
11月5日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢46名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】11月5日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、11月5日と一致する人物だけを掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1662年 | 織田長清 | 戒重藩第4代・芝村藩初代藩主 |
| 1680年 | 太宰春台 | 儒学者・経世思想家 |
| 1755年 | 酒井忠徳 | 庄内藩第5代藩主 |
| 1772年 | 浅野斉賢 | 広島藩第8代藩主 |
| 1853年 | 後藤牧太 | 物理教育者 |
| 1861年 | 池辺義象 | 国文学者・歌人 |
| 1867年 | 頼母木桂吉 | 政治家・実業家・逓信大臣 |
| 1868年 | 西村陸奥夫 | 官僚・佐賀県知事 |
| 1870年 | 牧野忠篤 | 政治家・初代長岡市長 |
| 1871年 | 幸徳秋水 | 思想家・ジャーナリスト |
| 1874年 | 市村羽左衛門(15代目) | 歌舞伎俳優 |
| 1885年 | 石川一郎 | 実業家・経済団体連合会初代会長 |
| 1888年 | 宍戸左行 | 漫画家 |
| 1888年 | 林家正蔵(6代目) | 落語家 |
| 1890年 | 矢代幸雄 | 美術史家・美術評論家 |
| 1890年 | 永瀬寅吉 | 実業家・川口市長 |
| 1891年 | 加藤信 | 囲碁棋士 |
| 1897年 | 木村亀二 | 刑法学者 |
| 1898年 | 平野力三 | 農民運動家・政治家 |
| 1898年 | 片山敏彦 | 詩人・翻訳家・文学研究者 |
| 1905年 | 具島兼三郎 | 国際政治学者 |
| 1905年 | 入江泰吉 | 写真家 |
| 1905年 | 玉川一郎 | 小説家 |
| 1906年 | 森鹿三 | 東洋史学者 |
| 1907年 | 増淵恒吉 | 国語教育者・国文学者 |
| 1908年 | 長谷川重三郎 | 銀行家・第一銀行頭取 |
※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。
【海外】11月5日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1494年 | ハンス・ザックス | ドイツの職匠歌人・劇作家 |
| 1615年 | イブラヒム | オスマン帝国第18代皇帝 |
| 1810年 | アルフォンソ・タフト | アメリカの司法長官・陸軍長官 |
| 1850年 | エラ・ウィーラー・ウィルコックス | アメリカの詩人・作家 |
| 1854年 | ポール・サバティエ | フランスの化学者 |
| 1855年 | レオン・ティスラン・ド・ボール | フランスの気象学者 |
| 1855年 | ユージン・V・デブス | アメリカの労働運動家・政治家 |
| 1857年 | イーダ・ターベル | アメリカの調査報道記者 |
| 1885年 | ウィル・デュラント | アメリカの歴史家・哲学者 |
| 1892年 | J・B・S・ホールデン | イギリス出身の遺伝学者 |
| 1893年 | レイモンド・ローウィ | フランス出身の工業デザイナー |
| 1894年 | ハロルド・イニス | カナダの経済史家・メディア研究者 |
| 1895年 | ヴァルター・ギーゼキング | フランス生まれのピアニスト |
| 1906年 | フレッド・ホイップル | アメリカの天文学者 |
| 1911年 | ドナルド・カースト | アメリカの物理学者 |
| 1911年 | ロイ・ロジャース | アメリカの俳優・歌手 |
| 1913年 | ヴィヴィアン・リー | イギリスの俳優 |
| 1920年 | ダグラス・ノース | アメリカの経済史家 |
| 1921年 | バーナード・ラウン | リトアニア出身の心臓病学者・平和運動家 |
| 1943年 | サム・シェパード | アメリカの劇作家・俳優 |
11月5日生まれの代表的な偉人
太宰春台
- 生没年:1680年11月5日(延宝8年9月14日)~1747年7月7日(延享4年5月30日)
- 国:日本
- 肩書き:儒学者・経世思想家
信濃に生まれ、荻生徂徠に学び、幕藩体制が財政難と商品経済の拡大に直面した江戸中期に儒学と政治経済を論じました。『経済録』で武士も生産と流通の現実を理解すべきだと説き、古代制度の研究を現実の国家運営へ結び付けました。経世論の展開に影響し、儒学を道徳修養だけでなく財政・制度を考える実践知として扱う道を広げました。一方、身分秩序と農本主義を前提にした議論には限界があり、商業への洞察も庶民の生活や女性の労働を政策主体として捉えるものではありませんでした。
幸徳秋水
- 生没年:1871年11月5日(明治4年9月23日)~1911年1月24日(明治44年1月24日)
- 国:日本
- 肩書き:思想家・ジャーナリスト
高知県に生まれ、自由民権運動の影響を受け、日清・日露戦争と帝国主義が進む明治後期に新聞人として活動しました。『廿世紀之怪物帝国主義』で戦争と資本の結び付きを批判し、『平民新聞』を通じて社会主義、反戦論、のちに無政府主義を広めました。大逆事件で処刑されたことは国家による思想弾圧の象徴となり、戦後の人権・言論史研究へ大きな問題を残しました。一方、思想の急進化や運動内部の対立も検討が必要であり、事件関係者を一括して有罪とした裁判の不公正と、本人の実際の計画関与は史料に即して区別すべきです。
矢代幸雄
- 生没年:1890年11月5日(明治23年11月5日)~1975年5月25日(昭和50年5月25日)
- 国:日本
- 肩書き:美術史家・美術評論家
横浜に生まれ、東京帝国大学で学んだ後、欧州留学を通じて比較図版と様式分析を用いる近代美術史研究を身につけました。英文の大著『サンドロ・ボッティチェリ』で国際的評価を得て、美術研究所の整備、大和文華館の創設と収集に尽力しました。西洋美術史の方法を日本・東洋美術研究へ導入し、文化財の写真記録、目録化、公開を進める制度的基盤を築きました。一方、欧米の価値尺度で東洋美術を序列化する危険や、富裕な収集家との関係、専門家による価値決定の閉鎖性があり、方法の移植自体も批判的に見る必要があります。
入江泰吉
- 生没年:1905年11月5日(明治38年11月5日)~1992年1月16日(平成4年1月16日)
- 国:日本
- 肩書き:写真家
奈良に生まれ、大阪で写真店を営んでいましたが、空襲で仕事場を失い、戦後は故郷の文化財と風景の撮影へ転じました。大和路の寺院、仏像、行事、季節の光を長期にわたり記録し、『古色大和路』『萬葉大和路』『花大和』などを刊行しました。約八万点の作品は奈良の文化財記録であると同時に、戦後日本人が抱いた古都のイメージを形成し、写真専門美術館の設立へつながりました。一方、電柱や現代建築を画面から排した作風は美的統一を生む一方、生活の現実を消して「永遠の奈良」を構成したため、記録性と演出性を分けて読む必要があります。
ハンス・ザックス
- 生没年:1494年11月5日~1576年1月19日
- 国:ドイツ
- 肩書き:職匠歌人・劇作家
ニュルンベルクの靴職人として働きながら、都市職人が詩歌を競うマイスタージンガーの伝統を受け継ぎ、宗教改革期を生きました。数千の歌、謝肉祭劇、教訓詩を作り、ルターを支持する作品によって新しい宗教思想を都市の民衆へ伝えました。職人文化と文字文学を結び、後にワーグナーの楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の中心人物として再評価されました。一方、宗教的論争のなかでカトリック側を一面的に攻撃した作品もあり、十九世紀の国民主義が彼を理想的なドイツ市民像へ作り替えた点にも注意が必要です。
ポール・サバティエ
- 生没年:1854年11月5日~1941年8月14日
- 国:フランス
- 肩書き:化学者
カルカソンヌに生まれ、有機化学工業が急速に拡大した十九世紀末から金属触媒の働きを研究しました。微細なニッケルなどを用いて有機化合物へ水素を付加する触媒的水素化法を確立し、反応条件と触媒作用を体系化しました。油脂加工、燃料、医薬品製造へ広く応用され、1912年にグリニャールとノーベル化学賞を分け合い、触媒化学の基礎を築きました。一方、工業的水素化は食品のトランス脂肪酸や高圧工程の危険とも結び付き、共同研究者ジャン=バティスト・サンドランの貢献が過小評価されがちな点も重要です。
ユージン・V・デブス
- 生没年:1855年11月5日~1926年10月20日
- 国:アメリカ
- 肩書き:労働運動家・政治家
インディアナ州の鉄道員から労働組合運動へ入り、急速な工業化と企業集中で労使対立が激化した時代に全国組織を築きました。アメリカ鉄道組合を率い、社会党の大統領候補として五度出馬し、第一次世界大戦への反対演説によって投獄されながら獄中選挙を戦いました。労働者の政治参加、言論の自由、反戦運動の象徴となり、二大政党外から格差を争点化する伝統へ影響しました。一方、初期には中国系移民排斥に同調する発言もあり、白人男性労働者を中心とする組織の限界を抱えたため、平等主義の発展過程を無批判に英雄化できません。
イーダ・ターベル
- 生没年:1857年11月5日~1944年1月6日
- 国:アメリカ
- 肩書き:調査報道記者
ペンシルベニアの石油地域に生まれ、巨大企業が市場と政治を支配した革新主義時代に雑誌記者として活動しました。綿密な企業資料と聞き取りに基づく『スタンダード・オイルの歴史』で、同社の価格操作、鉄道優遇、競争排除を明らかにしました。連載は反トラスト世論を強め、長期調査と物語性を組み合わせるマックレーカー報道の代表例として現代ジャーナリズムへ影響しました。一方、一方で女性参政権運動には距離を置き、伝統的な性別役割を支持したため、女性記者の先駆者という評価と本人の保守的なジェンダー観は分けて考える必要があります。
ウィル・デュラント
- 生没年:1885年11月5日~1981年11月7日
- 国:アメリカ
- 肩書き:歴史家・哲学者
マサチューセッツ州に生まれ、大学外の成人教育に携わりながら、専門知を一般読者へ開く歴史叙述を志しました。妻アリエルと協力して全十一巻の『文明の物語』を著し、政治だけでなく思想、宗教、芸術、日常生活を横断する通史を提示しました。大部の世界史を読みやすい物語として普及させ、歴史書を公共教育と結び付けた功績でピュリツァー賞を受けました。一方、広い範囲を一つの文明発展物語にまとめたため西洋中心・偉人中心の傾向が強く、妻の共同執筆が夫の名声の陰に隠れた点にも注意が必要です。
J・B・S・ホールデン
- 生没年:1892年11月5日~1964年12月1日
- 国:イギリス・インド
- 肩書き:遺伝学者・進化生物学者
オックスフォードの科学者家庭に生まれ、メンデル遺伝学とダーウィン進化論を統合する二十世紀生物学の形成期に研究しました。突然変異、自然選択、遺伝子頻度の変化を数理モデルで示し、集団遺伝学と現代進化総合説の土台を築きました。生理学、優生学批判、科学普及にも関わり、晩年はインドへ移住して研究教育を続け、科学と社会を結ぶ論客となりました。一方、共産主義への接近とソ連のルイセンコ説への対応には批判があり、初期の優生学的言説や人体実験的な自己実験の倫理も現在の基準から検討が必要です。
レイモンド・ローウィ
- 生没年:1893年11月5日~1986年7月14日
- 国:フランス・アメリカ
- 肩書き:工業デザイナー
パリに生まれ、第一次世界大戦後に渡米し、大量生産品が家庭生活と企業イメージを変える時代にデザイン事務所を築きました。冷蔵庫、鉄道機関車、乗用車、企業ロゴから宇宙船内部までを手がけ、流線形と使いやすさを結ぶ造形を広めました。工業デザインを製品の販売戦略と生活文化の中心へ押し上げ、「最も先進的だが受け入れ可能」という考え方を普及させました。一方、名義の下で多数のスタッフが制作したため個人天才像は実態を隠しやすく、消費を刺激するデザインが大量廃棄や企業支配を促した側面もあります。
ハロルド・イニス
- 生没年:1894年11月5日~1952年11月8日
- 国:カナダ
- 肩書き:経済史家・メディア研究者
オンタリオ州に生まれ、第一次世界大戦従軍後、広大なカナダの経済と帝国関係を交通・資源から分析しました。毛皮、魚、木材などの主要産品が国家形成を方向付けるステープル理論を提示し、晩年には媒体の時間・空間的偏りを論じました。カナダ独自の経済史学を築き、権力と通信技術を結ぶ視点はマクルーハンをはじめ後のメディア研究へ大きく影響しました。一方、主要産品中心の説明は先住民の主体性、家族労働、環境破壊を周辺化しやすく、文明を媒体の性質だけで決定する読み方には慎重さが必要です。
フレッド・ホイップル
- 生没年:1906年11月5日~2004年8月30日
- 国:アメリカ
- 肩書き:天文学者
アイオワ州に生まれ、写真観測からレーダー、宇宙探査へ天文学の手段が拡大する時代に流星と彗星を研究しました。彗星核を氷と塵の混合物とみなす「汚れた雪玉」モデルを提案し、彗星が太陽へ近づく際のガス放出と軌道変化を説明しました。後の探査機観測で基本像が支持され、彗星科学、流星観測、人工衛星追跡網の整備へ長期的な影響を与えました。一方、単純な雪玉像は多孔質構造や複雑な有機物を十分表さず、現代研究では改訂されており、発見物語を一つの比喩で固定しないことが大切です。
11月5日に起きた歴史的な出来事
- 1757年11月5日|ロスバッハの戦い
七年戦争中、プロイセン軍がフランス・神聖ローマ帝国連合軍を機動戦で破り、劣勢を覆しました。フリードリヒ2世の軍事的名声を高め、中央ヨーロッパの勢力均衡とプロイセン国家の台頭を支えました。なお、戦術的勝利の称賛は徴兵された兵士の大量死や略奪、戦争が地域住民へ与えた負担を見えにくくします。 - 1838年11月5日|ホンジュラスが中米連邦から分離
独立後の中央アメリカ諸国を統合していた中米連邦からホンジュラスが離脱し、連邦解体が決定的となりました。現在の中米諸国の国境と主権国家体制が固まる過程の一段階となりました。なお、地方エリートの対立と内戦を背景にした分離であり、統合理念の挫折は貿易・安全保障の弱さと政治的不安定を長く残しました。 - 1854年11月5日|インカーマンの戦い
クリミア戦争でロシア軍がセヴァストポリ包囲中の英仏軍を攻撃しましたが、激戦の末に撃退されました。連合軍の包囲継続を可能にし、近代的な補給、通信、従軍看護の必要性を浮き彫りにしました。なお、霧の中の接近戦で双方に多数の死傷者が出ており、勇敢さの物語だけで指揮の混乱や兵站不足を覆うべきではありません。 - 1886年11月5日(明治19年11月5日)|伊勢屋丹治呉服店創業
小菅丹治が東京・神田に呉服店を開き、後の百貨店伊勢丹へつながる商業事業が始まりました。都市消費の拡大に合わせて品ぞろえ、広告、店舗空間を革新し、日本の近代小売業の発展を支えました。なお、百貨店文化は利便性を高める一方、小商店との競争、女性販売員の労働管理、大量消費の促進という問題も伴いました。 - 1889年11月5日|パリの自由の女神像除幕
ニューヨーク像の返礼として在仏アメリカ人が贈った自由の女神像が、セーヌ川の白鳥の島で除幕されました。仏米友好と共和政の自由理念を可視化し、同一の象徴が大西洋両岸を結ぶ記念物となりました。なお、植民地支配、人種差別、女性の政治参加制限と並存した自由であり、記念像の理念と当時の現実の隔たりを検討する必要があります。 - 1895年11月5日(明治28年11月5日)|日伯修好通商航海条約調印
パリで日本とブラジルの外交代表が条約に調印し、両国が正式な外交関係を樹立しました。後の日本人移住、貿易、世界最大の日系社会形成へ制度的な道を開きました。なお、移住者は農園労働の厳しい契約と差別に直面し、関係史を友好だけでなく移民政策と労働搾取の面からも見る必要があります。 - 1911年11月5日(明治44年11月5日)|總持寺が鶴見へ移転
能登の旧伽藍を火災で失った曹洞宗大本山總持寺が横浜市鶴見へ移り、遷祖式を行いました。首都圏に大規模な宗教・教育拠点を築き、近代都市社会における教団組織の再編を象徴しました。なお、移転は災害復興である一方、旧所在地との関係や土地取得、巨大寺院の資源集中をめぐる地域的影響も考慮が必要です。 - 1930年11月5日(昭和5年11月5日)|大原美術館開館
実業家大原孫三郎が倉敷に収集品を公開する大原美術館を開き、日本初の本格的な私立西洋美術館となりました。地方都市で西洋近代美術へ触れる機会を生み、民間による文化事業と地域振興の先例となりました。なお、コレクションは企業家の富と個人的判断に依存し、作品取得の来歴や企業労働が生んだ資本との関係も検討しなければなりません。 - 1937年11月5日|ホスバッハ覚書の会議
ヒトラーが軍首脳らへ領土拡張と戦争の構想を示した秘密会議の内容が、後にホスバッハ覚書として記録されました。ナチ政権がオーストリア、チェコスロバキアなどへの侵略を視野に入れていたことを示す重要史料となりました。なお、覚書は逐語記録ではなく後日の要約で解釈論争がありますが、侵略政策と軍・官僚エリートの協力責任を軽くする根拠にはなりません。 - 1940年11月5日|ルーズベルトが米大統領三選
フランクリン・D・ルーズベルトが大統領選挙に勝利し、アメリカ史上初めて三期目の当選を果たしました。第二次世界大戦下の指導継続を可能にし、後の大統領任期を二期に制限する憲法修正へ影響しました。なお、ニューディールの成果と同時に、日系人強制収容へ至る政権の人種差別的政策や行政権拡大も評価から外せません。 - 1941年11月5日(昭和16年11月5日)|御前会議が対米開戦方針を決定
日本政府は対米交渉の期限を定め、妥結しなければ十二月初旬に武力行使へ移る帝国国策遂行要領を決定しました。真珠湾攻撃と太平洋戦争へ進む政策過程の決定的段階となり、外交と軍事準備が同時進行しました。なお、指導部は長期戦の資源不足を認識しながら開戦を選び、アジア太平洋各地の軍民に甚大な被害をもたらした責任があります。 - 1943年11月5日(昭和18年11月5日)|大東亜会議開催
日本が占領・影響下のアジア諸地域の代表を東京へ集め、大東亜共同宣言を採択する会議を開きました。反植民地主義と民族独立を掲げ、戦後の独立運動へ利用された言説を残しました。なお、実態は日本の戦争遂行と占領統治を正当化する宣伝性が強く、代表性の限定、資源収奪、強制労働、住民被害を覆い隠しました。 - 1952年11月5日|セヴェロクリリスク津波
カムチャツカ半島沖の巨大地震で津波が千島列島北部を襲い、セヴェロクリリスクの市街地が壊滅しました。ソ連における津波警報制度整備を促し、太平洋全域での地震・津波観測の重要性を示しました。なお、死者数は長く国家機密とされ記録に幅があり、情報統制が避難と被害検証を妨げた点を忘れてはなりません。 - 1956年11月5日|英仏軍がポートサイドへ上陸
スエズ危機でイギリスとフランスの部隊がエジプトのポートサイドへ上陸し、運河支配を取り戻そうとしました。米ソ両国と国連の圧力で撤退へ追い込まれ、旧欧州帝国の国際的影響力低下を象徴しました。なお、軍事行動と空爆で民間人を含む死傷者が出ており、イスラエルとの秘密協定を用いた侵略としての責任も重要です。 - 1966年11月5日(昭和41年11月5日)|トヨタ・カローラ発売
トヨタ自動車が大衆向け乗用車カローラを発売し、所得向上と道路整備を背景に自家用車市場を拡大しました。長期にわたる世界的量販車となり、日本の自動車産業、輸出、郊外型生活の成長を象徴しました。なお、モータリゼーションは交通事故、大気汚染、都市の自動車依存を深刻化させ、生産現場の労働負担も含めて成功を評価する必要があります。 - 1969年11月5日(昭和44年11月5日)|大菩薩峠事件
武装蜂起訓練を計画していた赤軍派の学生らが山梨県の山小屋で警察に一斉検挙されました。新左翼運動が議会外闘争から武装闘争へ急進化した転機となり、のちの連合赤軍や海外活動へつながりました。なお、国家側の取締りだけでなく、運動内部の暴力、集団同調、若者の孤立が重大事件を生んだ過程を検証する必要があります。