
6月24日生まれの歴史上の人物・偉人の一覧と、この日に起きた歴史的な出来事をまとめました。日本史や世界史に登場する有名人物から、あまり知られていなくても「おっ」とうなるような人物まで、総勢43名を掲載しています。ぜひ最後までご覧ください!
【日本】6月24日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
※旧暦生まれの人物は、グレゴリオ暦に換算した日付に基づいて掲載しています。
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1793年 | 山内豊興 | 土佐藩第11代藩主 |
| 1802年 | 伊達千広 | 紀州藩士・国学者 |
| 1832年 | 中村正直 | 啓蒙思想家・教育者 |
| 1850年 | 馬場辰猪 | 自由民権運動家・思想家 |
| 1867年 | 三井高堅 | 実業家・三井合名理事長 |
| 1874年 | 本因坊秀哉 | 囲碁棋士・二十一世本因坊 |
| 1878年 | 木見金治郎 | 将棋棋士 |
| 1890年 | 三上英夫 | 電気工学者 |
| 1900年 | 井口海仙 | 茶人・裏千家十三代家元 |
| 1904年 | 谷口吉郎 | 建築家 |
| 1907年 | 靉光 | 洋画家 |
| 1909年 | 秋田貞夫 | 出版人・秋田書店創業者 |
| 1910年 | 千葉泰樹 | 映画監督 |
| 1913年 | 永田武 | 地球物理学者・南極観測隊長 |
| 1919年 | 中村覚之助 | 政治家・サッカー指導者 |
| 1920年 | 谷川寛三 | 政治家・科学技術庁長官 |
| 1921年 | 橋口倫介 | 西洋史学者 |
| 1925年 | 与那嶺要 | プロ野球選手・監督 |
| 1925年 | 鴇田正憲 | サッカー選手・指導者 |
| 1925年 | 筒井敬三 | プロ野球選手 |
| 1927年 | 清元榮三郎 | 清元節三味線方 |
| 1933年 | 捧賢一 | 実業家・コメリ創業者 |
| 1938年 | 上田卓三 | 政治家・部落解放運動家 |
| 1939年 | 中村健之介 | ロシア文学者 |
【海外】6月24日生まれの歴史上の人物・偉人一覧
| 生年 | 人物名 | 肩書き |
|---|---|---|
| 1519年 | テオドール・ド・ベーズ | 神学者・宗教改革者 |
| 1664年 | フランソワ・プルフール・デュ・プティ | 解剖学者・眼科医 |
| 1750年 | デオダ・ド・ドロミュー | 地質学者・鉱物学者 |
| 1770年 | アルブレヒト・ベルブリンガー | 発明家・航空先駆者 |
| 1777年 | ジョン・ロス | 海軍軍人・北極探検家 |
| 1783年 | ヨハン・ハインリヒ・フォン・チューネン | 経済学者・農学者 |
| 1795年 | エルンスト・ヴェーバー | 生理学者・解剖学者 |
| 1838年 | ヤン・マテイコ | 画家 |
| 1840年 | ルイ・ブラッサン | ピアニスト・作曲家 |
| 1873年 | ヒューゴ・シンベリ | 画家・版画家 |
| 1880年 | オズワルド・ヴェブレン | 数学者 |
| 1883年 | ジャン・メッツァンジェ | 画家・理論家 |
| 1895年 | ジャック・デンプシー | ボクサー |
| 1904年 | フィル・ハリス | バンドリーダー・俳優 |
| 1906年 | ピエール・フルニエ | チェリスト |
| 1911年 | ファン・マヌエル・ファンジオ | レーシングドライバー |
| 1930年 | クロード・シャブロル | 映画監督 |
| 1944年 | ジェフ・ベック | ギタリスト |
| 1946年 | エリソン・オニヅカ | 宇宙飛行士・空軍軍人 |
6月24日生まれの代表的な偉人
アルブレヒト・ベルブリンガー
- 生没年:1770年6月24日~1829年1月28日
- 国:ドイツ
- 肩書き:発明家・航空先駆者
仕立屋として働きながら義足などを考案し、鳥の翼を模した滑空装置で人間飛行に挑みました。1811年、ウルムのドナウ川上空で公開飛行を試みましたが、下降気流のため川へ落下します。失敗は長く嘲笑されましたが、後世の再現実験では機体そのものに滑空能力があったことが示されました。成功だけでなく、観察、試作、公開実験の積み重ねから航空技術が生まれたことを伝える先駆者です。
ヨハン・ハインリヒ・フォン・チューネン
- 生没年:1783年6月24日~1850年9月22日
- 国:ドイツ
- 肩書き:経済学者・農学者
自ら農場を経営して収量、価格、賃金を記録し、市場からの距離と輸送費が土地利用をどう変えるかを『孤立国』でモデル化しました。中心都市の周囲に園芸、林業、穀作、牧畜が同心円状に配置されるという考えは、立地論と経済地理学の出発点になりました。賃金についても生活費と労働生産性の関係を数式で考えます。現実を単純化した模型によって、空間が経済活動を組み立てる仕組みを初めて体系的に示しました。
中村正直
- 生没年:1832年6月24日(天保3年5月26日)~1891年6月7日(明治24年6月7日)
- 国:日本
- 肩書き:啓蒙思想家・教育者
幕臣として昌平坂学問所で学び、幕府留学生としてイギリスへ渡りました。帰国後、スマイルズの『自助論』を『西国立志編』として訳し、個人の努力と公共心を結ぶ倫理を広く紹介します。さらにミルの自由論を翻訳し、女子教育を進める同人社や東京女子師範学校にも関わりました。西洋思想を直訳せず、儒教的な修養語彙と結びつけて、近代日本の教育と市民道徳へ移し替えた人物です。
ヤン・マテイコ
- 生没年:1838年6月24日~1893年11月1日
- 国:ポーランド
- 肩書き:画家
国家を分割されていたポーランドで、中世から近世の政治的事件を巨大な歴史画に描きました。『グルンヴァルトの戦い』『プロイセンの臣従』では、英雄だけでなく敵味方の人物と象徴を密集させ、失われた国家の記憶を視覚化します。その演出には史実の圧縮や理想化もありますが、作品は学校教育と国民意識の形成に大きく働きました。政治的独立を欠く社会で、美術館の画面を歴史を共有する公共空間へ変えた画家です。
馬場辰猪
- 生没年:1850年6月24日(嘉永3年5月15日)~1888年11月1日(明治21年11月1日)
- 国:日本
- 肩書き:自由民権運動家・思想家
土佐藩からイギリスへ留学し、法学と議会政治を学びました。帰国後は自由党の結成に加わり、民撰議院、言論の自由、条約改正を論じ、政府の欧化政策や集権化を批判します。弾圧を受けて渡米した後も、英語で日本の政治状況を伝えました。国権の拡張だけでなく市民の権利と政治参加を近代国家の基礎に据え、国内外の言論空間を往復した民権思想家です。
本因坊秀哉
- 生没年:1874年6月24日(明治7年6月24日)~1940年1月18日(昭和15年1月18日)
- 国:日本
- 肩書き:囲碁棋士・二十一世本因坊
家元制最後の本因坊として、対局料と新聞棋戦を基盤とする近代囲碁へ移る時代を生きました。名人就位後は長く頂点に立ち、厳格な作法と深い読みで権威を築きます。引退碁で木谷實に敗れた対局は川端康成の『名人』の題材となりました。世襲の本因坊名跡を日本棋院へ譲り、選手権で継承者を決める本因坊戦を可能にしたことで、伝統的権威を競技制度へ移した人物です。
谷口吉郎
- 生没年:1904年6月24日(明治37年6月24日)~1979年2月2日(昭和54年2月2日)
- 国:日本
- 肩書き:建築家
東宮御所、東京国立近代美術館、帝国劇場などを設計し、直線的な近代建築に日本の素材感と庭園との関係を取り込みました。戦災で失われた文化人の住居や街並みを記憶するため、明治村の創設にも尽力します。大規模な公共建築を作る一方、場所の歴史を保存する制度づくりにも関わりました。新しい建築を建てることと古い環境を残すことを対立させず、近代化の中で文化的連続性を設計した建築家です。
ピエール・フルニエ
- 生没年:1906年6月24日~1986年1月8日
- 国:フランス
- 肩書き:チェリスト
小児麻痺のためピアノからチェロへ転じ、端正な音色と明晰な構成で「チェロの貴公子」と呼ばれました。バッハから同時代作品までを広く演奏し、シュナイダー、ケンプ、ルービンシュタインらとの室内楽で、独奏と対話の均衡を示します。技巧を誇示せず、弓の速度と響きを緻密に整える演奏はフランス楽派の規範となりました。録音と教育を通じ、チェロを重厚な低音楽器から透明で知的な独奏楽器へ広げました。
靉光
- 生没年:1907年6月24日(明治40年6月24日)~1946年1月19日(昭和21年1月19日)
- 国:日本
- 肩書き:洋画家
シュルレアリスムや宋元画の影響を受け、眼、植物、動物が絡み合う幻想的な画面を制作しました。『眼のある風景』では、写実的な細部が何を描くのか判然としない不穏な形へ変わり、戦時下の閉塞を直接的な標語なしに表します。召集され中国へ送られ、終戦後に上海で病死しました。前衛美術への統制が強まる中でも、見ることの不安と人間の内面を凝視し、日本の近代絵画に独自の暗さを刻みました。
ファン・マヌエル・ファンジオ
- 生没年:1911年6月24日~1995年7月17日
- 国:アルゼンチン
- 肩書き:レーシングドライバー
自動車整備工からレースへ進み、1950年代のF1世界選手権で四つの異なるメーカーを駆って五度の王者となりました。車体が壊れやすく安全設備も乏しい時代に、機械の状態と路面を読み、必要な場面だけ速度を最大化する走りで生存率と勝率を両立させます。1957年ドイツGPの追い上げは戦術的運転の典型とされます。運転技術だけでなく、整備者との対話を競争力へ変えた近代モータースポーツの基準点です。
クロード・シャブロル
- 生没年:1930年6月24日~2010年9月12日
- 国:フランス
- 肩書き:映画監督・批評家
映画誌『カイエ・デュ・シネマ』の批評家から監督へ転じ、『美しきセルジュ』でヌーヴェルヴァーグの先駆けとなりました。のちには地方の中産階級家庭を舞台に、礼儀正しい日常の裏にある欲望、階級差、殺意を冷静に描きます。ヒッチコック研究で学んだ視点操作を用いながら、犯罪の謎解きより社会の偽善を明らかにしました。低予算で継続的に作品を作る制作方法も、監督中心の映画文化を支えました。
ジェフ・ベック
- 生没年:1944年6月24日~2023年1月10日
- 国:イギリス
- 肩書き:ギタリスト
ヤードバーズでブルース・ロックの音を拡張し、その後はジャズ、ファンク、電子音楽を横断する器楽作品へ進みました。ピックを使わず指、音量つまみ、トレモロアームを同時に操り、ギターを人声や管楽器のように連続的に変化させます。流行する様式へ固定せず、音色そのものを作曲の一部にした姿勢は多くの奏者へ影響しました。速さだけで評価されがちなロックギターに、間、微細な音程、触覚的な表現を持ち込んだ音楽家です。
エリソン・オニヅカ
- 生没年:1946年6月24日~1986年1月28日
- 国:アメリカ
- 肩書き:宇宙飛行士・空軍軍人
ハワイの日系三世として生まれ、空軍の試験技師を経てNASAの宇宙飛行士になりました。1985年のスペースシャトル・ディスカバリーで国防総省の任務に参加し、宇宙へ行った最初の日系アメリカ人となります。翌年、チャレンジャー号の打ち上げ直後の爆発事故で乗員全員とともに死亡しました。その歩みは移民社会における科学技術分野への参加を広げ、事故は組織の安全判断と技術者の警告を検証する重大な教訓を残しました。
6月24日に起きた歴史的な出来事
- 1340年6月24日|スロイスの海戦
百年戦争初期、イングランド艦隊がフランドル沖でフランス艦隊を破りました。接舷して戦う海上戦でフランス側は大損害を受け、イングランドはドーバー海峡を渡る軍隊と物資の経路を確保しました。 - 1401年6月24日(応永8年5月13日)|足利義満が最初の遣明使を派遣
室町幕府が明との正式な通交を求めて使節を送りました。後に勘合で公認船を識別する日明貿易が整えられ、銅銭、生糸、工芸品の流通と東アジア外交を大きく動かしました。 - 1793年6月24日|フランスでジャコバン憲法採択
国民公会が男子普通選挙、人民主権、社会的権利を掲げる共和政憲法を採択しました。戦時非常体制のため施行されませんでしたが、後の民主主義運動が参照する急進的な権利構想となりました。 - 1821年6月24日|カラボボの戦い
シモン・ボリバル率いる独立軍がスペイン王党派軍を破り、ベネズエラの主要部を確保しました。軍事的勝利によって南米北部の独立が決定的となり、植民地支配の解体が進みました。 - 1839年6月24日(天保10年5月14日)|蛮社の獄
幕府が渡辺崋山、高野長英ら蘭学者を逮捕しました。外国船への砲撃政策を批判した知識人を処罰した事件で、海防論と学問・言論統制の緊張を明らかにしました。 - 1859年6月24日|ソルフェリーノの戦い
フランス・サルデーニャ連合軍とオーストリア軍が北イタリアで戦い、膨大な死傷者を出しました。負傷兵の惨状を見たアンリ・デュナンの救護活動と提言が、赤十字運動とジュネーブ条約へつながりました。 - 1880年6月24日|『オー・カナダ』初演
ケベックの祝祭で、後にカナダ国歌となる『オー・カナダ』が初めて演奏されました。フランス語の愛国歌として生まれ、英語詞の普及を経て二言語国家を象徴する歌となりました。 - 1894年6月24日|IOCが近代オリンピックの周期を決定
パリの国際競技会議で、近代オリンピックを四年ごとに開催する方針が定まりました。国際オリンピック委員会の制度と1896年アテネ大会へ続く枠組みが整えられました。 - 1932年6月24日|シャム立憲革命
人民党の文官と軍人が無血クーデターを起こし、絶対王政から立憲君主制への移行を迫りました。現在のタイ政治に続く、王室、官僚、軍、議会の力関係の出発点となりました。 - 1948年6月24日|ベルリン封鎖始まる
ソ連が西側占領地区から西ベルリンへ通じる陸路と水路を遮断しました。米英などは大規模な空輸で食料と燃料を供給し、都市の分断と東西冷戦を象徴する対立となりました。 - 1952年6月24日(昭和27年)|吹田事件
朝鮮戦争に反対するデモ参加者が大阪府吹田市で警官隊と衝突しました。多数が騒擾罪などで起訴されましたが、長い裁判の末に騒擾罪は成立しないとされ、占領終結直後の治安政策と運動の自由を問う事件になりました。