
11月30日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢43名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】11月30日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、11月30日と一致する人物だけを掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1717年 | 藤堂高朗 | 久居藩第5代藩主 |
| 1741年 | 前田重教 | 加賀藩第7代藩主 |
| 1752年 | 内藤政脩 | 湯長谷藩第6代藩主 |
| 1754年 | 松平光悌 | 松本藩世嗣 |
| 1791年 | 井伊直暉 | 与板藩第7代藩主 |
| 1811年 | 酒井忠恒 | 松山藩第6代藩主 |
| 1841年 | 池田仲建 | 鹿奴藩第10代藩主・子爵 |
| 1845年 | 平野長裕 | 交代寄合・田原本藩主 |
| 1854年 | 松平康載 | 川越藩知事・子爵 |
| 1857年 | 陸羯南 | 新聞記者・政治評論家 |
| 1875年 | 長谷川如是閑 | ジャーナリスト・評論家 |
| 1876年 | 金子薫園 | 歌人 |
| 1888年 | 末弘厳太郎 | 法学者・労働法学者 |
| 1894年 | 上原六郎 | 官僚・政治家・札幌市長 |
| 1901年 | 向井潤吉 | 洋画家 |
| 1901年 | 荻須高徳 | 洋画家 |
| 1905年 | 圓鍔勝三 | 彫刻家 |
| 1911年 | 森有正 | 哲学者・フランス文学者 |
| 1911年 | 田村泰次郎 | 小説家 |
| 1914年 | 佐々木基一 | 文芸評論家 |
| 1916年 | 富永三郎 | 作曲家・音楽教育者 |
| 1924年 | 松橋忠光 | 警察官僚・著述家 |
| 1926年 | 中根千枝 | 社会人類学者 |
| 1928年 | 土井たか子 | 政治家・衆議院議長 |
| 1928年 | 小宮隆太郎 | 経済学者 |
| 1929年 | 三木谷良一 | 経済学者 |
※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。
【海外】11月30日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1554年 | フィリップ・シドニー | イングランドの詩人・廷臣 |
| 1602年 | オットー・フォン・ゲーリケ | ドイツの物理学者・政治家 |
| 1667年 | ジョナサン・スウィフト | アイルランドの作家・聖職者 |
| 1753年 | ヨハン・バプティスト・シェンク | オーストリアの作曲家 |
| 1813年 | シャルル=ヴァランタン・アルカン | フランスの作曲家・ピアニスト |
| 1825年 | ウィリアム・アドルフ・ブグロー | フランスの画家 |
| 1828年 | グスタフ・ツォイナー | ドイツの工学者・物理学者 |
| 1835年 | マーク・トウェイン | アメリカの作家 |
| 1859年 | セルゲイ・リャプノフ | ロシアの作曲家・ピアニスト |
| 1863年 | アンドレス・ボニファシオ | フィリピンの革命家 |
| 1869年 | コンスタンチン・ソモフ | ロシアの画家 |
| 1874年 | ウィンストン・チャーチル | イギリスの政治家・首相 |
| 1874年 | L・M・モンゴメリ | カナダの小説家 |
| 1888年 | ラルフ・ハートレー | アメリカの電子工学者 |
| 1906年 | ジョン・ディクスン・カー | アメリカの推理作家 |
| 1909年 | ロバート・ナイトホーク | アメリカのブルース音楽家 |
| 1915年 | ブラウニー・マギー | アメリカのブルース音楽家 |
11月30日生まれの代表的な偉人
陸羯南
- 生没年:1857年11月30日(安政4年10月14日)~1907年9月2日(明治40年9月2日)
- 国:日本
- 肩書き:新聞記者・政治評論家
陸奥国弘前に生まれ、司法省法学校を退学後に官界と新聞界へ入り、条約改正と議会開設が争点となる明治中期に言論活動を始めました。新聞『日本』を創刊して国民主義を掲げ、政府の欧化政策や藩閥政治を批判し、正岡子規ら若い文人にも発表の場を与えました。西欧模倣でも排外主義でもない政治的自立を論じ、近代ジャーナリズムと保守的言論の一系譜を形づくりました。一方、対外強硬論や帝国拡張を支持する局面があり、『国民』の範囲も植民地住民や女性を十分含まなかったため、権力批判だけを民主的功績として称揚できません。
長谷川如是閑
- 生没年:1875年11月30日(明治8年11月30日)~1969年11月11日(昭和44年11月11日)
- 国:日本
- 肩書き:ジャーナリスト・評論家
東京に生まれ、法律を学んだ後に新聞記者となり、日露戦争後から戦後まで国家と市民社会の関係を論じ続けました。大阪朝日新聞で筆を振るい、白虹事件後に退社して雑誌『我等』を創刊し、『日本的性格』などで自由主義、民衆生活、職人文化を考察しました。権力から距離を置く批評と生活文化への視線は大正デモクラシーの公共圏を支え、戦後には文化勲章を受けました。一方、戦時下には沈黙や体制との妥協があり、日本文化論には民族的類型化も含まれるため、『抵抗の知識人』という一貫した像だけで読むことはできません。
末弘厳太郎
- 生没年:1888年11月30日(明治21年11月30日)~1951年9月11日(昭和26年9月11日)
- 国:日本
- 肩書き:法学者・労働法学者
山口県に生まれ、ドイツ法学を基礎にしていた東京帝国大学で民法を学び、工業化が労使関係を新たな法領域へ押し出す時代に研究しました。判例と社会実態を重視する法解釈を唱え、日本初期の労働法学を開拓し、戦後は労働組合法制定、中央労働委員会、民法改正に関わりました。書かれた条文だけでなく現実の紛争から法を考える姿勢は、労働者保護と戦後日本の法社会学へ長く影響しました。一方、戦前の国家体制下で学問を続けた妥協や、家族法改革でなお残った性別役割の限界もあり、進歩的法学者という評価には制度内での選択を含める必要があります。
荻須高徳
- 生没年:1901年11月30日(明治34年11月30日)~1986年10月14日(昭和61年10月14日)
- 国:日本・フランス
- 肩書き:洋画家
愛知県に生まれ、東京美術学校で学んだ後の1927年に渡仏し、日本人画家がパリ画壇へ参加する流れの中で制作しました。石造建築の壁、路地、広告、店先を厚い絵肌と落ち着いた色彩で描き、戦後に再渡仏してパリとヴェネツィアの都市景観を生涯の主題としました。観光名所でない生活空間を日本人の視点で捉え、日仏美術交流とエコール・ド・パリ受容に持続的な足跡を残しました。一方、戦時中は従軍画家として作戦記録画を制作しており、異国情緒的な都市像も住民の社会問題を背景化するため、叙情性と戦争協力・外部者の視線を併せて評価すべきです。
中根千枝
- 生没年:1926年11月30日(大正15年11月30日)~2021年10月12日(令和3年10月12日)
- 国:日本
- 肩書き:社会人類学者
東京に生まれ、戦後に東京大学で東洋史を学び、インド・チベット・日本の現地調査から社会構造の比較へ進みました。『タテ社会の人間関係』で資格より所属する『場』を重視し、序列的な集団関係が日本の企業や組織に働くと説明しました。専門的な社会人類学を一般読者へ広げ、日本組織論と異文化比較の共通語を作り、東京大学初の女性教授となりました。一方、日本社会を一つの型へまとめる議論は地域、階級、ジェンダー、歴史変化を過小評価しやすく、便利な『日本人論』として固定的文化観に利用された限界があります。
ジョナサン・スウィフト
- 生没年:1667年11月30日~1745年10月19日
- 国:アイルランド
- 肩書き:作家・聖職者
ダブリンのイングランド系家庭に生まれ、名誉革命後の党派政治とイングランドによるアイルランド統治の中で聖職と著述に携わりました。『ガリヴァー旅行記』『桶物語』『控えめな提案』で旅行記や政策提案の形式を反転させ、権力、学問、戦争、貧困への痛烈な風刺を行いました。平明な語りが残酷な論理を露呈する手法は政治風刺と英語散文の基準となり、児童向けにも再話される世界文学になりました。一方、女性や被植民者への表現には侮蔑的な部分があり、児童版が作品の身体的・政治的毒を削る一方、作者のアイルランド擁護も現地多数派を完全に代表したわけではありません。
シャルル=ヴァランタン・アルカン
- 生没年:1813年11月30日~1888年3月29日
- 国:フランス
- 肩書き:作曲家・ピアニスト
パリのユダヤ系音楽家家庭に生まれ、幼少期から神童として音楽院に学び、ピアノ製造と公開演奏が発達したロマン派期に活動しました。『短調による十二の練習曲』に独奏ピアノだけの交響曲と協奏曲を組み込み、巨大な和音、対位法、跳躍を用いる高難度作品を書きました。長く忘れられた後、二十世紀の演奏家が復興し、ピアノ一台の音響可能性とヴィルトゥオーゾ作品の歴史を広げました。一方、引退と孤独をめぐる逸話には誇張があり、技巧の難しさだけを価値とすると、ユダヤ教研究や小品の詩情、当時の演奏機会から排除された背景を見失います。
ウィリアム・アドルフ・ブグロー
- 生没年:1825年11月30日~1905年8月19日
- 国:フランス
- 肩書き:画家
ラ・ロシェルに生まれ、官立美術教育とサロンが画家の地位を決めた十九世紀フランスでアカデミズムの中心へ上りました。滑らかな描写と理想化した人体で神話、宗教、農民少女を描き、『ヴィーナスの誕生』などを国際市場へ広く販売しました。高度な素描教育とサロン制度を体現し、女性学生を受け入れるアカデミー・ジュリアンでも教えて多くの画家へ技術を伝えました。一方、貧困女性を美的対象に変え、革新的表現を排除する制度側に立ったとの批判があり、近年の再評価も市場人気と美術史的意義を同一視しない注意が必要です。
マーク・トウェイン
- 生没年:1835年11月30日~1910年4月21日
- 国:アメリカ
- 肩書き:作家
ミズーリ州で生まれ、印刷工、ミシシッピ川水先案内人、西部の記者を経験し、南北戦争後の国家拡張と大衆出版の時代に作家となりました。『トム・ソーヤーの冒険』『ハックルベリー・フィンの冒険』で口語、少年の視点、旅を用い、奴隷制、偽善、暴力を風刺しました。地域の話し言葉を文学の中心へ置き、アメリカ文学とユーモア、反帝国主義的批評に大きな影響を与えました。一方、作品中の人種差別語と黒人人物の造形は現在も論争を呼び、風刺意図だけで傷つける表現を免責せず、後期の反帝国主義と初期の西部拡張観の変化も追う必要があります。
アンドレス・ボニファシオ
- 生没年:1863年11月30日~1897年5月10日
- 国:フィリピン
- 肩書き:革命家
マニラの労働者家庭に生まれ、両親を早く失って働きながら読書し、スペイン植民地支配への改革運動が高まる中で政治活動へ入りました。秘密結社カティプナンを創設して民衆を組織し、1896年に武装蜂起を開始してフィリピン革命の発火点を作りました。エリート中心の改革を越えて職人・労働者を独立運動へ動員し、現在は国民的英雄と庶民革命の象徴とされています。一方、軍事的敗北と内部選挙をめぐりアギナルド派と対立し、同じ革命勢力に処刑されたため、統一した民族運動という神話では階級・地域対立と革命内部の暴力を隠します。
ウィンストン・チャーチル
- 生没年:1874年11月30日~1965年1月24日
- 国:イギリス
- 肩書き:政治家・首相・作家
貴族政治家の家に生まれ、軍人・従軍記者・議員を経て、帝国の最盛期から二度の世界大戦と脱植民地化を生きました。1940年に首相となり、演説と米ソとの連携でナチス・ドイツへの抗戦を指導し、戦後は『鉄のカーテン』演説で冷戦を象徴しました。英国の戦争継続と連合国勝利に決定的な政治的役割を果たし、歴史著述でもノーベル文学賞を受けました。一方、帝国主義と人種的優越観を公言し、インド独立へ敵対してベンガル飢饉への対応も厳しく批判されるため、民主主義の英雄像だけで植民地被害を消せません。
L・M・モンゴメリ
- 生没年:1874年11月30日~1942年4月24日
- 国:カナダ
- 肩書き:小説家
プリンスエドワード島に生まれ、母の死後に祖父母のもとで育ち、教師と新聞記者を経て女性の職業作家が増える時代に執筆しました。『赤毛のアン』と続編で、孤児アンが想像力、学業、友情によって共同体に居場所を築く過程を島の自然とともに描きました。少女の知性と自己表現を肯定する物語は世界各地で翻訳され、児童文学、観光、カナダ文化の国際像に長く影響しました。一方、作品の共同体は白人プロテスタント中心で先住民や人種差をほぼ描かず、作者自身のうつ病と結婚生活の苦悩を明るい物語の裏へ隠す受容にも注意が必要です。
ラルフ・ハートレー
- 生没年:1888年11月30日~1970年5月1日
- 国:アメリカ
- 肩書き:電子工学者
ネバダ州に生まれ、電話と無線が長距離通信網へ発展する二十世紀初頭にベル研究所で研究しました。伝送できる情報量が選択可能な記号数の対数と帯域・時間に関係するハートレーの法則を1928年に示し、発振回路にも名を残しました。情報を意味内容から切り離して量として扱う発想は、シャノンの情報理論、通信設計、データ圧縮へ重要な基礎を与えました。一方、雑音を十分含まない初期モデルであり、情報量が大きいことは内容の真実性や社会的価値を意味せず、監視・軍事通信への応用倫理も数式だけでは判断できません。
11月30日に起きた歴史的な出来事
- 1786年11月30日|トスカーナ大公国が死刑を廃止
大公レオポルド一世が刑法改革を公布し、拷問と死刑を恒久的に廃止しました。近代国家として世界で初めて死刑を全面廃止した例とされ、人道的刑罰と法の比例性を求める運動へ影響しました。なお、政治犯罪への例外や後代の制度変更もあり、君主の啓蒙だけでなく被疑者の権利と実際の拘禁環境まで検証する必要があります。 - 1853年11月30日|シノープの海戦
クリミア戦争初期にロシア黒海艦隊がオスマン艦隊をシノープ港で攻撃し、多数の艦船を焼失させました。炸裂弾の破壊力を示し、英国とフランスが対ロシア参戦へ傾く決定的な世論材料となりました。なお、一方的勝利は多数の水兵を死傷させ、『虐殺』という宣伝も外交に利用されたため、兵器技術の転換としてのみ語れません。 - 1864年11月30日|フランクリンの戦い
南北戦争で南軍テネシー軍がテネシー州フランクリンの北軍陣地へ正面攻撃を繰り返しました。南軍指揮官を含む多数が死傷し、テネシー軍の戦闘力を回復不能に近いほど失わせました。なお、勇敢な突撃という記憶は無謀な指揮と兵士の犠牲を美化しやすく、戦争の根本に奴隷制維持をめぐる対立があった点を外せません。 - 1872年11月30日|最初のサッカー国際試合
スコットランドとイングランドの代表がグラスゴー近郊で対戦し、公式に認められる最初のサッカー国際試合となりました。共通ルールに基づく代表戦の形式を定着させ、サッカーが英国から世界的競技へ広がる一歩となりました。なお、普及は帝国の学校・企業・軍隊網とも結び付き、初期競技が男性と特定階級中心だったため、世界化を自然な文化拡散とは捉えられません。 - 1888年11月30日(明治21年11月30日)|日墨修好通商条約調印
日本とメキシコが相互に領事裁判権を認めず、対等な条件の日墨修好通商条約へ署名しました。日本がアジア以外の国と結んだ最初の平等条約とされ、不平等条約改正外交へ一つの先例を作りました。なお、両国の対等性は欧米列強との関係とは別で、交易規模も小さく、条約が移民や先住民を含む全住民の平等を保障したわけではありません。 - 1892年11月30日(明治25年11月30日)|千島艦事件
日本海軍の水雷砲艦千島が瀬戸内海で英国船ラヴェンナ号と衝突して沈没し、乗員七十人余りが死亡しました。英国領事裁判所での審理と賠償交渉は、治外法権を含む不平等条約改正を求める世論を強めました。なお、外交的象徴の陰で乗員の安全と海上交通管理の不備があり、国籍対立だけへ還元すると事故原因と遺族の損失が見えません。 - 1892年11月30日(明治25年11月30日)|伝染病研究所設立
北里柴三郎を所長として東京に私立伝染病研究所が設けられ、細菌学と血清療法の研究・製造が始まりました。感染症を実験科学と公衆衛生で制御する日本の拠点となり、後の東京大学医科学研究所へつながりました。なお、成果は動物実験と患者試料に依存し、行政移管をめぐる研究者対立や植民地での衛生権力も含め、医学進歩を無条件の善として扱えません。 - 1908年11月30日|高平・ルート協定成立
駐米大使高平小五郎と米国務長官ルートが交換公文に署名し、太平洋の現状維持と中国の門戸開放を確認しました。日露戦争後に高まった日米対立を一時的に緩和し、両国の植民地・勢力圏を相互に黙認しました。なお、フィリピン、日本の朝鮮支配、ハワイなど当事地域の住民は交渉に参加せず、大国間安定が植民地支配を固定した面があります。 - 1920年11月30日(大正9年11月30日)|京都赤旗事件
社会主義者らが京都で赤旗を掲げてデモを行い、警察との衝突で多数が検挙されました。米騒動後に広がる労働・社会主義運動と、それを警戒する国家の治安政策が衝突した事件となりました。なお、参加者側の行動だけを騒乱とみなすと、集会・表現の自由を制限した警察力と後の治安維持法へ続く弾圧構造が見えません。 - 1936年11月30日|水晶宮焼失
ロンドン南部へ移築されていた大展示施設クリスタル・パレスが大火でほぼ全焼しました。1851年万国博覧会以来の鉄とガラスの建築、帝国展示、大衆娯楽の象徴が失われ、近代建築保存の課題を残しました。なお、施設は技術革新だけでなく植民地産品と人間を展示する帝国文化の舞台であり、郷愁的再現ではその権力性を消してしまいます。 - 1939年11月30日|冬戦争開戦
ソ連軍がフィンランドへ侵攻し、国境安全保障と領土要求をめぐる冬戦争が始まりました。フィンランド軍は激しく抵抗しましたが領土を割譲し、ソ連は国際連盟から除名されました。なお、小国の抵抗を称えるだけで兵士・住民の死傷と避難を美化せず、ソ連の安全保障論が侵略を正当化しないことも明確にする必要があります。 - 1942年11月30日|ルンガ沖夜戦
ガダルカナル島沖で日本海軍の駆逐艦隊とアメリカ海軍の巡洋艦隊が夜間に交戦しました。日本側の魚雷攻撃で米巡洋艦に大損害を与えましたが、島への補給任務自体は十分達成できませんでした。なお、戦術的勝利を強調すると輸送戦略の失敗、沈没艦の乗員死亡、補給不足で飢えた地上部隊の悲劇が見えなくなります。 - 1943年11月30日|テヘラン会談で欧州上陸作戦を確認
米英ソ三首脳がフランスへの上陸作戦を翌年五月に実施し、ソ連も東部戦線で攻勢を合わせる方針を確認しました。東西からドイツを挟撃する連合国戦略を統一し、ノルマンディー上陸と欧州解放への道筋を具体化しました。なお、作戦は占領解放を進める一方で兵士・民間人の大量死と都市破壊を伴い、ポーランド国境など小国の将来は大国協議で左右されました。 - 1954年11月30日|ホッジス隕石落下
アメリカ・アラバマ州で隕石片が住宅の屋根を突き破り、室内にいたアン・ホッジスに当たって負傷させました。人が隕石の直撃を受けたことが詳しく確認された稀な例として、地球外物質と災害確率への関心を高めました。なお、所有権をめぐる争いと報道過熱が被害者の生活を圧迫し、珍事件として面白がるだけでは身体的・精神的負担を軽視します。 - 1966年11月30日|バルバドス独立
カリブ海のバルバドスがイギリスから独立し、アーロン・バロウを首相として主権国家になりました。議会制と教育制度を基盤に国際社会へ参加し、カリブ地域協力を進める節目となりました。なお、砂糖プランテーションと奴隷制が残した土地・所得格差、旧宗主国への経済依存は続き、独立式典だけで植民地的構造が解消したわけではありません。