領となることが決まりました。軍事政権期の朴正熙を父に持つ候補が民主化後の選挙で勝利し、世代・地域・ジェンダーの記憶をめぐる議論を強めました。なお、後の国政介入事件と弾劾は、女性初という象徴だけで政治運営や財閥との関係を評価できないことを示しました。 - 324年12月19日|リキニウスが退位
コンスタンティヌス1世との内戦に敗れたリキニウスが、ニコメディアで皇帝位を放棄しました。ローマ帝国の単独皇帝体制が確立し、キリスト教公認後の統治と宗教政策の方向が定まりました。なお、敗者の処刑と財産没収を伴う権力統合であり、宗教的寛容の進展が政治的暴力と同時に起きた点を見落とせません。 - 1154年12月19日|ヘンリー2世がイングランド王に戴冠
アンジュー家のヘンリーがウェストミンスター寺院で戴冠し、内戦後の王権再建に着手しました。王室裁判所とコモン・ローの発展を促し、イングランドの行政と法の中央集権化に影響しました。なお、王権強化は地方領主と教会の自治を圧迫し、アイルランドへの侵攻や農民への課税を法制度の功績から切り離せません。 - 1614年12月19日(慶長19年11月19日)|大坂冬の陣で木津川口の戦い
徳川家康の軍が豊臣方の大坂城を包囲し、木津川口の海上輸送路をめぐって両軍が交戦しました。大坂城の補給と西国の大名連携を断つ戦略の一部となり、翌年の豊臣家滅亡への道を開きました。なお、戦闘は城下の住民を巻き込み、徳川の『平和』の成立が大名・商人・農民の犠牲と強制移住を伴った点に注意が必要です。 - 1730年12月19日(享保15年11月10日)|田安家が創設
徳川吉宗が八代将軍家の一門を強化するため、次男宗武を田安家の初代当主としました。御三卿の成立により将軍継嗣と幕府儀礼を支える親藩ネットワークが整えられました。なお、一門の維持費と格式は農民の年貢に依存し、血統中心の安定策が身分秩序を固定した側面もあります。 - 1732年12月19日|フランクリンが『プア・リチャードの暦』を刊行
フィラデルフィアのベンジャミン・フランクリンが、天気予報、格言、ユーモアを盛り込んだ年鑑の刊行を始めました。植民地社会の識字と印刷市場を広げ、勤勉・節約を説く格言が英語圏の大衆文化へ広まりました。なお、自助と勤勉の標語は植民地の階級・奴隷制・先住民土地収奪を背景化し、出版の成功を個人の才覚だけで説明できません。 - 1966年12月19日|国連総会で宇宙条約が採択される
国連総会が、宇宙空間の平和利用、国家による領有禁止、天体への大量破壊兵器配備禁止を定める宇宙条約を採択しました。宇宙開発競争を国際法の枠へ置き、衛星・月・惑星の利用と責任をめぐる基本原則を示しました。なお、条約は軍事衛星や通常兵器の宇宙配備を止めず、民間企業の資源採掘、軌道混雑、宇宙環境の負荷を十分に規制していません。 - 1910年12月19日(明治43年12月19日)|日本人が動力飛行に成功
代々木練兵場で徳川好敏と日野熊蔵が輸入した飛行機を試験し、日本人による国内初の公式な動力飛行を記録しました。航空技術の導入と軍用航空の制度化を進め、日本の交通・軍事・科学教育の方向を変える象徴となりました。なお、12月14日の日野の先行飛行を含む記録の扱いに議論があり、軍が『初飛行』を英雄化した背景と航空事故の危険も考える必要があります。 - 1917年12月19日|ナショナル・ホッケー・リーグ初の試合
モントリオールでNHL創設後の初試合が行われ、モントリオール・カナディアンズとモントリオール・ワンダラーズが勝利しました。プロアイスホッケーをリーグ制度と都市の観客市場へ組み込み、北米の放送・興行・選手移籍を発展させました。なお、初期リーグは白人男性中心で、選手の長時間移動と身体損傷、先住民・黒人選手の排除をスポーツの成功物語が隠しました。 - 1946年12月19日|第一次インドシナ戦争が始まる
ホー・チ・ミン率いるベトミンとフランス軍の緊張が高まり、ハノイで武力衝突が起きて独立戦争が全面化しました。フランス植民地支配の終焉とベトナム分断、後の米国介入へつながる長期戦の出発点となりました。なお、民族解放の物語だけでは民間人の飢餓・強制移住や内部粛清を捉えられず、フランス・米国・周辺国の介入責任も問われます。 - 1978年12月19日|国連がブエノスアイレス行動計画を承認
国連総会が、途上国同士の技術協力を進めるためのブエノスアイレス行動計画を承認しました。南南協力を国際開発の原則として制度化し、援助を先進国から途上国への一方向だけでなく相互協力として捉える枠組みを作りました。なお、計画は冷戦の援助競争と債務・貿易構造を変えられず、参加国間の格差や女性・先住民の知識を十分に反映しませんでした。