
11月12日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢44名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】11月12日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、11月12日と一致する人物だけを掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1683年 | 松平忠雅 | 初代桑名藩主 |
| 1734年 | 小笠原貞顕 | 第3代小倉新田藩主 |
| 1762年 | 松平義裕 | 第6代高須藩主 |
| 1814年 | 水野忠央 | 第9代新宮藩主・幕末政治家 |
| 1842年 | 大山巌 | 陸軍軍人・元帥 |
| 1848年 | 益田孝 | 実業家・茶人・三井物産創業者 |
| 1887年 | 草間時光 | 官僚・政治家・俳人 |
| 1896年 | 牧野信一 | 小説家 |
| 1897年 | 宇野弘蔵 | 経済学者 |
| 1897年 | 内村祐之 | 精神医学者・野球組織運営者 |
| 1900年 | 池上鎌三 | 哲学者 |
| 1903年 | 木部シゲノ | 飛行家 |
| 1904年 | 安西正夫 | 実業家 |
| 1908年 | 倉光俊夫 | 小説家 |
| 1915年 | 串田孫一 | 詩人・哲学者・随筆家 |
| 1915年 | 春日野八千代 | 宝塚歌劇団俳優 |
| 1918年 | 三浦道雄 | 政治家・実業家 |
| 1920年 | 鈴木道明 | 作詞家・作曲家 |
| 1925年 | 小宮康孝 | 染色家・人間国宝 |
| 1925年 | 観世寿夫 | 能楽師 |
| 1926年 | 八田恭昌 | ドイツ政治史学者 |
| 1927年 | 谷山豊 | 数学者 |
| 1929年 | 小林彰太郎 | 自動車評論家・編集者 |
| 1930年 | 俵孝太郎 | ニュースキャスター・政治評論家 |
| 1940年 | 枝川公一 | ノンフィクション作家・翻訳家 |
| 1946年 | とりいかずよし | 漫画家・教育者 |
※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。
【海外】11月12日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1729年 | ルイ・アントワーヌ・ド・ブーガンヴィル | フランスの探検家・数学者・軍人 |
| 1755年 | ゲルハルト・フォン・シャルンホルスト | プロイセンの軍制改革者 |
| 1817年 | バハーウッラー | ペルシア出身のバハイ教創始者 |
| 1833年 | アレクサンドル・ボロディン | ロシアの作曲家・化学者 |
| 1840年 | オーギュスト・ロダン | フランスの彫刻家 |
| 1866年 | 孫文 | 中国の革命家・政治家 |
| 1909年 | ラクシュミ・プラサド・デヴコタ | ネパールの詩人・劇作家 |
| 1910年 | 華羅庚 | 中国の数学者 |
| 1911年 | チャド・ヴァラー | イギリスの聖職者・いのちの電話設立者 |
| 1915年 | ロラン・バルト | フランスの思想家・記号学者 |
| 1917年 | ギュンター・シャック | ドイツの空軍軍人 |
| 1922年 | キム・ハンター | アメリカの俳優 |
| 1929年 | グレース・ケリー | アメリカの俳優・モナコ大公妃 |
| 1929年 | ミヒャエル・エンデ | ドイツの児童文学作家 |
| 1929年 | ピーター・ラモント | イギリスの映画美術監督 |
| 1933年 | ジャラル・タラバニ | イラクの政治家・大統領 |
| 1936年 | ルシア・ベルリン | アメリカの小説家 |
| 1939年 | ルチア・ポップ | スロバキア出身の声楽家 |
11月12日生まれの代表的な偉人
大山巌
- 生没年:1842年11月12日(天保13年10月10日)~1916年12月10日(大正5年12月10日)
- 国:日本
- 肩書き:陸軍軍人・元帥
薩摩藩に生まれ、戊辰戦争を経て欧州軍制を学び、明治政府が徴兵制と近代陸軍を整える時期に軍中枢へ進みました。陸軍卿、陸軍大臣を歴任し、日清戦争では第二軍司令官、日露戦争では満州軍総司令官として大規模な地上作戦を統率しました。日本陸軍の制度・指揮体系の形成に大きく関わり、薩摩閥を代表する軍事指導者として近代国家の対外戦争を方向付けました。一方、勝利の英雄像の陰で、朝鮮・中国への侵略、兵士と民間人の大量死、軍部の政治的権威拡大へ責任を負い、近代化の功績と帝国主義を切り離せません。
益田孝
- 生没年:1848年11月12日(嘉永元年10月17日)~1938年12月28日(昭和13年12月28日)
- 国:日本
- 肩書き:実業家・茶人
佐渡奉行所役人の家に生まれ、幕府使節への随行で欧米を見た後、明治初期の官営事業と民間商社形成に関わりました。三井物産を創業して直輸出入、海外支店、情報網を拡大し、『中外物価新報』を創刊して商業情報の流通も整えました。総合商社の原型をつくり、日本企業の国際取引と近代経営を推進する一方、鈍翁の号で近代茶道と美術収集にも影響しました。一方、三井の成長は政商関係、植民地市場、戦争物資取引と結び付き、美術収集も旧家からの文化財移動を促したため、経営手腕と資本集中の問題を併せて見る必要があります。
牧野信一
- 生没年:1896年11月12日(明治29年11月12日)~1936年3月24日(昭和11年3月24日)
- 国:日本
- 肩書き:小説家
神奈川県小田原に生まれ、私小説とモダニズムが交差した大正・昭和初期に、家族、郷里、文学者としての自意識を素材に執筆しました。初期の私小説的作品から、幻想、ギリシャ神話、地方風景を混ぜた『村のストア派』『ゼーロン』など独自の抒情的・諧謔的世界へ進みました。自己告白を幻想へ変換する方法で昭和文学に異質な位置を占め、後代の作家による再評価を通じて私小説の可能性を広げました。一方、飲酒、精神的不調、家族関係の破綻の末に自死しており、作品を破滅型作家の伝説へ回収せず、病苦と周囲への負担を美化しない読みが必要です。
宇野弘蔵
- 生没年:1897年11月12日(明治30年11月12日)~1977年2月22日(昭和52年2月22日)
- 国:日本
- 肩書き:経済学者
岡山県に生まれ、ドイツ留学と東北帝国大学勤務を経て、資本主義と国家政策が大きく揺れた戦前・戦後にマルクス経済学を研究しました。経済学を原理論、発展段階論、現状分析の三段階に分け、『資本論』の論理を純粋な資本主義社会の運動として再構成しました。宇野学派と呼ばれる研究潮流を形成し、日本の経済史、農業論、世界資本主義論へ長く影響しました。一方、抽象的な純粋資本主義モデルは国家、植民地、家族内労働、ジェンダー、人種を外部化しやすく、現実の権力関係を理論の後段へ追いやる限界が批判されています。
谷山豊
- 生没年:1927年11月12日(昭和2年11月12日)~1958年11月17日(昭和33年11月17日)
- 国:日本
- 肩書き:数学者
埼玉県に生まれ、戦後日本の大学数学が国際研究へ復帰する時期に東京大学で整数論を学びました。楕円曲線とモジュラー形式の間に深い対応があるという着想を提示し、志村五郎との研究を通じて後に谷山・志村予想と呼ばれる方向を開きました。予想の重要部分はワイルズらによるフェルマーの最終定理の証明を可能にし、現代数論の中心的統一原理へ発展しました。一方、若くして自死したため貢献を天才の悲劇として神話化しやすく、予想の形成には志村を含む共同体の修正と発展が不可欠だったこと、本人の苦悩を美談化しないことが重要です。
ルイ・アントワーヌ・ド・ブーガンヴィル
- 生没年:1729年11月12日~1811年8月31日
- 国:フランス
- 肩書き:探検家・数学者・軍人
パリに生まれ、数学研究と外交・軍務を経て、欧州列強が太平洋航路と植民地獲得を競う十八世紀後半に航海を指揮しました。フランス人として初の世界周航を成し遂げ、タヒチや太平洋諸島の地理・自然・社会を旅行記で欧州へ紹介しました。航海記は科学的探検を促し、タヒチを自然で自由な社会とみなす思想的想像力にも影響しました。一方、探検は先住民の土地を列強の地図と主権へ組み込む植民地主義的行為であり、『高貴な野蛮人』像も現地社会の複雑さと女性の経験を歪めました。
バハーウッラー
- 生没年:1817年11月12日~1892年5月29日
- 国:ペルシア・オスマン帝国
- 肩書き:バハイ教創始者
テヘランの高官家庭に生まれ、宗教改革運動バーブ教への弾圧が続くカージャール朝で信徒共同体の指導者となりました。投獄と追放のなかで自らを神の新たな啓示者と宣言し、人類の一体性、宗教間の連続性、平和、男女の精神的平等を説く多数の書簡を著しました。バハイ教は世界各地へ広がり、国境と宗派を超える共同体、教育、国際協力を重視する近代宗教となりました。一方、教団史は信仰内部の聖人伝に依存しやすく、後継権威をめぐる分裂や性別による制度上の差、布教と地域文化の緊張も検討する必要があります。
アレクサンドル・ボロディン
- 生没年:1833年11月12日~1887年2月27日
- 国:ロシア帝国
- 肩書き:作曲家・化学者
サンクトペテルブルクに生まれ、医学と化学を専門職としながら、ロシア固有の国民音楽を模索する作曲家集団に参加しました。有機化学でアルデヒド反応などを研究しつつ、交響詩『中央アジアの草原にて』、弦楽四重奏曲、未完の歌劇『イーゴリ公』を作曲しました。科学者と芸術家の二つの職業を両立し、ロシア五人組の一員として民族的旋律と西欧形式を結ぶ音楽へ影響しました。一方、『イーゴリ公』は死後に同僚が補筆・編集しており単独作品とは言い切れず、中央アジア表象にも帝国ロシアが周辺民族を異国化する視線があります。
オーギュスト・ロダン
- 生没年:1840年11月12日~1917年11月17日
- 国:フランス
- 肩書き:彫刻家
パリの労働者階級の家庭に生まれ、美術学校の入試に落ちながら装飾職人として技術を磨き、写実と古典規範が争う時代に頭角を現しました。『青銅時代』『考える人』『地獄の門』『カレーの市民』で表面の揺らぎ、断片、身体の緊張を生かし、近代彫刻の表現を刷新しました。完成された英雄像ではなく制作過程と不安定な身体を見せ、二十世紀彫刻の自由な造形と作家像へ決定的な影響を与えました。一方、大工房の助手や鋳造職人、カミーユ・クローデルの創造的貢献がロダン個人の名声へ吸収され、女性モデルとの権力関係も天才神話の陰に置かれてきました。
孫文
- 生没年:1866年11月12日~1925年3月12日
- 国:中国
- 肩書き:革命家・政治家
広東省の農村に生まれ、ハワイと香港で教育を受け、清朝の危機と列強の侵略が深まるなかで革命運動を組織しました。興中会、同盟会を率いて共和革命を唱え、辛亥革命後に臨時大総統となり、民族・民権・民生の三民主義を政治綱領として示しました。清朝を終わらせた共和国建設の象徴となり、中国大陸と台湾の双方で近代国家の父として位置付けられました。一方、軍閥との提携や党組織の中央集権化、民族主義の曖昧さを抱え、本人の構想と後の国民党・共産党による正統化を区別して評価する必要があります。
ロラン・バルト
- 生没年:1915年11月12日~1980年3月26日
- 国:フランス
- 肩書き:思想家・記号学者
ノルマンディーに生まれ、結核療養で正規の大学経歴から外れながら、戦後フランスで文学、言語、消費社会を横断して批評しました。『零度のエクリチュール』『神話作用』『S/Z』で文章、広告、料理、ファッションを記号体系として分析し、『作者の死』で意味の権威を読者側へ開きました。構造主義からポスト構造主義への転換を代表し、文学研究、メディア論、文化研究の対象と方法を大きく拡張しました。一方、自由な断章形式は検証可能な歴史分析を弱めることがあり、西欧の知的記号を普遍化する傾向や、作者概念を否定しながら本人の権威が強まった逆説もあります。
ミヒャエル・エンデ
- 生没年:1929年11月12日~1995年8月28日
- 国:ドイツ
- 肩書き:児童文学作家
バイエルンの画家家庭に生まれ、ナチ体制が父の作品を退廃芸術として排斥した経験と戦争を経て、俳優・劇作家から児童文学へ進みました。『モモ』で時間を奪う効率社会を、『はてしない物語』で想像力と自己認識の危機を描き、子どもと大人の双方に読まれる物語を創作しました。幻想文学を現実逃避ではなく経済、消費、教育を問い直す思想的形式として広め、世界各国の児童文学と舞台・映像へ影響しました。一方、善悪の寓意が社会構造を単純化するとの批判があり、映画化をめぐる対立も、作品の商業利用と作者が意味を統制しようとする権利の緊張を示します。
グレース・ケリー
- 生没年:1929年11月12日~1982年9月14日
- 国:アメリカ・モナコ
- 肩書き:俳優・モナコ大公妃
フィラデルフィアの富裕な家庭に生まれ、舞台とテレビを経て、スタジオ制度末期のハリウッドで映画俳優となりました。『真昼の決闘』『裏窓』『喝采』などで抑制された表情と緊張を演じ、アカデミー主演女優賞を受賞した後、モナコ大公レーニエ3世と結婚して引退しました。短い映画歴ながらヒッチコック作品の女性像と二十世紀ファッションの象徴となり、王室と映画スターを結ぶ国際的メディア文化を形成しました。一方、結婚を童話として消費する報道は本人の職業断念と公的役割の制約を隠し、上流階級的な白人女性像が美の標準として反復された点にも注意が必要です。
11月12日に起きた歴史的な出来事
- 1793年11月12日|ジャン=シルヴァン・バイイ処刑
フランス革命初期にパリ市長を務めた天文学者バイイが、シャン・ド・マルス虐殺への責任を問われギロチンで処刑されました。穏健な立憲派から急進化した革命政府の敵へ転落した経過は、革命期の政治的正統性と報復の急変を示します。なお、市民への発砲責任は重い一方、裁判は恐怖政治下で公正さを欠き、科学者としての功績を政治的殉教だけに回収することもできません。 - 1893年11月12日|デュアランド・ライン協定
英領インド政府とアフガニスタン王国が、両者の勢力圏を区切る境界線について協定しました。現在のアフガニスタンとパキスタンの国境の基礎となり、南アジアの安全保障と国家形成へ長期的影響を残しました。なお、線はパシュトゥーン人の居住域を分断し、植民地権力が現地住民の意思を十分に反映せず引いたため、紛争と越境問題の原因となりました。 - 1918年11月12日|オーストリア共和国宣言
ハプスブルク帝国の敗戦と皇帝カール1世の政務放棄を受け、ウィーンの国民議会が共和国成立を宣言しました。多民族帝国から小規模な国民国家へ移る出発点となり、普通選挙と議会制を制度化する道を開きました。なお、領土縮小、食糧難、民族対立と経済危機が続き、新共和国も後に権威主義とナチス併合を防げなかった限界があります。 - 1921年11月12日|ワシントン会議開会
アメリカが海軍軍縮と東アジア・太平洋秩序を協議する国際会議をワシントンで開き、主要列強が参加しました。主力艦保有比率、太平洋の現状、中国の門戸開放を条約化し、第一次世界大戦後の軍拡を一時抑えました。なお、植民地支配そのものは維持され、中国の主権も十分に回復せず、比率への不満と条約外兵器の競争が後の対立を残しました。 - 1926年11月12日(大正15年11月12日)|福岡連隊差別事件で水平社幹部検挙
被差別部落出身兵への差別をめぐる抗議運動に対し、警察が全国水平社の幹部を一斉に検挙しました。軍隊内部にも身分差別が残ることを可視化し、水平社運動が国家機関へ平等を要求した重要な事件となりました。なお、当局は軍の威信と秩序を優先して抗議側を弾圧し、被害兵士の経験と制度的差別を治安問題へ置き換えました。 - 1933年11月12日|第一次東トルキスタン共和国独立宣言
新疆南西部カシュガルでウイグル人らの勢力が、中国側の軍閥支配へ反発してイスラーム共和国の成立を宣言しました。短命ながらウイグル民族運動と新疆の自治・独立要求の歴史的象徴となり、中央アジア国際政治にも影響しました。なお、内部対立、周辺国の介入、宗教・民族の排他性があり、現在の政治的立場から一枚岩の民族国家として遡及的に描くことは危険です。 - 1933年11月12日|ナチ党単独のドイツ国会選挙
ナチ政権が他政党を禁止した状態で国会選挙と国際連盟脱退の国民投票を行い、ナチ党の統一名簿だけを提示しました。選挙の形式を独裁の承認に利用し、一党国家と総統支配の制度的外観を整えました。なお、投票は秘密と自由を欠き、反対者への暴力と宣伝に支配されていたため、高い賛成率を国民の自発的総意とみなせません。 - 1936年11月12日|サンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジ開通
サンフランシスコ湾を横断して二都市を結ぶ長大橋が開通し、自動車と鉄道の大規模交通路となりました。湾岸地域の通勤、物流、都市拡大を促し、世界恐慌期の巨大公共事業と橋梁技術を象徴しました。なお、建設労働の危険、周辺地域の立ち退き、自動車依存と環境負荷を伴い、後の地震被害は設計と更新の継続的責任も示しました。 - 1942年11月12日|第三次ソロモン海戦開始
日本軍のガダルカナル増援を阻止するため、連合軍と日本海軍が同島周辺で複数日にわたる激しい海空戦を始めました。日本側輸送の失敗と艦艇損失はガダルカナル戦の主導権を連合軍へ移し、太平洋戦争の転換を加速しました。なお、戦略的勝敗の説明だけでなく、多数の水兵、飛行兵、輸送船員が夜戦と沈没で死亡し、島民も占領と戦闘に巻き込まれました。 - 1944年11月12日|戦艦ティルピッツ沈没
ノルウェー北部に停泊していたドイツ戦艦ティルピッツをイギリス空軍が大型爆弾で攻撃し、転覆・沈没させました。北極海輸送船団を脅かした大型艦を排除し、連合軍が航空優勢で海軍戦力を無力化した例となりました。なお、艦内で千人前後が死亡し、周辺地域も軍事化されたため、兵器撃破の技術的成功だけで人的損失を背景化できません。 - 1945年11月12日(昭和20年11月12日)|二又トンネル爆発事故
福岡県添田町で旧日本軍の火薬を処理中に大爆発が起き、周辺集落まで破壊され百四十七人が死亡しました。敗戦後の武器処理と占領軍管理の危険を示し、軍需施設の情報共有、保安、住民保護の欠如を問う惨事となりました。なお、事故は米軍と日本側作業者の責任関係が曖昧なまま処理され、住民の補償と記憶も戦後復興の陰に置かれました。 - 1948年11月12日(昭和23年11月12日)|極東国際軍事裁判判決
東京裁判で東條英機ら被告に有罪判決が言い渡され、七人に絞首刑、十六人に終身禁錮などが科されました。日本の侵略戦争と指導者責任を国際法廷で裁き、戦後の戦争責任認識と国際刑事法へ大きな影響を与えました。なお、勝者による裁判という手続批判、植民地支配や空襲・原爆を裁かなかった選択性、天皇責任を問わなかった政治判断が残ります。 - 1955年11月12日|西ドイツ連邦軍発足
冷戦の激化を受け、西ドイツが北大西洋条約機構の枠内で新たな軍隊である連邦軍を正式に発足させました。ナチ敗戦後の非軍事化方針を転換し、文民統制と『制服を着た市民』を掲げる再軍備を進めました。なお、旧国防軍出身者の登用と過去の継承が問題となり、東西対立がドイツ分断と核戦争の危険を強めました。 - 1969年11月12日|ソンミ村虐殺報道
調査報道記者シーモア・ハーシュが、前年に米軍部隊がベトナムのソンミ村で多数の民間人を殺害した事実を公表しました。軍が隠蔽した戦争犯罪を世界へ知らせ、ベトナム反戦世論、軍事司法、報道の権力監視へ大きな影響を与えました。なお、一部兵士だけの逸脱として処理すると、作戦方針、人種化された敵視、指揮系統の責任と被害者の声が見えなくなります。 - 1970年11月12日|ボーラ・サイクロン上陸
巨大サイクロンが東パキスタンの低地と島々を高潮で襲い、数十万人が死亡する二十世紀最大級の自然災害となりました。中央政府の救援遅延への怒りがベンガル民族運動を強め、翌年のバングラデシュ独立へ向かう政治的転機となりました。なお、自然現象だけでなく貧困、堤防・警報不足、地域差別が死者を増やし、犠牲者数にも大きな幅がある点を明示すべきです。 - 1980年11月12日|ボイジャー1号が土星へ最接近
NASAの無人探査機ボイジャー1号が土星へ接近し、環、衛星、大気を高解像度で観測しました。タイタンに厚い大気があることを確かめ、多数の衛星・環構造の知見を更新して外惑星科学を飛躍させました。なお、接近経路の選択で天王星・海王星へ向かう機会を失い、宇宙開発の成果も巨額費用と惑星保護の責任を伴います。 - 1991年11月12日|サンタクルス事件
インドネシア占領下の東ティモールで独立を求める葬列・デモへ国軍が発砲し、多数の市民を殺害しました。映像と証言が国外へ持ち出され、占領の実態と人権侵害を国際社会へ知らせ、独立支持を拡大しました。なお、犠牲者数は弾圧と失踪のため確定せず、武器供与国と国際社会が長く占領を黙認した責任も事件から切り離せません。