11月21日生まれの歴史上の人物・偉人一覧と歴史的な出来事

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11月21日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢35名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!

【日本】11月21日生まれの歴史上の人物・偉人一覧

※旧暦生まれの人物は、旧暦の日付を先発グレゴリオ暦に換算し、11月21日と一致する人物だけを掲載しています。

生年人物名肩書き
1617年土佐光起江戸時代前期の絵師・土佐派中興者
1778年国友一貫斎鉄砲鍛冶師・発明家
1844年馬越恭平実業家・大日本麦酒社長
1860年服部金太郎実業家・服部時計店創業者
1867年伊東忠太建築家・建築史家
1895年蠟山政道政治学者・行政学者
1899年鈴木弼美教育者・基督教独立学園創立者
1899年本田親男ジャーナリスト・実業家
1901年高橋正雄経済学者
1904年野村俊夫作詞家・詩人
1910年江上不二夫生化学者
1912年佐野周二俳優
1917年伊藤昌哉政治評論家・首相秘書官

※上表の旧暦期の生年月日は、旧暦の月日をそのまま西暦へ置き換えたものではなく、暦日換算を行った結果です。

【海外】11月21日生まれの歴史上の人物・偉人一覧

生年人物名肩書き
1694年ヴォルテールフランスの哲学者・作家
1729年ジョサイア・バートレットアメリカの医師・政治家
1768年フリードリヒ・シュライアマハードイツの神学者・哲学者
1785年ウィリアム・ボーモントアメリカの軍医・生理学者
1787年サミュエル・キュナードカナダ生まれの海運事業家
1818年ルイス・ヘンリー・モーガンアメリカの人類学者
1824年テオドール・リヒタードイツの化学者・鉱物学者
1834年ヘティ・グリーンアメリカの投資家
1840年ヴィクトリアドイツ皇后
1852年フランシスコ・タレガスペインの作曲家・ギタリスト
1854年ベネディクトゥス15世ローマ教皇
1862年ジョン・ポール・グードアメリカの地理学者
1863年アーサー・キラークーチイギリスの小説家・評論家
1878年グスタフ・ラートブルフドイツの法哲学者
1886年ハロルド・ニコルソンイギリスの外交官・歴史家
1898年ルネ・マグリットベルギーの画家
1902年ミハイル・スースロフソ連共産党指導者
1904年エドモンド・ハミルトンアメリカのSF作家
1904年コールマン・ホーキンスアメリカのジャズ奏者
1908年エリザベス・ジョージ・スピアアメリカの児童文学作家
1912年エレノア・パウエルアメリカのダンサー・俳優
1913年ロイ・ボールティングイギリスの映画監督

11月21日生まれの代表的な偉人

馬越恭平

  • 生没年:1844年11月21日(天保15年10月12日)~1933年4月20日(昭和8年4月20日)
  • 国:日本
  • 肩書き:実業家

備中国に生まれ、幕末の商家奉公から三井物産へ入り、明治政府の殖産興業と企業合同が進む中で経営者となりました。日本麦酒、札幌麦酒、大阪麦酒を合同した大日本麦酒の社長として市場と流通を統合し、「ビール王」と呼ばれました。近代的な企業経営、広告、全国販売を発展させ、ビールを都市の大衆消費文化へ定着させました。一方、巨大企業化は競争を弱め、植民地市場と軍需景気にも支えられ、飲酒による健康被害や労働問題を成功史から切り離せません。

服部金太郎

  • 生没年:1860年11月21日(万延元年10月9日)~1934年3月1日(昭和9年3月1日)
  • 国:日本
  • 肩書き:実業家・時計商

江戸京橋の古物商の家に生まれ、明治の時刻制度・鉄道・学校が正確な時計を必要とするようになった時期に時計店を開きました。服部時計店を創業し、精工舎で掛時計、懐中時計、腕時計の国産化を進め、輸入販売から製造まで一貫する事業を築きました。標準時に基づく近代生活と精密機械工業の普及を支え、後のセイコーにつながる日本時計産業の基盤を作りました。一方、国産化は低賃金の工場労働と帝国市場の拡大にも支えられ、時間規律の普及が労働者を分単位で管理する側面を持った点にも注意が必要です。

伊東忠太

  • 生没年:1867年11月21日(慶応3年10月26日)~1954年4月7日(昭和29年4月7日)
  • 国:日本
  • 肩書き:建築家・建築史家

米沢に生まれ、東京帝国大学で学び、西洋のarchitectureに対応する「建築」という語と学問体系が整う時代に研究者となりました。法隆寺を日本最古の木造建築として論じ、アジア各地を調査し、平安神宮、築地本願寺、靖国神社遊就館などを設計しました。日本建築史を実測と様式比較で体系化し、東西の意匠と妖怪的装飾を結ぶ独創的な近代建築を残しました。一方、様式分類とアジア調査は帝国日本の文化圏構想に接近し、国家神道や植民地主義を支える記念建築に関わった点を、造形の面白さと併せて検討すべきです。

江上不二夫

  • 生没年:1910年11月21日(明治43年11月21日)~1982年7月17日(昭和57年7月17日)
  • 国:日本
  • 肩書き:生化学者

東京に生まれ、東京帝国大学で化学を学び、生命現象を高分子の構造と反応から説明する生化学が戦後急速に発展する中で研究しました。核酸、タンパク質、酵素を研究し、学術用語と教科書の整備、日本生化学会の運営、国際生化学連合での交流を推進しました。研究室の成果に加えて生化学を大学教育と社会へ定着させ、日本の分子生命科学が国際化する制度的基盤を築きました。一方、大型研究と専門分化の推進は研究資源を有力大学へ集中させやすく、共同研究の成果が教授個人の業績へ集約される学界構造にも注意が必要です。

佐野周二

  • 生没年:1912年11月21日(大正元年11月21日)~1978年12月21日(昭和53年12月21日)
  • 国:日本
  • 肩書き:俳優

東京に生まれ、会社員から松竹へ入り、トーキーが定着した戦前映画から高度成長期のテレビまで長く活動しました。木下惠介『お嬢さん乾杯!』、小津安二郎『彼岸花』などで、軽妙な青年から保守的な父親まで日常的な人物を演じました。スター性と生活感を両立する演技により、日本の家族像と会社員像が戦前から戦後へ変わる過程を映像へ残しました。一方、映画の家父長像を自然な日常として支えた役も多く、親しみやすさが女性や若者を従属させる家族秩序への批判を弱める点には注意が必要です。

ヴォルテール

  • 生没年:1694年11月21日~1778年5月30日
  • 国:フランス
  • 肩書き:哲学者・作家

パリの公証人家庭に生まれ、絶対王政とカトリック教会の権威が強い十八世紀フランスで風刺作家として活動しました。『哲学書簡』『カンディード』『寛容論』で宗教的不寛容、司法の誤り、楽観主義を批判し、カラス事件など冤罪救済にも関わりました。理性、言論、宗教的寛容を公共的論争の武器とし、啓蒙思想と近代的人権意識へ大きな影響を与えました。一方、本人も投機と宮廷人脈で富を築き、ユダヤ人、イスラム教徒、アフリカ人への偏見を示す記述があるため、自由の擁護者という像を無条件に普遍化できません。

フリードリヒ・シュライアマハー

  • 生没年:1768年11月21日~1834年2月12日
  • 国:プロイセン
  • 肩書き:神学者・哲学者

ブレスラウに生まれ、啓蒙主義が伝統的信仰を批判し、ロマン主義が感情と個性を重視した時代に牧師・大学人となりました。『宗教論』『キリスト教信仰』で宗教を教義や道徳だけでなく絶対的依存の感情として捉え、プラトン翻訳と解釈学も発展させました。近代プロテスタント神学の方向を定め、文章を歴史的文脈と著者の全体から理解する解釈学を人文学の基礎へ広げました。一方、キリスト教中心の普遍性とドイツ国民意識が強く、女性の社会的役割や他宗教を対等に扱う点には限界があるため、近代性と排他性を併せて読む必要があります。

ウィリアム・ボーモント

  • 生没年:1785年11月21日~1853年4月25日
  • 国:アメリカ
  • 肩書き:軍医・生理学者

コネティカット州に生まれ、正規医学教育が十分制度化されていない時代に徒弟修業で医師となり、陸軍軍医として辺境に勤務しました。銃創で胃に瘻孔が残ったアレクシス・サン・マルタンを対象に、食物を出し入れして胃液と消化速度を観察しました。消化が機械的腐敗でなく胃液による化学過程であることを実験的に示し、アメリカ生理学の初期を代表する成果となりました。一方、被験者は貧しい労働者で雇用契約と権力差の下にあり、同意を撤回しにくい人体実験だったため、科学的価値を現代の研究倫理から批判的に検討すべきです。

サミュエル・キュナード

  • 生没年:1787年11月21日~1865年4月28日
  • 国:イギリス領北アメリカ・イギリス
  • 肩書き:海運事業家

ノバスコシアの商人家庭に生まれ、帆船から蒸気船へ移る大西洋交通の転換期に郵便・海運事業を拡大しました。イギリス政府の郵便契約を得て1840年に定期蒸気船航路を開き、安全性と時刻表を重視するキュナード・ラインを育てました。人、郵便、商品、情報の移動時間を短縮し、大西洋世界の商業と移民交通の近代化へ大きな影響を与えました。一方、帝国郵便と貿易に支えられ、船員の危険な労働、階級別の船内環境、蒸気船の石炭消費を伴ったため、輸送革新を純粋な進歩とはみなせません。

ルイス・ヘンリー・モーガン

  • 生没年:1818年11月21日~1881年12月17日
  • 国:アメリカ
  • 肩書き:人類学者

ニューヨーク州に生まれ、弁護士として活動しながら、入植拡大によって先住民社会が土地を奪われる時代にイロコイ連邦を研究しました。親族名称と社会組織を比較し、『古代社会』で人類社会の発展段階を提示して、フィールドワークと比較研究を結び付けました。親族研究と社会人類学の形成に大きく貢献し、その著作はマルクスとエンゲルスの家族・国家論にも影響しました。一方、「野蛮・未開・文明」という単線的進化論は西洋を頂点に置き、先住民を過去の残存物として扱ったため、記録の価値と植民地主義的枠組みを分けて評価する必要があります。

テオドール・リヒター

  • 生没年:1824年11月21日~1898年9月25日
  • 国:ドイツ
  • 肩書き:化学者・鉱物学者

ザクセンに生まれ、鉱山学校で学び、分光分析が元素発見の新しい手段となった十九世紀中葉に鉱物研究へ携わりました。フェルディナント・ライヒと閃亜鉛鉱を分光分析し、藍色の輝線を示す新元素インジウムを1863年に発見しました。鉱石分析と物理的測定を結ぶ分光化学の有効性を示し、希少元素研究と材料科学の発展へ寄与しました。一方、発見は二人と鉱山労働・試料供給の共同成果であり、現在のインジウム需要が採掘公害と電子廃棄物を生む点まで含めて技術史を考える必要があります。

ルネ・マグリット

  • 生没年:1898年11月21日~1967年8月15日
  • 国:ベルギー
  • 肩書き:画家

ベルギー西部に生まれ、第一次世界大戦後の広告、写真、精神分析が視覚文化を変える中でシュルレアリスムへ参加しました。山高帽の男、宙に浮く石、昼と夜が同居する風景など、日常物の関係をずらし、言葉と像の不一致を示す『イメージの裏切り』を制作しました。写実的描写で認識の習慣を揺さぶる方法は、現代美術、広告、映画、哲学的な表象論へ広く影響しました。一方、反ブルジョワ的イメージが市場で大量商品化され、戦時中の贋作・偽札制作や女性身体の反復的客体化も、親しみやすい奇想の陰で検討すべきです。

コールマン・ホーキンス

  • 生没年:1904年11月21日~1969年5月19日
  • 国:アメリカ
  • 肩書き:ジャズ・サクソフォーン奏者

ミズーリ州に生まれ、ビッグバンドと録音産業が成長した1920年代にフレッチャー・ヘンダーソン楽団へ加わりました。テナーサックスを力強い音色と複雑な和声による即興の主役へ高め、1939年の『Body and Soul』で旋律を離れたアドリブの可能性を示しました。スウィングからビバップまで若い音楽家と共演し、テナーサックスをジャズの中心的ソロ楽器として定着させました。一方、個人の天才性を強調すると黒人楽団の集団的創造と人種差別下の巡業条件が見えず、酒への依存が晩年の健康と活動へ与えた影響も美化できません。

11月21日に起きた歴史的な出来事

  • 1783年11月21日|初の自由飛行による有人熱気球
    パリでピラートル・ド・ロジェとダルランド侯爵がモンゴルフィエ兄弟の熱気球に乗り、係留索なしで約二十五分飛行しました。人間が大気中を継続して移動できることを実証し、航空科学、気象観測、飛行への社会的想像力を大きく広げました。なお、火を使う紙・布製気球は危険で、後の飛行実験でも死亡事故が起きたため、華やかな初飛行だけで安全上の代償を忘れられません。
  • 1789年11月21日|ノースカロライナ州が合衆国憲法を批准
    ノースカロライナの批准会議が権利章典追加への見通しを受け、十二番目の州として合衆国憲法を承認しました。連邦制度への参加を確定し、権利保障を憲法修正として整備する政治的圧力を強めました。なお、批准時の政治参加は白人男性中心で、奴隷制と先住民排除を残したため、人民主権の拡大を普遍的なものとは言えません。
  • 1806年11月21日|ベルリン勅令による大陸封鎖
    ナポレオンが占領下のベルリンで、イギリスとの通商と郵便を欧州大陸で禁じる勅令を発しました。海上で優位なイギリスを経済的に弱らせる「大陸制度」の中心となり、戦争を市場・港湾・消費へ広げました。なお、密輸と物価高を招いて同盟国経済も傷つけ、封鎖強制がポルトガル侵攻やロシア遠征の一因となり、民衆へ重い負担を与えました。
  • 1859年11月21日(安政6年10月27日)|吉田松陰処刑
    安政の大獄で江戸へ送られた長州藩士吉田松陰が、老中暗殺計画を自ら語ったことなどを理由に伝馬町牢屋敷で処刑されました。松下村塾の門下生が後に明治政府の中心へ進んだため、松陰は尊王攘夷と維新運動の精神的象徴となりました。なお、死後の英雄化は排外的な攘夷論と政治的暴力の肯定を薄め、門下生以外の維新参加者や幕府側の論理を見えにくくする点に注意が必要です。
  • 1889年11月21日(明治22年11月21日)|歌舞伎座開場
    東京木挽町に近代的な大劇場として歌舞伎座が開場し、演劇改良運動の中で歌舞伎を代表する常設劇場となりました。照明、舞台機構、興行制度を更新し、歌舞伎を都市大衆文化から「国劇」へ位置付ける中心施設となりました。なお、近代化は演目・演技を標準化して地方芝居を周縁化し、女性が舞台へ立てない制度や座元・俳優間の格差も長く残りました。
  • 1894年11月21日|旅順虐殺事件
    日清戦争で旅順を占領した日本軍が、中国兵と疑った捕虜や住民を数日間にわたり殺害しました。国際報道で批判され、日本の「文明国」像と軍紀を揺るがすとともに、近代日本の対外戦争における民間人暴力の重大事例となりました。なお、犠牲者数には史料差がありますが、数字の論争で殺害自体を否定したり、直前の日本兵遺体損壊を報復の正当化に用いたりしてはなりません。
  • 1905年11月21日|質量とエネルギーの等価性論文掲載
    アインシュタインの論文「物体の慣性はそのエネルギー含量に依存するか」が学術誌に掲載され、後にE=mc²と表される関係を示しました。質量をエネルギーの一形態として捉える特殊相対論の帰結は、原子核物理と宇宙物理の理解を根本的に変えました。なお、式だけが一人の突然の発見として神話化されやすく、先行研究と実験的検証の共同性、核兵器へ直結させる単純な因果説明には注意が必要です。
  • 1916年11月21日|病院船ブリタニック沈没
    第一次世界大戦で病院船として運航中のブリタニックがエーゲ海で機雷に触れ、約一時間で沈没しました。大型客船の区画設計と救命手順を検証する事故となり、千人以上が救助された一方で三十人が死亡しました。なお、救助成功の物語だけでは、回転中のスクリューへ救命艇が引き込まれた犠牲と、医療輸送さえ機雷戦から免れなかった現実を見落とします。
  • 1937年11月21日|ショスタコーヴィチ交響曲第5番初演
    スターリン体制下で批判を受けていたショスタコーヴィチの交響曲第5番がレニングラードで初演され、大きな反響を呼びました。古典的構成と強い感情を備えた作品は作曲家の名誉回復をもたらし、抑圧下の芸術が公的要求と個人的表現を二重に含む例となりました。なお、終楽章を体制への賛歌か強制された歓喜か一義的に決めることは難しく、後世の証言の信頼性と観客の多様な受容を区別する必要があります。
  • 1944年11月21日(昭和19年11月21日)|戦艦金剛沈没
    レイテ沖海戦から日本へ戻る戦艦金剛が台湾海峡で米潜水艦シーライオンの雷撃を受け、爆発して沈没しました。日本海軍の高速戦艦と熟練乗員を失い、海上輸送と艦隊行動が米潜水艦に脅かされる戦争末期の劣勢を示しました。なお、艦の武勲を中心に語ると千人以上の死亡と、生還者が十分救助されなかった状況、侵略戦争を支えた艦隊の役割が薄れます。
  • 1945年11月21日(昭和20年11月21日)|治安警察法廃止
    労働運動、政治集会、女性の政治参加を長く規制してきた治安警察法が、占領下の民主化政策の中で廃止されました。結社・集会の自由と労働組合運動を回復し、日本国憲法の基本的人権保障へ向かう制度的転換となりました。なお、治安維持法など他の抑圧法制による被害は廃止だけで回復せず、改革が占領権力の命令に依存した矛盾も残りました。
  • 1969年11月21日(昭和44年11月21日)|沖縄返還の日米共同声明
    佐藤栄作首相とニクソン大統領が、日米安保体制を維持したまま1972年に沖縄の施政権を日本へ返還する方針を発表しました。戦後二十七年続いた米国統治を終える具体的日程を示し、返還交渉の政治的枠組みを確定しました。なお、米軍基地の集中は残り、核兵器の「密約」をめぐる問題も後に明らかになったため、返還を完全な主権回復とみなせません。
  • 1969年11月21日|ARPANET常設接続確立
    UCLAとスタンフォード研究所のIMP間で常設のパケット通信回線が確立し、初期ARPANETの二拠点が結ばれました。分散したコンピューター間でデータを交換する基盤となり、標準化を重ねて後のインターネットへ発展しました。なお、軍事研究資金への依存、監視技術への転用、発明史で女性技術者や複数機関の共同作業が見えにくい点を併せて考える必要があります。
  • 1990年11月21日|パリ憲章調印
    欧州安全保障協力会議の参加国が、冷戦の分断終結、民主主義、人権、市場経済を掲げる「新しい欧州のためのパリ憲章」へ署名しました。東西陣営対立後の欧州秩序とOSCEの制度化へ方向を示し、軍縮と選挙監視の共通原則を確認しました。なお、理念はユーゴスラビア戦争や後の権威主義化を防げず、市場化が社会格差を拡大した地域もあり、「歴史の終わり」とする楽観は成り立ちません。
  • 1995年11月21日|デイトン合意成立
    ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の当事者が米国デイトンで和平案へ合意し、約三年半の戦争終結へ道を開きました。国家の領土的一体性を保ちながら二つの構成体へ分け、国際的監督と難民帰還を定めて大規模戦闘を止めました。なお、民族別の権力分担を固定して統治を複雑化し、虐殺・強制移住の正義回復と少数者の政治参加を十分実現できない限界があります。

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