
9月17日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢32名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】9月17日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、9月17日と一致する人物だけを掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1869年 | 江見水蔭 | 小説家・考古学者 |
| 1870年 | 横田千之助 | 弁護士・政治家 |
| 1884年 | 久保より江 | 俳人 |
| 1888年 | 辻村みちよ | 農芸化学者 |
| 1893年 | 渡辺宗太郎 | 法学者 |
| 1901年 | 堀内寿郎 | 化学者 |
| 1914年 | 金丸信 | 政治家・副総理 |
| 1920年 | 塚本幸一 | 実業家・ワコール創業者 |
| 1923年 | 芦部信喜 | 憲法学者 |
| 1927年 | 藤田省三 | 政治思想史家 |
| 1930年 | 石川喬司 | 文芸評論家・SF作家 |
| 1931年 | 曾野綾子 | 小説家・評論家 |
※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。
【海外】9月17日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1550年 | パウルス5世 | ローマ教皇 |
| 1630年 | ラヌッチョ2世・ファルネーゼ | パルマ公 |
| 1730年 | フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・シュトイベン | プロイセン出身の軍人 |
| 1739年 | ジョン・ラトリッジ | アメリカの政治家・最高裁長官 |
| 1743年 | コンドルセ | フランスの数学者・思想家 |
| 1764年 | ジョン・グッドリック | オランダ出身の天文学者 |
| 1801年 | エドワード・ウィリアム・レーン | イギリスの東洋学者・翻訳家 |
| 1826年 | ベルンハルト・リーマン | ドイツの数学者 |
| 1857年 | コンスタンチン・ツィオルコフスキー | ロシアの科学者・宇宙工学理論家 |
| 1869年 | クリスティアン・ルース・ランゲ | ノルウェーの歴史家・平和運動家 |
| 1883年 | ウィリアム・カルロス・ウィリアムズ | アメリカの詩人・医師 |
| 1900年 | J・ウィラード・マリオット | アメリカの実業家 |
| 1904年 | フレデリック・アシュトン | イギリスの振付家 |
| 1917年 | 尹伊桑 | 朝鮮出身の作曲家 |
| 1918年 | ハイム・ヘルツォーグ | イスラエル大統領・外交官 |
| 1922年 | アゴスティニョ・ネト | アンゴラ初代大統領・詩人 |
| 1923年 | ハンク・ウィリアムズ | アメリカのカントリー歌手・作曲家 |
| 1930年 | トーマス・スタッフォード | アメリカの宇宙飛行士 |
| 1932年 | ロバート・B・パーカー | アメリカの推理作家 |
| 1935年 | ケン・キージー | アメリカの小説家 |
9月17日生まれの代表的な偉人
辻村みちよ
- 生没年:1888年9月17日(明治21年9月17日)~1969年6月1日(昭和44年6月1日)
- 国:日本
- 肩書き:農芸化学者
女性が高等教育と研究職から排除されがちだった時代に女子高等師範学校を卒業し、北海道帝国大学を経て理化学研究所で茶葉の成分を研究しました。緑茶からビタミンCを見いだした研究に加わり、カテキンやタンニンを分離・構造解析して、1932年に日本初の女性農学博士となりました。お茶の化学と栄養学を結び、後進の女性研究者にも道を開きました。一方、初期には無給助手など不安定な立場で働き、女性の貢献が共同研究の末尾へ置かれる制度に直面しました。個人の「初」を祝うだけでなく、分析を支えた同僚・技術員と、女性が正規ポストへ進めなかった大学制度を同時に見る必要があります。
芦部信喜
- 生没年:1923年9月17日(大正12年9月17日)~1999年6月12日(平成11年6月12日)
- 国:日本
- 肩書き:憲法学者
戦後の東京大学で宮沢俊義に学び、基本的人権、違憲審査制、表現の自由を中心に日本国憲法の体系的解釈を築きました。教科書『憲法』は、公共の福祉を人権相互の調整原理として捉える説明や、精神的自由を厚く守る二重の基準論を広く定着させました。裁判実務、公務員試験、法学教育に及ぼした影響は極めて大きいものです。一方、その学説は米国判例理論の受容に依存し、日本の裁判所の強い司法消極主義を十分に変えられなかったとの批判があります。権威ある標準教科書になったことで異説が見えにくくなる面もあり、憲法解釈を中立な正解ではなく政治と歴史の中の議論として読む必要があります。
コンドルセ
- 生没年:1743年9月17日~1794年3月29日
- 国:フランス
- 肩書き:数学者・哲学者・政治家
確率論と集団意思決定を研究し、投票で個々の選好が循環する「コンドルセのパラドックス」を示しました。啓蒙思想家として公教育の世俗化、奴隷制廃止、女性の市民権を訴え、フランス革命期には立法議会・国民公会で憲法案に関わりました。逃亡中に書いた『人間精神進歩史』は、理性と教育による社会改善への信頼を後世へ伝えました。一方、直線的な「進歩」の観念はヨーロッパを尺度に他社会を遅れと見る危険があり、植民地的な文明化論とも接続し得ます。女性の権利を先駆的に論じながら運動の主体は女性自身であり、ジロンド派の政治的選択も革命の暴力から無縁ではありませんでした。
ベルンハルト・リーマン
- 生没年:1826年9月17日~1866年7月20日
- 国:ドイツ
- 肩書き:数学者
ゲッティンゲン大学でガウスらに学び、曲面に限らない多次元の空間と計量を扱うリーマン幾何学を構想しました。複素解析のリーマン面、積分論、素数分布に関するリーマン予想など、互いに離れて見えた分野へ統一的な構造を与えました。曲がった時空を記述する一般相対性理論や現代物理学にも不可欠な言語となりました。一方、短い生涯で残した論文は少なく、未証明の着想や死後編集された講義も多いため、後世の巨大な理論をすべて本人が完成させたかのように語るのは不正確です。「孤独な天才」像は、ガウス、ディリクレ、編集者と後継者の役割を見えにくくします。
コンスタンチン・ツィオルコフスキー
- 生没年:1857年9月17日~1935年9月19日
- 国:ロシア帝国・ソビエト連邦
- 肩書き:教師・宇宙工学理論家
幼少期に聴力を失い、地方教師として働きながら、反作用による宇宙飛行を数学的に検討しました。1903年の論文でロケット方程式、液体燃料、多段式ロケットなどを論じ、宇宙空間へ到達するための工学的原理を提示しました。著作は後のソ連ロケット開発と世界の宇宙運動に象徴的な影響を与えました。一方、同時代にも独立したロケット研究があり、実機を完成させた人物ではないため、宇宙開発を一人の予言から直線的に説明できません。宇宙植民や人類改造を含む宇宙主義的構想には優生学的・技術万能的な面があり、軍事ミサイルへ応用された歴史も切り離せません。
クリスティアン・ルース・ランゲ
- 生没年:1869年9月17日~1938年12月11日
- 国:ノルウェー
- 肩書き:歴史家・国際平和運動家
ノルウェー議会ノーベル委員会の書記を務めた後、列国議会同盟の事務総長として各国議員の対話と国際仲裁を進めました。第一次世界大戦中も組織を維持し、戦後は国際連盟を市民社会から支える制度構想を唱えました。国際協調への活動により、1921年にヤルマル・ブランティングとノーベル平和賞を受賞しました。一方、議会外交は植民地住民や女性など参政権を持たない人々の声を十分に代表せず、ヨーロッパ中心の秩序を前提としていました。制度と理性への信頼は二度の大戦を防げず、平和運動の評価には軍縮の限界と国家権力への弱さも含める必要があります。
ウィリアム・カルロス・ウィリアムズ
- 生没年:1883年9月17日~1963年3月4日
- 国:アメリカ合衆国
- 肩書き:詩人・医師
ニュージャージー州で産科・小児科医として地域を診療しながら、米国の日常語と身近な物を短い行に刻む詩を書きました。『春とすべて』『パターソン』では、ヨーロッパの古典を模倣せず、都市の文書、会話、風景を組み合わせて場所そのものを叙事詩へ変えました。その簡潔なリズムはビート詩人や戦後の実験詩へ大きく影響しました。一方、患者や労働者の生活を作品の素材にする視線には、医師と患者、男性と女性の権力差があります。地域性を称える文学史も、同時代の黒人・女性・移民作家の革新を周辺化してきたため、単独の「アメリカ的声」として扱うべきではありません。
ハンク・ウィリアムズ
- 生没年:1923年9月17日~1953年1月1日
- 国:アメリカ合衆国
- 肩書き:カントリー歌手・作曲家
アラバマ州で育ち、黒人ストリート音楽家ルーファス・ペインからギターを学び、ホンキートンクの語法にゴスペルとブルースを結び付けました。『Your Cheatin’ Heart』『I’m So Lonesome I Could Cry』など、平明な言葉で孤独と欲望を歌う作品はカントリーのみならずロックへも影響しました。グランド・オール・オープリーのスターとなりましたが、29歳で移動中に死亡しました。一方、慢性疼痛、アルコール、薬物依存を「破滅型天才」の魅力として消費すると、過酷な巡業と興行側の責任が隠れます。白人カントリーの正典化は、彼の音楽を支えた黒人ブルースの師や演奏文化への信用配分も不均衡にしました。
トーマス・スタッフォード
- 生没年:1930年9月17日~2024年3月18日
- 国:アメリカ合衆国
- 肩書き:空軍軍人・宇宙飛行士
テストパイロットを経てNASA宇宙飛行士となり、ジェミニ6Aで史上初の有人宇宙船同士のランデブーを実現しました。アポロ10号では月着陸の全手順を月面直前まで検証し、アポロ11号成功への技術的な橋を架けました。1975年のアポロ・ソユーズ試験計画では米側船長を務め、冷戦下の宇宙協力を象徴しました。一方、宇宙技術は空軍のミサイル・偵察・核戦略と密接で、平和的探査だけの歴史ではありません。成果は地上管制、技術者、同乗者、ソ連側の共同作業によるもので、宇宙飛行士個人の英雄譚へ集約しない注意が必要です。
9月17日に起きた歴史的な出来事
- 1631年9月17日|ブライテンフェルトの戦い
三十年戦争でスウェーデン・ザクセン連合軍が皇帝軍を破り、プロテスタント側が大きな勝利を得ました。グスタフ2世アドルフの軍事改革を示す戦いとされますが、戦争を長期化させ、ドイツ地域の住民は徴発、飢饉、疫病に苦しみました。 - 1787年9月17日|アメリカ合衆国憲法に署名
フィラデルフィア憲法制定会議で最終案が署名され、連邦政府の権限分立と批准手続が定められました。近代立憲主義へ大きな影響を与えましたが、奴隷制を妥協の中で温存し、女性、先住民、財産を持たない多くの人々を政治共同体の外へ置きました。 - 1789年9月17日|土星の衛星ミマスを発見
ウィリアム・ハーシェルが大型望遠鏡で土星の内側を回る衛星ミマスを発見しました。望遠鏡製作と観測天文学の進歩を示しましたが、観測と記録には妹カロラインら家族・助手の労働が不可欠で、発見者一人の名だけでは知識生産の実態を表せません。 - 1862年9月17日|アンティータムの戦い
南北戦争中、メリーランド州で北軍と南軍が衝突し、1日として米国史上最悪級の死傷者を出しました。南軍の北進を止め、リンカーンが奴隷解放予備宣言を出す政治的機会となりましたが、戦術的決着は不明瞭で、負傷兵と地域住民の苦難は長く続きました。 - 1894年9月17日(明治27年)|黄海海戦
日清戦争で日本の連合艦隊と清国北洋艦隊が鴨緑江沖で交戦し、日本側が制海権を優位にしました。近代海軍力の転換点とされますが、朝鮮の主権をめぐる帝国間戦争であり、多数の水兵の死と、その後の日本の大陸侵略を切り離せません。 - 1928年9月17日|オキーチョビー・ハリケーンがフロリダを襲う
巨大ハリケーンでオキーチョビー湖の堤防が決壊し、周辺の農業地域で数千人が死亡しました。治水事業を促しましたが、犠牲者の多くは黒人移民労働者で、遺体の扱いや集団埋葬にも人種差別が表れたため、自然災害と社会的不平等を併せて見る必要があります。 - 1939年9月17日|ソ連軍がポーランドへ侵攻
独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づき、ドイツ侵攻中のポーランド東部へ赤軍が進入しました。国家分割を完成させ、占領地では逮捕、追放、カティン虐殺などが続きました。「住民保護」というソ連の説明は、主権侵害と抑圧を正当化するものでした。 - 1944年9月17日|マーケット・ガーデン作戦が始まる
連合軍がオランダの橋梁を空挺部隊で確保し、地上軍をドイツ本土へ進めようとしました。大胆な作戦でしたがアーネム橋の確保に失敗し、多数の兵士と市民が死亡しました。オランダ南北の分断は翌冬の飢餓も深刻化させました。 - 1945年9月17日(昭和20年)|枕崎台風が上陸
鹿児島県枕崎付近へ台風が上陸し、西日本を中心に死者・行方不明者が三千人を超えました。終戦直後で気象情報、通信、住居が弱体化し、広島では原爆被災者と救護施設が再び被害を受けたため、複合災害として記憶すべき出来事です。 - 1959年9月17日|X-15が初の動力飛行
米国のロケット実験機X-15が母機から切り離され、エンジンを用いた初飛行を行いました。高速・高高度飛行のデータは宇宙船と航空機設計へ貢献しましたが、計画は軍事技術開発と結び付き、試験飛行には死亡事故を含む大きな危険がありました。 - 1964年9月17日(昭和39年)|東京モノレールが開業
東京オリンピックを前に浜松町と羽田空港を結ぶ路線が開業し、空港アクセスの高速化を実現しました。戦後の都市交通を象徴しましたが、建設のため海上や運河沿いの空間が優先的に利用され、初期運賃の高さや沿線地域との接続の弱さも課題でした。 - 1978年9月17日|キャンプ・デービッド合意
カーター米大統領の仲介でエジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相が和平の枠組みに署名しました。翌年の平和条約とシナイ返還へ道を開きましたが、パレスチナ人は交渉の主体から外され、占領と入植の根本問題は解決しませんでした。 - 1980年9月17日|独立自主管理労組「連帯」が結成
ポーランド各地のストライキ委員会が全国組織へ統合され、東側諸国で例のない大規模な独立労組が成立しました。民主化への社会基盤となりましたが、政府は翌年戒厳令で弾圧し、活動家の拘禁、失職、亡命など大きな犠牲が生じました。 - 1988年9月17日|ソウルオリンピックが開幕
韓国で夏季オリンピックが開幕し、東西両陣営の多くが参加して冷戦末期の国際交流を象徴しました。大会準備は民主化要求を後押しした一方、都市美化に伴う立ち退き、労働抑圧、ドーピング問題など、成長国家の華やかな表象が隠した負担もありました。 - 1991年9月17日|南北朝鮮が同時に国連加盟
大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国がそれぞれ国連加盟国となり、分断状態のまま国際的承認を得ました。対話の制度的契機となりましたが、相互承認や平和条約を意味せず、核開発、軍事対立、離散家族の問題はその後も残りました。 - 2002年9月17日(平成14年)|初の日朝首脳会談
小泉純一郎首相が平壌で金正日国防委員長と会談し、平壌宣言へ署名しました。北朝鮮が日本人拉致を認め、被害者帰国への転機となりましたが、死亡とされた人々の情報には矛盾が残り、植民地支配の清算、核・ミサイル問題も未解決です。