
10月24日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢42名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】10月24日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、10月24日と一致する人物だけを掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1726年 | 松前資広 | 松前藩主 |
| 1829年 | 武市瑞山 | 土佐勤王党盟主・剣客 |
| 1846年 | 雨宮敬次郎 | 実業家・鉄道事業者 |
| 1869年 | 矢橋賢吉 | 建築家・官僚 |
| 1871年 | 鈴木達治 | 教育者・横浜高等工業学校校長 |
| 1877年 | 河井彌八 | 官僚・参議院議長 |
| 1878年 | 田村鎮 | 建築家 |
| 1891年 | 岡田完二郎 | 実業家・富士通社長 |
| 1892年 | 日名子実三 | 彫刻家 |
| 1895年 | 奥むめお | 婦人運動家・政治家 |
| 1897年 | 三島一 | 東洋史学者 |
| 1901年 | 松前重義 | 逓信官僚・教育者 |
| 1902年 | 木村四郎七 | 外交官 |
| 1916年 | 大塚正士 | 実業家・大塚グループ総帥 |
| 1917年 | 遠山あき | 作家 |
| 1932年 | 佐藤道夫 | 検察官・政治家 |
| 1933年 | 渡辺淳一 | 小説家・医師 |
| 1933年 | 上田五千石 | 俳人 |
| 1937年 | 小林カツ代 | 料理研究家 |
| 1941年 | 岡田武夫 | カトリック聖職者・大司教 |
| 1947年 | 喜多條忠 | 作詞家 |
| 1948年 | 近藤誠 | 医師・医学評論家 |
※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。
【海外】10月24日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 51年 | ドミティアヌス | ローマ皇帝 |
| 1435年 | アンドレア・デッラ・ロッビア | イタリアの彫刻家 |
| 1632年 | アントニ・ファン・レーウェンフック | オランダの顕微鏡観察者 |
| 1804年 | ヴィルヘルム・ヴェーバー | ドイツの物理学者 |
| 1817年 | イポリット・メージュ=ムーリエ | フランスの化学者・発明家 |
| 1820年 | ウジェーヌ・フロマンタン | フランスの画家・作家 |
| 1855年 | ジェームズ・S・シャーマン | アメリカの副大統領 |
| 1862年 | ダニエル・スワロフスキー | オーストリアの実業家・発明家 |
| 1863年 | アウグスト・ビア | ドイツの外科医 |
| 1875年 | パウル・ユオン | ロシア出身の作曲家 |
| 1886年 | セルゴ・オルジョニキーゼ | ソ連の政治家 |
| 1891年 | ラファエル・トルヒーヨ | ドミニカ共和国の独裁者 |
| 1907年 | ブルーノ・ムナーリ | イタリアの美術家・デザイナー |
| 1908年 | ジョン・ツゾー・ウィルソン | カナダの地球物理学者 |
| 1911年 | サニー・テリー | アメリカのブルース音楽家 |
| 1916年 | ピエール・サンカン | フランスの作曲家・ピアニスト |
| 1922年 | 毛岸英 | 中国の軍人・毛沢東の長男 |
| 1925年 | エドウィン・マクレラン | アメリカの日本文学研究者 |
| 1930年 | ヨハン・ガルトゥング | ノルウェーの平和学者 |
| 1931年 | ソフィア・グバイドゥーリナ | ロシア出身の作曲家 |
10月24日生まれの代表的な偉人
武市瑞山
- 生没年:1829年10月24日(文政12年9月27日)~1865年7月3日(慶応元年閏5月11日)
- 国:日本
- 肩書き:土佐勤王党盟主・剣客
土佐藩郷士の家に生まれ、剣術道場を開き、幕末に土佐勤王党を結成しました。尊王攘夷を掲げて藩政改革と朝廷政治への参加を目指し、一時は土佐藩の方針へ大きな影響を与えました。山内容堂による弾圧で投獄され、切腹を命じられた生涯は維新運動の象徴となりました。一方、政敵への暗殺を指示・容認した疑いがあり、目的の正しさで政治的暴力を免責できません。郷士差別への抵抗も、身分制全体や民衆の権利を廃する思想とは同じではありません。
雨宮敬次郎
- 生没年:1846年10月24日(弘化3年9月5日)~1911年1月20日(明治44年1月20日)
- 国:日本
- 肩書き:実業家・鉄道事業者
甲斐国の農家に生まれ、行商や投機を経て金融、製粉、電力、鉄道など多くの事業へ進出しました。甲武鉄道、川越鉄道、北海道炭礦鉄道などへ関与し、私鉄網と地方産業の形成を促しました。「天下の雨敬」と呼ばれ、明治期の企業家精神を体現しました。一方、投機的な買収と政商的な人脈には批判があり、事業の失敗や労働者への負担も小さくありません。鉄道開発を個人の先見性だけで語ると、土地提供者、技術者、現場労働者の役割が隠れます。
矢橋賢吉
- 生没年:1869年10月24日(明治2年9月20日)~1927年5月24日(昭和2年5月24日)
- 国:日本
- 肩書き:建築家・官僚
美濃国の家に生まれ、東京帝国大学造家学科を卒業し、官庁建築の設計・監督に携わりました。大蔵省臨時建築部などで国会議事堂建設計画を進め、コンペティションと近代的な設計組織の整備を担いました。赤坂離宮をはじめ国家施設の施工行政にも関わり、日本の公共建築制度へ影響しました。一方、議事堂完成前に亡くなり、最終的な建築を一人の作品とは呼べません。帝国国家の威信を表す官庁建築は、植民地統治と巨額の公費を背景にした点も見逃せません。
奥むめお
- 生没年:1895年10月24日(明治28年10月24日)~1997年7月7日(平成9年7月7日)
- 国:日本
- 肩書き:婦人運動家・政治家
福井県に生まれ、日本女子大学校で学んだ後、市川房枝、平塚らいてうと新婦人協会を結成しました。女性の政治参加、母性保護、消費者の生活改善を訴え、戦後は主婦連合会会長と参議院議員として物価・食品安全問題に取り組みました。「主婦」を社会的主体にした運動は消費者行政へ大きな影響を与えました。一方、母・妻としての女性像を基盤にしたため、未婚女性や働く女性の多様な立場を十分包摂しませんでした。優生保護をめぐる当時の運動の限界も批判的に検討すべきです。
松前重義
- 生没年:1901年10月24日(明治34年10月24日)~1991年8月25日(平成3年8月25日)
- 国:日本
- 肩書き:逓信官僚・教育者
熊本県に生まれ、東北帝国大学で電気工学を学び、逓信省技官として無装荷ケーブル通信方式を開発しました。戦時下に東条英機へ反対して召集を受けた経験を経て、戦後に東海大学を創設し、科学技術教育と国際交流を推進しました。柔道を通じた文化外交や世界平和運動にも関与しました。一方、抵抗者像は官僚として戦時通信政策を担った経歴を単純化しがちです。巨大な学校法人経営では創設者への権限集中や学園の自己神話化にも注意が必要です。
アントニ・ファン・レーウェンフック
- 生没年:1632年10月24日~1723年8月26日
- 国:オランダ
- 肩書き:顕微鏡観察者
デルフトの職人・商人家庭に生まれ、布地検査に用いるレンズ技術から高倍率の単式顕微鏡を自作しました。細菌、原生生物、精子、赤血球などを観察し、王立協会への書簡で肉眼では見えない生命世界を報告しました。微生物学と細胞観察の発展に決定的な入口を開きました。一方、観察結果は再現が難しく、秘密にしたレンズ製法と個人的技能に依存しました。「微生物の発見者」という単独称号は、フックら同時代人の顕微鏡研究と標本提供者の存在を見えにくくします。
ヴィルヘルム・ヴェーバー
- 生没年:1804年10月24日~1891年6月23日
- 国:ドイツ
- 肩書き:物理学者
ヴィッテンベルクの学者家庭に生まれ、ゲッティンゲン大学で物理学を教え、ガウスと地磁気研究を進めました。二人は初期の電信装置を製作し、ヴェーバーは電気力の精密測定と絶対単位系の確立に貢献しました。磁束のSI単位「ウェーバ」に名を残し、電磁気学の定量化を促しました。一方、彼の作用力理論は後にマクスウェルの場の理論に主流を譲りました。ガウスとの共同成果をどちらか一人へ帰属させず、測定器製作者と観測網の労働も含めて理解すべきです。
イポリット・メージュ=ムーリエ
- 生没年:1817年10月24日~1880年5月31日
- 国:フランス
- 肩書き:化学者・発明家
フランス南東部に生まれ、薬剤師として働きながら食品加工を研究しました。ナポレオン3世の安価なバター代用品募集に応じ、牛脂と乳を用いるオレオマーガリンを開発して特許を得ました。マーガリン産業は都市労働者と軍隊へ保存性の高い脂肪を供給し、食品工業化を進めました。一方、本人は事業化で大きな利益を得られず、製法は企業資本に利用されました。代用品への差別、表示偽装、動物性原料と後のトランス脂肪酸問題など、安価さだけでは測れない課題があります。
ラファエル・トルヒーヨ
- 生没年:1891年10月24日~1961年5月30日
- 国:ドミニカ共和国
- 肩書き:軍人・独裁者
サン・クリストバルの家庭に生まれ、米軍占領下で組織された国家警備隊から権力を伸ばしました。1930年に大統領となり、道路・産業整備を進める一方、軍、秘密警察、個人崇拝によって国家を私物化しました。三十年以上に及ぶ支配はカリブ海政治へ長い傷を残しました。とりわけ1937年のハイチ人虐殺、反対派暗殺、性暴力は近代化の成果で相殺できません。冷戦期に反共を理由として独裁を支えた米国など外国政府の責任も問われます。
ブルーノ・ムナーリ
- 生没年:1907年10月24日~1998年9月30日
- 国:イタリア
- 肩書き:美術家・デザイナー
ミラノに生まれ、未来派の活動から出発し、彫刻、グラフィック、絵本、工業デザインを横断しました。「役に立たない機械」や読めない本、子どもの造形ワークショップを通じ、遊びと実験を創造の方法にしました。簡潔な形と参加型教育は現代デザイン、ミュージアム教育、絵本制作へ国際的影響を与えました。一方、未来派はファシズムと近接した運動であり、初期参加を無害な造形実験だけにできません。遊びの普遍性を唱える際も、材料や教育機会への階級的格差を見落とせません。
ジョン・ツゾー・ウィルソン
- 生没年:1908年10月24日~1993年4月15日
- 国:カナダ
- 肩書き:地球物理学者
オタワに生まれ、トロント、ケンブリッジ、プリンストンで地質学と地球物理学を学びました。プレート内部のホットスポット、海嶺とトランスフォーム断層、海洋盆の開閉を説明し、プレートテクトニクスを統合的理論へ発展させました。地球科学の固定的大陸観を変え、地震・火山研究の枠組みを作りました。一方、当初は大陸移動説に懐疑的で、理論転換は多数研究者の海底観測に支えられました。軍歴と冷戦期の観測資金が地球科学を後押しした関係も検討が必要です。
ヨハン・ガルトゥング
- 生没年:1930年10月24日~2024年2月17日
- 国:ノルウェー
- 肩書き:平和学者
オスロの医師家庭に生まれ、兵役拒否による収監を経験した後、平和研究所オスロを創設しました。直接的暴力だけでなく、貧困や差別を生む「構造的暴力」、対立を変容させる積極的平和の概念を提示しました。平和学を独立した研究領域へ育て、紛争調停と開発研究へ世界的影響を与えました。一方、概念の範囲が広すぎて因果関係や責任主体が曖昧になるとの批判があります。後年の反ユダヤ的と受け取られた発言や権威主義国家への姿勢も、業績と切り離さず検討すべきです。
ソフィア・グバイドゥーリナ
- 生没年:1931年10月24日~2025年3月13日
- 国:ソ連・ロシア・ドイツ
- 肩書き:作曲家
タタール自治共和国に生まれ、カザンとモスクワで作曲を学び、ソ連当局から形式主義的と批判されながら創作を続けました。『オッフェルトリウム』などで宗教的象徴、沈黙、特殊奏法、東西の音響を結び付け、現代音楽に強い精神性をもたらしました。ペレストロイカ後に国際的評価が高まり、多くの演奏家へ影響しました。一方、抑圧された孤高の作曲家像だけでは映画音楽による生計や演奏家との協働が隠れます。宗教性と民族的出自を作品解釈の固定ラベルにしない注意も必要です。
10月24日に起きた歴史的な出来事
- 69年10月24日|第二次ベドリアクムの戦い
ローマ帝国の内戦「四皇帝の年」で、ウェスパシアヌス派がウィテリウス派を破りました。フラウィウス朝成立へつながりましたが、皇帝位をめぐる軍団間の争いは都市略奪と住民被害を生みました。 - 1648年10月24日|ウェストファリア条約調印
三十年戦争を終結させる一連の条約がミュンスターとオスナブリュックで調印されました。宗派共存と国家間秩序の節目とされますが、すべての戦争を終えたわけではなく、民衆の飢餓・疫病の回復には長い時間を要しました。 - 1795年10月24日|第三次ポーランド分割
ロシア、プロイセン、オーストリアがポーランド・リトアニア共和国の残領を分割し、国家は地図上から消えました。列強均衡を優先した処理は住民の自己決定を否定し、長期の民族運動と強制的同化を招きました。 - 1812年10月24日|マロヤロスラヴェツの戦い
ロシア遠征中のフランス軍とロシア軍がモスクワ南西で激戦を行いました。ナポレオン軍は南方退却路を断念し、荒廃した経路へ戻りました。戦闘と焦土戦術は兵士だけでなく農民の食料と住居を奪いました。 - 1813年10月24日|ゴレスターン条約調印
ロシア帝国とガージャール朝ペルシャが講和し、南コーカサスの広大な領域がロシアへ割譲されました。国境秩序を変えましたが、アルメニア人、アゼルバイジャン人など地域住民の意思を排した帝国間処分でした。 - 1844年10月24日|黄埔条約締結
清とフランスが黄埔条約を結び、フランスに通商・治外法権・宣教師保護などの特権を認めました。西欧との外交関係を拡大しましたが、軍事的圧力下の不平等条約であり、中国の司法・関税主権を侵害しました。 - 1876年10月24日(明治9年10月24日)|神風連の乱
熊本で旧士族の敬神党が廃刀令などに反発して挙兵し、県令宅や鎮台を襲撃しました。士族反乱の連鎖を促しましたが、政府側・反乱側の兵士と市民が死亡し、復古的な排外主義を自由の運動と同一視できません。 - 1886年10月24日(明治19年10月24日)|ノルマントン号事件
紀州沖で英国貨物船ノルマントン号が沈没し、英国人船員は脱出した一方、日本人乗客二十五人全員が死亡しました。領事裁判権への憤りと条約改正世論を高めましたが、排外感情へ流れた言説にも注意が必要です。 - 1906年10月24日(明治39年10月24日)|五島列島沖の珊瑚採取船遭難
台風に遭った珊瑚採取船が五島列島周辺で相次いで沈没し、千人を超す漁業者が死亡したと伝えられます。日本海難史上でも最大級の惨事です。自然現象だけでなく、危険な遠洋操業、気象情報、救命設備、零細漁民の貧困が被害を拡大しました。 - 1917年10月24日|カポレットの戦い開始
第一次世界大戦のイタリア戦線で独墺軍が大攻勢を開始し、イタリア軍は壊走しました。浸透戦術の成功例とされますが、捕虜、難民、略奪、軍内部の処刑を生み、単なる戦術革新として称賛できません。 - 1929年10月24日|暗黒の木曜日
ニューヨーク株式市場で売りが殺到し、世界恐慌へ続く株価暴落が表面化しました。金融規制と社会保障改革を促しましたが、失業、貧困、住宅喪失が世界に広がり、権威主義と排外主義の伸長にも影響しました。 - 1936年10月24日(昭和11年10月24日)|日本民藝館開館
柳宗悦らの民藝運動の拠点として東京・駒場に日本民藝館が開館しました。無名職人の日用品へ美的価値を見いだしましたが、朝鮮や沖縄の工芸を日本中心の審美眼で収集・表象した植民地主義的問題もあります。 - 1944年10月24日|シブヤン海海戦
レイテ沖海戦の一局面で米艦載機が日本艦隊を攻撃し、戦艦武蔵が沈没しました。日本海軍の作戦能力を大きく低下させましたが、乗員千人以上が死亡し、特攻を含む消耗戦へ人命を投入する軍指導の責任が問われます。 - 1945年10月24日|国際連合発足
国際連合憲章が発効し、戦争防止、人権、国際協力を担う組織が正式に発足しました。普遍的な外交の枠組みを作りましたが、安全保障理事会常任理事国の拒否権は大国特権を固定し、紛争への一貫した対応を妨げています。 - 1960年10月24日|ネデリンの惨事
ソ連バイコヌール宇宙基地で大陸間弾道ミサイルR-16が発射準備中に爆発し、多数の技術者と軍人が死亡しました。日程を急がせた政治的圧力と安全軽視が原因で、事故は長年国家機密として隠されました。 - 1964年10月24日|ザンビア独立
北ローデシアがイギリスから独立し、ザンビア共和国が成立しました。アフリカ脱植民地化の前進でしたが、植民地期に銅輸出へ偏った経済、白人少数支配地域との緊張、国内格差を引き継ぎました。 - 1975年10月24日|アイスランド女性の休暇
アイスランドの女性の大多数が賃金労働と家事を休み、女性労働の不可欠さと賃金格差を可視化しました。男女平等政策を促す象徴となりましたが、移民女性や低所得女性が参加しにくい条件もあり、成果の分配は均等ではありません。 - 2003年10月24日|コンコルド最後の商業飛行
超音速旅客機コンコルドが定期商業運航を終え、音速を超える大西洋旅客時代が閉じました。航空技術の象徴でしたが、運賃の高さ、騒音、燃料消費、2000年の墜落事故が持続可能性と安全性の限界を示しました。