
6月20日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢48名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】6月20日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、グレゴリオ暦に換算した日付に基づいて掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1691年 | 板倉重泰 | 坂木藩主 |
| 1715年 | 榊原政岑 | 姫路藩主 |
| 1737年 | 徳川家治 | 江戸幕府第10代将軍 |
| 1764年 | 土岐頼寛 | 沼田藩第5代藩主 |
| 1774年 | 仙石久道 | 出石藩第5代藩主 |
| 1820年 | 上杉斉憲 | 米沢藩第12代藩主 |
| 1831年 | 戸田氏彬 | 大垣藩第10代藩主 |
| 1849年 | 上村彦之丞 | 海軍軍人・連合艦隊司令長官 |
| 1892年 | 16代式守伊之助 | 大相撲立行司 |
| 1894年 | 竹鶴政孝 | 実業家・ニッカウヰスキー創業者 |
| 1895年 | 菅野和太郎 | 経済学者・政治家 |
| 1901年 | 丸木位里 | 日本画家 |
| 1908年 | 黒柳守綱 | ヴァイオリニスト |
| 1913年 | 芝利英 | 海軍軍人 |
| 1914年 | 島本虎三 | 政治家・労働運動家 |
| 1914年 | 谷口陸男 | アメリカ文学者 |
| 1918年 | 高橋晄正 | 医学者・医療評論家 |
| 1921年 | 三ヶ月章 | 法学者・法務大臣 |
| 1922年 | 鈴木清三 | オーボエ奏者 |
| 1924年 | 三浦甲子二 | ジャーナリスト・実業家 |
| 1929年 | ショパン猪狩 | お笑い芸人 |
| 1930年 | 近藤元次 | 政治家・農林水産大臣 |
| 1930年 | 橋本嘉幸 | 薬学者 |
| 1932年 | 勝目梓 | 小説家 |
| 1932年 | 田中一朗 | 実業家 |
| 1934年 | 川田順造 | 文化人類学者 |
【海外】6月20日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1469年 | ジャン・ガレアッツォ・スフォルツァ | ミラノ公 |
| 1566年 | ジグムント3世 | ポーランド王・スウェーデン王 |
| 1634年 | カルロ・エマヌエーレ2世 | サヴォイア公 |
| 1647年 | ヨハン・ゲオルク3世 | ザクセン選帝侯 |
| 1819年 | ジャック・オッフェンバック | 作曲家 |
| 1833年 | レオン・ボナ | 画家 |
| 1861年 | フレデリック・ホプキンズ | 生化学者 |
| 1875年 | オテニオ・アーベル | 古生物学者 |
| 1887年 | クルト・シュヴィッタース | 芸術家・詩人 |
| 1899年 | ジャン・ムーラン | フランス抵抗運動指導者 |
| 1903年 | レオ・ブルース | 推理作家 |
| 1905年 | リリアン・ヘルマン | 劇作家 |
| 1909年 | エロール・フリン | 俳優 |
| 1915年 | テレンス・ヤング | 映画監督 |
| 1920年 | ハンス・ゲルシュヴィラー | フィギュアスケート選手 |
| 1924年 | ライナー・バルツェル | ドイツ政治家 |
| 1924年 | チェット・アトキンス | ギタリスト・音楽プロデューサー |
| 1928年 | エリック・ドルフィー | ジャズ奏者 |
| 1928年 | マーティン・ランドー | 俳優 |
| 1931年 | オリンピア・デュカキス | 俳優 |
| 1934年 | リウス | 漫画家・政治風刺家 |
| 1938年 | ミッキー・モスト | 音楽プロデューサー |
6月20日生まれの代表的な偉人
徳川家治
- 生没年:1737年6月20日(元文2年5月22日)~1786年9月17日(天明6年8月25日)
- 国:日本
- 肩書き:江戸幕府第10代将軍
祖父徳川吉宗から直接教育を受けて将軍となり、側用人田沼意次を重用しました。株仲間の奨励、鉱山開発、長崎貿易の活用など、年貢米だけに頼らない商業的な財政運営が進みます。一方、賄賂政治への批判と天明の飢饉が重なり、田沼政治は強い反発を受けました。家治自身は将棋を好み、幕府制度の安定の中で実務を側近に委ねた将軍として、評価の再検討が続いています。
ジャック・オッフェンバック
- 生没年:1819年6月20日~1880年10月5日
- 国:ドイツ・フランス
- 肩書き:作曲家・チェロ奏者
パリで小劇場を開き、『地獄のオルフェ』『美しきエレーヌ』などのオペレッタを次々に上演しました。軽快な旋律と風刺によって、神話や英雄を借りながら第二帝政期の権力、軍隊、ブルジョワ道徳を笑いの対象にします。カンカンで知られる音楽は大衆娯楽として広まり、ウィーン・オペレッタや後のミュージカルへ影響しました。喜劇が同時代社会を批評する力を示した作曲家です。
上村彦之丞
- 生没年:1849年6月20日(嘉永2年5月1日)~1916年8月8日(大正5年8月8日)
- 国:日本
- 肩書き:海軍軍人・連合艦隊司令長官
薩摩藩から海軍に入り、日清戦争で防護巡洋艦秋津洲艦長を務めました。日露戦争では第二艦隊司令長官として、装甲巡洋艦部隊を率い、蔚山沖海戦と日本海海戦に参加します。ウラジオストク艦隊を取り逃がした際には世論の激しい非難を受けましたが、訓練を維持して戦果へつなげました。近代海軍の指揮と、戦時メディアが軍人へ向ける期待の双方を示す人物です。
フレデリック・ホプキンズ
- 生没年:1861年6月20日~1947年5月16日
- 国:イギリス
- 肩書き:生化学者
精製したたんぱく質、脂肪、糖、塩類だけでは動物が成長できず、食物中に微量でも不可欠な「補助因子」があることを実験で示しました。これは後にビタミンと呼ばれる栄養素の存在を裏づけ、欠乏症を化学的に理解する道を開きます。筋肉での乳酸生成など代謝研究も進めました。栄養をカロリー量だけで測らず、微量成分の質から捉える現代栄養学の基盤を作った研究者です。
クルト・シュヴィッタース
- 生没年:1887年6月20日~1948年1月8日
- 国:ドイツ
- 肩書き:芸術家・詩人
新聞、切符、包装紙、木片など都市の廃物を貼り合わせ、「メルツ」と名づけた作品群を作りました。絵画、彫刻、建築、音声詩の境界を越え、自宅内部を増殖する環境作品「メルツバウ」へ変えていきます。ナチスから退廃芸術家とされ、ノルウェー、イギリスへ亡命しました。価値を失った物を新しい関係へ組み替える方法は、コラージュ、インスタレーション、現代デザインへ長く影響しています。
竹鶴政孝
- 生没年:1894年6月20日(明治27年6月20日)~1979年8月29日(昭和54年8月29日)
- 国:日本
- 肩書き:実業家・技術者
摂津酒造からスコットランドへ留学し、蒸留所で製造工程を実地に学びました。帰国後、寿屋で山崎蒸溜所の建設と国産本格ウイスキーの製造を担い、のちに北海道余市で大日本果汁、現在のニッカウヰスキーを創業します。気候、原料、蒸留、熟成を一体として品質を作る技術を日本に定着させました。スコットランド出身の妻リタとの協働も、事業と生活を支えました。
ジャン・ムーラン
- 生没年:1899年6月20日~1943年7月8日
- 国:フランス
- 肩書き:官僚・レジスタンス指導者
ドイツ占領下でロンドンのド・ゴールと国内抵抗組織を結び、思想と利害の異なる勢力を全国抵抗評議会へ統合しました。統一によって自由フランスは国内の政治的正統性を強めます。会議直後にゲシュタポに逮捕され、拷問を受けても情報を明かさず、移送中に死亡しました。個々の抵抗を戦後国家へつながる政治組織へ変えた功績から、フランスのレジスタンスを象徴する存在です。
丸木位里
- 生没年:1901年6月20日(明治34年6月20日)~1995年10月19日(平成7年10月19日)
- 国:日本
- 肩書き:日本画家
水墨を基調とする日本画を制作し、原爆投下後の広島へ入った体験をもとに、妻の丸木俊と共同で連作『原爆の図』を描きました。焼けた身体、川へ逃げる人々、救助する者を巨大な画面に重ね、被害を匿名の数字ではなく身体の記憶として伝えます。南京事件、アウシュビッツ、水俣などにも題材を広げました。芸術が歴史的暴力を記憶し、観客へ倫理的な問いを渡す方法を追求しました。
リリアン・ヘルマン
- 生没年:1905年6月20日~1984年6月30日
- 国:アメリカ
- 肩書き:劇作家・脚本家
戯曲『子狐たち』『子供の時間』で、富、家族、噂、社会的抑圧が個人を追い詰める過程を描きました。マッカーシズム期に下院非米活動委員会へ召喚され、他人の名を挙げることを拒否したため映画界のブラックリストに載ります。後年の回想録には事実関係をめぐる批判もありますが、政治的同調を迫る社会で作家が何を証言し、何を守るかという問題を体現しました。
三ヶ月章
- 生没年:1921年6月20日(大正10年6月20日)~2010年11月14日(平成22年11月14日)
- 国:日本
- 肩書き:法学者・法務大臣
民事訴訟法の研究で、裁判を権利実現のための制度として体系的に捉え、戦後日本の手続法学を主導しました。東京大学で研究者と実務家を育て、法制審議会などで民事司法改革に関わります。法務大臣就任後は、判決までの時間と費用を減らし、市民が利用しやすい司法を目指す構想を提言しました。理論、立法、行政を往復しながら、司法制度の設計に長く影響した法学者です。
チェット・アトキンス
- 生没年:1924年6月20日~2001年6月30日
- 国:アメリカ
- 肩書き:ギタリスト・音楽プロデューサー
親指で低音を刻みながら他の指で旋律と和音を弾くフィンガーピッキングを洗練し、一人で複数の声部を響かせました。RCAのプロデューサーとして弦楽器やコーラスを加えた滑らかな「ナッシュビル・サウンド」を作り、カントリー音楽を広いポップ市場へ送り出します。商業化への批判も受けましたが、演奏家と制作責任者の両面から録音音楽の音像を設計した人物です。
エリック・ドルフィー
- 生没年:1928年6月20日~1964年6月29日
- 国:アメリカ
- 肩書き:ジャズ奏者・作曲家
アルトサックス、フルート、バスクラリネットを使い分け、急激な音程跳躍、鳥の声のような音色、複雑なリズムで即興の語彙を広げました。チャールズ・ミンガスやジョン・コルトレーンと共演し、アルバム『アウト・トゥ・ランチ!』では自由な演奏と緻密な構成を両立させます。36歳で急死しましたが、既存の和声から離れても合奏の対話を保つ方法は、フリージャズと現代音楽に深く影響しました。
6月20日に起きた歴史的な出来事
- 451年6月20日|カタラウヌムの戦い
西ローマ帝国と西ゴート族などの連合軍が、ガリアへ侵入したアッティラのフン族軍と戦いました。決定的勝利ではありませんでしたが、フン族の西方進出を抑える転機となりました。 - 1180年6月20日(治承4年5月26日)|宇治平等院の戦い
以仁王と源頼政の軍が宇治川で平氏軍を迎え撃ちました。敗れて両者は死亡しましたが、この挙兵は各地の源氏が立ち上がる治承・寿永の内乱の導火線となりました。 - 1333年6月20日(元弘3年5月8日)|新田義貞が鎌倉へ進軍
新田義貞が上野国で鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、鎌倉へ向かいました。短期間で多くの武士を集め、幕府本拠を陥落させて北条氏の支配を終わらせました。 - 1602年6月20日(慶長7年5月1日)|徳川家康が二条城造営を命じる
徳川家康が京都の諸大名に二条城の造営を命じました。将軍上洛時の拠点となり、朝廷を近くで統制する施設でもあり、後には大政奉還の表明の舞台となります。 - 1703年6月20日(元禄16年5月7日)|『曽根崎心中』初演
近松門左衛門作の人形浄瑠璃が大坂の竹本座で初演されました。実際の心中事件を題材に、町人の義理と恋を描いて大評判となり、世話物の発展を促しました。 - 1789年6月20日|球戯場の誓い
フランス国民議会の議員が、憲法を制定するまで解散しないと誓いました。国王による議場閉鎖への対抗であり、代表者が共同で主権を行使する革命の象徴となりました。 - 1791年6月20日|ヴァレンヌ逃亡が始まる
フランス国王ルイ16世一家がパリを脱出して国外へ向かいました。翌日に発見・連れ戻され、王が革命を受け入れているという信頼が崩れ、共和政要求を強めました。 - 1819年6月20日|蒸気船サヴァンナが大西洋横断
蒸気機関を補助動力に持つ帆船サヴァンナがリヴァプールへ到着しました。航海の多くは帆走でしたが、蒸気船による大西洋横断の可能性を示しました。 - 1837年6月20日|ヴィクトリア女王即位
ウィリアム4世の死去により18歳のヴィクトリアがイギリス女王となりました。約64年の治世は産業化、帝国拡大、議会政治の進展と重なり、一時代の名称になりました。 - 1887年6月20日(明治20年)|二葉亭四迷『浮雲』刊行開始
言文一致体を用いた長編小説『浮雲』の第1編が刊行されました。官僚社会と恋愛の中で決断できない青年を描き、日本近代小説の出発点の一つと評価されています。 - 1900年6月20日|北京公使館区域の籠城が始まる
清の宣戦とドイツ公使殺害を受け、列国の外交官、兵士、中国人キリスト教徒らが北京の公使館区域に立てこもりました。義和団事件への八カ国軍事介入が本格化しました。 - 1927年6月20日|ジュネーブ海軍軍縮会議開会
アメリカ、イギリス、日本が補助艦の制限を協議しました。巡洋艦比率をめぐる対立で条約には至らず、軍縮協調の限界と次の建艦競争を示しました。 - 1939年6月20日|He 176がロケット動力で初飛行
ドイツのハインケルHe 176が、液体燃料ロケットだけを動力とする航空機として初飛行しました。航続時間は短かったものの、ロケット航空と宇宙輸送技術の先駆けとなりました。 - 1963年6月20日|米ソホットライン協定
キューバ危機を教訓に、アメリカとソ連が首脳間の緊急連絡回線設置に合意しました。核危機で誤解と通信遅延が破局を招く危険を減らす仕組みでした。 - 1991年6月20日|ドイツ連邦議会が首都機能のベルリン移転を決定
再統一後の連邦議会が、政府と議会をボンからベルリンへ移すことを僅差で決めました。東西分断の克服と、統一国家の中心をどこに置くかを象徴する選択でした。