
9月22日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢49名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】9月22日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、9月22日と一致する人物だけを掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1650年 | 京極高盛 | 丹後国田辺藩主・但馬国豊岡藩初代藩主 |
| 1768年 | 永井直旧 | 美濃国加納藩第3代藩主 |
| 1775年 | 保科正徳 | 上総国飯野藩主 |
| 1809年 | 横井小楠 | 儒学者・政治思想家 |
| 1844年 | 松平信庸 | 出羽国上山藩第9代藩主・子爵 |
| 1878年 | 吉田茂 | 第45・48~51代内閣総理大臣 |
| 1878年 | 牧野省三 | 映画監督・映画製作者 |
| 1888年 | 枝正義郎 | 映画監督・撮影技師 |
| 1907年 | 川本信正 | スポーツ評論家・オリンピック研究者 |
| 1908年 | 松山崇 | 映画美術監督 |
| 1913年 | 平塚八兵衛 | 警視庁刑事 |
| 1921年 | 宮澤弘 | 自治官僚・政治家 |
| 1931年 | 貞永方久 | 映画監督 |
| 1936年 | 西川潤 | 経済学者 |
| 1939年 | 田部井淳子 | 登山家 |
※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。
【海外】9月22日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1515年 | アン・オブ・クレーヴズ | イングランド王ヘンリー8世王妃 |
| 1552年 | ヴァシーリー4世 | ロシア・ツァーリ |
| 1593年 | マテウス・メーリアン | スイス出身の版画家・地誌出版者 |
| 1601年 | アンヌ・ドートリッシュ | フランス王妃・摂政 |
| 1694年 | 第4代チェスターフィールド伯フィリップ・スタンホープ | イギリスの政治家・著述家 |
| 1715年 | ジャン=エティエンヌ・ゲタール | フランスの地質学者・博物学者 |
| 1725年 | ジョゼフ・デュプレシ | フランスの肖像画家 |
| 1741年 | ペーター・ジーモン・パラス | ドイツ出身の博物学者 |
| 1765年 | パオロ・ルフィニ | イタリアの数学者・医師 |
| 1791年 | マイケル・ファラデー | イギリスの物理学者・化学者 |
| 1800年 | ジョージ・ベンサム | イギリスの植物学者 |
| 1829年 | 嗣徳帝 | 阮朝ベトナム第4代皇帝 |
| 1863年 | アレクサンドル・イェルサン | スイス出身の医師・細菌学者 |
| 1875年 | ミカロユス・チュルリョーニス | リトアニアの画家・作曲家 |
| 1876年 | アンドレ・タルデュー | フランス首相・ジャーナリスト |
| 1880年 | クリスタベル・パンクハースト | イギリスの女性参政権運動家 |
| 1882年 | ヴィルヘルム・カイテル | ドイツ陸軍元帥 |
| 1885年 | エリッヒ・フォン・シュトロハイム | オーストリア出身の映画監督・俳優 |
| 1885年 | ベン・チフリー | オーストラリア首相 |
| 1885年 | グンナール・アスプルンド | スウェーデンの建築家 |
| 1895年 | ポール・ムニ | オーストリア=ハンガリー出身の俳優 |
| 1900年 | ポール・エメット | アメリカの化学工学者 |
| 1901年 | チャールズ・ハギンズ | カナダ出身の医学者 |
| 1905年 | オイゲン・ゼンガー | オーストリア出身の航空宇宙工学者 |
| 1907年 | モーリス・ブランショ | フランスの作家・思想家 |
| 1909年 | デイヴィッド・リースマン | アメリカの社会学者 |
| 1918年 | ヘンリク・シェリング | ポーランド出身のヴァイオリニスト |
| 1918年 | ハンス・ショル | ドイツの反ナチ抵抗運動家 |
| 1920年 | ウィリアム・ライカー | アメリカの政治学者 |
| 1921年 | ベティ・リード・ソスキン | アメリカの公園レンジャー・社会活動家 |
| 1931年 | フェイ・ウェルドン | イギリスの小説家・劇作家 |
| 1932年 | アルギルダス・ブラザウスカス | リトアニア大統領・首相 |
| 1940年 | アンナ・カリーナ | デンマーク出身の俳優・映画監督 |
| 1947年 | ノーマ・マコービー | アメリカの人工妊娠中絶訴訟原告 |
9月22日生まれの代表的な偉人
横井小楠
- 生没年:1809年9月22日(文化6年8月13日)~1869年2月15日(明治2年1月5日)
- 国:日本
- 肩書き:儒学者・政治思想家
熊本藩士として儒学と実学を学び、福井藩主松平春嶽の政治顧問となって藩政改革と幕政参与に関わりました。諸侯の合議、開国貿易、富国と民生、公共性を結び付ける「国是三論」などを唱え、勝海舟や坂本龍馬らにも刺激を与えました。維新政府では参与として新国家の制度構想に携わりました。一方、彼の「公議」は身分を越えた普通選挙ではなく、有力諸侯と知識人を中心とする統治構想でした。キリスト教を受け入れたとの流言で暗殺された悲劇を先駆的自由主義の殉教だけにせず、富国策が軍事力と海外進出へ接続し得た面も検討する必要があります。
吉田茂
- 生没年:1878年9月22日(明治11年9月22日)~1967年10月20日(昭和42年10月20日)
- 国:日本
- 肩書き:第45・48~51代内閣総理大臣・外交官
外交官出身で、敗戦後の占領下に首相を務め、日本国憲法の施行、経済安定、講和交渉を主導しました。1951年にサンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約へ署名し、防衛負担を抑えて経済復興を優先する「吉田路線」の基礎を作りました。官僚と保守政党を軸とする戦後政治へ長い影響を残しました。一方、講和はソ連、中国などを含まない単独講和で、沖縄の米軍統治と基地負担を固定しました。レッドパージ、労働運動への抑制、警察予備隊創設など占領政策の「逆コース」を担い、尊大なワンマン像を決断力だけで称賛すると民主的統制と植民地責任の未処理が隠れます。
牧野省三
- 生没年:1878年9月22日(明治11年9月22日)~1929年7月25日(昭和4年7月25日)
- 国:日本
- 肩書き:映画監督・映画製作者
京都の芝居小屋に育ち、活動写真の興行から撮影へ進んで、尾上松之助を主演に多数の時代劇を作りました。歌舞伎の型を映画へ移しながら、屋外ロケ、立ち回り、連続的な物語を発展させ、日活を経て独立プロダクションを組織しました。俳優・監督・技術者を育てたことから「日本映画の父」と呼ばれ、京都の撮影所文化の基礎を築きました。一方、現存しない作品が多く、後世の回想に依存するため、革新を本人一人へ帰す評価には慎重さが要ります。大量製作は不安定な労働と家族経営に支えられ、忍者・忠臣などの英雄像は国家主義や植民地期の大衆文化とも無関係ではありません。
田部井淳子
- 生没年:1939年9月22日(昭和14年9月22日)~2016年10月20日(平成28年10月20日)
- 国:日本
- 肩書き:登山家
大学で山岳部に入り、男性中心の登山界で経験を積んだ後、女子登攀クラブを設立しました。1975年の日本女子登山隊でエベレスト登頂に成功し、女性として世界で初めて最高峰に立ちました。その後は各大陸最高峰を登り、山岳環境保全や東日本大震災被災地の高校生との富士登山にも取り組みました。一方、「女性初」という報道は隊の他メンバー、シェルパ、現地労働者の技術と危険負担を一人の快挙へ集約しがちです。高所登山には費用、廃棄物、遭難救助、商業隊と地域社会の格差が伴い、性別の壁を破った功績と山を消費する構造を併せて考える必要があります。
マイケル・ファラデー
- 生没年:1791年9月22日~1867年8月25日
- 国:イギリス
- 肩書き:物理学者・化学者
製本職人の徒弟として読んだ科学書と公開講演を足場に、王立研究所でハンフリー・デービーの助手となりました。電磁回転、電磁誘導、電気分解の法則、反磁性を実験で示し、力が空間に広がる「場」の考えを導入しました。発電機、モーター、電気化学、マクスウェル理論へ続く現代技術の基礎を築き、一般向けのクリスマス講演も科学教育の型となりました。一方、数学を用いない孤高の実験天才像は、デービーとの葛藤、装置職人、研究所の資源、妻サラの支えを見えにくくします。軍事用化学兵器への協力を拒んだ倫理は重要ですが、発見が後に産業と戦争へ利用された責任を科学者個人の善意だけで解決できません。
アレクサンドル・イェルサン
- 生没年:1863年9月22日~1943年3月1日
- 国:スイス出身・フランス領インドシナ
- 肩書き:医師・細菌学者
パスツール研究所でジフテリア毒素を研究した後、船医として東アジアへ渡り、1894年の香港ペスト流行で患者から原因菌を分離しました。菌はのちにYersinia pestisと命名され、血清療法と防疫研究の基礎となりました。ニャチャンに研究所を築き、ベトナムで医学教育、キナやゴムの栽培、気象観測にも関わりました。一方、同時期に北里柴三郎も菌を分離しており、標本条件と論文発表をめぐる優先権は単純ではありません。植民地医学は現地住民を救う一方で労働力管理と資源開発を支え、患者の同意やベトナム人助手の信用が不十分だった権力関係も見る必要があります。
ミカロユス・チュルリョーニス
- 生没年:1875年9月22日~1911年4月10日
- 国:ロシア帝国領リトアニア
- 肩書き:画家・作曲家
ワルシャワで音楽を学んだ後に絵画へ進み、ソナタ、フーガ、星座など音楽的・宇宙的な題名を持つ象徴絵画を短期間に多数制作しました。交響詩『森の中で』『海』と絵画連作は、音と色を対応させながらリトアニアの民話・風景を近代芸術へ編み直しました。独立前の民族文化形成と抽象絵画の先駆として後世に大きな位置を得ました。一方、本人が医学的な意味で共感覚を持ったとの断定には証拠が乏しく、抽象絵画の「最初」を競う評価も後世の枠組みです。ポーランド語圏で学んだ複合的なアイデンティティーを単一民族の英雄へ固定すると、帝国境界地域の多言語性が失われます。
クリスタベル・パンクハースト
- 生没年:1880年9月22日~1958年2月13日
- 国:イギリス
- 肩書き:女性参政権運動家
母エメリンらと女性社会政治同盟WSPUを組織し、自由党集会での抗議、逮捕、機関紙編集を通じて女性参政権を国家的争点へ押し上げました。フランス亡命中も運動を指揮し、第一次世界大戦後の限定的女性参政権と1928年の平等参政へ至る圧力を作りました。女性が公的空間で直接行動するモデルを示した影響は大きいものです。一方、組織運営は上意下達的で、労働者階級のシルヴィアらと対立し、器物破壊などの戦術は支持と弾圧の双方を招きました。大戦中の強い戦争支持と白い羽根運動、帝国・人種問題への限界を除いて「女性解放の英雄」とすることはできません。
ハンス・ショル
- 生没年:1918年9月22日~1943年2月22日
- 国:ドイツ
- 肩書き:学生・反ナチ抵抗運動家
若い頃はヒトラー青年団で指導的役割を担いましたが、独裁への疑問と軍医学生として見た東部戦線の犯罪から反対へ転じました。妹ゾフィー、アレクサンダー・シュモレルらと「白バラ」を組織し、ユダヤ人虐殺と戦争継続を告発するビラを作って各地へ送りました。ミュンヘン大学で配布中に逮捕され、人民法廷の形だけの裁判で即日死刑判決を受け処刑されました。一方、抵抗の範囲は小さく、保守的キリスト教・民族文化の語彙にも依存していました。兄妹だけを英雄化せず、他のメンバー、情報提供者、無名の抵抗者と、初期に体制へ参加した経歴も含めて変化の過程を見る必要があります。
チャールズ・ハギンズ
- 生没年:1901年9月22日~1997年1月12日
- 国:カナダ出身・アメリカ合衆国
- 肩書き:外科医・がん研究者
シカゴ大学で前立腺の生理を研究し、前立腺がんの増殖が男性ホルモンに依存することを動物実験と患者治療から示しました。精巣摘除やエストロゲン投与で進行がんを縮小できると報告し、がんを化学的に制御する内分泌療法の概念を確立しました。乳がんなどへの応用も進み、1966年のノーベル生理学・医学賞を受賞しました。一方、治療は根治ではなく耐性が生じ、性機能、骨、心血管への重大な副作用を伴います。初期臨床研究は現代ほど厳格な同意手続を持たず、外科的去勢という身体的・心理的負担を、画期的発見の成功物語から除外してはなりません。
9月22日に起きた歴史的な出来事
- 1236年9月22日|ザウレの戦い
北方十字軍でリトアニア系諸部族がリヴォニア帯剣騎士団を破り、騎士団長を含む多数を戦死させました。騎士団はのちにドイツ騎士団へ吸収されましたが、キリスト教化の名で土地と信仰を奪う遠征と、地域勢力間の戦争双方が住民へ暴力をもたらしました。 - 1609年9月22日|バレンシアでモリスコ追放令を公布
改宗したイスラム系住民モリスコをスペインから追放する国王勅令がバレンシアで公表されました。宗教的統一と治安を口実に数十万人が財産と故郷を失い、移送中の暴力・死亡、地域経済の崩壊を招いた国家的な民族・宗教排除でした。 - 1776年9月22日|ネイサン・ヘイルを処刑
独立戦争中に英軍情報を探った大陸軍士官ネイサン・ヘイルがニューヨークで絞首刑となりました。米国では愛国的な最初期の諜報員として記憶されますが、有名な最期の言葉は後世の伝聞で、諜報と処刑を単純な英雄物語にする史料上の注意が必要です。 - 1792年9月22日|フランス革命暦の紀元日
共和政開始の日が後に革命暦I年ヴァンデミエール1日と定められ、週・月・祝祭を理性と自然に合わせて再編する基準となりました。王政・教会の時間秩序を変える試みでしたが、慣習と宗教生活を上から統制し、運用の複雑さから1806年に廃止されました。 - 1862年9月22日|奴隷解放予備宣言
リンカーン大統領が、翌年1月まで反乱を続ける南部地域の奴隷を自由とする予備宣言を発表しました。南北戦争を奴隷制廃止の戦争へ転換しましたが、北部境界州などは対象外で、解放は黒人自身の逃亡・従軍・運動と憲法修正を経て初めて制度化されました。 - 1866年9月22日|クルパイティの戦い
パラグアイ戦争で要塞を守るパラグアイ軍がブラジル・アルゼンチン・ウルグアイ連合軍の攻撃を撃退しました。戦術的勝利でしたが戦争の帰趨は変えられず、長期戦でパラグアイ人口は壊滅的な損失を受けました。勝敗より動員と国家破壊の規模が重要です。 - 1869年9月22日|ワーグナー『ラインの黄金』初演
四部作『ニーベルングの指環』の序夜に当たる楽劇が、作曲者の反対を押し切ったバイエルン王ルートヴィヒ2世の命でミュンヘン初演されました。楽劇の音響と言語を変えましたが、王の資金、劇場労働、作曲者の反ユダヤ主義を作品崇拝から切り離せません。 - 1887年9月22日(明治20年)|孤児教育会を設立
石井十次が岡山市で孤児教育会を開き、後の岡山孤児院へ発展させました。民間児童福祉の先駆として多数の子どもを受け入れましたが、寄付に依存する大規模収容、宗教的訓育、子どもの労働と規律など、善意だけでは解けない施設養護の権力関係もありました。 - 1888年9月22日|『ナショナル・ジオグラフィック』創刊
米国のナショナルジオグラフィック協会が地理知識の普及を目的に雑誌を創刊し、写真報道と科学普及の世界的媒体へ成長しました。一方、非西洋社会を異国的・未開として見る写真と文章は植民地主義的人種観を広め、誰が見る側・見られる側かを固定してきました。 - 1912年9月22日(大正元年)|大正元年の台風
台風が四国東部へ上陸して日本海を北上し、北海道まで船舶転覆や列車事故などを起こし、全国で600人を超える死者を出しました。観測・通信・避難体制の弱さに加え、漁民や交通労働者が危険へ集中してさらされた社会的災害でした。 - 1914年9月22日|Uボートが英巡洋艦3隻を撃沈
ドイツ潜水艦U9が北海で英国の装甲巡洋艦アブーキア、ホーグ、クレッシーを相次いで沈め、千人を超える乗員が死亡しました。潜水艦が大艦を脅かす時代を示しましたが、救助のため停止した艦も攻撃され、海戦の技術革新が大量死を効率化しました。 - 1934年9月22日|グレスフォード炭鉱事故
ウェールズのグレスフォード炭鉱で爆発と火災が起き、救助者を含む266人が死亡しました。遺体の多くは坑内に残されました。換気・ガス管理、労働条件、企業と監督当局の責任をめぐる調査は対立し、炭鉱共同体へ長い喪失と不信を残しました。 - 1945年9月22日(昭和20年)|米国の初期対日方針を公表
米政府が降伏後の日本を非軍事化・民主化し、連合国軍最高司令官を通じて統治する基本方針を示しました。軍国主義解体と改革の枠組みになりましたが、天皇制利用、米国単独主導、沖縄の分離統治など地政学的利益を優先する選択も含みました。 - 1968年9月22日|アブ・シンベル神殿の移転完了
アスワン・ハイ・ダムの貯水で水没する古代神殿を、国際協力で解体して高所へ再建する工事が完了しました。世界遺産保護のモデルとなりましたが、ダム建設で移住させられたヌビア住民の生活文化は、巨大記念物ほど手厚く保護されませんでした。 - 1979年9月22日|ヴェラ事件
米国の核実験監視衛星ヴェラが南大西洋・インド洋方面で核爆発に似た二重閃光を検出しました。南アフリカとイスラエルの秘密核実験説が有力ですが確定せず、核不拡散体制が同盟国への政治的配慮と機密情報で左右される不透明さを示しました。 - 1980年9月22日|イラン・イラク戦争が本格化
イラク軍が国境を越えてイランへ侵攻し、空港などを攻撃して8年に及ぶ戦争が始まりました。領土、革命輸出への恐れ、大国の介入が重なり、化学兵器使用、都市攻撃、少年兵を含む膨大な死傷者を生みました。どちらか一方の国家的英雄史では犠牲を捉えられません。 - 1985年9月22日|プラザ合意
米国、日本、西ドイツ、英国、フランスの蔵相・中央銀行総裁がニューヨークでドル高是正への協調介入に合意しました。円高と国際収支調整を進めましたが、日本の金融緩和と資産価格上昇、製造業の海外移転を促す一因となり、合意に参加しない国々にも影響を及ぼしました。 - 2006年9月22日|トランスラピッド実験線衝突事故
ドイツの磁気浮上式鉄道実験線で試運転列車が保守車両へ高速衝突し、見学者・作業員23人が死亡しました。技術そのものの故障ではなく運行管理と連絡の不備が原因で、先端技術の安全は人間系と組織文化を含めて設計すべきことを示しました。 - 2018年9月22日|アフヴァーズ軍事パレード襲撃
イラン南西部アフヴァーズの軍事パレードが武装集団に襲撃され、兵士と子どもを含む民間人ら多数が死亡しました。複数組織が関与を主張し、政府は国外勢力を非難しましたが、犯行主体の情報は錯綜し、少数民族問題と地域対立を報復で激化させました。