
11月28日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢35名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】11月28日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、11月28日と一致する人物だけを掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1563年 | 細川忠興 | 戦国武将・小倉藩初代藩主 |
| 1659年 | 小出英利 | 園部藩第3代藩主 |
| 1673年 | 松平忠雄 | 島原藩第2代藩主 |
| 1754年 | 黒田長恵 | 秋月藩第6代藩主 |
| 1823年 | 阿部正定 | 白河藩第5代藩主 |
| 1878年 | 寺田寅彦 | 物理学者・随筆家 |
| 1889年 | 伊沢蘭奢 | 新劇俳優 |
| 1897年 | 宇野千代 | 小説家・随筆家・編集者 |
| 1915年 | 梅園龍子 | 俳優 |
| 1929年 | 向田邦子 | 脚本家・小説家 |
| 1929年 | 上田誠也 | 地球物理学者 |
| 1935年 | 城卓矢 | 歌手・作曲家 |
| 1940年 | 鴻池祥肇 | 政治家・国務大臣 |
※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。
【海外】11月28日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1592年 | ホンタイジ | 後金のハン・清の皇帝 |
| 1628年 | ジョン・バニヤン | イングランドの説教者・作家 |
| 1632年 | ジャン=バティスト・リュリ | イタリア生まれのフランスの作曲家 |
| 1757年 | ウィリアム・ブレイク | イギリスの詩人・画家・版画家 |
| 1810年 | ウィリアム・フルード | イギリスの船舶工学者 |
| 1820年 | フリードリヒ・エンゲルス | ドイツの思想家・実業家 |
| 1829年 | アントン・ルビンシテイン | ロシアのピアニスト・作曲家 |
| 1853年 | ヘレン・マギル・ホワイト | アメリカの教育者・女性初の博士号取得者 |
| 1866年 | ヘンリー・ベーコン | アメリカの建築家 |
| 1868年 | フランティシェク・ドルドラ | チェコのヴァイオリニスト・作曲家 |
| 1881年 | シュテファン・ツヴァイク | オーストリアの作家 |
| 1887年 | エルンスト・レーム | ドイツのナチ党政治家・突撃隊幕僚長 |
| 1895年 | ホセ・イトゥルビ | スペインのピアニスト・指揮者 |
| 1907年 | アルベルト・モラヴィア | イタリアの小説家 |
| 1908年 | クロード・レヴィ=ストロース | フランスの人類学者 |
| 1920年 | セシリア・カレッジ | イギリスのフィギュアスケート選手・指導者 |
| 1923年 | グロリア・グレアム | アメリカの俳優 |
| 1924年 | デニス・ブルータス | 南アフリカの詩人・反アパルトヘイト運動家 |
| 1928年 | アーサー・オーカン | アメリカの経済学者 |
| 1931年 | トミー・ウンゲラー | フランスの絵本作家・風刺画家 |
| 1936年 | フィリップ・ソレルス | フランスの作家・批評家 |
| 1949年 | アレグザンダー・ゴドノフ | ラトビア生まれのバレエダンサー・俳優 |
11月28日生まれの代表的な偉人
細川忠興
- 生没年:1563年11月28日(永禄6年11月13日)~1646年1月18日(正保2年12月2日)
- 国:日本
- 肩書き:戦国武将・小倉藩初代藩主
細川藤孝の子として京都に生まれ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康へ仕えながら戦国から幕藩制への移行を生きました。丹後・豊前を領して城下町を整え、関ヶ原では東軍に属し、千利休門下の茶人三斎として茶器、書状、作法にも足跡を残しました。武将と文化人を兼ねた活動は細川家の政治的生存と大名文化を形づくり、熊本藩へ継承される文芸・茶道の基盤となりました。一方、妻ガラシャへの強い統制や家臣処罰には苛烈さがあり、文化的洗練を称えるだけでは、戦国大名の暴力、家父長制、領民支配を見落とします。
寺田寅彦
- 生没年:1878年11月28日(明治11年11月28日)~1935年12月31日(昭和10年12月31日)
- 国:日本
- 肩書き:物理学者・随筆家
東京に生まれ高知で育ち、熊本第五高等学校で夏目漱石に学んだ後、近代物理学が日本へ定着する時代に東京帝国大学で研究しました。X線結晶解析、地震、海洋、火山灰など幅広い実験を行い、『天災と国防』『柿の種』などで科学的観察と日常感覚を結ぶ随筆を書きました。防災を社会の記憶と制度の問題として捉える視点は、地震国日本の科学教育と災害文化に現在まで影響しています。一方、『天災は忘れた頃にやって来る』は本人の正確な文章ではなく、自然科学的説明だけでは貧困や都市計画が生む被害格差を捉えきれない点にも注意が必要です。
宇野千代
- 生没年:1897年11月28日(明治30年11月28日)~1996年6月10日(平成8年6月10日)
- 国:日本
- 肩書き:小説家・随筆家・編集者
山口県岩国に生まれ、離婚や転職を重ねながら上京し、女性が職業作家として生きる道が狭かった大正期に文壇へ進みました。『色ざんげ』『おはん』などで恋愛と欲望を女性の側から語り、雑誌『スタイル』の創刊、着物の意匠、随筆でも独自の事業を展開しました。自己の経験を創作と出版へ変える姿は女性作家の生活表現を広げ、老年期まで書き続ける生き方も広く読者を励ましました。一方、奔放な恋愛遍歴を中心に語ると作品の構成力が軽視され、他者の私生活を素材化した倫理や、戦時期の文化人としての立場も検討から抜け落ちます。
向田邦子
- 生没年:1929年11月28日(昭和4年11月28日)~1981年8月22日(昭和56年8月22日)
- 国:日本
- 肩書き:脚本家・小説家
東京に生まれ、保険会社勤務と映画雑誌編集を経て、テレビが家庭生活の中心へ入り始めた時代に放送作家・脚本家となりました。『寺内貫太郎一家』『阿修羅のごとく』などで食卓と家族の会話に潜む愛情、支配、秘密を描き、短編『花の名前』などで直木賞を受賞しました。台詞の間と生活道具から戦後家族の矛盾を示す方法はテレビドラマと短編小説の水準を高め、多くの脚本家・作家へ影響しました。一方、昭和の家庭像への郷愁だけで読むと父権、女性の無償労働、階級差への批判が薄れ、死後編集された作品や本人像の神話化にも注意が必要です。
上田誠也
- 生没年:1929年11月28日(昭和4年11月28日)~2023年1月19日(令和5年1月19日)
- 国:日本
- 肩書き:地球物理学者
東京に生まれ、戦後に海洋観測と地球内部研究が国際化する中、東京大学で地球物理学を学び研究・教育へ進みました。海底熱流量、島弧、プレート沈み込みを研究し、日本列島をプレートテクトニクスで理解する流れを主導して、地震予知研究にも取り組みました。固体地球科学を国際水準へ結び、日本の地震・火山研究と海洋底科学の学際化を進め、多数の研究者を育てました。一方、地震予知への期待は社会的に大きかった一方、短期予知の実用化には至らず、科学的不確実性を行政や市民へどう伝えるかという限界も業績と併せて評価すべきです。
ホンタイジ
- 生没年:1592年11月28日~1643年9月21日
- 国:後金・清
- 肩書き:後金のハン・清の皇帝
ヌルハチの子として女真社会に生まれ、明朝とモンゴル諸勢力が争う中で後金のハン位を継承しました。八旗制度と官僚機構を拡充し、モンゴル諸部を服属させ、1636年に国号を清、民族名を満洲と改めて皇帝を称しました。漢人官僚と火器技術を取り込み、多民族帝国として中国本土を統治する清朝の制度と理念を整えました。一方、拡張は朝鮮侵攻、捕虜・住民の強制移動、身分化を伴い、民族統合の成功物語だけで征服された社会の犠牲を消してはなりません。
ジョン・バニヤン
- 生没年:1628年11月28日~1688年8月31日
- 国:イングランド
- 肩書き:説教者・作家
ベッドフォード近郊の職人家庭に生まれ、清教徒革命と王政復古で信仰の自由が揺れる時代に非国教徒の説教者となりました。許可なく説教したため長く投獄され、その経験と聖書的寓意から『天路歴程』を著し、救済を目指す旅を平易な英語で描きました。同作は広範な階層に読まれ、英語散文、児童読物、宣教文学へ世界的な影響を与え、個人の良心を支える物語となりました。一方、強いプロテスタント救済観は他宗派や異なる生き方を排除しうるもので、普遍的冒険物語として読むだけでは宗教対立と宣教・植民地化への利用を見落とします。
ウィリアム・ブレイク
- 生没年:1757年11月28日~1827年8月12日
- 国:イギリス
- 肩書き:詩人・画家・版画家
ロンドンの靴下商家庭に生まれ、産業革命と政治革命が進む中、王立美術院の規範から離れて詩と図像を一体化しました。彩飾印刷を自ら開発し、『無垢と経験の歌』『天国と地獄の結婚』で独自の神話、子ども、労働、宗教権威への批判を表しました。文字と絵を同じ版面で構成する作品はロマン主義、象徴主義、現代の視覚詩と音楽文化に広範な影響を及ぼしました。一方、生前の読者は限られ、予言書の私的神話は解釈が難しく、後世の『反体制の天才』像が宗教的確信や性別役割の矛盾を単純化する危険があります。
フリードリヒ・エンゲルス
- 生没年:1820年11月28日~1895年8月5日
- 国:ドイツ・イギリス
- 肩書き:思想家・実業家
プロイセンの工場主家庭に生まれ、マンチェスターの家業で産業都市の労働と貧困を観察し、青年ヘーゲル派から共産主義へ進みました。『イギリスにおける労働者階級の状態』を著し、マルクスと『共産党宣言』を執筆して、経済援助と編集で『資本論』刊行を支えました。階級、産業、家族、国家を歴史的関係から捉える議論は社会主義運動、社会科学、労働政策へ世界規模の影響を与えました。一方、植民地や民族をめぐる一部の記述には欧州中心の偏見があり、後世の国家社会主義が理論を教条化した問題も、本人の意図だけで無関係とはできません。
アントン・ルビンシテイン
- 生没年:1829年11月28日~1894年11月20日
- 国:ロシア
- 肩書き:ピアニスト・作曲家
ロシア帝国領ポドリアのユダヤ系家庭に生まれ、幼少期から欧州巡演を行い、宮廷中心だった音楽教育を専門制度へ広げました。ロシア音楽協会とサンクトペテルブルク音楽院を設立し、演奏家・作曲家を体系的に育成する一方、交響曲、協奏曲、オペラを多数作りました。チャイコフスキーらを育てた音楽院はロシアの職業音楽家教育の基盤となり、国際的なピアノ演奏様式にも影響しました。一方、西欧式教育は民族主義的作曲家集団と衝突し、作品は折衷的と批判され、帝国社会の反ユダヤ主義の中で同化を強いられた経歴も単純な成功談にできません。
シュテファン・ツヴァイク
- 生没年:1881年11月28日~1942年2月22日
- 国:オーストリア
- 肩書き:作家
ウィーンの裕福なユダヤ系家庭に生まれ、多言語のハプスブルク文化と第一次世界大戦の崩壊を経験して国際主義を掲げました。『ジョゼフ・フーシェ』『マリー・アントワネット』などの評伝、短編『未知の女の手紙』、回想『昨日の世界』で権力と心理を流麗に描きました。翻訳されやすい物語と欧州統合への理念は世界的読者を得て、亡命者が失った文化世界の記憶を後世へ伝えました。一方、心理描写は史料より劇的効果を優先する場合があり、特権的な旧ウィーンへの郷愁は階級・植民地・女性の不平等を背景化するため、回想を客観史とは扱えません。
アルベルト・モラヴィア
- 生没年:1907年11月28日~1990年9月26日
- 国:イタリア
- 肩書き:小説家
ローマの裕福な家庭に生まれ、結核療養で孤立した青年期を送り、ファシズムが社会と出版を統制する中で作家となりました。『無関心な人びと』『軽蔑』『倦怠』でブルジョワ家庭の疎外、性、金銭、権力を冷徹に描き、戦後は映画批評や議会活動も行いました。簡潔な写実と実存的不安はイタリア文学と映画に影響し、多くの作品がデ・シーカ、ゴダール、ベルトルッチらに映画化されました。一方、女性人物を男性の欲望と疎外を映す装置にしがちで、反ファシストとしての自己像にも戦時中の妥協があるため、批判者の立場を無条件に英雄化できません。
クロード・レヴィ=ストロース
- 生没年:1908年11月28日~2009年10月30日
- 国:フランス
- 肩書き:人類学者
ブリュッセル生まれのユダヤ系フランス人で、法学・哲学から転じ、ブラジル先住民の調査とナチ占領からの亡命を経験しました。『親族の基本構造』『悲しき熱帯』『野生の思考』で婚姻、神話、分類の背後にある二項対立と変換の構造を分析しました。文化を進歩段階で序列化せず人間精神の共通作用を探る構造人類学は、言語学、思想、文学研究へ世界的な転換をもたらしました。一方、短期調査と他者の記録に依存し、歴史変化、植民地権力、個人の主体性を静的構造へ還元するとの批判があり、先住民を『失われる文化』として語る視線にも注意が必要です。
11月28日に起きた歴史的な出来事
- 1443年11月28日|スカンデルベグがクルヤを掌握
オスマン帝国軍の指揮官だったスカンデルベグが離反し、偽造文書を用いてアルバニアのクルヤ城を掌握しました。翌年の諸侯同盟と長期抵抗へつながり、後世のアルバニア民族国家における独立の象徴となりました。なお、英雄伝説には年代記の誇張があり、抵抗戦争は地域住民への徴発と破壊を伴ったため、近代民族主義の物語を十五世紀へそのまま投影できません。 - 1520年11月28日|マゼラン艦隊が太平洋へ進入
南米南端の海峡を通過したマゼラン艦隊が新たな大洋へ出て、その穏やかさから太平洋と名付けました。後に世界一周を達成する航路を開き、海洋の規模と地球を結ぶ交易路への欧州理解を大きく変えました。なお、航海は飢餓と多数の死者を出し、その後のスペイン植民地支配、先住民への暴力、世界周航を欧州人の『発見』とする視点に注意が必要です。 - 1660年11月28日|王立協会の母体が発足
ロンドンで自然哲学者たちが講義後に会合し、実験知識を共同で検証する学会の設立を決めました。後に国王の認可を得た王立協会は学術誌、査読、公開実験を通じて近代科学共同体の重要なモデルとなりました。なお、会員は長く男性エリート中心で、帝国の航海・標本収集から利益を得たため、普遍的科学の成立を社会的排除と植民地主義から切り離せません。 - 1811年11月28日|ベートーヴェン『皇帝』協奏曲初演
ライプツィヒでベートーヴェンのピアノ協奏曲第五番がフリードリヒ・シュナイダーの独奏により公開初演されました。交響曲的規模と独奏の力強さを結び、ロマン派ピアノ協奏曲の発展へ大きな基準を示しました。なお、『皇帝』という通称は作曲者自身の命名ではなく、ナポレオン戦争下の政治意味を単純化しやすいため、作品の成立事情と後世の受容を分ける必要があります。 - 1821年11月28日|パナマがスペインから独立
パナマ市の有力者がスペインからの独立を宣言し、地域はシモン・ボリバルの大コロンビアへ参加しました。地峡をめぐる植民地支配を終わらせ、後のパナマ国家形成と大西洋・太平洋交易の政治を方向づけました。なお、独立は都市エリート主導で先住民やアフリカ系住民の平等を直ちに実現せず、コロンビアからの分離と米国介入へ続く複雑な過程の一段階です。 - 1880年11月28日(明治13年11月28日)|北海道最初の鉄道開業
官営幌内鉄道の手宮―札幌間が開業し、石炭と物資を小樽港へ運ぶ北海道初の鉄道路線となりました。炭鉱開発、入植、都市形成を加速し、北海道を日本の近代産業網へ組み込みました。なお、建設と開発はアイヌの土地・生活圏の収奪、囚人労働、資源の本州移出と結び付いており、開拓の成功だけでは評価できません。 - 1883年11月28日(明治16年11月28日)|鹿鳴館開館
東京日比谷に外務卿井上馨が進めた鹿鳴館が開館し、外国使節を招く舞踏会や宴会の会場となりました。条約改正を目指して欧米式社交と建築を示す明治政府の文明化政策を象徴しました。なお、欧化は都市上層部に限られ、女性を外交装置として扱う面や西洋基準への同化があり、不平等条約改正にも直ちには結び付きませんでした。 - 1905年11月28日|シン・フェイン結成
アーサー・グリフィスらがダブリンで、英国議会からの自主とアイルランド産業の育成を掲げる政治運動を組織しました。当初は限定的だった運動が1916年以後の独立運動を受け皿とし、現在まで続く政党の起点となりました。なお、名称と組織の連続性には議論があり、独立闘争は宗派対立、武装暴力、内戦を伴ったため、単純な民族解放史へまとめられません。 - 1912年11月28日|アルバニア独立宣言
第一次バルカン戦争でオスマン帝国が後退する中、イスマイル・ケマリらがヴロラでアルバニア独立を宣言しました。列強の承認を経て近代アルバニア国家成立の基礎となり、オスマン支配からの政治的分離を実現しました。なお、国境は列強の都合で民族分布と食い違い、多数のアルバニア人を国外へ残し、国内でも権力争いと外国干渉が続きました。 - 1914年11月28日(大正3年11月28日)|新夕張炭鉱爆発事故
北海道の新夕張炭鉱で大規模なガス爆発が起き、坑内で働く四百人以上が死亡しました。日本の炭鉱災害史でも最大級の惨事となり、急速な石炭増産と企業の安全責任を厳しく問いました。なお、犠牲者には移住労働者が多く、企業側の記録に偏りがあるため、原因を坑夫の不注意へ帰さず、換気・監督・補償の構造を検討すべきです。 - 1928年11月28日(昭和3年11月28日)|高柳健次郎がテレビ公開実験
浜松高等工業学校で高柳健次郎らがブラウン管受像による電子式テレビジョンの公開実験を行いました。走査線を増やした映像伝送を示し、日本の放送技術研究と戦後テレビ産業の発展に重要な基盤を残しました。なお、発明は研究チームと海外技術の蓄積によるもので、戦時研究への接続や、後のテレビ普及が生んだ情報の集中と商業化も視野に入れる必要があります。 - 1943年11月28日|テヘラン会談開始
ルーズベルト、チャーチル、スターリンが初めて一堂に会し、対ドイツ戦と戦後秩序を協議しました。西欧上陸作戦オーバーロードの実施を確定し、連合国の軍事協調と国際連合構想を前進させました。なお、大国首脳が東欧国境や作戦を決め、小国の意思を十分反映せず、イランの主権も占領下で制約されていた点を忘れてはなりません。 - 1960年11月28日|モーリタニア独立
西アフリカのモーリタニアがフランスから独立し、モクタル・ウルド・ダッダを首相とする国家が成立しました。サハラ地域の植民地境界を引き継ぎつつ国際社会へ加わり、独自の行政と外交を築く出発点となりました。なお、奴隷制的身分関係、人種・地域格差、旧宗主国への経済依存は残り、法的独立を社会の全面的解放と同一視できません。 - 1979年11月28日|ニュージーランド航空901便墜落
南極観光飛行中のDC10がロス島エレバス山へ衝突し、乗客乗員二百五十七人全員が死亡しました。航法データ変更、ホワイトアウト、組織内情報共有の失敗が重なった事故として、航空安全と事故調査制度を変えました。なお、当初は操縦士責任が強調されましたが後の王立調査は会社側の管理を批判し、組織が個人へ責任転嫁する危険を示しました。 - 1987年11月28日|南アフリカ航空295便墜落
台湾からモーリシャスへ向かう旅客機で貨物室火災が起き、インド洋へ墜落して百五十九人全員が死亡しました。長距離飛行中の貨物火災、耐火性、乗員への情報伝達をめぐる国際的な安全対策の検討を促しました。なお、積荷と火災原因は完全には確定せず、アパルトヘイト期政府の透明性への不信も残るため、推測を事実として断定してはいけません。 - 1999年11月28日(平成11年11月28日)|東名高速飲酒運転事故
飲酒運転の大型トラックが東名高速で乗用車へ追突し、炎上した車内で幼い姉妹が死亡しました。遺族の活動と社会的批判が危険運転致死傷罪の創設や飲酒運転厳罰化を後押ししました。なお、厳罰化だけで事故はなくならず、運送業の労務管理、アルコール依存への治療、車両技術、周囲の制止責任を含む予防策が必要です。